さまざまのこと 39

 

中学に入り、英語をはじめてならいました。H先生。おとこのせんせい。
英語ことはじめにおいて、ああ、これは、わたしには向いていないなと思いました。
それは、H先生がappleとorangeの発音をやって見せてくれたとき。
H先生のあとから生徒全員でまねして発音し、
まぎれてわたしもエァポー、オウレンヂみたいな音を発したものの、
顔がぽっぽと熱くなったのをおぼえています。
赤面していたのでしょう。
ノートブックもノテボコで済ませたかった。
でも、どうやら、
英語を学ばずにやり過ごすことは叶わないようだとは感じましたので、
エァポー、オウレンヂとはちがう方向を模索。
などというと、おおげさですが、
「道がだんだん狭くなろう」のnarrow(ナロー)は「狭い」
とか、
「兄バッサリやられた記念日」のanniversary(アニバーサリー)は「記念日」
とか、
「女医が来てくれた喜び」のjoy(ジョイ)は「喜び」
とか、
そういうのは、くっくっと笑いながらおぼえました。
邪道だとは思いましたけど。
ん。
これって、どこかに書いたことがあったな。書いた書いた。
でも、さまざまのことを書きながら、
ひょいとまた書きたくなるのは、それだけ印象が強かったのかな。

 

・土間の釘祖父愛用の麦藁帽  野衾

 

さまざまのこと 38

 

中学一年のときの授業。理科。理科は理科教室で受けることになっていました。
担当は斎藤先生。教頭先生でもありました。
天体のことについて。
太陽の光は、どのように地球にとどくか、それを黒板に描いて示せ。
ということで、
なんにんか先生に指名されたか、挙手したか、
黒板の片側に地球をまるく描き、
反対側に太陽をまるく描き、太陽から発した光線を放射状に描いた。
そのあとTくんが手をあげたか、呼び出されたかして、
まえのほうへ歩いて行き、
おもむろに黒板に図を描いた。
地球をまるく描くところまではほかの生徒といっしょだったが、
太陽をまるくでなく、黒板の上を下をむすぶ、ほとんど直線のようなゆるい弧を描いた。
あっ! と思いました。
Tくんの考えていることがわたしにもピンときた。
太陽の圧倒的な大きさをTくんはそのように表現したのです。
すげ~。なるほどなぁ。太陽の大きさを考えたら、そういうふうにしか描けないよなぁ。
Tくん、えらい!
そうして、Tくんは、
太陽から発せられる光の線を、放射状でなく、平行に記した。
なるほど、そうなるか。
光線が平行に来ても、地軸が傾いているし、
まるい地表に光が当たるとき、場所によって角度が変るから、
光線の強いところと弱いところが生じるだろう。
Tくんの無言の図示を見、当時、そんなことを考えたっけ。
T君の発想のすばらしさを、斎藤先生、絶賛しましたが、とうぜんと思いました。

 

・夏休み汽車で叔母さんの家まで  野衾

 

「ナルニア国ものがたり」のこと

 

通勤のとき電車内でちょっとずつ読んでいた『ナルニア国ものがたり』ですが、
だんだんおもしろくなってきたので、
朝、すこしまとまった時間をとって家でも読みはじめました。
ただいま最終7巻目の『さいごの戦い』。
巻のなかほど、こんなことが書かれてありました。

 

「ああ、すてきだわ!」とジルはいいました。
「こんなふうに歩くなんて。わたし、こんなふうな冒険なら、もっとあればいいと思うわ。
けれどもナルニアにいつも、事件があって、お気のどくね。」
けれども一角獣はジルに、それはまちがいだと話してきかせました。
その話では、
アダムのむすこやイブのむすめ(つまり人間の男の子や女の子)がそのふしぎな世界
からこのナルニアにおくられてくるのは、
ただナルニアがゆり動かされ、
めちゃめちゃになっている時にかぎっているので、
いつもそんなふうだと思ってはいけない、というのです。
人間の子どもたちがやってくるまでのあいだに、何百年、何千年という年月があり、
平和を好む王から平和な王へと何代もつづいて、
とても各代の名をおぼえていることも、数をかぞえることもできないくらいで、
じっさいには歴史の本にしるしておく事件とて、ほとんどないのです。
そして一角獣はさらに
ジルのきいたことのないむかしの女王たちや英雄たちの話をしてくれました。
(C.S.ルイス[作]瀬田貞二[訳]『さいごの戦い』岩波少年文庫、1986年、
pp.150-151)

