行動の額縁

 

横浜は、今月七日の日曜日、さくらが満開になりました。
休日でしたが、午後から出社し、その日予定していた仕事に向かいます。
一時間ほど机上のゲラを読み、
少し休もうかと思い、
椅子を回して外の景色を見やりました。
若い頃、
こういう日には、読みたい本を買うのに、
伊勢佐木町にある有隣堂本店に向かったものでした。
探している本が見つかればよし、見つからなければ、それもまたよし。
インターネット書店がまだない時代のこと。
明るい外の景色を見ながら、
ふと思いました。
あの頃、
読みたい本を探しに、電車を乗り継いで、伊勢佐木町まで行ったけれど、
ほんとうに、本を探すために行ったのだろうか、
と。
ほんとうは、
さくらが咲く頃の、
なんとなく華やいだ気分の赴くまま、
そうだ、本屋に行こう!
買いたい本もあるし…。
ほんとうのところは、
そんなふうな順序で行動を起こしたのではなかったか。
だから、
目的の本があればうれしいけど、
たとえ見つからなくても、
本屋に行った時間が無駄だった、とは感じていなかった気がします。
むしろ、
目的の本が見つからなかったことで、
本を探しに行ったその日の行動を
一枚の絵にたとえるとしたら、
一日の行動の額縁の手ざわりをゆっくり味わっていた
ようにも思います。
さて10分が経過しました。
椅子を回転させ、
机上のゲラに目を落とします。

 

・何となく忘れてもなほ桜かな  野衾