肩井

 

肩井の穴とういのは、
眼科疾患にいろいろと応用して効果のあるもので、補助的に活用するとよい。
この場合の肩井の取穴は、
患者の肘を胴から離さないようにぴたりとつけて
手を肩に当てて中指先端のとどくところに取る。
これで眼に効く肩井穴が出てくる。
(深谷伊三郎『名灸穴の研究』刊々堂出版社、1978年、p.122)

 

深谷伊三郎の名は、お灸の世界ではつとに有名ですが、
これまで深谷の本を読んだことがありませんでした。
このたび、
世話になっている鍼灸の先生から教えてもらい、
古書で求め、読みはじめたら
なかなかにおもしろく、
説明も具体的でわかりやすい。
深谷は、
肺結核で五年間病臥したそうですが、お灸によってそれが劇的に回復したとのこと。
じぶんの体験が物を言って書かれた本というのは、
共通の迫力があります。
ちなみに、
深谷伊三郎の孫は落語家の立川志らく。
肩という字に、井戸の井、と書いて「けんせい」

 

・秋嶺や土中深々真つ直ぐの根  野衾

 

人間の本性

 

人間の本性に基づく知的好奇心と欲望に根ざす科学・技術は今後も
目覚ましい発展を続け、
誰もそれを止めることはできないであろう。
はたして人類は経済成長と大量消費に依存する文明から脱却して、
科学・技術の進歩に見合う新しい文明を構築して直面する問題を解決し、
輝かしい未来に到達できるであろうか。
21世紀はまさに正念場であろう。
化学が物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも含めて、
人類の幸福な将来に貢献できることを祈りたい。
(廣田襄『現代化学史――原子・分子の科学の発展』
京都大学学術出版会、2013年、p.670)

 

この本が出版されたのは、いまから七年前、
新型コロナはまだこの世に存在していませんでした。
しかし、
化学史に関するこの本は、
いまの世界の状況を的確に予言し、
人間の営みの根源を指し示しています。
浩瀚な本を読み終えたいま、
よくも悪しくも、
人間の本性ということを思わずにはいられません。

 

・思ひ出と五臓に秋の蜆汁  野衾

 

大音声

 

おとといの夜のことでした、
文字どおり、ぎゃ~~~っ!!という、
耳をつんざくような大音量の悲鳴に起こされました。
声の大きさとただならぬ緊迫感から、
すぐに、
ああ、これはゴキブリ、
と思いました。
むくり起き出しすと、
家人、
「アレ! アレ! アレ!」と、
工事現場の人形のように、ある方向を指さしています。
見れば、
でっかいゴキブリが、
天井角の暗い影に身を潜ませ、張り付いているではありませんか。
しばし凝視。
なるほど、と思いました。
ゴキブリは暗いところを好むので、
現われたら、
黒い布切れをゴキの上にかぶせ、
それから捕まえるといい、
みたいなことをテレビでやっていたのを思い出したからです。
天井なので、
布を被せるわけにもいかず、
この度は、
ゴキジェットプロにて退治した次第。

 

・歩くほど何処も彼処も虫の声  野衾

 

歩く

 

仕事の打ち合わせのため、
久しぶりに東京まで出向きました。
歩きながら、電車に乗りながら、いろいろな思念が浮かんできましたが、
そうか、
こんな感じでふつうに移動できるのは、
このごろ痛風発作に襲われていないせいでもあるな、
と思い至りました。
そう思ったら、
歩けるのがなんともありがたい
ことに思えてきました。
経験のある方はご存じでしょうが、
痛風発作の痛みというのは並大抵でなく、
とは言い条、
痛みを押してでも、
どうしても出掛けなければならないときがあり、
そんなときは、
一歩が痛く、重く、つらい。
横をすたすた歩いていく人が恨めしく思えたものです。
きのうは、
一歩一歩の6773歩でした。

 

・野良猫も吾も世も歪む残暑かな  野衾

 

違和感とズレ

 

このごろテレビでよく見るお笑いの人に、
たとえば、EXIT、宮下草薙、フワちゃんがいます。
ほかにもいますが、
いまこの三者をあげたのは、
はじめてテレビで見たとき、
正直に言って、あまりおもしろいと思わなかったからです。
むしろ違和感が先に立ちました。
ところが何度か見ているうちに、EXITも、宮下草薙も、フワちゃんも、
違和感がなくなる、
どころか、いつの間にか、
好きで見ているじぶんに気づきました。
じぶんの変化に驚きます。
かと思えば、
かつて割と好きで見ていた人の立ち居振る舞いに、
違和感を感じてしまうことがあったり。
時代の空気というのがきっとあるのでしょう。
気づかぬうちに、
見る側も、
見られる側も、
すこ~しずつズレていき、
本人は気づかないのに、
周りから見たら大きくズレている、なんてことがあるかもしれません。

 

・アスファルト発火直前残暑かな  野衾

 

学問の貢献度

 

社会の要求というものは性急である。
とくに、めまぐるしく変化する現代にあっては、社会は、
いますぐ役にたつものを欲しがる。
学問にも、それを求める。即戦力になる学問を期待するのである。
だが、
いささかなりとも学問の世界に足をふみ入れたことのあるひとなら、
本当の学問・研究がそんな即効薬みたいなものでない
ことはじゅうぶん知っている。
即効薬をつくるには、
まずその前に地道な基礎研究の時間がなければならず、だが、
基礎研究そのものは、じつは現実社会でほとんど直接の役にはたたないのである。
社会生活に直接役にたつかどうかは、だから、
その学問が社会に貢献しているかどうかの指標にはならない。
そもそも、
学問や研究というものは、俗世間のいとなみとは縁が薄いものなのだ。
ノーベル賞受賞者の知名度が受賞前後で天地のひらきのあることが、
それを如実に示している。
(白石良夫『うひ山ぶみ』解説、本居宣長「うひ山ぶみ」全訳注、
講談社学術文庫、2009年、p.41)

 

寛政10年(1798)に35年の月日をかけた『古事記伝』を完成させた宣長は、
古学の入門書『うひ山ぶみ』を一気に書き上げました。
その全訳注を白石良夫さんがやっていて、
冒頭の解説に、上で引用した文章がでてきます。
白石さんのプロフィールを見ると、
九州大学大学院修士課程を終了後、
1983年に文部省(現在の文部科学省)に入省し、
教科書検定に携わってもいます。
文部省に、
こういう考えをもつ人がいたということに驚きます。

 

・秋の風白くなりゆく内外(うちと)かな  野衾

 

科学も文化

 

日本の大学での化学教育と研究が理学部だけでなく、
初めから工、医、薬、農の応用も含めた諸学部で行われたことは
日本の1つの特色で、
これが広い分野での日本の化学の発展を可能にしたともいえよう。
しかし、
長いユダヤ・キリスト教文明の伝統の中で科学が発展した西欧と違って、
科学の実用的価値を過度に重視する傾向が強く、
科学を文化の1つとして捉え、
自然の謎を解き明かすことを主眼として、
長期的な視野で科学を育てる気風が弱かったことは
化学に関しても例外ではなかろう。
(廣田襄『現代化学史――原子・分子の科学の発展』
京都大学学術出版会、2013年、p.155)

 

化学史の本なので、俯瞰した記述はここで終っていますが、
国の予算の使い方を考えるとき、
著者の廣田さんが指摘していることは、
過去のことでなく、
いま現在の問題であるし、
こんご深く考えていかなければいけない視点であろうと思います。

 

・ガチガチと音まですなる百足かな  野衾