吉田拓郎

 

中学から高校にかけて、吉田拓郎の歌をよく聴いていました。
聴いていた、というより、ラジオからよく聞こえてきた。
それでいつの間にか好きになっていた、というところでしょうか。
♪浴衣のきみは尾花(すすき)の簪(かんざし)ではじまる「旅の宿」なんかは、
自転車に乗りながら、鼻歌を口ずさんでいました。
ちょっと投げやりな歌い方と、あの声。
「結婚しようよ」もわりと口ずさんだかな。
とまれ拓郎の歌は、わたしの場合、ラジオをとおしてでした。
レコードを買ったことはありません。
それからしばらくして。
熱狂的なファンはわたしのちかくにもいて、「今日までそして明日から」とか
「人生を語らず」をカラオケで歌う知人がいました。
というようなことだったのに、
あるとき、ある歌を聴いて、衝撃が走った。
「アジアの片隅で」
高校の教員を辞めようとおもった時期とかさなっていて、よく覚えています。
くり返し何十回、いや、何百回と聴きました。
そのたびにこころをふるわせました。
間奏のところのギターのうねるような音がまたなんともいえなく、いい!
ということで、
「アジアの片隅で」もわたしにとりまして、
かけがえのない歌であります。

 

・秋の野はスローモーション音も無し  野衾

 

由紀さおり

 

小学校の修学旅行は十和田湖でした。一泊二日だったのかな。
五年生までの日帰りの遠足とちがって、たった一泊でも泊りがけでの旅行だというので、
ちょっぴりおとなになった気分を味わってたような。
湖畔の像を見たり、奥入瀬の渓流沿いを散策したり、瞰湖台(かんこだい)から
十和田湖を一望したりと、修学旅行ならではの盛りだくさんの旅程でした、
たしか。
さてその思い出ぶかい修学旅行ですが、
宿だったか、バスのなかだったか、とてもきれいな澄んだ声の歌が流れていました。
なんてきれいで、はかなげな声なんだろう。
「はかなげ」ということばは、
もちろん当時まだ知らないわけだけど、
「はかなげ」ということばにふさわしいこころの感じわけだったとおもいます。
のちにその歌が「夜明けのスキャット」と知りました。
歌詞の意味は、それからずっと後になって知ることになりますが、
♪ルルルルル…で始まる美しいメロディときれいな声は、
わたしのなかでは、
瞰湖台から見たほのかに煙立つように見えた湖の姿、
奥入瀬のせせらぎに映るひかり、やさしげにたつ湖畔の像などとあいまって、
いまもリフレインされています。

 

・まばたきの刹那墜ちてか星月夜  野衾

 

大相撲の解説

 

このごろテレビで大相撲をよく観ます。
熱烈なファンというわけではありませんけど、祖父の時代から、
家族でテレビ観戦をよくしていて、
大鵬とか柏戸とか、
子どもながらにカッコいいなぁとおもっていました。
祖父は、黄金の左腕(かいな)の異名をもつ輪島が好きで、応援していました。
さて、こんかいの大相撲秋場所中日八日目の解説は、
現役時代大関貴景勝だった湊川親方。
どのスポーツでもそうだとおもうのですが、
わかりやすく的確で適切な解説を聞くと、しろうとながら、
なるほどなぁ、そういうことがあるんだ、
と勉強になるというか、いままで知らなかったことを知って、ますます、
そのスポーツが好きになります。
きのうの湊川親方の解説がそうでした。
たとえば。
立ち合い後、張り手ではたき合うとき、どうしても熱くなりがちだけど、
なりすぎると、はたくことに夢中になりすぎ、
脇があまくなって、相手に下手をゆるすことになりかねない、
熱しているなかにも、脇を締め、どこか冷静な部分がないといけないとおもう、
そのバランスがむつかしい云々。
なるほどなぁ。
たんたんと、しずかに語っていましたが、
なんとなく、語りのすべてが新鮮で、
はじめて夏井いつきの俳句解説をテレビで見たときのような新鮮さがありました。
時間のあるときは、大相撲をたのしもうとおもいます。

 

・まばたきの刹那墜ちてか星月夜  野衾

 

細野晴臣

 

