中野好夫さん訳『デイヴィッド・コパフィールド』のなかに、
「お銭」また「お金」と書いて、
「銭」や「金」に《あし》と振り仮名が付されている箇所がありました。
それを目にし、
学生のころのことが、俄かに思い起こされました。
芳賀先生とおっしゃったかな、
大教室の講義の初回だったと思います。
はじめての回ですから、
自己紹介的な、やわらかい話のなか、
かつての学生が、外国語の文献を日本語に訳しながらの授業だかゼミだか
のなかで、
ある単語を「おあし」と訳したのだとか。
芳賀先生、ニコニコしながら、
「おあしはまずいでしょう。おかねでもちょっとね」。
芳賀先生は、
そのことばにつづけて、経済学の本なので、
「貨幣」「金銭」と訳してほしかった、
みたいなことをおっしゃったのかもしれませんが、
そこのところの記憶はあいまいで、
ああ、
おかねのことを「おあし」というのか、と思ったことだけ
憶えています。
「おあし」なんて言い方、
そのころは知りませんでしたから。
『広辞苑』で「足」を引くと、
うしろのほうに、
「(足のようによく動くからいう)流通のための金銭。ぜに。おかね。」
という説明があります。
『デイヴィッド・コパフィールド』を
中野さん訳で読んでいなければ、
芳賀先生のあのエピソードは、
思い出されずじまいだったかもしれません。
・飛び立つ鳥や川面にさす緑 野衾