サリヴァンとアウグスティヌス

 

サリヴァンの愛、親密性、性欲についての理論は、
一般にカトリック教会で教えられることに深い関係がある。
もっと焦点を絞れば聖アウグスティヌスの教えについての直接間接の知識である。
アイルランド・カトリック教会は
聖アウグスティヌスの教えに忠実に従っているのである。
アウグスティヌスは愛と性欲とを全く別個の感情だと考えた。
完全な愛は、まず神に向い、
それから反射して人間関係の愛となる。
性欲は単に子を生む手段である。
なるほどサリヴァンの愛の定義はもっぱら人間関係に関するものであるが、
アウグスティヌスの教えの影響がある。
「相手の満足と安全とが
自分にとって自分自身の満足や安全と同じ重要性を持つようになった時、
愛という状態が存在する。
愛ということばが世間でどのように使われているかは知らないが、
私の知る限り
この定義に合わない場合においては
愛という状態の存在することはない。」
いろいろの点で禁欲的な愛の定義である。
フロイトが『精神医学辞典』において行なった愛の定義とは
正反対である。
(ヘレン・スウィック・ペリー[著]中井久夫・今川正樹[共訳]『サリヴァンの生涯 1』
みすず書房、1985年、p.139)

 

サリヴァンの生涯にアウグスティヌスがふかく関係している
とは知りませんでした。
サリヴァンは、
アイルランド系移民の子として1892年、
アメリカ合衆国のニューヨーク州で生まれています。
「相手の満足と安全とが
自分にとって自分自身の満足や安全と同じ重要性を持つようにな」る
というところに、
サリヴァンの思想・人間関係論の本質があると思います。
愛が「状態」であるというのもおもしろい。
引用箇所にあるサリヴァンの愛の定義は、
彼が生前刊行した唯一の書籍『現代精神医学の概念』にでてきます。

 

・春服を友と連れだつ里の道  野衾

 

『サリヴァンの生涯』

 

サリヴァンは遺伝対環境という思弁を一度もしていない。
子供の知能を別の文化複合に属する有利な人々が工夫した仕掛けで測定する
などということは、
サリヴァンには無意味に思えたのである。
貧困とか子どもを縛る慣習とか学校で学ぶ機会が限られている現状とか、
たまたまそこに生れたという地理的偶然の結果とか、
その子を取り巻く紋切り型の言動とか、
そういうものから子供が解放されてから遺伝という変数を検討しても遅くない。
これはサリヴァンが自分自身の生活から理解したことであり、
広い社会に出てから孤独な人たちの観察によっても理解したことだった。
(ヘレン・スウィック・ペリー[著]中井久夫・今川正樹[共訳]『サリヴァンの生涯 1』
みすず書房、1985年、p.105)

 

共訳者のひとりである中井久夫さんの「訳者まえがき」
によれば、
原著は
『アメリカの精神科医――ハリー・スタック・サリヴァンの生涯』
というタイトルであったとのこと。
翻訳書のタイトルを『サリヴァンの生涯』に変更する
許可を求めたのに対して、
ペリー女史は、
「原題よりよい題だ、
サリヴァンの思想は精神医学にとどまるものではないから」
と、
予想外の返答があったことについて
『サリヴァンの生涯 2』の「訳者あとがき」
で触れています。
読んでおもしろく感じる学術書は、
専門領域を超えて伝わってくるものがあり、
ハリー・スタック・サリヴァンの論考は、その最たるものと思うけれど、
そう感じられることの
一つの理由が解き明かされた気がします。
また「訳者まえがき」には、
「本書は、サリヴァンを知る人の伝記としてジョーンズの
『フロイトの人と業績』に相当する位置を持つと思う」
とあり、
訳者の並々ならぬ意気込みを感じます。

 

・恥ずかしく眩しくもあり春の服  野衾

 

「喜」「怒」「哀」の先の「楽」

 

筆者の一人(真保呂)がよく覚えているのは、
八〇年代末、中井さんが『カヴァフィス全詩集』の翻訳で読売文学賞を受賞した時期に、
その当時に自宅にいた祖母が痴呆症状を示したこともあって、
診察がてら遊びにきたときのことである。
そのとき、祖母の状態を尋ねた筆者にたいして、
中井さんはこのような話をしてくれた。
以下、会話調で再現する。

 

中井 人間はね、赤ん坊から「喜怒哀楽」の順番に感情を覚えていくんだけれど、
年をとったり精神を病んだりすると、
「喜怒哀楽」の「楽」から順番に感情を失っていくものなんだ。
筆者 なるほど、でも「喜」と「楽」ってどう違うんですか?
同じような感情に思えるけど。
中井 満足すると「喜」。満足できないと「怒」。それが続くと「哀」。
でも「楽」っていうのは、その三つの感情を超えた感情だね。
筆者 どういうことでしょう?
中井 わかりやすくいうと、ゲームに勝つと喜び、負けると怒る。
そして負けつづけると哀しい。
しかし、それでも「もう一度」ってゲームを続けようと思うのが、楽しむってことだな。
つまり、「喜怒哀」の全部を受け入れて、
その先にあるのが「楽」というわけさ。

