虎猫

 

桜木町駅から紅葉坂の会社へ向かう途中、
本町小学校近くの裏通りに、いつもだいたい寝そべっている虎猫がいます。
首輪がときどき替えられていて、
赤いスカーフ様のものが巻かれていたときなど、
口をへの字に曲げたムスッとした表情との対比に、
思わず笑ってしまったこともあります。
さて、きのうのことです。
虎猫がいつものように、
工事現場の横で寝そべっています。
お、きょうも居るな、と思いながら通り過ぎると、
反対側から一人の女性が歩いてきて、
わたしとすれ違いました。
すれ違いざま、
眼がきらりと光り、ほんの少しだけ微笑んだように見えました。
ん!?
わたしは立ち止まり、
ふり返って彼女の後姿を目で追いました。
と。
十メートルともう少し、歩いていったかと思いきや、
なにやら虎猫に声をかけたようでしたが、虎猫には近寄らず、そのまま、建物のなかへ。
すると、
虎猫がスッと立ち上がり、
女性を追うように建物のなかへと入っていきました。
いつものモサッとした印象とは別物で。
そうか。
そういうことだったのか。

 

・この年の不要不急の冬支度  野衾

 

詩を生きる

 

私ども肉体において生きている自分たちの状態はそれは不完全なものですが、
不完全なものでありながら神を信ずることができ、
神を知ることができ、
神を慕うことができ、
神を見ることができるようにせられたのは絶大なる神の恩寵である。
ダンテはそれを詩として書きましたが、
私どもはダンテのような詩を作ることはできなくても
自分たちの生涯の経験の中にこれを知っておるのです。
そういう意味でわれわれは詩を作る詩人ではないが、詩を生きる詩人であるのです。
われわれの各自がそうであるのです。
そうであればこそダンテの『神曲』を読んでもなるほどと思う。
部分的に解らないことがあっても全体としてダンテをわれわれが理解することができる。
それは、
自分もダンテと同じ詩を生活する恩寵の中につつまれているからです。
ここでダンテは詩人としてそのことを、
信仰をもって旅路をつづけることで表現したのです。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第六巻 ダンテ神曲Ⅱ 煉獄篇』みすず書房、
1969年、pp.363-4)

 

矢内原忠雄の土曜学校講義は、矢内原の自宅で、
20人からせいぜい30人ほどの聴講者を前にして行われていたようですが、
そのなかに、
のちに美学者・中世哲学研究者となった今道友信がいました。
わたしは、
今道さんの『ダンテ『神曲』講義』を
おもしろく読みましたので、
少年時代の今道さんがどんな顔で、こころで、姿勢で、
矢内原さんの講義を聴いたのか、
そのことへの興味もあり、
朝、少しずつ読んでいます。
詩を書く詩人と詩を生きる詩人、なるほどと思います。
わたしの住まいする近くに聖隷横浜病院
がありますが、
経営母体である社会福祉法人聖隷福祉事業団の創立者・長谷川保は、
キリスト者でありましたが、
生涯私的財産を持たない主義を貫き、
病院敷地内のバラック小屋に住み続け、90歳で亡くなりました。
たとえばこの人も、
詩を生きた詩人であったのでしょう。

 

・蕭統と家持千年《ちとせ》の秋を編む  野衾

 

漱石の言葉

 

わたしが本を読み始めたきっかけが、
小学四年生のときに母が買ってくれた夏目漱石の『こころ』であることは、
これまで書いたり、話したりしてきましたが、
縁と言いますか、
ライフワークとして夏目漱石を読み、研究して来られた
斉藤恵子先生の『漱石論集こゝろのゆくえ』の見本本が本日、
会社に届く予定になっています。
仕事ではありましたが、
個人的にも、
わたしにとりまして夏目漱石がどういう存在だったのかを振り返る、
いい機会になりました。
書名にある「こころ」を「こゝろ」としたのは、
いまは新仮名で「こころ」と表記されているけれど、
初版では「こゝろ」でしたから、
あえて「こゝろ」とすることで、
『  』を外しても、漱石の代表作である『こゝろ』と分かるし、
それが今後どんな風な読み方をされていくのか、
またもう一つ、
そもそも人間のこころが、
どういうものであり、
どうとらえられ、
AIの時代を迎えたいま、どこに向かおうとしているのか、
そんな二様の意味を込めてのことであります。
いまでも人気のある漱石ですが、
仕事がら、
つらつら思い出しているうちに、
いろいろし始めたことが、それが何であっても完成することはない、
というような文言が何かの小説に確かあったような気がしてネットで検索したら、
ありました。

 

世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。
一遍起った事は何時までも続くのさ。
ただ色々な形に変るから、他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。

