さまざまのこと 35

 

たしか小学六年生のときのこと。
ゴム動力のプロペラ飛行機をつくって飛行時間を競うじゅぎょう、
というか催しがおこなわれたことがありました。
がっこうで模型飛行機をつくるのは、じゅぎょうというより、あそびのえんちょう。
学校で仕上げられなかった生徒は、
家にもって帰って完成させてもよかったはず。
翌日、つくった飛行機をもって、
かつて中学校の校舎があった南台グラウンドまで行き、
グループに分かれ、先生の合図で、数人が晴れた空に手づくりの飛行機を放ちました。
わたしの飛行機は、可もなく不可もなくという感じで、ほどなく着地。
いちばん長く飛んだのは、
となりのクラスのNくんの飛行機。
グラウンドからはるかにそれて、緑の崖のほうまで飛んでいき、
ストップウォッチを手にした先生があわてて飛行機の着地を確認しに行きました。
Nくんと数名が、わが井川東小学校を代表して、
地区の大会へ参加しましたが、結果がどうなったか、
報告があったと思いますがおぼえていません。
わたしはといえば、
運もあるし、
ひどく悔しい思いをしたというわけではありませんでしたけれど、
じぶんのつくった飛行機がごくふつうに終ってしまったのが、
ちょっとこころのこり。
それで、
五城目町にあるおもちゃ屋まで行き、
学校でつくったものと同じ手づくりセットを購入。
家にもって帰り、意識を集中し、
ていねいにていねいにつくりました。
材料は木と竹ひごと紙ですが、飛行機の重量をできるだけ軽くするために、
木と竹ひごはろうそくの火にあて、燃えない程度に焦がすなどの念の入れよう。
薄い半透明の紙を貼って完成。
さっそく外へ出、家の裏にまわりました。
プロペラを回してゴムを巻きます。
両手を添え、ひろい田んぼに向かって飛行機を放ちます。
旋回することなく、どんどん上昇し、田んぼをつぎつぎ超えていきました。
急いで飛行機を追いかける。
このまま飛んでいったら、端っこのたんぼを超えて、
大麦のほうまで行ってしまうんじゃないか、
なんて。
そんなことまで思いながら、追いかけていくと、そうはならずに、
やがて、色づいてきた稲穂がささやく田んぼに着地。
こんなに飛んでくれてありがとう。
なっとくのいく飛行に、満足したのでありました。

 

・あれをしてあれもこれもと梅雨晴間  野衾

 

帷子川の鯉たち

 

JR保土ヶ谷駅で電車を降り、保土ヶ谷橋方面に歩くのが帰宅のコースになりますが、
国道一号線沿いよりも、
交通量の少ない西口の階段を下りて歩くほうがこのごろ多くなりました。
階段を下りるとタクシー乗り場とバス乗り場。
ガラス窓の多い高いビルが一つありますが、ほかに高層の建物とてなく、
そのぶん、
空がひろがり、
いちにちの終りを感じさせてくれます。
生活雑貨全般をあつかう店が昨年八月に閉店し、
つぎにどんな店が来るのだろうと横目で見ながら歩くことになりますが、
いまのところ、決まっていないのか、
とくに目立った掲示も動きもありません。
さらに進むと、左手の線路を電車が走っていきます。
踏切手前、
帷子川(かたびらがわ)に橋が架かっていて、
遮断機が下りているときは、橋の上からしばらく川面をながめます。
大ぶりの鯉たちがゆらゆら泳いでいるのです。
このごろ、そこでパンをちぎって与えている白髪の女性をよく目にします。
カバンから食パンを取りだし、こまかくちぎって放り投げると、
鯉たちが大きく口を開け、
競うようにつぎつぎ食べていきます。
切っては投げ切っては投げ、すると、口を開けてパクリ、口を開けてパクリ。
その様子をとなりで見ていたら、先日、
「向こうにいるのは若い鯉たち」
と、ひとりごとなのか、
わたしに話しかけたようでもありました。うなずいて、
なおしばらく見下ろしていました。
このごろは、
二羽、三羽の鳩が女性の足下に寄ってきて、
こぼれたパンをついばむようになりました。女性は、
それと見て鳩にもパンをあげています。
音が切れ、ようやく遮断機が上がり始めました。

 

・紫陽花や水の宝石こぼれ落つ  野衾

 

このごろのリスくん

 