くりかえし観た映画はけっこうありますが、圧倒的におおいのが、
アニメの『銀河鉄道の夜』。
いまDVDをもっているのですが、さいしょどこで観たのか、とんと忘れてしまいました。
ジョバンニがカンパネルラにむかって、
「どこまでもいっしょに行こうって言ったじゃないか」
だったかな、
そこんところ、なんど観ても目頭があつくなります。
猫たちの表情、せりふ、ストーリー、シーンごとの風景、それと音楽。
なんども観ているのに、また観たくなる。
『男はつらいよ』を観るような感じ。
ちょとちがうか。
アニメ『銀河鉄道の夜』の音楽担当は細野晴臣。
そうなの?! という印象。
さいしょからさいごまで、グッとこころにしみてきまして。
YMOのメンバーとしての細野さんは知っていた。
はっぴいえんどを意識して聴くようになったのはその後、
だったとおもいます。
とまれ、
あのアニメの音をつくったのが細野晴臣という人なんだ、
それがわたしにとっての細野晴臣で。
ということからその後、細野さんのCDや本を聴いたり、読んだりし、
現在にいたります。

 

・秋天や雲のパレード滑りゆく  野衾

 

グレン・グールド

 

名だたるモーツァルト弾きがリリー・クラウスだとしたら、
グレン・グールドは名だたるバッハ弾き。
専門的な知識はもち合わせませんが、
こういう天才の表現というのは、
どしろうとの者をもふかく感動させる質を有しているようです。
そして、リリー・クラウスならモーツァルトを、
グレン・グールドならバッハを弾くことを、
こころの底からたのしみまた喜びとしているのではないか、
そんなことまで想像したくなるような音。
とくにグレン・グールドが弾くピアノの音は、
一音一音がピ、ピ、と立ってくるようで印象にのこります。
学校でならったバッハを超えてバッハを好きになったのは、グレン・グールドのおかげ(かな?)。
CDであるていど聴いた後、どんな人か興味をもちました。
いまはDVDになっていますが、
わたしがもとめた『グレン・グールド 27歳の記憶』はVHSビデオテープ。
ピアノを弾いているときのたたずまい、
声をもらしながらの恍惚とした表情、
音楽ともども見惚れてしまいました。

 

・なんとなくドアを開ければ秋の声  野衾

 

リリー・クラウス

 

わたしもモーツァルトを聴いてみた。モーツァルトとなれば、
世にレコードもCDも多くあり、
なにからどう聴けばいいのか、おそれをなしているような時期がありました。
小林秀雄の『モオツァルト』をはじめとし本も多いし。
そういうたぐいの本を読むと、
それが聴き方のお手本みたいな気にもなり、
そんなふうには聴こえてこないなぁ、みたいな。
ということでまずはピアノ・ソナタから。
結局、ひらきなおるような気分のときに出合ったのがリリー・クラウスでした。
ライナーノーツだったか、
あるいは本のなかにたしか「若鮎のような」
という比喩が使われていたとおもうのですが、
それは、
わたしが感じたところと近い気もした。
『リリー・クラウスの芸術』として発売されているシリーズものを購入し、
気に入って、ずいぶん聴き込みました。
するとまた、どんな人生を送られた方なのかなと、
いつものクセがでて、
多胡吉郎さんの『リリー、モーツァルトを弾いて下さい』(河出書房新社)
を読みました。
読んでみて、書名の意味をふかく納得。

 

・秋色や模型飛行機峪を越ゆ  野衾

 

藤圭子

 

とりとめもなくこれまで聴いてきた歌とかその歌い手をとりあげていますが、
藤圭子も、テレビをとおしてリアルタイムで見たり、
聴いたりしていたときは、
好きも嫌いもなく、なんとなく暗い感じの人だなぁ
ぐらいにおもっていました。
それからぐるぐるぐるぐると、いろんな音楽を聴いてきて、
たまたま藤圭子の歌を聴いたとき、
いいなぁ、うまいなぁ、とおもったわけです。
すこしかすれ気味の声も魅力に感じて。
なににたいしてもですが、
知っていることと、
じぶんの体験としてスイッチが入ることとはまったく別物のようです。
そういうスイッチが入ったあとで藤圭子の歌を聴くと、
上手い下手を超えた、なにかチクチクした切なさだとか、だけど、
ほの見えるひかり、喜び、セリフのあとの余韻のようなものも同時に感じられ、
そうなると、
どういう人生を送ってこられたのかなぁと
あらためて興味をもち、
沢木耕太郎が藤圭子にインタビューした『流星ひとつ』を読み、
腑に落ちるところがありました。
藤圭子の歌の底流に、来歴からいっても、
浪曲があるのは納得します。
チクチクや、ほの見えるひかり、喜び、余韻は、
浪曲のそれだったのかなぁ。

 

・稲刈りやざくざくざくと見てる間に  野衾