『川柳でんでん太鼓』2

 

田辺聖子さんが紹介する川柳と、それにたいするコメントをあわせ読むと、
つくづく川柳っていいなぁと思います。含羞あり、照れ笑いあり、
つよがりの底のわらいと悲しみあり。ひとが好きだけど嫌い。嫌いだけど好き。
それを言ったらおしまいだよ、の手前、また横。

 

不細工な妻に子供はようなつき   (後藤梅志)

 

この作者は妻を嗤わらっているのではない、妻に対する溢れんばかりの愛を、
照れかくしでこういうているのである。
後藤氏の奥さんはお店をやっておられるそうで、
後藤氏がこの短冊を店へ掛けておいたところ、お客の一人が
「おばさんこんなこといわれて、よくだまっているね」
といったら奥さんは
「不細工でなくちゃ川柳にならないんだよ」とやり返して少しも苦にした様子がない、
やっぱり川柳家の妻だけのことはあると、
『秀句鑑賞と梅志句集』に後藤氏は書いていられる。

 

夫婦げんかしていたらしい屋台店   (高橋散二)

 

「一本つけて」とぬっとのぞいた屋台店、客は期待にみちて顔をつっこんだのに、
中はちょっと気まずい雰囲気、いらっしゃいというおばはんの声も冴えず、
おっさんもむっつり、客のいぬ間に揉めていたらしい。
夫婦で仕事すると、こういうときは逃げ場がなくて困ってしまう。
しかしまた一方、
お客との応酬やりとりのうちにいつとなくナアナアで、
けんかもおさまってしまう利点もある。
生活の中の、ちょっとしたほろ苦いなつかしみを活写するのも、川柳のうれしさ。
(田辺聖子『川柳でんでん太鼓』講談社、1985年、pp.142-143)

 

・滝落ちて人ひとヒトの小さきかな  野衾

 

『川柳でんでん太鼓』1

 

田辺聖子さんの『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』
がおもしろかったので、
みちびかれるようにして『川柳でんでん太鼓』を。
田辺さんは実作をされなかったようですが、
田辺さんが紹介する川柳は、おなじ五・七・五の十七音ながら、
俳句とは別の味わいがあってたのしい。
たとえば、こんなの。

 

もう未練ないが糸屑とってやり   (麻生路郎)

 

女心のやさしさ、このほかに〈別離わかれの言葉に深酒しなさんな〉
というのもある。
別れる男に、「もう深酒やめなはれや」といい、未練はない男だが、
いつもの癖で目についた糸屑をとってやったりする。
まるでミヤコ蝶々のお芝居のようではないか。
蝶々さんは、
夫で相方あいかただった南都雄二なんとゆうじに愛人ができたので
その話し合いにミナミの小料理屋へおもむく。
蝶々さんは一人、「雄さん」のほうは愛人と二人連れでやってきて、
しかし蝶々さんはそこで修羅場を演じたりしない、
話を聞いて機嫌よう別れてやって小料理屋の支払いも自分ですました。
別々に車に乗って帰ったが、
渋滞で車が交叉点の信号で立ち往生、ふと見ると、
これも隣に停ってる車に雄さんと愛人が二人連れですまして乗ってるではないか、
こっちは一人、向うは二人、そやのにこっちが料理屋のおかね払はろて、
おもたら、急に腹立ってきて、……という蝶々さんの話、
あれもおかしかったな。
(田辺聖子『川柳でんでん太鼓』講談社、1985年、p.125)

 

・連山の下一面の青田かな  野衾

 

さまざまのこと 40

 

