雨の匂い

 

一日の仕事を終え外へ出ると、ふっと、雨の匂い。包まれるようです。
しずかに大きく深呼吸。
もう一度。
伊勢山皇大神宮の裏参道は、雨にぬれ、黒く光っています。
社内で、ちょっと楽しいことがありました。
大いにウケ、しばし仕事を離れ、
いる人みなで笑いました。
笑いの火照りがまだ体にのこっていたらしく、
それでいっそう、
火に雨が注がれ、火が消え、煙が立つように
匂いが立ち、
鼻腔が刺激されたのかもしれません。
お香の香り、匂い袋の香りも好きで、自宅でも会社でも愛用していますが、
自然の匂い立つ香りにはかないません。
形のないものが、だんだんと形を変え、はっきりしてくる
ことが「立つ」の語源
のようですから、
雨の匂いをとおして、いまのこの季節が、
わたしにも立って、
立ち現われれてくるようでした。

 

・青簾じつと視てゐる祖父母かな  野衾

 

積もるモノといえば

 

『古今和歌集』でなく『新古今和歌集』にも貫之さんの歌は入っていて、
たとえば、

 

雪のみや降りぬとは思ふ山里にわれもおほくの年ぞ積れる

 

峯村文人(みねむら ふみと)さんの訳は、

 

雪だけが白く降り積って、古くなったと思おうか、そうは思わない。
わたしも、白髪がふえて、多くの年が積っていることだ。

 

積もるモノといえば、まず雪を想像します。
新沼謙治さんの歌に『津軽恋女』というのがありまして、
歌詞にいろいろ雪の名まえがでてきます。
名称がいくつかあるということは、
微妙な違いを味わい分けつつ、
対象に向かう意識がそれだけ強いということかもしれません。
作詞は久仁京介(くに きょうすけ)さん。
新潟県出身とのことですから、
積もる雪は実感としてあるのでしょう。
また新沼さんは岩手県出身なので、
彼は彼で、実感としての雪をもっているはずです。
『津軽恋女』に、
「春待つ氷雪」という文句がでてきますが、
積もれば積もるほど待ち遠しいのは春、ということになるでしょうか。
積もるのは雪だけでなく、
そこに年や時が折り重なっているとなれば、
なおいっそうです。
そういう雪と時間の重なりを踏まえると、
たとえば『万葉集』にある志貴皇子(しきのみこ)さんの歌に圧倒されます。

 

石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも

 

よろこびが爆発するようです。

 

・真つ青や盛夏灯台かもめ越ゆ  野衾

 

「なんとなく」のこと

 

ひとのクセは割とすぐ気づくのに、じぶんのこととなると、
なかなかそういうわけにいきません。
このごろ気づいたのですが、
ここに書いているわたしの文章でいえば、
「なんとなく」
がけっこう多い。
頻出するといっていいかもしれない。
それで、
いい機会なので、「なんとなく」について考えてみた。
「なんとなく」で思い出すのは、
まず「なんとなくなんとなく」
の歌。
ザ・スパイダースが歌っていました。
作詞作曲は、
かまやつひろしさん。
「君と逢った~ その日か~ら~ なんとな~く~ しあわせ~」
という、
ほんわか、か~るい出だしのあのフレーズが
耳に残っています。
1966年発売なんですね。
そうですか。
わたしは九歳。まだ小学生。
時が経ちこの頃は、
日本の古典をよく読むようになりまして、
学校の科目でいえば、
けして好きなほうでなかったのに、
いま、
校注者、解説者の説明と併せながら、
ゆっくりじぶんのスピードで
読んでみると、
味わい深く、おもしろく、
なんとなくつぎつぎに読むことになっています。
そうしたら、
古典にもこの「なんとなく」
がけっこう出てくることに気づきました。
「なにとなし」「なにとはなし」「なにとにはなし」の形で。
漢字で書くとしたら
「何と無し」「何とは無し」「何とには無し」
意味はだいたい同じ。
わたしが好きなのは、『枕草子』の一文。

 

