本と片恋

 

渥美清としてのものだったか、
『男はつらいよ』での寅さんのセリフだったのか定かではありませんが、
恋の本質は片思いにある、
みたいな言葉があったと記憶しています。
思っているだけなら、
こちらがどんな立場であれ、
相手がどんな立場のひとであれ傷つけることはない…。
ときどきその言葉を思い出しては、
それって本に似ているなと。
このごろまた本を買うことが多くなりました。
リアル書店で買うことはほとんどなくなり、
ネット書店でばかり買っています。
古書もしかり。
想像、妄想、興味、関心、
いろいろひろがって。
すでに一生かかっても読み切れないほどの本が
自宅にも会社にも所持しているのに
それでも買ってしまいます。
いかにもムダのようにも思えますが、
どんな内容のどんな装丁の本かなとウキウキした気持ちで待っているときの気持ち、
本がとどいて包装をとくときの気持ち、
本を手に持ち重さを感じる瞬間の気持ち、
パラパラ適当にページをめくって
文字の大きさや字配りをながめるときの気持ち、
などなど、
わずかな時間ですが、
極端なことをいえば、
その高揚する気持ちを味わいたくて、
つぎつぎと本を買っているような気もします。
もちろん買って読む本もありますが、
強がりでなく、
仮に読まなくたってもいい。
好きになったひとに
じっさいは声をかけることがなくても、
遠くからながめてどんなひとだろうと想像する、
それも本を買うときの気持ちに似ている気がします。

 

・印刷はぜったい無理の躑躅かな  野衾

 

体質の変化

 

三か月に一度ほどの検査のため行きつけの病院へ。
血液検査と尿検査を済ませ、
あとは診察を待つだけ。
なんど訪れても好きになれず、
それどころか緊張して心臓がバクバクしてしまいます。
これ母親とまったく同じ。
なさけない話ではありますけれど、
論語を読もうが法華経を読もうが聖書を読もうが
病院へ行った時の緊張を解くことはできません。
これがわたくしのあるがままの姿と諦めるしかないようです。
なんてことをつらつら考えているうちに
名前を呼ばれ診察室へ。
問題のクレアチニンの値が若干下がり、
まずは一安心。
とはいえ、
まだ基準値にはおさまらず
予断を許しません。
ひとついいなと感じるのは、
総合病院なのに、
この先生、
ひとの話をちゃんと聞いてくれいっしょに考えてくれること。
なので、
予約しているにもかかわらず、
どんどん時間がたち、
待合室では不満の声が漏れることしきり。
それはさておき、
コレステロールの値が高めであることを指摘されました。
これまた母親と同じですから、
遺伝によるものでしょうかと尋ねると、
言下に
「遺伝よりも体質の変化によるものでしょう」
体質の変化、
か。
還暦をまえに体調をくずし、
アルコールを飲まなくなって一年半、
こまかいことを数え上げれば、
からだの変化をあれこれ自覚することが多くなりました。
と同時に、
仕事でもプライベートでも
極端を避けるような気持になっている
気がします。
若いときは、極端なことをいえば、
極端が好きでした。
あやまちもありました。
アルコールを飲んだときなど、
深さの果てに真理が垣間見えるのではないかと想像したり。
しかし、
つぎの日気持ち悪くなるだけで、
想像はたんなる妄想にすぎなかった。
極端というならば、
いまは、
中庸であることにいかに徹底できるか、
そこに極端でありたいとねがうこころもち。
ただ、
中庸の中庸たる所以は
ひょっとして、
徹底しないところにあるかとも思ったり。
いずれにしても、
この歳になってようやく、
母親をかがみにして
じぶんの姿が少し見えてきたかなという気がします。

 

・書けずともながめてうれし躑躅かな  野衾

 

線引き

 

『本の虫の本』(創元社、2018年)は本の虫五人による共著ですが、
そのひとり田中美穂さんは、
岡山県倉敷市で「蟲文庫」を営んでおられる方。
そのひとの文章に「消しゴム」があります。

 

消しゴムを何に使うかというと、鉛筆による線引きを消すためだ。
きれいに消えて新品同様になるのならば
数百円から数千円をつけることができ、
無理なら百円くらいで出すしかない。
(同書、p.112)

 

やはりそうであったか、
と思いました。
古本を求めたとき、
ボールペンや万年筆の線が引かれているのはやむを得ないこととして、
鉛筆による線引きが、
消されている(ようく見ると、雪道の轍のように、へこんでいてそれと分かります)本と
そうでない本があり、
消されている本というのは、
売り手が古書店に持ち込む前に消すのか、
それとも、
古書店の店主が消しているのだろうか
どっちだろうと思っていました。
じぶんのことを考えても、
どっちもありとは思いますけれど、
古書店主がそうしている
ことを書いた文章を読むのは初めてでした。
ばあいによっては
何時間もかけ、
見開きページのすき間に消しゴムのカスが入り込み、
薄い定規で取り除くこともあるのだとか。
そうして値付けされた本は、
これはこれで幸福な一冊といえるでしょう。
蟲文庫を訪ねてみたくなりました。

