文章の肌理

 

十年ほど前になるでしょうか、
カトリック司祭であられる米田彰男(よねだ あきお)さんの
『寅さんとイエス』をおもしろく読みましたが、
同じ著者の『寅さんの神学』という本を
親しくしている先生がお貸しくださったので、
さっそく読んでみました。
わたしがもっとも感動したのは、
著者が映画『男はつらいよ 純情篇』のなかのある場面を語るその語り口。
語のえらび、句読点の位置、
文のはこび、文体といってもいいと思います。

 

木枯らしの吹く長崎の港で、
寅さん、赤ん坊を背負った一人の女、絹代(宮本信子)に遭遇する。
「わけあり」の姿に、寅がふと話しかけると、
これから五島に行くと言う。
船はもうないよと告げると、一泊の宿賃を貸してほしいと言う。
同宿することになり、
絹代は少しずつ複雑な事情を泣きながら語り始める。
ギャンブル三昧の夫の冷淡さに愛想を尽かし、
結婚に反対した父親(森繁久彌)が住む古里に戻るところとのこと。
慰めながら、話を静かに聴いてやる寅だが、
眠る時刻となり、
ふすま一つ隔てた隣の部屋に立ち去ろうとする。
片隅にいた絹代が、
「お金ば借りて、なーんもお礼できんし……」、
なんと突然服を脱ぎ始め、
「子どものおるけん、電気ば消してください」と言う。
その時、
寅の毅然たるひと言、
「俺の故郷にな、ちょうどあんたと同じ年頃の妹がいるんだよ。もしその妹が、
行きずりの旅の男に、少しばかりの宿賃でよ、
その男がもし、
妹のからだをなんとかしてぇなんて気持ちを起こしたとしたら、
おらぁ、その男を殺すよ……」。
(米田彰男[著]『寅さんの神学』オリエンス宗教研究所、2022年、pp.26-27)

 

テレビで観、DVDでなんどか観ていて、よく知っている場面なのに、
この文章を読み、
不覚にも、目頭が熱くなりました。
『男はつらいよ』の寅さんが、
カトリックの司祭のこころにも深くうったえるということを、
神学はともかく、
文章のはこびの肌理から感じられる気がします。

 

・春の山一歩一歩の高見かな  野衾

 

体験を整理する

 

阿部謹也さんの『自分のなかに歴史をよむ』を、
いろいろ共感しながら読みました。
とくに子どものころからの自分の体験をどうとらえるかについての記述は、
ふかく納得するところがありました。

 

生きるということを自覚的に行うためには、二つの手続きがどうしても必要だと
私は思います。
ひとつは自分のなかを深く深く掘ってゆく作業です。
若い人には掘るべき過去も内容もないと思う人もいるかもしれません。
しかしそのようなことはないのです。
どんな人でも自分が自分であることが解ったときから、
つまり、ものごころがついたときから、
自己形成がはじまっています。
学問の第一歩は、
ものごころついたころから現在までの自己形成の歩みを、
たんねんに掘り起こしてゆくことにある
と思うのです。
それは身のまわりに起こったことのすべてと自分との関係を、
いつごろからどのように気付いてきたのかを思い出すことからはじまります。
私は季節の移り変わりをいつごろどのように自覚したのか
自分の例をお話ししましたが、
それは今から振りかえってそういえるわけで、
あのとき季節ということばを用いて
そのような表現ができたはずはないのです。
子どものころの体験を現在整理するとそうなるということです。
(阿部謹也[著]『自分のなかに歴史をよむ』筑摩書房、1988年、pp.57-58)

 

阿部さんは、四、五歳のころ、鎌倉の由比ヶ浜に住んでおられ、
夏の終りを、足にあたる砂の痛さで知った。
そのことを印象ぶかく記しておられます。

 

・がんばれよ父言ふ母のがんばるよ  野衾

 

編集者について

 

『神奈川大学評論』第107号(2024年11月30日発行)に拙稿が掲載されました。
「編集者のおぼえ書き」のコーナーに、という依頼で、
自由に書かせていただきましたが、
この仕事に就いて35年が過ぎたいまのわたしの心情です。
タイトルは
「「そして」は削る」

