『存在と時間』

 

マルティン・ハイデッガーの主著としてつとに有名。
日本語訳がいろいろ出ていますが、
わたしが読んでいるのは、
ちくま学芸文庫のもの。
細谷貞雄さんが訳しています。
ハイデッガーがフッサールの弟子であることは承知していましたが、
細谷さんが、訳注で引用しているなかに、
ハイデッガーがいかにフッサールを敬愛していたか
がしのばれる文章があり
目をみはりました。

 

かくして人間は、
実存する超越としてもろもろの可能性のなかへ跳躍しつつ、
遠きに在る者である。
彼があらゆる存在者にむかって
みずから超越において形成する根源的な遠さがあればこそ、
それによって彼の内に、
もろもろの事物への真実の近さが高められてくる。
そして、
遠きところへ聞くことができるということこそ、自己としての現存在に、
共同現存在の応答のめざめを熟させ、
その人との共同存在において、
彼がおのれを本来的自己として得つつ
(たんなる)自我性を放下することができるようになるのである
(マルティン・ハイデッガー/細谷貞雄=訳『存在と時間 上』筑摩書房、1994年、p.501)

 

恩師フッサールへの記念論文とした『根拠の本質について』
の結びの言葉、
だとのことです。
あのいかめしい顔つきのハイデッガー(笑)に、
こういう情愛がひそんでいたのか、
と反省させられます。
ヘルダーリンの詩に近いものをも感じます。

 

・夏草や罐のやうなる馬の鼻穴(二字で[あな])  野衾

 

文質彬彬

 

文はかざり、質は実質、中身。
彬彬は「ひんぴん」と読み、ふたつがバランスよくそなわっていること。
論語にでてくることばとして、
つとに知られています。
君子の条件ということですが、
もともとの謂れを離れて、
こんかいのコロナ禍とじぶんの若いころの生活を思い出し、
ふりかえれば、
そのときどきにまじめに過ごしてきたつもりでも、
かざりの時間も多かったような。
君子だろうが小人だろうが、
極端を避けることは大事なのでしょう。
いまはやむなく、
実質偏重とも思える時間を過ごすしかありませんが、
両方相まって、
というふうにこれからしていきたい。

 

・夏空や抜きつ抜かれつ馬の脚  野衾

 

関係性の飛沫

 

毎週火曜日の夜は、
テレビのクイズ番組を見ながらの夕食ですが、
きのう、
あることに気が付きました。
新型コロナの影響で、
以前のものを再放送したり、
いま現在のものはオンラインによるものでしたが、
オンラインによるものは、
ライブ感はあるものの、
どうもイマイチおもしろくない。
なんでだろうと、
テレビ画面を見ながらしばらく考えましたが、
解答者同士の横のつながり、
たとえば、
だれかが変な答えを言ったときにちょっと横を向いたり、
プッとふき出したり、
妙なつばぜり合いをしたり、
そういう、
ことばによらないところの関係性が
遮断されているせい、
ではないかということに思い至りました。
感染防止のための飛沫遮断は、
ひととひととの微妙な関係性まで
断ち切ってしまいかねない、
逆にいえば、
テレビのクイズ番組でわたしが見ていたのは、
珍妙な解答のおもしろさ
も然ることながら、
それ以上に、
その場の空気の変容の様
だったのかなぁと。
テレワーク、オンライン授業がふつうのことになっている今、
あらためて、
ひととひとが直に、共に、いることの意味
が問われているようにも感じます。
ひととひととの「直(じか)」の関係
を、
恩師である竹内敏晴は生涯問いつづけました。
弊社から、
竹内敏晴と木田元の『新版 待つしかない、か。 身体と哲学をめぐって
の対談本を出しています。
初版が2003年、新版が2014年、
すこし時間がたちましたが、
いまを読み解くヒントがいくつもあり、
おススメです。

 

・猖獗の字を覚えたり春の闇  野衾

 

書籍送料無料キャンペーンのお知らせ

 