 

一角獣にしてみれば、人間の住む世界は、ふしぎな世界なのでしょう。
また、こちらの世界とナルニアでは、時間のすすみかたがちがっています。
それは一巻目の『ライオンと魔女』を読めば、すぐにそのことに気づかされますが、
それがここでもいわれています。
そして、ナルニアが危難のときにあるとき、
こちらの世界からナルニアへのとびらをひらくのは、
おとなでなく子どもたちであることが分かります。
そこにルイスさんの大いなる希望がこめられていると感じます。

 

・夏休み何もしないを確かめる  野衾

 

さまざまのこと 37

 

いよいよ中学生。自転車に乗り、学生服を着用するようになって、
なにが変ったかといえば、
小学時代とは異なり、ようやくみずから勉強しはじめました。
とうじ、わたしがかよった中学では、
「課題学習」なるものを積極的にとり入れており、
生徒が自発的にしらべることにより、
与えられた問題のこたえを見いだすというよりもむしろ、
ひとつの課題からさらなる課題を見つけ、
それをほり下げる、
そういうようなことをスローガンにして学校全体がとりくんでいました。
たとえば。
ある授業のなかでさらなる課題が見つかる。
生徒はそれをノートに記し、家に帰ってから、辞典や事典でしらべ、
関連のある項目の説明をノートに書き写す。
ノートのつかい方まで決まっていて、授業で1ページ、課題学習で1ページ。
1ページで収まらないときは、
ルーズリーフの紙をノリで貼るしかありません。
そのように指導されました。
ある日、
机間巡回にきた先生に、わたしは誇らしい気持ちでノートを示した。
課題学習が1ページで収まらず、さらに紙1枚をノリ付けしていたから。ふふ。
すると、
となりの席の女子Mさんが紙1枚をノリ付けしても足らずに、
ノリ付けしたその紙にさらに2枚目をノリ付けしていた。
あれ!!
国語か社会じゃなかったかと思います。とにかく。
つぎの授業のとき、わたしはノートのページにさらに3枚ペタペタと紙を貼った。
ふふ。どうだ!
そうしたら、Mさん、つぎの授業のとき4枚貼り。
というようなことで、キリがない。
課題学習なるものがなんだか紙貼り競争みたいな様相を呈してきた。
けっきょく、わたしの紙貼りは16枚がさいこう記録。
ノートがチャンバラトリオのハリセンみたいになったのでした。

 

・炎天下彼方よりもうもうとバス来  野衾

 

さまざまのこと 36

 

中学生になるにあたって、自転車を買ってもらいました。
天神というところに自転車屋があって、井川東小学校に通っていた子どもたちの多くは、
だいたいそこで自転車を求めたはずです。
そのころは、
井川東小学校と井川西小学校があって、
中学には、二つの小学校から生徒たちがあつまってきました。
事前に天神の自転車屋がカタログをもって、各家を訪問していました。
それまでは、
ベージュのフレームの子ども用自転車でしたから、
自転車屋のおじさんが示したカタログをひらくと、どの自転車をみても、
文字どおりキラキラかがやいて見えたものです。
フレームの色は青系と赤系が多かったかな。
青系が男子向け、赤系が女子向けということだったのかもしれません。
そのなかに、黒いフレームで、
しかもピカピカしていない、
写真で見ても、特殊なつや消しがほどこされているようであり、
少年のわたしにシブイ!と感じさせるにじゅうぶん。
さっそくそれを注文。
実物がとどくまでの時間のなんとながかったことか。
ついにあの自転車がじぶんのものに。
五段切り替えの変速ギア。
じぶんのものなのに、じぶんのものでないみたい。
メルセデスベンツよりもポルシェよりもランボルギーニよりもかっこよかったさ。
はじめて乗ったとき、
だれかに見られるのではないかと気になった。
なんだか恥ずかしいような。
顔が赤くなっていたかもしれません。

