先だって、夕飯に赤飯をいただきました。とくに祝い事があったわけではありません。
塩加減が絶妙で、小豆の味がほんのり、それと薄紫に近い赤。
おいしくいただいているうちに、
子どもの頃に食べた、きゃばの葉に包んだ赤飯を思いだしました。
わたしの地元では「きゃばの葉」と呼んでいましたが、
朴葉のことだと思います。
かつて田植えは、地域の共同作業であり、
複数の人が横並びで田んぼに入り、手作業で稲の苗を植えていきました。
子どもは、苗の束を放る手伝い。
昼どきになると、
きゃばの葉にくるみ、
藁で十文字に結わえた赤飯がふるまわれた。
家に残っていた者が用意し、
頃合いを見計らって田んぼまで運んでいったのではなかったでしょうか。
共同作業となると、
そのための時間が貴重ですから、
田んぼの横の畦道で昼食を済ませるのは理にかなっていました。
あれは、ほんとうに美味しかった!
ほっかほかの、あたたかい赤飯をくるむので、
きゃばの葉の鮮やかな緑が茶色く変色しているところもあり、
それを見ると、
きゃばの葉の、あの何ともいえぬ風味が、ことさら赤飯に移っているような気がし、
まさに緑の自然、大地の贈り物をいただいている気がしたものです。
時代が移り、
共同でやる田植えがなくなり、
それとともに、
きゃばの葉の赤飯を食することもなくなりました。
が、
食べたいなぁ!
と、
こういうものを食べたくなるのも、
加齢現象の一つでしょう。
・渦を巻き傘を吹きやる春嵐 野衾