 

・忘れもの思い出してる花ぐもり  野衾

 

紺青の拳

 

四歳のときから知っているりなちゃん、
いまは高校三年生。
毎年この時期になると、
名探偵コナンの新作映画を観、
それから
馬車道にある勝烈庵本店まで歩き
盛り合わせ定食をいっしょに食べるのが恒例になっています。
昨年はわたしが体調を崩したため
映画を観ることができませんでした。
ことしはなんとか体調が戻りましたので、
日曜日に『名探偵コナン 紺青の拳』を観てきました。
ストーリーがふくざつで
おじさんには分かりづらいのかと思いきや
そんなことはなく、
二時間があっという間でした。
こんかいはシンガポールが舞台でしたが、
たとえば、
ホテルの高層階の窓から眺める景色、
マーライオンの口から吐き出される水の描写など、
ストーリーに直接関係しないところもきっちりと作りこまれており、
この映画の完成度が
そんなところからも推し量れました。
ところで、
ひと月ほど前から
「名探偵コナン 紺青の拳」のポスターを町で見かけました。
そのたびに
ことしは観に行けるかな
と思いながら通り過ぎたのですが、
ポスターの「紺青の拳」
こんじょうの……
はて、なんと読むんだろう?
近くまで行けば分かったのでしょうけれど、
そうしなかったので、
読み方が分からず、
けん? いや、こぶし?
当日映画館に行き、フィストと読むことを知り、
そのことをりなちゃんに話したら、
笑われました。
が、
けして冷たい笑いではなく、
りなちゃんもわたしが健康を回復して
映画を観に来られたことを喜んでくれているようでした。
勝烈庵の盛り合わせ定食も
かわらずに美味しかった。

 

・初蝶やそこここあちらわたりゆく  野衾

 

夢のはなし

 

しばらく夢を見なかったのですが、
このごろまた夢を見るようになりました。
ほんとうは、
覚えているか否かの違いだけかもしれませんけれど。
きのうのは、
というかきょうのは、
会社で海外へ旅行することになった日の朝、
家を出るまでまだ少し時間があるからというので、
DVDで映画を観ることにした、
そんな場面でした。
海洋物で幼い少年が主人公の映画。
大好きだった父は海難事故により命を落としていました。
遠泳の競技会に出場した少年は、
スタートから猛スピードで泳ぎ始めます。
どうみても
遠泳の泳ぎではありません。
二位以下をぐんぐんぐんぐん引き離していきます。
スピードががくんと落ちたかと思いきや、
少年はまったく動かなくなり
波に揺られています。
映画はまだ途中でしたが、
時計を見ると、
すでに午後二時になっていて、
どう考えても集合時間までは間に合いそうにありません…。
という、
そんな夢でした。

 

・橋頭を飛天のごとくつばくらめ  野衾

 

半仙戯

 

〔唐の玄宗が寒食(かんしょく)の日に、宮女に半仙戯(鞦韆(しゅうせん))
の遊戯をさせたことから。
「半仙戯」は半ば仙人になったような気分にさせる遊びの意〕
ぶらんこ。季節、春。

 

大辞林にのっている説明。はんせんぎ、と読みます。
さらに寒食をひいてみると

 

昔、中国で冬至後一〇五日目の日は風雨が激しいとして、
この日には火を断って煮たきしない物を食べた風習。また、その日。
冷食。かんじき。

 

さて、俳句を読んだり詠んだりしていると、
いろいろな季語にであうことになりますが、
半仙戯という季語があることをこのごろ知りました。
ぶらんこのことですから、
ぶらんこでいいようなものの、
意味は同じでも、
ひとつひとつの言葉は
それぞれ由来や歴史がちがいますから、
意味だけでなく
その由来・歴史を五七五に盛り込みたい欲がでて、
つかってみたくもなります。
ということで。

 

・半仙戯眼下二宮金次郎  野衾

 

なりふりかまわず

 

きのうの夕刻、
JR保土ヶ谷駅の改札を出るや否や、
改札に向かって猛スピードで駆けてくる若い女性の姿が目に入りました。
ミニスカートで
腿を90度ちかく上げています。
うで振りもすばらしい。
おそらく、
いや、きっと
かつて陸上部に所属し、
短距離走の選手だったにちがいありません。
駅構内でのできごとながら、
かのじょの足裏の着地点はあきらかに
400mのトラック。
さわやかなフォームを目の当たりにし、
つかれが一気に吹き飛びました。

 

・天來のいま山頂に春霰  野衾

 

1 / 51112345...102030...最後 »