季語について

 

このブログは、下に、駄句をひとつ載せることを自分のル-ルにしています。
俳句には季語があって、
たとえばウグイスは、けっこう暑くなってからも鳴いているのに春の季語。
金魚を水槽で一年中飼っているとしても夏の季語。
なので、
俳句をつくるときに、
なんとなく、これは春だろう、これは夏だろうと思っても、
また、
これは季節に関係ないだろうと思っていたのに、
調べてみたら
冬の季語(たとえばタヌキ)だったりしますから、
めんどうでも、
歳時記で確認しないと間違えてしまうことがあります。
どうしてこれがこの季節?
と感じるものが少なくありませんが、
残暑きびしき日がつづく今日このごろのこととて、
「涼し」という季語のことが思い浮かびます。
わたしが使っている『合本 俳句歳時記 第三版』(角川書店)で「涼し」を引くと、

 

暑い夏に涼気を覚えること。朝夕の涼しさ、水辺の涼しさ、星の涼しさ、
露の涼しさなど、
俳句では暑さの中に涼しさを捉えて夏を表現する。

 

と書かれています。
この説明文を読んで思うのは、
語がいずれかの季節に含まれるというよりも、
ことばが季節を支え、
ある特定の季節を表現するのに役立っているということ。
あることばの指し示すものが二つ、三つの季節、
また一年中見られるものであっても、
そのことばがいつの季節を表現するのに役立っているか、
それは古来日本人が、
そのことばとどの季節を結びつけ捉えてきたかを知る、
いわば、
日本人のこころを知るのにも有益な気がします。
季節がことばを後押しし、
また、
ことばによって季節が支えられている、
そんな風に考えると、
俳句作りが楽しくなります。

 

・夏草や賑はふ昼をとどめをり  野衾