わたしの住んでいるこの山の上でよく見る動物に、台湾栗鼠がいます。
忘れられないのは、
三匹が電線をつたわって追いつ追われつ走り回っていた軽業師のようなリスくんの姿。
三匹をいっしょに見たのはそのときだけですが、
一匹を見るのはけっこうあるし、二匹を見るのもたまにあります。
先日、二階の通用口から会社をでたとき、
となりの結婚式場の垣根からチョロっとリスくん這いだして、
伊勢山皇大神宮の裏参道をゆっくりかけ上っていきました。
色、大きさからして、台湾栗鼠のようでした。
電線を走るときはかなりのスピードなのに、地上ではむしろゆっくりめ。
電線上だと、はやく走らないと落ちてしまうのかな。
それはともかく。
せんだっての日曜日、いただいた下駄を履いて近くの公園まで行き、
ベンチに腰かけ休んでいたとき、
みどりの蔦がからむフェンスでなにやら動くものを発見。
見ればリスくん。あれま、ここもきみのあそび場なんだ。なんだかのんびりだね。
ひとりかい? スルスル、ツー、スルリ。
さておとといの日曜日、
朝、窓が東に向いている部屋で本を読んでいると、
視界の端を横ぎる黒い影。
あたまにのせていたメガネをかけ動くものに目をやる。
あれ、とうとうベランダにも現れたか。
手すりの外の、崖に接する30センチほどのふちをしずかに歩いていきました。
電線にくらべれば、
リスくんにしてみたら30センチの幅はさぞ大道だろう。
遊んでいるのか、エサをさがしているのか、はたまた別の目的が。
というようなわけで、
このごろよく目にするリスくんです。

 

・夏服や雲とあの娘と青き風  野衾

 

下駄を鳴らして

 

ある方から下駄をいただきました。二枚歯。家人から受け取りすぐ手に持ってみて、
その軽さに驚きました。
しかも、下駄の台に歯をはめ込んだものにあらず、とのこと。
見れば、たしかに境い目がありません。
せんだっての晴れた日曜日、下駄を履いていそいそと外へ出ました。
ぎごちないわたしの歩き方をうしろから見ていた家人に言われ、
鼻緒をはさんでいた足指の力をすこし抜きました。
と、
歩をはこぶたびに、
カラン、コロン、カラン、コロン、カラン、コロン。
軽みのある、かわいた、なんともいい音。
アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のエンディング曲、
またにわかに、
かまやつひろしさんの「我が良き友よ」が口をついてでてきたり。
すぐ近くの公園まで歩き、
ベンチに腰を下ろしてあたりの風景に目をやる。さらに腕を組む。ほう、
あそこに藤棚が… 明治の文豪ミニ、
になった気分でありまして。
というようなわけで、
下駄の音に魅了されおりましたところ、
きのうの日曜日、午前中は雨もようでしたが、
午後からすっかり雨が上がり、日和下駄ならぬ下駄日和。
カランコロンと出かけましたよ。
こんどは少し脚を延ばし開いててよかったセブンまで。
アイスを買って復路にカラン。
心地よい下駄の音を聴いているうちにコロン、
俳句をはじめようと思ったきっかけも音であったと思いだしました。
あれは夏帽子にあたる雨の音でしたが。

 

・用もなく下駄を鳴らして梅雨晴間  野衾

 

第一次世界大戦のこと

 

『赤毛のアン』シリーズを読みながらいろいろ考えさせられましたが、
さいしょの世界戦争について、あらためて考えることになりました。
じぶんのことながら馬鹿だなぁと思ったのは、
はじめての総力戦である世界戦争が起きたとき、
それを第一次とはだれも呼んでいなかった、
ということ。
最初で最後と思っていたにもかかわらず、二度目が起きてしまったので、
ふりかえってみて、まえのが第一次。そうか。
そうだよね。

 

シグマンド・ノイマンが指摘するように、
ナチスの中心的な幹部たちはほぼ、1890年から1900年の間に生まれており
(ヒトラーは1889年生まれ)、戦争が決定的な影響を与えた世代に属していた。
1919年9月ヒトラーがナチス党(国民社会主義ドイツ労働者党。NSDAP。
マーザーによればこの名称は2月20日以降に使われ始める)
の前身ドイツ労働者党に入党する前には、党員は、労働者と手工業者とが多かった。
ヒトラーの入党以後は、とくに復員兵氏が目立っていた。
現役兵士の数は少なかったが、
この少数の現役兵士たちもヒトラーの強力な支持者であった。
ヒトラーの熱烈な後援者は、
いわゆる「塹壕共同体」「塹壕の友愛」の体験者であった。
(桜井哲夫『世界戦争の世紀 20世紀知識人群像』平凡社、2019年、pp.185-186)

 