弊社は2024年9月で創業25周年を迎え、刊行物は、人文系の学術書を中心に1100点を超えた。弊社の編集方針として、校正は最低でも3回は行う。その際、ジャンルにかかわらず、割に高い頻度で著者に申し上げていることがある。
文章について。学術書であっても、研究者や学生以外に興味・関心のある人に読んでもらえることを想定し、音読したときに滞りなく了解できることが望ましい。
具体的には、補助動詞の「~のである」「~のであった」は、極力削除する。音読してみると、「~のである」「~のであった」は、少し重々しく感じる。それだけでなく、必要以上に、強調の度合いが増すようにも感じられるからだ。
「生きざま」は、ほかの表現に換えてはどうかと提案する。ちかごろは、項目として国語辞書に載っている場合もあるけれど、もともと、「死にざま」から派生した語だ。ぶざまな生き方をも包み隠さないというニュアンスもあるが、少し露悪的な臭いがする。作家やジャーナリストで、「生きざま」は金を積まれても使いたくない、という方もいる。そんなことを、ゲラ(組版を終えた校正紙)に鉛筆で小さく書き添える。これまでのところ、百パーセント、別の表現に換えられゲラが戻ってくる。
「渡る」は、「渡り鳥」など、おもに空間的移動に用いられる語であるが、それ以外にも「渡る」が使われていることが間々ある。文脈によって、「亙る」「亘る」「渉る」を提案する。
「にも関わらず」。この間違いも相当数ある。「にも拘らず」あるいは「にもかかわらず」と直す。
「非常に」「とても」「たいへん」は、その使用について、あまり意識していないのではないかと思われる場合は、極力削る。
「すべからく」を「すべて」の意に解していると思われる場合は、「すべからく」が漢文訓読からでた語であって、誤りであることを伝える。
最後に、「そして」。
弊社の隅の親石のような書籍に『新井奥邃《あらいおうすい》著作集』があるが、その監修者のひとり故・工藤正三先生は山形県の出身で、味のある山形弁を話した。先生の会話のなかに頻出する単語が「そして」。「そしてぃ」に近かった。先生の話に集中しようとすればするほど、「そしてぃ」が気にかかる。そういう思い出に裏づけられた感じ分けもあるかもしれないが、「そして」が多用されている原稿には、適宜カットすることで、残したところの文言が締まるように思う旨を書き添える。好みもあろうが、「そして」には、以下につづく文章を盛り上げる効果があるとも感じられ、減らすことで、むしろ効果は増す。
敬愛するフランス文学者の中条省平氏が新しく翻訳したカミュの『ペスト』のなかに、市役所の非正規職員グランが登場する。グランは、出版社に届けることを夢み、作品を書いている。そのグランが医師のリューに語ることばがふるっている。いわく、
「分かってくださいよ、先生。最大限譲歩して、『しかし』と『そして』のどちらを選ぶかは比較的簡単です。しかし、これが、『そして』と『それから』のどちらかとなると、かなり難しくなってきます。『それから』と『つぎに』となったら、その難しさは段違いです。でもはっきりいって、いちばん難しいのは、『そして』と書くべきか、何も書くべきでないかを選択することですよ」(光文社古典新訳文庫、150頁)
小説『ペスト』のなかで、一見些末とも思えるこのエピソードは、何を物語っているのだろうか。ペストという非常時の下、ものになるかどうかもわからぬまま、使うことばを換えたり、削ったりすることは、グランにとって、いわば日々の戦い、自分が自分であることの存在証明なのではないかと思えてくる。それは、このたびの新型コロナ下で、縁あっていただく原稿を精読しながらの、私の日常でもあった。
中条氏の『人間とは何か 偏愛的フランス文学作家論』がある。フローベールを論じた文章の最後に、こんなことが書かれている。大学受験に失敗して「宙ぶらりん」の状態にあった時期のことである。
「いま思うと、そんな精神的空虚の時期にあって、『ボヴァリー夫人』の描く救いがたい人間の姿を眺めながら、私は、夢想と幻滅、情熱と憂愁を表裏一体の避けがたい人間の条件として提示するこの小説から、物語の面白さや文学の美的感動をこえて、生きることへの勇気を受けとっていたような気がするのです。夢想と幻滅、情熱と憂愁を同時に人間の条件として引き受ける覚悟といってもかまいません。」(178頁)
人生には「宙ぶらりん」と感じられ、もがいたり、あがいたりする時期がある。そういう時期に何を感じ、考え、どういう行動をとるか。小説を読むことの意味について、これほど真摯に記された文章を私はほかに知らない。中条氏は小説について語っているが、グランの「そして」を残すか、削るかに悩む時間と重ね、ことばの深度、本づくりの要諦について改めて考えさせられた。