木々の木の葉、まだいと繁うはあらで、わかやかに青みわたりたるに、
霞も霧もへだてぬ空のけしきの、なにとなくすずろにをかしきに、
すこし曇りたる夕つ方・夜など、
しのびたる郭公ほととぎすの、とほく「そら音か」
とおぼゆばかり、
たどたどしきをききつけたらむは、
なに心地かせむ。

 

こういう気分、気持ちになること、
清少納言さんの時代から千年以上経った令和の今もあります。
さてこの「なんとなく」、
辞書的には、
はっきりした理由や目的がない場合に「なんとなく」
つかうわけですけれど、
いまこの時点では分からなくても、
気づいたことの理由や目的またエトセトラが潜んでいたり、
だいじな意味が隠れているようにも感じて、
「なんとなく」と書く、
書いてしまう、
のかなぁ?
そんなふうにも思います。

 

・雲流るあとの光をかたつむり  野衾

 

中村真一郎さんの史伝

 

『頼山陽とその時代』のほかに、中村さんには
『蠣崎波響の生涯』『木村蒹霞堂のサロン』の、これまた大部の史伝があります。
三冊とも買ってはあったのですが、
なんとなく、
いまひとつ気がのらないというのか、
史伝に向かうじぶんの気持ちの強度がどうも計れず、
などの言い訳をじぶんにしているうちに、
時間ばかり経ってしまいました。
本を買うことと、
じっさいに読み始めることとのあいだに、
けっこう、
いろんなことがあります。
あるようです。
『新井奥邃著作集』でも世話になった工藤正三先生は、
奥邃さんにつながる人のことをよくご存じで、
会えば必ずといっていいほど、
それらの人々についての知見を披露してくださり、
くり返しまたくり返す。
話は、
おもしろくはありましたけれど、
いま思えば、
口にはしなくても、
批判的なこころがわたしのなかに湧くことが間々あったことも事実です。
人と人とのつながりの妙といったらいいのか、
機微といったらいいのか、
孤独といったらいいのか、
味といっていいかもしれませんけれど、
そういうことが当時のわたしには分かりませんでした。
いま分かるかといえば自信はありません。
ただ、
中村さんの史伝を手にとって、
実際に読み始めた
というのは、
工藤正三先生の思い出がじわり利いている気がします。

 

今、ようやく波響の死にまで辿りつき、そして、
私なりに彼の精神内部での政治と芸術との絡まり合いのドラマが、
幻影のように見えてきて、擱筆しおえたところで、
私は長い夢から覚めた思いがしている。
その夢の中で、
私は何と数多くの思いがけない内外の大事件の裏面を覗き、
何人の思いがけない人物の意外な面に触れることができただろう。
そして、
北辺の一貴人の一生が、
いかに当人の意志よりも遥かに大きな世界史の動きに飜弄されたかを目のあたり
にして、
人生というものの不可思議さに畏怖の念を抱く
ことになったろう。
(中村真一郎『蠣崎波響の生涯』新潮社、1989年、帯にある「著者のことば」)

 

引用したことばですが、
もとは
『新潮』(平成元年四月号)「波響伝完結に際して」
に掲載された文言とのこと。

 

・五月闇赤赤駅の掲示板  野衾

 

ものぐるほしき「現在」

 

読みたい本のリストが頭のなかになんとなくありまして、
それにしたがって日々
あれこれ読んでいるのですが、
これまたなんとなく、
先の内容が見えてくるような気がするとか、
読む行為を駆動していく文章の力が衰えてきたのでは?(=つまらない)
と感じはじめ、
そうなると、
本から顔を上げ、しばし黙然と宙をにらむ具合。
つまらないと感じはじめたのは、
読んでいる本にその原因があるのか、
それともわたしの側にか、
はたまた双方にか、
そんなことをつらつら考え始めると、ものぐるほしき気持ちがもたげてきて、
寄り道ならぬ寄り本に手をのばす、
ことになります。

 

