学問をするとは

 

吉川幸次郎の『「論語」の話』(ちくま学芸文庫)
をおもしろく読みました。
この本は、
1966年8月にNHKラジオで放送されたものが
ベースになっています。
これを読むと、
吉川が学問を、学問することを
どう考えているかがはっきりと分かります。
第22回「最晩年の孔子と孔子伝説」
から。
「人間は生きるためには必ず学問をしなければならない、
書物を読まなければならないという態度、
これは孔子の教えの中で私が最も尊重するものでありますが…」
第27回「終わりに――学問のすすめ」
から。
「孔子が学問として意識いたしますものは過去の人間の経験であります。
それを記載した書物をよく読むということが、孔子の学であります」
話し言葉ということもあり、
歯切れがよく、
分かりやすく味わい深い内容の本でした。
宮城教育大学での斎藤喜博の最終講義のときに語ったという
林竹二のコメントを重ねて思い出しました。
「先人たちに少しでも近づきたいというのが私の学問です」
わたしもそのようでありたいと願います。

 

・爽やかに竹林を抜け風の立つ  野衾

 

ジャンプ一発

 

家を出、いつもの階段を下りていくと、
ブロック塀のうえに猫がいる。
まるで飛び立とうとするかのような恰好
をしていると思いきや、
なんと
ほんとに飛び立った。
そしてなにごともなかったかのごとく屋根の上にちょこんと。
さすが野良猫、
野生が生きている。
いまの飼い猫だと
こうはいかないんじゃないかしら。
分かりませんけど。

 

・白きこと捥がるる痕や柿の蔕  野衾

 

あぐど

 

秋田では「踵(かかと)」のことを「あぐど」と言います。
秋田だけかと思ったら
そうではなく、
割と北日本にひろく分布しているようです。
「あぐど」だったり「あくど」だったり、
九州・沖縄では「あど」「あどぅ」
と言うと記しているサイトもあります。
ところでこの「あぐど」
なぜ「あぐど」か?
このことについてしっかりした説明を未だ読んだことがありません。
したがいまして、
ここからは単なる想像ですが。
秋田のわたしの田舎では
「あるく」ことを「あぐ」と言う
場面があったような気がします。
たとえば
「そこを歩くな」の意味で「そごあぐな」
「あぐ」が「歩く」だとすれば、
「ど」は部分・場所を示す「処(ところ)」で「歩く処」=「あぐど」
そんなところかと想像します。

 

・旧街道こゑも幽けき黄落期  野衾

 

読書の味覚

 

吉川幸次郎の大学時代の恩師が狩野直喜で、
内藤湖南・桑原隲蔵とともに京都支那学の泰斗。
狩野について吉川は、
狩野先生の教え子たちは、
先生の学問についてその理屈は把握できても、
味覚は未だしであると記している。
本を読む、
それも古典を読むのに
味覚があるというのがおもしろい。
こういう、
本読みの達人たちの文に触れると、
その静かな迫力と深さに圧倒され
個性というのがなにほどのものかと思わされてしまう。

 

・風を容れ洗濯物の秋高し  野衾

 

十一月

 

ぐっと寒くなりました。
ただいま暖房を入れています。
秋田では
居間のガスストーブをつかい始めたらしく。
こうなってくると
木々の葉は色づき始め、
いよいよ紅葉のシーズン。
学生のころ、
友だちと車であちこち行ったっけ。
男鹿半島、十和田湖、八甲田山、裏磐梯…。
大学のある杜の都仙台の紅葉もなかなかで。
八木山の谿にかかる橋からの景色もまたすばらしい。
見たい行きたいところがいっぱい。

 

・しののめの厨の柿の赤きかな  野衾

 

霎時施

 

俳句をやると季節を意識するようになる
というのはどうやら本当です。
自宅でつかっているカレンダーは七十二候めくり。
来年のものもすでに購入済み。
パソコンの壁紙には
季節を感じる好きな画像をダウンロードしてつかっています。
いまは紅葉の季節。
「紅葉」で検索すれば、
全国各地の目も覚めるような写真が見られます。
その場に身を置けば
なおいっそうかもしれませんが、
写真を見ながら想像するのも
わるくありません。
七十二候では
きょうは第五十三候「霎時施」
こさめときどきふる
と読むそう。
これまたむつかしい。

 

・光(こう)燦々孵化するごとく花すすき  野衾

 

読めないよー

 

古書で求めた『新編 飯田蛇笏全句集』を少しずつ読んでいます。
入手したとき
すでにかなり傷んでいましたので、
製本テープやらボンドで修復。
さて飯田蛇笏は1885年(明治18年)生まれ。
むかしのひとはこんな漢字をふつうに読めていたのかしら、
と思うような、
むつかしい字がばんばんでてきます。
振り仮名はありません。
そのつど漢和辞典で調べ、
へ~、知らなかったなーで済むこともあれば、
八方手を尽くしても読めないものもありまして。

 

鴨足草雨に濁らぬ泉かな
ふもと井や湯女につまるる鴨足草

 

『山蘆集』明治四十三年夏の句としてでています。
さてこの鴨足草。
鴨の足の草。
ははー、
これは漢和辞典では調べようがないな、
とまでは思いました。
おそらく形が鴨の足に似ているから
その漢字をあてたもので、
読み方はふつうの訓読み、音読みではきっとない…。
それからあてずっぽうで
ああかなこうかなと想像するのですが、
自慢じゃないけれど、
わたくし草花の名前(だけではありませんが)にとんと弱く、
あえなく降参。
お手上げ。
こういうときインターネットは助かります。
だれかがどこかでちゃんと読み方を紹介していますから。
知ってみると、
なるほど、
形が似ていないこともない。
ちなみに鴨足草は虎耳草とも書きます。
はい。それではここで問題。
鴨足草、虎耳草、いったいなんと読むでしょうか?

 

・息合せ山路の秋のまへうしろ  野衾