 

このときの会話を筆者はしばらくのあいだ、ほとんど忘れていた。
大学院時代にフロイトの著作を読んだときに、断片的に思い出した程度だった。
しかし、専門学校や大学で授業をするようになり、
精神的な問題を抱えた学生たちの対処をしているとき、ふと記憶が鮮やかによみがえり、
いつしか自分もそうした学生にたいして、
中井さんの話したのとそっくり同じ内容を伝えるようになった。
そして、この会話の中井さんの言葉が、
彼の人生観と世界観をそのまま縮約したものであることを理解したのは、
だいぶ後になってからのことである。
筆者は五年程前にパリで、知り合いの初老の女性カウンセラーから、
夫が若い女性と駆け落ちしたと聞いて、
彼女を慰めるために
「私の父と同年齢の精神科医の言葉だけれど」と断ったうえで、
先ほどの喜怒哀楽の話をした。
すると彼女は大粒の涙を流し、私を背骨が折れそうになるくらい強く抱きしめて
「その精神科医の言葉は私の魂を救ってくれた」と言い、
こう付け加えた。
「私たちフランス人がよく言うセラヴィ(それが人生)って、そういうことなのね」。
(村澤真保呂・村澤和多里『中井久夫との対話 生命、こころ、世界』
河出書房新社、2018年、pp.228-9)

 

二ページまるまるの引用です。著者たち二人の父親と中井久夫さんが親友で、
著者たちはものごころついた頃から
「中井久夫」の名前を聞かされて育ったという。
時間の長さにかんけいなく、
肝胆相照らす仲というのもあるかもしれませんが、
この本は、
ひとのちからではどうすることもできない時間によって醸される行き交い、
とでもいったものが、
そこここにしずかに鳴っており、
それがこちらの深い処にひびいてきます。
引用を、
著者の一人村澤真保呂さんと中井さんの会話だけで済ませようとも思いましたが、
中井さんとの会話が著者のこころにずっとのこっていて、
仕事がらもあってよみがえる箇所に唸り、
さらに、
それがフランス人の女性との会話の際に、
意識して話し出すところも、
言い知れぬ感動を覚え、
読むだけでなく、
入力する身体動作をつうじてもわたしのこころに刻んでおきたくて、
ながく引用しました。
著者たちのご尊父は、2004年1月2日に他界されたとのこと。
ご尊父を見舞いに行ったときの中井さんの行動も、
涙なしには読めませんでした。

 

・思ひ出は後悔もある桜かな  野衾

 

ふり返る朝

 

定期検診のため、家の近くにあるクリニックへ行った帰るさ、
てくてく歩道を歩いていたときのこと、
こちらへ歩いてくる一人の女性があった。
あ!
いくつぐらいだろう。
八十にはまだ届いていないのかもしれない。
そんなふうに意識にのぼったのは、
女性がなんの気なしに、
歩道と車道の境い目のブロックを踏み、四、五歩、歩いたからだ。
女性の口元は、
気持ち微笑んでいるようにも見える。
すぐに歩道の中央へ戻りわたしとすれ違う。
どうしていま端のブロックを歩いたのか、尋ねてみたかった。
天気がいいし、
なんとなく嬉しくなったのかな。
いや、とくに何ということはなかったのか。
ことばを選んで尋ねようか。
それでもやっぱり驚かせてしまうだろうか。
わたしは立ち止まり、
ふり向いてしばらく女性のうしろ姿を目で追った。
子どもがよくやるブロック踏みを、ひとり歩きながら、思いついて四、五歩、
のこころを想像し、ほれぼれした。
気分をよくし、百八十段ある階段に向かった。

 

・うららなる朝の歩道の四五歩かな  野衾

 

原著者への愛

 

精神医学の目的は、人間の生きている相《すがた》を理解し、
この理解をとおして人間の生きる道をなだらかなものとすることにある。
精神障害者を治療するという(狭義の精神医学の)立場も、
この大目的につながるものとみてよいであろう。
たとえ狭義の精神医学の立場に立っても、
治療目的を設定し、治療計画を立てる段ともなれば、
どうしても社会構造を一つの重要な因子として計算に入れないわけにはゆかない。
臨床実践の中でも広い視野をもちつづけるだけの力量のある精神科医は、
早晩、
より進んだ立場に立って
そこから精神医学の大目的を達成する方策を考えなければならない
と覚《さと》るようになるだろう。
私がここでいう社会構造とは、
ただ単に患者の対人関係改善の限界を定めるものではない。
患者の問題はもとを辿れば間接的に社会構造に帰着し、
逆に、
社会構造の歪みはその徴候が患者個人の問題として現われる。
そういうものとして社会構造を位置づける
のが私の立場である。
(ハリイ・スタック・サリヴァン[著]中井久夫・山口隆[共訳]『現代精神医学の概念』
みすず書房、1976年、p.204)