 

・冬の朝蜘蛛くんおはよう横つ跳び  野衾

 

おセイさんはおもしろい 2

 

帰省中の新幹線のなかで田辺聖子さんの本を読みながら、
もう一か所、
ふき出しそうになったところがありました。
文庫本のタイトルは、ここから採られたものでした。

 

「キタノサンは、おくさんがはじめてですか?」
「いや、ちがいます。その前に知ってました」
こういう所、
キタノサンが機械屋だから正確なのではなく、男だから正確なのである。
女は、こういうとき、きまって、
ゴマカしたり、ウソついたり、話をおぼめかしたり、わからぬ風をする。
男は正直でいい。
「はじめて女の人を知って、何にいちばんビックリしたの? 教えて教えて」
と私はせがむ。
「さよう」
キタノサンは正確を期すべく、再びマジメに考えこみ、
「ふともも、でした」
「太腿」
「はあ、女のふとももって、こない太いのんか、とビックリしました。
太うて白かった」
「それは何ですか、年増で肥満した女性?」
「いや、すんなりした娘でしたが、
外から、あるいは横から見とっても分りまへんでした。それが、
脚あげたん正面からみたら、ほんとに太うて白うて――」
私、一生けんめい考えたが、どうもよくその状景がハッキリしません。
私の方は、というと、
男性の軀をはじめてみて一番ビックリしたのは、
「あのう、揺れてることでした。だって女の体で、揺れてるトコなんて
ないんですもの」
「バカ、あほ。淑女がいうことちゃう」
昔ニンゲンのキタノサンに叱られた。
(田辺聖子[著]『女は太もも』文春文庫、2013年、pp.272-273)

 

なお、文中の漢字「太腿」に「ふともも」、「年増」に「としま」、
「軀」に「からだ」とルビが振られています。
また「揺れてる」に黒ゴマの傍点が付されています。

 

・さびさびもとじぇねとじぇねも母の里  野衾

 

おセイさんはおもしろい 1

 

昨年大晦日の帰省の折、津田先生の本といっしょに、
おセイさんこと田辺聖子さんの本も一冊リュックに入れました。
津田先生のは、漢字が多く硬めなのですが、
田辺さんのは、エッセイということもあり、肩の凝らない、
ときどきクスっと笑える内容でした。

 

あと始末を考えないで、その場その場でハッタリをやってるのなら、
それは、
いくらでも「りっぱな仕事」ができるわけで、
カッコいいことであろう。
すべて、カッコよさというのは、あと始末なしのところに生まれる。
カッコよさ、というのは、やってる当人にいうと、
とても怒るところに特徴がある。
私は以前に、ゲバ学生と話してて、何心もなく、
「カッコいいと思ってる?」
といって、いたく叱られた。
彼は怒りでとび上り、
「カッコいいと思ってやってるんじゃないんだ!」
と叫んだ。
これは彼が、もしかしたら、
自己陶酔でカッコいいと思ってたせいかもしれない。
しかし彼は、
あと始末なんか考えないから、ゲバってられるのである。
「あと始末、あと始末というても、なあ……」
カモカのおっちゃんは考え深げに、
「男はあんまり、あと始末を叫ばれると萎縮してしもて、
ほんならはじめから、やめとこか、という奴もでてくる。
僕も、あと始末がじゃまくそうなると、
何もせんとこ、ということになる予感があります」
「そんなものぐさ、おっちゃんだけでしょう」
「いや、その昔、石原慎太郎サンが、障子を破ってみせたときも、
男はみんな、いうとった。破ったあと貼るのン、誰やねン、
て。
自分で破って自分で貼ってられまッか、じゃまくさい」
「まァ、その障子は別として、ですね……」
「あと始末といえば、女とナニする、あとコマゴマした用事する、
みんな男がやりまンのか」
「それはその……」
「シーツなおしたり、電気つけたり、タオルとってきたり、
水汲んできたり……」
「あの、それは、ですね……」
「そんな、しんどいあと始末せんならんのやったら、はじめからやめます。
見てみい、男にあと始末強要すると、こない、なるねん」
(田辺聖子[著]『女は太もも』文春文庫、2013年、pp.265-267)