世の中は夏休みでしょうか。おーなり由子さんの『ひらがな暦』を昨年の7月21日から
1ページずつ読みはじめて、ちょうど一年が過ぎました。
どの一年もおなじながさのはずなのに、
体験する時間のながさはそうではないようです。
『ひらがな暦』7月21日のタイトルは「夏やすみ」。
7月はゆっくり時間が過ぎるのに、8月はあっという間、と、
おーなりさん書いていますが、
そのとおりだなぁと思いますね。
夏休みといえばまた、「絵日記」なるものがありましたけど、
あれ、にがてだったな。
だいたい絵を描くのがにがてでしたから。
画家で装丁家の矢萩多聞さんとつき合い始めて数年たったころかと思いますが、
多聞さんが小学校に上がるまえに描いた絵を見せてもらう機会があり、
ああ、やっぱり子どものときからちがうものだなぁとつくづく感じましたよ。
そんなわたしではありますが、
これまでの人生で一度だけ絵を描いて賞をもらったことがあります。
忘れもしません。
中学一年のとき、学校全体の行事として、担任の似顔絵を描くというのがあり、
わたしはI先生の顔を描きました。鉛筆画。
丸くてちっちゃくって三角なのはサクマの「いちごみるく」ですが、
I先生のお顔は、丸くてでかくて四角かった。
教卓のところに陣どった先生の顔をなんどもなんども見ながら、
こまかいところまで、できるだけていねいに描きました。
そうしたら、後日、発表があり、
わたしの描いた鉛筆画がななんと一等賞でした。
廊下だったか体育館だったかにしばらく掲示されました。
それ一回だけですけど、うれしかったなぁ。

 

・網持たぬ子の手にでかい甲虫  野衾

 

さまざまのこと 39

 

中学に入り、英語をはじめてならいました。H先生。おとこのせんせい。
英語ことはじめにおいて、ああ、これは、わたしには向いていないなと思いました。
それは、H先生がappleとorangeの発音をやって見せてくれたとき。
H先生のあとから生徒全員でまねして発音し、
まぎれてわたしもエァポー、オウレンヂみたいな音を発したものの、
顔がぽっぽと熱くなったのをおぼえています。
赤面していたのでしょう。
ノートブックもノテボコで済ませたかった。
でも、どうやら、
英語を学ばずにやり過ごすことは叶わないようだとは感じましたので、
エァポー、オウレンヂとはちがう方向を模索。
などというと、おおげさですが、
「道がだんだん狭くなろう」のnarrow(ナロー)は「狭い」
とか、
「兄バッサリやられた記念日」のanniversary(アニバーサリー)は「記念日」
とか、
「女医が来てくれた喜び」のjoy(ジョイ)は「喜び」
とか、
そういうのは、くっくっと笑いながらおぼえました。
邪道だとは思いましたけど。
ん。
これって、どこかに書いたことがあったな。書いた書いた。
でも、さまざまのことを書きながら、
ひょいとまた書きたくなるのは、それだけ印象が強かったのかな。

 

・土間の釘祖父愛用の麦藁帽  野衾

 

さまざまのこと 38

 

中学一年のときの授業。理科。理科は理科教室で受けることになっていました。
担当は斎藤先生。教頭先生でもありました。
天体のことについて。
太陽の光は、どのように地球にとどくか、それを黒板に描いて示せ。
ということで、
なんにんか先生に指名されたか、挙手したか、
黒板の片側に地球をまるく描き、
反対側に太陽をまるく描き、太陽から発した光線を放射状に描いた。
そのあとTくんが手をあげたか、呼び出されたかして、
まえのほうへ歩いて行き、
おもむろに黒板に図を描いた。
地球をまるく描くところまではほかの生徒といっしょだったが、
太陽をまるくでなく、黒板の上を下をむすぶ、ほとんど直線のようなゆるい弧を描いた。
あっ! と思いました。
Tくんの考えていることがわたしにもピンときた。
太陽の圧倒的な大きさをTくんはそのように表現したのです。
すげ~。なるほどなぁ。太陽の大きさを考えたら、そういうふうにしか描けないよなぁ。
Tくん、えらい!
そうして、Tくんは、
太陽から発せられる光の線を、放射状でなく、平行に記した。
なるほど、そうなるか。
光線が平行に来ても、地軸が傾いているし、
まるい地表に光が当たるとき、場所によって角度が変るから、
光線の強いところと弱いところが生じるだろう。
Tくんの無言の図示を見、当時、そんなことを考えたっけ。
T君の発想のすばらしさを、斎藤先生、絶賛しましたが、とうぜんと思いました。