 

『道草』にでてくることばでした。
漱石の「片付く」を、
わたしのこころを含む身体のバイアスは「完成」と加工し、
記憶回路に落とし込んでいましたが、
まぁ、
当たらずとも遠からず
のことばとして覚えていたようです。
ところで、
いまこのことばを改めて眺めてみると、
共感する部分もありますが、
反発するこころももたげてきて、
どういうことかといえば、
片付かないことの妙味と、諦めと、願いが、
一日一日の暮らしにはあるじゃないか、そこが幽かに面白いのではと感じます。
すっかり片付けようとしない、片付いてしまわないところに、
赦しがあり、
謙虚の教えが隠されているようにも思います。
斉藤先生の本の第22章は
「『こゝろ』と聖書の世界」
先生が聖書をどう読んできたのかが分かって面白かった。
仕上がりがたのしみ、たのしみ!

 

・この年の佳きこと算へ冬支度  野衾

 

編集者は未来の読者を幻視する

 

かくして伝えられてきたおびただしい言説、そのなかから何を文学として採録するか。
それはもっぱら消去法で語られ、経・子・史を除いた、
集部に当たるものがのこされる。
ただし文学とは何かという明晰な定義は見られない。
強いて定義らしきものを求めれば、
歴史書は事柄の記録であるから文学と見なさないとしながらも
「讃・論」「序・述」のみは『文選』に収める理由を説いた
「事は沈思より出で、義は翰藻に帰す」、
それだけが文学を説明しているに過ぎない。
内容と表現の双方を兼ね備えていることを言うのではあるが、
その前に
「辞采を綜《す》べ緝《あつ》む」「文華を錯《まじ》え比《なら》ぶ」
と文彩への配慮を語っているのを見れば、
強調したいのは内容よりも表現の雕琢のほうであるかに見える。
思想の書を排除する理由として言う
「意を立つるを以て宗《むね》と為し、文を能くするを以て本《もと》と為さず
(内容にかまけて書き方をなおざりにする)」というのも、
表現の重視にほかならない。
要するに
たとえ内容がすぐれていても、
文学たるためには言葉をいかに美しい言葉に練り上げるか、
表現を洗練することこそ心しなければならぬというのが、昭明太子の立場であった。
今日においても文学作品について語る時、
ややもすれば内容の方に傾きがちであるけれども、
この文学観は文学の本質とは何か、改めて考え直す契機となる。
(川合康三・富永一登・釜谷武志・和田英信・浅見洋二・緑川英樹[訳注]
『文選 詩篇(六)』2019年、岩波文庫、pp.440-441)

 

『万葉集』における大伴家持、『文選』における蕭統(昭明太子)、
『文鏡秘府論』における空海に共通するのは、
編者としての立ち位置であると思われます。
著作物を読者につなぐのが編集者の仕事であるわけですが、
その場合の読者とは、
現在時点における読者とは限らないのでしょう。
『万葉集』は、
家持が編集に携わらなければ、
今読めるものとはちがったものになっていたかもしれません。
『文選』には蕭統の詩は入っておらず、
しかし蕭統が、
明確な編集意図のもとに取捨選択し並べてくれたおかげで、
千年を超えて読み継がれるものになったのだと考えられますし、
『文鏡秘府論』に収められた空海の序文には、
わたしが読んだのは、
興膳宏さんの翻訳を通してですが、
当時の中国における文学理論のエッセンスを日本にもたらすことの喜び
が溢れていると思いました。
時代が変り、
自前で電子書籍化したり、
自前で紙の本をつくることができるようになりましたが、
そういう時代であればこそ、
編集者の仕事の意味と意義が鋭く問われている気がします。
編集者の立ち位置というのは、
書き手と読者の二者に対し、
三角形のもう一つの点であり、
そのことによって、未来を幻視し、
まだこの世に生まれていない読者へつないでいこうとする仕事、
大いなる企てであるとも感じます。

 

・編集者過去と未来の秋を編む  野衾

 

成長する風景

 

二か月ぐらい前でしょうか、電気工事の作業員らしき人が、
我が家の近くの電柱に登っていました。
何をしているんだろうと訝しく思い、
しばらく眺めていましたら、
電線に籠をぶら下げ
空中のゴンドラよろしくそろりそろり移動しながら、
二日間にわたり何やら取付工事をしておりました。
あとで見上げてみると、
となり合う電線と電線に、白いひも状のものがつながれてあり。
以来、
なんとなく、
丘の上のこの部屋から、
ぼんやり眺めることが多くなりました。
くねくねと、
あっちこっちに。
さいしょはなんだか違和感がありましたが、
このごろは、
それはそういうもので、
黒い電線に、
白いひも状のものがヘビのように口と尻尾を纏わりつかせているように、
んだ、見えないこともない。
時間がたてば、
もっとヘビらしく、成長するのでは、ないか、知らん。
ヘビが音符となって踊り出したりしたら、
面白いのに、
まるで谷内六郎の絵のように。
そんなことを妄想し、
ときに念じながら、
きょうの成長ぶりを見るのがこの頃の楽しみ。