 

いいなあこの伸び伸び広々とした感じ。溌剌さ。そして、こころざしの高さ。
中井久夫さんがサリヴァンの翻訳に多くかかわっている
ことの意味が、
この文章からもわかる気がします。
翻訳された日本語を読んでいるのに、
ときどき、
もとが英語であることを忘れ、
中井さんがじぶんの考えを述べたものとして読んでいるような錯覚をおぼえます。
それぐらいこなれていて、
専門書なのに、
ゆっくり読めば、
数行前にもどって読むようなことはなくて済む。
翻訳書なのにこの感じ。
村上春樹さんが訳したレイモンド・カーヴァーを読んだとき
を思い出します。
原著者への愛のなせる業なのでしょう。

 

・お日さまの匂ひ豊けし卒業式  野衾

 

キーンさんの紫式部

 

紫式部がどんな顔をしていたかはわかりませんが、一応美人ではなかったかと思います。
というのは、
紫というあだ名があったくらいですから、
小説の紫の上と同じような顔、
あるいは同じような髪をしていたのではないでしょうか。
紫の上が美人でなければ光源氏が魅かれるはずはないし、
また美人でなければ紫式部は紫の上になぞらえられることもなかったでしょう。
変な論法ですが、
私はおそらく紫式部は美人ではなかったかと思います。
しかし美人であっても、
そうでなくても、
紫式部の一番の特徴は顔ではなく、
人間の心をよく知っていたことでした。
人間の永遠に変わらない情《なさけ》を十分に知っていました。
もし彼女が非常に美人であり、ものすごく知恵があって難しい漢文の教典が読めても、
それがなければ私たちは『源氏物語』を読むことはできなかったでしょう。
幸い彼女は、ほかの人に比べられないほど、
人情、人間の心をよく知っていました。
そしてそのおかげで私たちは今日、
『源氏物語』を読むことができるのです。
(『ドナルド・キーン著作集 第一巻 日本の文学』新潮社、2011年、p.309)

 

この文章はとどこおりなく読むことができ、
なるほどと思わせられますし、さすがキーンさん、となるわけですけれども、
わたしが高校時代、
物理の先生の開いたままのチャックのズボンに目が行き、
授業の内容よりも、
チャックのことが気になって気になって
仕方がなかったように、
この文章には、
一つだけ気になる単語があります。
それは「一応」。
さいしょ読んだとき、笑いましたもんね。
「一応」て。

 

・卒業式前文房具店に寄る  野衾

 

生きられる時間

 

歳を重ねると時の経つのがはやく感じられるとだれもが言います。
先日入った蕎麦屋の女将さんも、
「正月が明けたと思ったら、もうすぐ桜の季節ですものねー。はやいですねー」
と言っていた。
心理学的な説明をする人もいて、
そんなものかと、
どこか他人事のようなところがありましたが、
このごろそれを実感することに遭遇した。
「遭遇」
はちょっと大げさだけど。
それは、
散髪の間の日数感覚。
わたしの散髪は、
長さ1ミリに刈り上げるバリカンでウィ~ンとやるだけの簡単なものですが、
長さが短いだけに、
たとえば髭のごとく、
すぐに伸びてきて気分が悪く、
人にも不精な印象を与えかねませんから、
2週に一度は行きつけの床屋に足を運ぶようにしています。
ついこのあいだの土曜日がその日でした。
夕刻、
首都高速道路永田インターチェンジ横の長い階段を下りながら、
つらつら思い返していたとき、
ハッと立ち止まり、
2週間の時の短さを思い知らされた。
ん!?
2週間て、
こんな感じだったか。
いくらなんでも短い。
短すぎる。
子どもの頃、
父と母と弟と汽車で(電車でなく)秋田市まで行って、
まず動物園へ行き、
それからまんぷく食堂でラーメンを食べ、
そしてそれから木内デパートでいろいろ買い物をする、
それが2週間後
と言われた時の興奮と待ち遠しさといったら、
長く長く果てしなく感じられたっけ。
散髪までの2週間が1週間
なのに対して、
4人で秋田市に行くまでの2週間は、1か月後、2か月後、それ以上にも思えました。
どうやら、
時計で計れる時間とはまた別の時が流れていて、
それをわたしたちは感じ分け、
生きているようです。

 

・卒業の日にジョーズを観に行けり  野衾