 

・夏休み汽車で叔母さんの家まで  野衾

 

「ナルニア国ものがたり」のこと

 

通勤のとき電車内でちょっとずつ読んでいた『ナルニア国ものがたり』ですが、
だんだんおもしろくなってきたので、
朝、すこしまとまった時間をとって家でも読みはじめました。
ただいま最終7巻目の『さいごの戦い』。
巻のなかほど、こんなことが書かれてありました。

 

「ああ、すてきだわ!」とジルはいいました。
「こんなふうに歩くなんて。わたし、こんなふうな冒険なら、もっとあればいいと思うわ。
けれどもナルニアにいつも、事件があって、お気のどくね。」
けれども一角獣はジルに、それはまちがいだと話してきかせました。
その話では、
アダムのむすこやイブのむすめ(つまり人間の男の子や女の子)がそのふしぎな世界
からこのナルニアにおくられてくるのは、
ただナルニアがゆり動かされ、
めちゃめちゃになっている時にかぎっているので、
いつもそんなふうだと思ってはいけない、というのです。
人間の子どもたちがやってくるまでのあいだに、何百年、何千年という年月があり、
平和を好む王から平和な王へと何代もつづいて、
とても各代の名をおぼえていることも、数をかぞえることもできないくらいで、
じっさいには歴史の本にしるしておく事件とて、ほとんどないのです。
そして一角獣はさらに
ジルのきいたことのないむかしの女王たちや英雄たちの話をしてくれました。
(C.S.ルイス[作]瀬田貞二[訳]『さいごの戦い』岩波少年文庫、1986年、
pp.150-151)

 

一角獣にしてみれば、人間の住む世界は、ふしぎな世界なのでしょう。
また、こちらの世界とナルニアでは、時間のすすみかたがちがっています。
それは一巻目の『ライオンと魔女』を読めば、すぐにそのことに気づかされますが、
それがここでもいわれています。
そして、ナルニアが危難のときにあるとき、
こちらの世界からナルニアへのとびらをひらくのは、
おとなでなく子どもたちであることが分かります。
そこにルイスさんの大いなる希望がこめられていると感じます。

 

・夏休み何もしないを確かめる  野衾

 

さまざまのこと 37

 

いよいよ中学生。自転車に乗り、学生服を着用するようになって、
なにが変ったかといえば、
小学時代とは異なり、ようやくみずから勉強しはじめました。
とうじ、わたしがかよった中学では、
「課題学習」なるものを積極的にとり入れており、
生徒が自発的にしらべることにより、
与えられた問題のこたえを見いだすというよりもむしろ、
ひとつの課題からさらなる課題を見つけ、
それをほり下げる、
そういうようなことをスローガンにして学校全体がとりくんでいました。
たとえば。
ある授業のなかでさらなる課題が見つかる。
生徒はそれをノートに記し、家に帰ってから、辞典や事典でしらべ、
関連のある項目の説明をノートに書き写す。
ノートのつかい方まで決まっていて、授業で1ページ、課題学習で1ページ。
1ページで収まらないときは、
ルーズリーフの紙をノリで貼るしかありません。
そのように指導されました。
ある日、
机間巡回にきた先生に、わたしは誇らしい気持ちでノートを示した。
課題学習が1ページで収まらず、さらに紙1枚をノリ付けしていたから。ふふ。
すると、
となりの席の女子Mさんが紙1枚をノリ付けしても足らずに、
ノリ付けしたその紙にさらに2枚目をノリ付けしていた。
あれ!!
国語か社会じゃなかったかと思います。とにかく。
つぎの授業のとき、わたしはノートのページにさらに3枚ペタペタと紙を貼った。
ふふ。どうだ!
そうしたら、Mさん、つぎの授業のとき4枚貼り。
というようなことで、キリがない。
課題学習なるものがなんだか紙貼り競争みたいな様相を呈してきた。
けっきょく、わたしの紙貼りは16枚がさいこう記録。
ノートがチャンバラトリオのハリセンみたいになったのでした。

 

・炎天下彼方よりもうもうとバス来  野衾