お釈迦さまのこと 4

 

ブッダガヤを訪ねたのは、わたしが29歳のときでした。
38年もたってしまいました。
仏教、またお釈迦さまに興味、関心をいだいて、
ということでもなかったのですが、
それでも、お釈迦さまがここでさとりを開かれたのかと思うと、
なんとなく、しずかな気持ちになったのをおぼえています。
ブッダガヤには日本寺があります。

 

日本寺の中に、このお寺はこういうふうにして建てられましたという縁起が、
サンスクリット語で銅板に書かれています。
それに私の名前が出ているのです。
なかなか自信もないものですから、苦労して書きました。
ちょうどいいことに、
当時のインド大使館の参事官が
バラモンの出身でサンスクリット語がペラペラだったので、
どういう表現がいいか、こういえばいいだろうと、
いろいろ相談して書きました。
だから合作ですね。
その参事官の方は南インドのアンドラ州の出身ですが、
バラモンの作法を心得ていました。
バラモンどうしが出会ったときには、仁義をきるのですね。
それがちょうど日本の侠客の仁義にそっくりなのです。
自分の出生、姓、カースト、父の名、そういうことを全部いいます。
(中村元[著]『ブッダ入門』春秋社、2011年新装版、pp.129-130)

 

これも、へ~、ですね。知りませんでした。
すぐに、影響、を考えてしまいがちですが、「そっくり」とは書いてあっても、
こんなふうに影響されて、ということは本にありません。
影響があったのか、なかったのか。
いずれにしても、おもしろいなぁと思います。

 

・春光や化石の森へ自転車を  野衾

 

お釈迦さまのこと 3

 

仏教は仏教単独でできあがったものでなく、
それ以前のバラモン教からの影響もあるようです。
たとえば護摩を焚く儀式は、
ことに触れテレビでも目にしますが、
それがバラモン教からのものであることを知りませんでした。
さて、お釈迦さまは悪魔に誘惑されます。

 

そこへ悪魔、ナムチがいたわりの言葉を発しつつ、近づいてきた。
「あなたは瘦せていて、顔色も悪い。
あなたの死が近づいてきた。
あなたが生きながらえる見込みは、千に一つの割合だ。君よ、生きよ。
生きたほうがよい。
命があってこそ、諸々の善行をなすこともできるのだ」
命あってのものだね、
ということをいったのですね。
「あなたがヴェーダ学生としての清らかな行ないをなし、
神聖な火に供物を捧げてこそ、多くの功徳を積むことができる。
苦行につとめはげんだところで、
何になろう。
つとめはげむ道は、行き難く、行ない難く、達し難い」
バラモン教では火を焚いて、それに供物を捧げます。
火が供物を焼くわけです。
その火の煙が天の世界に供物を運んでいく。
それによって功徳を積むことができるといいます。
これはバラモン教のヴェーダ以来のしきたりです。
これがずっと後代の密教の時代に仏教に入って、
成田山とか真言宗の寺で見られる、護摩を焚くという儀式になります。
(中村元[著]『ブッダ入門』春秋社、2011年新装版、p.109)

 

そういうことだったんですね。知りませんでした。
たとえばこのことからも、
きびしく線引きをし、ジャンルをくっきりはっきりさせるのではなく、
グローバルな視点をもつことはとてもだいじなようです。

 

・電柱のチラシはためく春に入る  野衾

 

お釈迦さまのこと 2

 

中村元(なかむら はじめ)さんの『ブッダ入門』は、
講演がもとになっていますので、とても読みやすく、
ブッダさんの生涯はもとより、
ブッダさんが生きた時代とその周辺のことが見えてきてたのしい。

 

やはり世界史はグローバルに見る必要があるのではないでしょうか。
日本の学界は今でも日本史、東洋史、西洋史などと分けてやっていますが、
別々に見たら、暗記するのには便利かもしれませんが、
やはり人類の動きを知るには広く見ることが必要だと思います。
タコツボ型というのは困ったものです。
私が中学生の頃にも、
西洋史、東洋史、日本史と分かれていました。
ただ中学のときの先生が当時としては考え方の進んだ方で、
中世以後は世界史として教えていました。
それは見方を非常に広くしてくださったという点で感謝しています。
今でもだめなのが大学です。
さかいの堀を深く掘って、寄らば斬るぞという、
中世さながらです。
まず大学自体が学問的に改革されなければいけません。
すでにこんな古い時代に、
インドの象軍の存在がグローバルな波及効果をもっていたのです。
(中村元[著]『ブッダ入門』春秋社、2011年新装版、pp.101-102)