頼山陽は一世の才人であった。後世は彼に文豪の名を与えることさえ躊躇しなかった。
(明治三十年代のはじめに民友社から続刊された、
『十二文豪』という叢書の一冊は、森田思軒の山陽論であり、
山陽はこの叢書のなかでゲーテやユーゴーやトルストイと肩を並べている。)
しかし、
二十歳を過ぎたばかりの頼家の放蕩息子久太郎は、
ひたすら後年の山陽となるために生きていたとは言えないだろう。
二十歳の久太郎と四十歳の山陽とは、
結果として見れば(この八文字に傍点――三浦)連続した一人格であるとしても、
その連続は極くゆるやかであり、
当時の久太郎の行動を全て、
完成した山陽像の一部にはめこもうとすれば、
様々の無理がでてくる。
先程も述べたように、
完成した山陽像は、
多くの彼の可能性の切り捨てによってのみ成立している
のである。
(中村真一郎『頼山陽とその時代』中央公論社、1971年、pp.33-4)

 

いまこの本は、文庫で買えるようです。
中村さんは小説家ですが、
わたしの印象にのこっているのは、
小説でなく、
菅原道真さんについて書かれた短い文章で、
高校で教員をしていたとき、図書室で読んだのでした。
短いこともあって何度か繰り返し読んだ。
ゆっくり読んだ。
ゆっくり読んでいると、
黙読しているのに、
声を出して読んでいるように感じられ、
その声に、
耳にしたことのない中村さんの声が、重なってくるような気がした。
気持ちがだんだん落ち着いてくる
ようでもありました。

 

・五月雨や手すりに栗鼠の姿なし  野衾

 

わたしのアンラーニング

 

このごろよく目にすることばに「アンラーニング」があります。
ラーニングが学習で、アンがその否定だから、
学ばないこと?
調べてみたら、
でてくるわでてくるわ。
そんでもってわたしの憶測はといえば、
まぁ、
当たらずとも遠からず、
ってとこかな。
これまで学んできたことを金科玉条とせず、いったん棚上げし、学び直す、
みたいなニュアンスで使われているよう。
じぶんのことを考えると、
読んでいる本の多くは、
アンラーニングにつながるといっていいかと思います。
小学校から大学まで、
学校で習ったもろもろ、学校で覚えた本、
また人づてに聞いて、
吟味せずにそんなものかとイメージをつくっていたモノやヒトやコト、
それで済ませていたもののなんと多いことか。
で、
習うまえにもどったつもりで、
実際に読んでみる。
と、
へ~、だったり、ほ~、だったり、う~ん、
えええっ!!!
だったり。
小さな発見の連続(たまに大きなのも)。
こういう勉強だったら、なんぼでもいいし、
できると思う。
人生三百年ぐらいあってもいい。
無理だけど。
とにもかくにも、
仕事にもつながり食べることができますから、
言うことなし!
ありがたいことです。

 

・荒梅雨やいま目のまへを通り過ぐ  野衾

 

なにげない風景

 

小学館からでている『新編 日本古典文学全集』中の『新古今和歌集』を、
すこしずつ読んでいまして、
『万葉集』『古今和歌集』は、
すぐれた解説者のおかげもあって、
味わいながら、たのしく読むことができましたが、
新古今は新古今で、
万葉、古今とはまたちがった味わいがあります。
こちらの校注と現代語訳は峯村文人(みねむら ふみと)さん。
たのしく読めているのは、
峯村さんのおかげ。
学校で習った知識として、
万葉、古今と比べると、新古今は技巧的、
みたいなことがわたしのなかに刷り込まれていますけれど、
そういう歌もあるにはあるけれど、
ぜんぶがそうだというわけではありません。
なんども読み下し、
風景とそれを詠んだ作者のこころを想像し、
歌っていいなあ、
とつくづく思います。

 

霜冴ゆる山田の畔くろの群薄むらすすき刈る人なしに残るころかな

 

峯村さんの訳は、

 

霜が冷たく置いている山田の畦あぜの群薄が、刈る人もなくて、
残っているころであることよ。

 

慈円さんの歌ですから、詠われた風景の場所は、
京都かもしれませんが、
わたしの故郷秋田のうら寂しい風景と重ねて読んでも、感興は湧いてきます。
なにげない風景といえば、なにげない。
でも、
なんどか声にだして読んでいると、
「刈る人なしに残るころかな」
の「ころ」の余韻がこころに沁みてくるようです。

 

・訪ぬれば景も昔もさみだるる  野衾