 

文中「その昔、石原慎太郎サンが、障子を破ってみせたとき」
というのは、
石原さんが書いた短編小説『太陽の季節』を指しているんでしょう。
わたしはその小説を読んでません。
読んでないのに、
そのなかに性器で障子を破るシーンがあると知り、
ちょっと興味をもちましたが、
それ以上に、
じっさいに読んでいたら、ぜったいに笑う、
それも大声で笑ってしまうことは、
わたしの性格上、目に見えていますから、
それもあって、ま、読まなくていっかとなり、こんにちに至っています。
上で引用したエッセイのタイトルは
「あと始末」。
新幹線の車中、声を出して笑ってしまいそうになり、
あぶないところでした。

 

・おはようの上から銀杏落葉かな  野衾

 

津田先生がおっしゃるには 4

 

一茶さんへの称賛はさらにつづきます。

 

口語の問題に就いてはなほ一言すべきことがある。
歴史的にいふと、
宗鑑・守武の時代から発達して来た俳諧の形の上の一特色は、
日常語・俗語を自由に使用する点にあつたので、
貞門でも談林でもそれを継承したのであるが、
それは口語を卑俗と見て故らに卑俗の語を弄したところに、意味があつた
のである。
しかし談林の一面には却つて古代語や漢語を重んずる傾向が生じ、
蕉風に至つては全体としてむしろ口語から離れる
やうな態度を示して来た。
俳諧の特色を、
言語の上に置くよりは題材や趣味の上に求めるやうになつたのと、
俳諧に詩歌と同様の(当時の人の考に於いて)
高い地位を与へようとする俳人の要求とが、
口語を卑俗とする尚古主義・文字崇拝主義の世の中に於いて、
かういふ形をとらせたのである。
しかし鬼貫などは盛んに口語を用ゐてゐるし、
蕉風の末流でも也有の如きは方言・俗語をかまはずに使つてゐた。
が、
蕪村を初めとしてその時代の作者は、
やはり上代語や漢語を好む傾向を有つてゐたので、
白雄の如きも俗言でなくては俳諧でないといふ説を非としてゐる
(白雄夜話参照)。
目前の事物、日常の用語を卑俗としてゐる社会に於いては、
さう考へらるべき一面の理由がある。
ところが、
一茶は全然それと反対の態度を取つた。
さうして、
詩に於ける高卑雅俗の区別は言語の上にあるではなくして思想の上にあること
を、事実によつて証明したのである。
現代の思想をのべるには現代語を要し、
目前の事物を叙するにはやはり日常語を要する。
田舎の風物、田舎人の生活を写すに田舎語を要することは、
勿論である。
国学の勃興と共に上代ぶりが好まれ、
小説界に於いても
馬琴などが上代語や漢語を列べて得意がつてゐた時代に於いて、
一茶のこの着眼は特に讃嘆に値する。
この点に於いても彼は文学史上に特筆大書せらるべき功績をのこした
ものといはねばならぬ。
これを要するに、
一茶は俳諧の作者ではなくして俳諧の人であり、
職業としての俳諧師ではなくして人間としての俳人である。
さうして人間としての追随者が出来ないと同様、
俳諧に於いても他人の模倣を許さざるものであつた。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、pp.331-332)

 