 

引用した箇所のまえに、アレキサンダーさんがでてきます。
インドの象軍に、
マケドニアの軍隊がすっかり面食らったことが書かれていて、
そのインパクトと象軍がやがて
ヨーロッパにまで及んでいくあたりの記述は、
中村元先生の面目躍如であると思います。

 

・見渡せばふるさとの山霞みをり  野衾

 

お釈迦さまのこと 1

 

インドをはじめて訪れたのは29歳のときでした。それからつごう5回訪れました。
いろいろな土地をめぐりましたが、
そのなかに、お釈迦さまゆかりの地も含まれていました。
ブッダガヤ、サールナート、サーンチーなど。
サールナートでは、
サリーをまとった女性が、うつむきかげんに静かに歩いていました。
忘れられません。
この地にお釈迦さまが来られ、この地を踏んだのか。
しぜんと、
そういう気持ちになったことをおぼえています。

 

なぜこういう字を使ったかという問題があります。
もうお亡くなりになりましたが、
諸橋轍次先生、『大漢和辞典』をお作りになった方ですが、
あの先生と対談したことがあります。
そのとき先生は、
あくまで自分の想像だがといって、こうおっしゃった。
「仏」は本来「佛」と書きますね。
それで、
「弗」という字には否定の意味がある。
漢文では「~にあらず」というとき、この字を使うでしょう。
具体的な例についていうと、
水をわかしてお湯にすると沸騰します。
この「沸」には否定の意味が含まれているというのです。
つまり、
水をわかして湯にすると湯気が出てきます。
水蒸気になる。
水蒸気というのは、もとは水だけれども、水にあらざるものです。
水でありながら、水にあらざるものになるのです。
仏ももとは人間なのです。
凡夫です。
しかし、修業の結果すぐれた特性がそこに具現されて、
人間でありながら人間ならざるものになった。
神さまではないのです。
どこまでも人間です。
しかも人間を超えたものである。だからこういう字を使ったのだろう。
諸橋先生はこうおっしゃいました。
それはありうることです。
なぜなら、「ブッド」という音を写す漢字はいくらでもあります。
その中で、
わざわざこの字を使ったのはなぜか。
サンスクリットを漢字に音写した場合には、
たんに音を写すだけではなくて、
いろいろな意味を考慮して写していることがあります。
諸橋先生はそういう可能性を指摘されたのです。
(中村元[著]『ブッダ入門』春秋社、2011年新装版、pp.7-8)

 

栗山英樹さんも愛読されている森信三さんのことばに、
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」
がありますが、
人だけでなく、本もそうかな、という気がします。
中村元さんがパーリ語から訳された『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』
とあわせ、この二冊を読む
いまがその時だったかと思います。

 

・月替り号令一下鳥帰る  野衾

 

しべぶとん

 

テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』を、ちゃんと見たことはなかったのですが、
としを重ねるにつれ、
児童文学の古典とされているものを読みたくなることがあり、
そうだ、『ハイジ』をまだ読んでいなかった、
と気づき、
ヨハンナ・シュピーリさんの『ハイジ』を読みました。
福音館古典童話シリーズのなかの一冊で、
訳者は矢川澄子さん。
としをとり、涙腺が弱くなったせいか、500ページある本の中ほどから、
ちょくちょく目頭が熱くなり、
ときに嗚咽をもらしたりし、家人が外出していて、
よかった。
アニメと重なるところもありますが、
そうか、もともとはこんな話だったのかと思いました。
聖書とキリスト教が色濃くでている物語でした。
ところで、話のなかに「ほし草ベッド」がでてきます。
ハイジは、
いいにおいのする干し草ベッドが大好き。
わたしは、すぐに、
子供のころ、祖父母といっしょに寝ていた部屋を思い出しました。
干し草ベッドならぬしべぶとん。
藁のしべをおおきな袋に詰め込んであり、
からだを横たえるまえの真新しいしべぶとんは、
高さが40センチぐらいあったんじゃないでしょうか。
和式ベッド。
藁のいいにおいがして、
しべぶとんにダイブした覚えがあります。
わたしの右が祖父、左が祖母。
きらきら、ふわふわの思い出です。

 

・卒業や自転車廊下キリツ!レイ!  野衾

 

ひとつとして同じモノがない 2

 