 

・稜線を宙になぞるや夏の山  野衾

 

リリーさんとエミ子さん

 

きのうにつづいて「エミ子さん」にかんする文章ですが、読んでいて、途中から、
あれ、これひょっとしたら、というある想像がはたらいてドキドキ、
なので、むしろ、ゆっくりゆっくり読むことになりました。

 

「今日、母さんに逢って来た」
と、ある日彼女に告げられてびっくりしたことがあった。
手づるがあって母という人が新宿のバーで雇われマダムをしていることを知り、
逢いに行ったのだそうである。
何の追憶もない母親の前に立って、
この人が私を生んだ女かと思っても奇妙に感動が湧かないものだ、
というようなことをエミ子さんは語った。
「仕方ないから、あんた本当に私のお母さん? と聞いて見たの」
と冗談のように云う彼女の顔を見ながら、
私たち夫婦は涙をおさえるのに苦労したものである。
寒くなると南の、
たとえば四国や九州の温泉場のバーで働き、暑くなってくるとだんだん北へ移動する。
汽車賃なんかなくたって一向平気、通りすがりの車が拾ってくれる、
というエミ子さんの青春時代のフーテン暮しは、
寅さん像にはっきりと投影されているし、
『男はつらいよ・寅次郎忘れな草』の中で浅丘ルリ子さんが演じた放浪の歌姫、
リリー像はこの人がモデルなのである。
(山田洋次『映画館《こや》がはねて』講談社、1984年、pp.43-44)

 

そうでしたか。なるほどねぇ。それにしてもリリーさんにモデルがいたなんて、
思ってもみませんでした。
マドンナ役として浅丘さんは四回『男はつらいよ』に出ていますが、
映画のなかでも、
リリーさんが母親に逢いに行くシーンがたしかありました。
エミ子さんがモデルだったんですねぇ。

 

・炎天にけふの務めの二つ三つ  野衾

 

エミ子さん

 

映画監督山田洋次さんのエッセイ集を読みました。『映画館がはねて』。
映画界では映画館のことを「こや」、開館を「うちこみ」、閉館を「はねる」
というそうで、
書名の「映画館」には「こや」とルビが振られています。
肩の凝らない短めのエッセイをあつめたなかに、「エミ子さん」という文章がありました。

 

「テレビのメソメソしたメロドラマなんか大嫌い。寅さんはいいな、
だって私もあんな風に馬鹿で損ばかりして生きてきたんだもの」
本当に寅さんのように向う見ずで、一本気で、正義感が強くて嘘がつけない性格ゆえに、
彼女はさまざまな衝突をくり返して生きてきた。
何度も警察沙汰をおこして少年院送りとなったこともあったが、盗みとか売春とか
いった類の犯罪は決して犯したことはなかった。
ただ不当な仕打、理由のない差別に徹底的に反抗したのであって、
他人に云えないような恥ずかしいこと一度だってしてないんだ、
というエミ子さんの云い分を、私は心から信じている。
思えば世の中には華やかに着飾り美しい微笑をうかべながら中味の汚れた淑女や紳士
がどんなに大勢いるだろうか、
と私はエミ子さんの話を聞きながらいつも思っていた。
(山田洋次『映画館《こや》がはねて』講談社、1984年、pp.42-43)

 

ほんとうに。文章を読めばエミ子さんが実在の人物であることは分かるのですが、
この気っ風のよさ、どこかで見たことがあるような、
知っている人であるような気がしてきます。

 

・日盛を黙し斜めに歩くかな  野衾