新型コロナウイルスの影響による、
Amazon等のインターネット書店の欠品・配送遅延や、
リアル書店の休業・営業時間短縮を受け、
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ご注文は、書名、冊数、送付先住所、お名前をご記入のうえ、
メールでお願いいたします。
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お支払いは、商品到着後お振込みとなります。

ご注文をお待ち申し上げます。

 

 

*さて、このブログ、「博論の書籍化について」をしばらく固定にしていた関係から、
何人かの方から「ブログが更新されていない」のご連絡をいただきました。
宣伝を兼ね一定期間ブログページのいちばん上にくるように設定したためで、
わたしは元気にやっております。
ことばを掛けていただいたことで、
はげみになり、またがんばろうという気になりました。
ありがとうございます。
今度は、きょうのこのブログをしばらく固定にします。
なので、お読みくださる方は、
明日以降、上から二番目のブログを見ていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

 

・鳴き移り名残の春の烏かな  野衾

 

カストリ新聞

 

和田誠さんの『五・七・五交遊録』を読んでいたら、
カストリ雑誌のことがちょこっとでてきて、
なつかしくなりました。
カストリ雑誌とは、
第二次世界大戦後の数年間に刊行された、
セックス記事や読物を中心とするエンタメ系印刷物で、
雑誌の形のものもあれば、
新聞の形のものもありました。
「カストリ」とは、
酒粕からつくられる「粕取り焼酎」を指し、
三合飲めばつぶれるぐらいの粗悪品のこと。
三「合」に三「号」をかけ、
三号で廃刊するような安直・劣悪な雑誌を
カストリ雑誌と呼びましたが、
戦後のどさくさ感がよく現れています。
なつかしくなったのは、
前に勤めていた出版社で、
膨大なカストリ雑誌のコレクション(コレクターの方から借り受けた)
から、
これはと思われるエログロなものを選び出し、
『カストリ新聞――昭和二十年代の世相と社会』のタイトルで
出版したことがあったからです。
その編集を任されたのでした。
夏の暑い時期に、
古い病院を借り受けた社屋(幽霊を見たという人もいたっけ)
で、
狭い一室に閉じこもり、
戦後まもなく
雨後の筍のように出されたエログロ雑誌から、
わたしのまったくの個人的な趣味嗜好
だけを頼りにセレクトしました。
表紙の絵は新しく友人の画家に依頼しました。
いまも『カストリ新聞』で検索すると、でてきます。
あれ、けっこう売れました。

 

・春の日の機の一息のひと踊り  野衾

 

銭湯の思い出

 

二十代のころ、
相鉄線の西谷駅近くのアパートに住んでいたことがありました。
白壁を軽くたたくとポロポロ剥がれてくる安いアパートで、
風呂が付いていませんでしたから、
銭湯に通いました。
かぐや姫の『神田川』の世界を地でいくような。
秋田から母と祖母が出てきたのは、
そのころ。
横浜駅の構内で、
祖母は背中に米の袋を背負っていました。
それから三人で西谷まで。
いま思えば、夢のような生活。
夢だったのか…
けさ、
夢を見ました。

 

・懸崖に羚羊の佇つ夏来る  野衾

 

汗が出る日は

 

このごろの天気予報で、夏日、真夏日が言われるようになりました。
25℃を超え30℃に近づいています。
もうそういう季節か。
先日、
仕事を終えて帰宅しましたら、
汗がじんわり滲んでいるのに気が付きました。
そういえば、
きょうはたしかに暑かった、かもな。
と。
ん!?
なんか変だな。
若い時なら、
汗が出るまえに敏感に気温の変化を感じて、
あぢー! なんて口走り、
それから汗が出る、
こういう順番だったはず。
ところが、
歳を重ねるにつれ、その順番がどうやら入れ替わったらしい。
つまり、
「汗の出る日は気温が高い」
ふむ。
熱中症に気をつけようっと!

 

・青東風や潟に帆舟の浮かぶ見ゆ  野衾