ひとつとして同じモノがない
トヨタとともに生きる「単品モノ」町工場の民族誌

が中小企業研究奨励賞経営部門の本賞を受賞したことをきっかけに、
あらためて通読したわけですが、
いろいろ感じ考えさせられ、納得し、共感をもって読み終えました。
とりわけ「単品モノ」「数モノ」という比較は、
じぶんの仕事、まわりの仕事、いまの世の中を考えるうえでも、
とても参考になりました。

 

「単品モノ」は、
「トヨタ生産システム」のなかで設備を絶え間なく動かす必要があることから、
需要が生まれることからはじまる。
そしてそのつくる過程では、機械を使いこなすという点において、
身体技法や感覚を有すること、
また部品に応じてその都度工程を編成する必要があること、
さらには、
異なる技法をもつ町工場が連鎖することで、
ひとつの部品がつくられる。
そのような技術は、
機械や道具のようなハードの側面だけでは考えられず、
多くの人が関わり共有するモノづくりの世界観があるといえる。
とくに、
「単品モノ」の町工場の人びとは、
トヨタ系の工場と対比させて、「単品モノ」を語る傾向にある。
刈谷市の町工場をまわっている工具商は、
「単品モノ」と「数モノ」の町工場を比較し、
「数モノは今後だめだね」
と今後の展望を話し、
H氏の妻は、
トヨタ系の工場で働いていた経験を振り返り、
「量産工場とは違って、うちらには人間らしさがある」と話すなど、
常に「単品モノ」/「数モノ」
というかたちで対比的に捉えている。
(加藤英明[著]『ひとつとして同じモノがない
トヨタとともに生きる「単品モノ」町工場の民族誌』春風社、2024年、pp.244-245)

 

学術書の出版は、一般書にくらべ部数が少ないわけですが、
それでも数百部はつくります。
が、26年間で1100点をつくってきたその一点一点は、
いわば「単品モノ」でありまして、
「ひとつとして同じモノがない」。
一般書であっても、それは同様で、
なにも学術書にかぎったことではないけれど、
目から鱗が落ちる、とでも申しましょうか、
そうか、
わたしたちは、「単品もの」をつくっているのか、
そうかそうかの感をもった次第です。

 

・子らの顔顔ふるさとの春無限  野衾

 

ひとつとして同じモノがない 1

 

2024年1月に弊社から刊行した加藤英明さんの『ひとつとして同じモノがない
トヨタとともに生きる「単品モノ」町工場の民族誌

が、中小企業研究奨励賞経営部門の本賞を受賞しました。
きのう、その授賞式が水道橋の東京ドームホテルであり、
著者の加藤さんはもちろんですが、
版元の出版社も受賞の対象ということで、出向いてきました。
編集担当は韓智仁さん。装丁は長田年伸さん。
わたしは、いい機会だと思いましたので、
授賞式の案内をいただいてから、やっと精読しました。

 

さらには、公差の範囲内におさめることは、道具の使用や転用だけでなく、
身体感覚を伴う技法を必要とすることもあった。
部本Sを製作するときに使用した専用治具は、
テーパの形に対応するためにH氏が独自に製作した補助具であり、
専用治具の面と爪上部の面を均等に当てることで、
対象物がずれない位置に決めるための機能をもつ。
その使用方法は、
加工対象物を専用治具に入れて、その状態で爪の上部に押し当てながら
NC旋盤のペダルを踏み固定する。
そのときに、
対象物を爪の上面に当てた状態で、
「しっくりくる」まで何度もペダルを踏み直し固定する。
この「しっくりくる」感覚について、H氏は
「手のひらを合わすような感じ」
と述べており、
面と面をぴったりと合わす感覚を必要とするものであった。
テーパの形に対応するために単純に道具を使用する
だけでなく、
その道具を使用するために身体感覚を動員することで、
はじめて公差の範囲内におさめることが可能となった。
(加藤英明[著]『ひとつとして同じモノがない
トヨタとともに生きる「単品モノ」町工場の民族誌』春風社、2024年、pp.234-235)

 

著者の加藤英明さんは、南山大学人類学研究所のプロジェクト研究員です。
わたしにとりまして、
はじめて目にする専門用語もありましたけれど、
そのつど、本文に説明があり、また辞書やパソコンで調べれば、
すぐにわかります。
100分の1ミリ、さらにミクロン単位の仕事をしているところで、
「しっくりくる」感覚を重んじていることに、
ふかく感銘をうけました。
大企業を支える町工場ではたらく人の技術、工夫、誇りを、
ていねいに記述しています。

 

・声かけて草野球の春となる  野衾