桜井哲夫さんのこの本は800ページを超える浩瀚なもので、
『戦争の世紀』(1999)『戦間期の思想家たち』(2004)
『占領下パリの思想家たち』(2007)をベースにしつつも、
その後の多くの研究をふまえ、
大幅に書き直したものであると「あとがき」に記されています。
二度にわたる世界戦争のかんけいについて、教えられることが多々ありましたが、
この本を読むときに、
『赤毛のアン』シリーズで描かれる
アンの三人の息子たちの従軍とその後をかさね合わせることになりました。
モンゴメリさんは、
アンの子どもたちについても、
誕生からはじめて、ていねいに物語をつむいでいますから、
よけいにこころを揺さぶられました。

 

・鍼灸院出でて見上ぐる雲の峰  野衾

 

『赤毛のアン』シリーズ

 

ルーシー・モード・モンゴメリさんの『赤毛のアン』をはじめとするシリーズを、
へんけんたっぷりに、女の子が読む本かな、と、
なんとなく思ってきましたが、
村岡花子さんにかんする伝記を読んだらたいそうおもしろかったので、
そのながれで、
村岡さん訳の新潮文庫を買って手元に置いていました。
読もうと思っている本がいろいろあるので、
とりあえずシリーズさいしょの本『赤毛のアン』と、
あと一、二冊読んでみようかな、
と思い五月の連休まえに読み始めたのですが、
『赤毛のアン』を読んだら不覚にも目がしらを熱くするページがあり、
こういう世界であったか、
無知も甚だしかったとおのれのおろかさを反省し、
連休中とその後の数日をついやし、
村岡花子さん訳の新潮文庫10冊と、
同じく新潮文庫に入っている村岡美枝さん訳の『アンの想い出の日々』上下2冊、
あわせて12冊を読み終えました。
美枝さんは、
村岡花子さんの義理の娘(実の姪)みどりさんの娘ですから、
義理の孫、ということになります。
『アンの想い出の日々』(原題:The Blythes Are Quoted)は、
モンゴメリさんの遺作で、
モンゴメリさんが亡くなった1942年4月24日に、
だれかの手によって出版社にとどけられたのだそうです。
その完全版がモンゴメリさんのふるさとカナダで2009年に刊行され、
2012年に日本語訳が刊行されました。
というような経緯でありますが、
シリーズをとおして読みながら、
これはモンゴメリさんの『戦争と平和』なのだと感じました。
トルストイさんのは19世紀のナポレオン戦争が背景ですが、
モンゴメリさんのは20世紀の第一次世界大戦が背景となっており、
アンの息子は三人とも従軍することになります。
第一次世界大戦というのがなんだったのか、
アンとその夫ギルバートをはじめ、
村のひとびとが戦争をどうとらえていたのか、
しみじみ考えさせられました。
『赤毛のアン』というと、
古書店の店先にあるワゴンに並べられた100円コーナーに何冊か置かれていたり、
わがふるさとのJRの駅の待合室に、
どなたかが寄贈された本のなかにもたしかあった(と思います)りして、
表紙カバーの背が日焼けしているのを見、
なんとなく気になっていたのも、
読もうとしたことの遠因だったかもしれません。
本づくりをなりわいにしていますので、
日焼けした本の中身を知りたくなりました。

 

・惜しむごと梅雨入りまへの光浴ぶ  野衾

 

さまざまのこと 34

 

小学校の五年と六年は、小武海市蔵(こぶかい いちぞう)先生が担任でした。
二年れんぞくで受けもってもらったのは、はじめて。
教室でべんきょうもし、いろいろ教わったけれど、
小武海先生とはいっしょに遊んだ記憶のほうが圧倒的に多い。
まず、すもう。
先生は、先生たちのなかでも大柄なほうで、おなかもたっぷりしていたので、
思いっきりぶつかっていっても、
やわらかいふとんにダイブするみたいで気持ちよかった。
つぎつぎ子どもたちが先生にぶつかっていき、
つぎつぎ投げとばされる。先生は手加減しない。
でも、
投げられて痛がる子どもがいなかったことを考えると、
そこは微妙に手加減していたのかもしれません。
体育館に笑顔と笑いが満ちあふれ、
きらきらきらきらしていたな。
晴れた日には外の運動場でソフトボール。
先生もどちらかのチームに入って、打ったり守ったり。
先生は、大人げないほど、ちゃんと打ち、
ちゃんと守る。
忘れもしません。
いちど、打ったボールが勢いよく飛んで飛んで体育館の屋根の下のガラスを直撃。
ありゃ~~!!
子どもたち呆然。あのとき先生どうしてたかな。
あ然とした感じでもなかった。笑いながらダイヤモンドを一周し、
ホームベースに戻ってきた。
校長先生に叱られたかもしれない。
でも、いなかの小学校のこととて、校長先生に報告し謝罪しても、
ふたりで笑い合っただけかもしれません。

 

・夏草や風を起こして崖の上  野衾