先だって、ひさしぶりに叔母と電話で話す機会がありました。
何ごとによらず、
気が置けないひさしぶりのひとと話すのはたのしいわけですけど、
いろいろ話しているうちに、
話題は祖母のことに。
子どもの頃、
わたしは、おじいちゃんおばあちゃん子で、
とくにおばあちゃんに懐いていた。
叔母にとっては母ですが、
母から訓えられたことで、
いまも忘れず憶えていることがある、
と。
わたしも祖母からいろいろなことを訓えられたと感じていますが、
叔母にとってのだいじな教訓がなにか、
的を絞ることはできませんでした。
「なに?」
叔母がいうには、
それは、一度口から出てしまったことばは、口に戻せない、
ということ。
幾度となく言われたと。
だから、
いまも忘れずにいる…。
貧しくて小学校にも行っていない祖母でしたが、
人生の修行から得られたことばは尽きぬ滋味にあふれ、
叔母もわたしも、
それをたいせつに日々の暮らしに生かしている。
亡くなる数日前、
入院先の病院で会ったのが最後になりましたが、
そのとき祖母は、わたしの手をつよく握り、
「ふとに負げるなど!」
と言った。
「ふと」は人、「負げるなど」は、負けるなよ。
以前、拙著にも書いたことですが、
そのときは、
「ふと」はひょっとしたら自分を指しているか?
とも感じてそう書いた。
しかし、いまは、「ふと」はやはり他人を指しているだろうと思います。
コミュニケーションにおいて、
じぶんの弱さに発し、
弱さに耐えられず、
言わなくてもいいことばをつい口にし(その時点で負けている)、
対手を傷つけてしまう。
一度口から出てしまったことばは、
口に戻すことができない。
(じぶんの弱さに負け、対手に負ける。対手がいるから、じぶんに負ける)
「いい人と歩けば祭り、わるい人と歩けば修行」
と言った盲目の瞽女・小林ハルさんのことばを思いだします。
ことばは、薬にもなり毒にもなる、
というのはほんとうです。
・ありがどなー電話の母を夏の雲 野衾