 

・天園は一歩一歩の秋となる  野衾

 

愛と孤独

 

孤独ということは煎じつめてみるというと、
本当に自分を愛してくれる人がないことですが、
そのことは反面からみると自分が本当に愛する人がないということなのでしょう。
愛は相互的なものですから
自分の愛を十分注ぎ出すことのできるような相手方があれば、
自分もその愛をもって報いられる、
そういう場合に私どもは孤独とちょうど反対になるのです。
ところが自分を完全に愛してくれる人がない
ということがすなわち自分が完全に愛する人がないということと同じことになるのです。
自分のありたけを傾注したいと人は願うのですが、
その自分の愛を十分に受けとってくれる人がない、
自分の愛を十分に受けとってくれないことは、
自分を十分に愛してくれる人がないということと同じことになるのです。
自分を十分に愛してくれる人がないから
自分の愛も十分に発揮できないことが孤独の実体でありましょう。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第六巻 ダンテ神曲Ⅱ 煉獄篇』みすず書房、1969年、p.142)

 

すぐに、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を思い出しました。
ナチスの強制収容所で働かされている人びとにとって、
愛がきわめて実存的なものであるとの記述があったと記憶しています。
肉体的にも精神的にもつらい日々のなかで、
収容所の外で、たとえば故郷で、
いまこの時間にも、
じぶんのことを思ってくれている人がいると深く信じられる、
そのことがじぶんを生かす、
そのことによって、
生きる勇気と希望が湧いてくる、
そういう事実、いや、真実が静かにつづられていたはずです。
矢内原のこの講義が行われたのは、
1943年4月17日、土曜日。
つどう人びとのまえで講義をすることが、日々の闘いであったのだと思います。

 

・秋深し青き灸《やいと》の煙かな  野衾

 

漢和辞典愛が凄い!

 

漢字とは、時間と空間の長い旅を背負っているものであり、
漢和辞典とは、その旅の軌跡を物語る書物なのである。
……………
ただ、ぼく自身は、そういった革新的な漢和辞典よりも、伝統的な、古色蒼然とした、
性格の曖昧な漢和辞典の方に、より魅力を感じる。
なぜなら、
漢和辞典が秘めている長い長い物語は、
その曖昧さの中にこそ宿っているのであり、
ことばの辞典として洗練されればされるほど、
その物語は輝きを失ってしまうような気がするからだ。
そもそも、
漢和辞典とは、
「辞典」とはいうけれど、ことばの辞典ではないのだ。
あくまで、漢字の辞典なのだ。
(円満字二郎『漢和辞典に訊け!』ちくま新書、2008年、pp.50-51)

 

著者の円満字二郎さん、初めて知る苗字ですが、
「えんまんじ」と読むのだそうです。
なので、円満字が苗字、二郎が名前。円満、字二郎と区切ってはいけません。
そう読む人はいないと思いますが、
念のため。
このブログを読んでくださる方のため
というより、
嘉納治五郎を、
若いときに、嘉納治、五郎だと勘違いしていたわたし自身の備忘のために。
それはともかく。
円満字さんは1967年兵庫県生まれ。
大学卒業後に出版社に就職し、
そこで、
高校の国語教科書や漢和辞典などの編集に携わっておられた方。
17年間ちかく勤めた後、2008年からフリーになったと本の裏表紙に書かれてあります。
漢和辞典の編集にかかわっておられただけあり、
漢和辞典に対する愛がこの本には溢れており、感動すら覚えます。
漢字そのものへの愛はもちろんですが、
それと同時に、
いや、
ひょっとしたらそれ以上に、
漢和辞典に対して並々ならぬ思いがあるようです。
こういうひとが書いた本というのは、
その対象が何であれ、
なるほどと気づかされることが多く、
しかも、そこに愛がありますから、ふかく頷くことしばしばで。
巻末付録として
「独断! 漢和辞典案内」
まで付いています。
「オーソドックスなもの」「ユニークなもの」「入門者向けのもの」
「大型のもの」「歴史的なもの」
ここなど読んでいると、何冊か欲しくなってきます。
なんたって、
愛がハンパなく満ちていますから。

 

・天高し誇れるものの無かりけり  野衾