シリーズ「津田先生がおっしゃるには」、4まで来てしまいました。
無手勝流ではありますが、
これまで俳句をつづけてき、いまも飽きずにやっている関係上からも、
わたしは津田先生の本をおもしろく読みました。
岩波文庫の『文学に現はれたる我が国民思想の研究』ですが、
ただいま最終巻の(八)、
江戸時代の漢詩について津田先生の舌鋒が冴えわたります。

 

・聖誕祭電車遅延のアナウンス  野衾

 

津田先生がおっしゃるには 3

 

歯に衣着せぬ津田先生ですが、芭蕉さんにかんしては、
そうとう評価が高いと思います。
が、一茶さんほどではないかもしれません。
一茶さんにかんしては、これはもう、いまいうところの「推し」。
ほほえましいぐらい。
熱量の高さにおどろくとともに、
津田先生の人生観を垣間見た気がしました。

 

さうしてまた「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」「逃げて来て溜息つくか初蛍」
などに、
一茶みづから彼等の保護者を以て任じてゐる有様が見え、
「よい声のつれはどうしたきりぎりす」
「おとなしう留守をしてゐろきりぎりす」
「鷦鷯きよろきよろ何ぞ落したか」
などに於いて、
彼等に対する限り無き優しみと親しみとが現はれてゐるのを見るがよい。
「雀子の早知りにけり隠れやう」
「塊も心置くかよ巣立鳥」
に至つては、
人の心を恐れなければならぬいたいたしい子雀や巣立鳥を憐むの情が、
真心から現はれてゐる。
だから
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」
「ねがへりをするぞ脇よれきりぎりす」
と、
この小動物の危険を慮り、
「親不知蠅もしつかり負ぶさりぬ」と、人の背に依頼する蠅の心をいとしがり、
「やれうつな蠅が手をする足をする」
「我が味の柘榴へ這はす虱かな」
と、
蠅や虱の生命を庇はうとするのも自然である。
「虫どもが泣き言いふぞともすれば」
といひ、
「馬鹿鳥よ羽ぬけてから何思案」
といふ類は、
やゝ冷眼に彼等を見てゐるやうに聞こえるが、
実はさうでなく、
最も親しく最も愛するものを最も馴々しく取り扱ふ態度である。
猫の恋に対しても同じ情が見えるので
「うかれ猫どの面さげて又た来たぞ」
などにも、
蕩子に対する慈母の情に類するものがある。
「かはいらし蚊も初声をあげにけり」、
蚊の初声をもかはいらしく聞く一茶ではないか。
従つて「逢坂や手馴れし駒に暇乞ひ」の駒の主の惜別の情は、
彼の深く同感したところであらう
(古来の駒迎の歌にこんなのは一首もあるまい)。
だからまた、
「まかり出でたるはこの藪の蟇にて候」
「雨一見の蝸牛にて候」
のやうなものには、
一茶自身が蟇となり蝸牛となつてゐる感のあるのも、怪しむに足らぬ。
「時鳥蠅虫めらもよつくきけ」の「蠅むしめら」

時鳥に同化した作者の口つきである。
のみならず、
彼に取っては動物もまた彼を愛するのである。
「小便所こゝと馬よぶ夜寒かな」
「犬どもがよけてくれけり雪の道」
と、
彼が馬にも犬にも感謝してゐるのは、この故である。
動物を友として見、恋するものとして見、子を愛する親、親を慕ふ子、
として見ることは、万葉の詩人にもあつた。
しかし一茶ほどの愛を以てあらゆる万有を包んだものは彼等には無かつた。
一茶は日本の生んだ唯一の愛の詩人であり、
一茶の句はすべてが愛の句である。
彼が或る時期に故郷を悪んだのは、故郷を愛することの深かつたがためであり、
彼に世間嫌ひの気味があつたのは、
人と世とを愛することの強かつたがためである。
真に人を愛するものにして始めて真に人を悪み得るのである。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、pp.324-326)

 

「真に人を愛するものにして始めて真に人を悪み得る」
そうかもしれません。
一茶さんについて、評伝、戯曲、小説などいろいろ出ていますが、
津田先生に教えてもらった一茶句の味わいを、
こんご忘れることはないでしょう。

 

・硬き音たてて転がる木の葉かな  野衾