眠くなると

 

年を重ねながら、外のもの、内のもの、いろいろ気づくことがあります。
このごろ気づいたことのひとつに、
眠くなったときの気持ちのあり様というのか、
味わいというのか、
そういうことがありまして。
ただ「味わい」ということばだと、
ちょっと余裕があり過ぎるようで、その点が気になりますけれど、
ひとつの味わいであることは確か。
本を読んでいてのことなんですけどね、
同じ行を二度読みしたりしていて、
ハッとなり、
いけねーいけねー、
で、
キッと目をひん剥いてがんばってはみるのですが、
やはり、また同じ行をくり返し、
三度、四度。
こういったときの気分、
気持ちのあり様はといえば、
拠り所のなく、頼りなげで、情けないような、哀しいような、寂しいような、
あわれなような、甘えたいような、
じぶんと外の境界が無くなっていくような、
泣きたくなるような、
希望や目的を失って投げやりな気分になり、
途方に暮れて、
いばば、それらの総合体。
それで考えました。
赤ん坊が泣くときのひとつって、
こういうことじゃないかな。
母から以前聴いたのですが、
母の実家でわたしが生まれてからしばらく、
その土地の風習で、
母とわたしは実家にいました。
夕刻、
決まった時刻になると大声で泣き出し、
それも連日、
いくらあやしても乳をあげようとしても、
泣き止まなかった。
そのころのことを憶えているはずはないのですが、
本を読んでいて眠くなったときの気分、
気持ちを、
いまはこうして
ことばで表すことができるけれど、
眠くていっぱいいっぱいになっているのに、
それを表すことができないとなれば、
泣くしかなかったかなあ、
なんて。
さて本を読んでいて眠くなったとき、
どうするかといえば、
けっきょく、
十分、十五分、ときにニ十分ぐらい、
眠ります。
眠ってしまいます。
するとシャキーン、となり、また読み始めます。

 

・病院へ一歩一歩の梅雨晴間  野衾

 

思想の系譜について

 

ええ、大上段にかまえた言い方をすれば、
学問の進歩というものは、
先行研究を踏まえ、それを批判することによってなされる
もののようでありまして、
そうしますと、
批判という行為を通じて、批判の対象とした思想と、より深くつながる
あるいは、
深くつながろうとして批判するのかな、
なんてことをつらつら考えて
いましたら、
こういうつらつらの思考にリンクする考えを
以前どこかで読んだことがある、
そんな気がして、
ありそうな場所をごそごそやっていましたら、
ありました。

 

批判とは自他を区別することである。
それは他者を媒介としてみずからをあらわすことであるが、
自他の区別がはじめから明らかである場合、批判という行為は生まれない。
批判とは、
自他を包む全体のうちにあって、
自己を区別することである。
それは従って、
他を媒介としながら、つねにみずからの批判の根拠を問うことであり、
みずからを批判し形成する行為に外ならない。
思想はそのようにして形成される。
儒家の批判者として生まれた墨家、その墨家の対立者として起った楊朱、
またその楊墨の批判者として登場する孟子、
それを儒家の正統にあらずとする荀子など、
諸子百家とよばれる戦国期の多彩な思想家の活動は、
このような批判と再批判とを通じて展開された。
(『白川静著作集 6 神話と思想』平凡社、1999年、p.405)

 

・五月雨や空に軋む鉄の車輪  野衾

 

「ものを書く」ことは

 

ときどき思うことですが、文を書くのが苦手、というより、嫌いだったなぁ。
小学校の作文。
なにを書いたらいいか分かりませんでしたものね。
とても、思うようには書けませんでした。
「思うように」
がちょっと分からない感じで。
いま話題のチャットGPTを、
当時もし知っていたら、さっそく使っていた気がします。
そんなふうですから、
文を書くことはけっこうな壁だった。
なのにいま、
こうして毎日書いていますから、
人生は不思議。
嫌いじゃとてもできないでしょうね。
でも、
好きか?
って訊かれたら、
サム・クックさんが好きとか、『男はつらいよ』が好きとか、キンキの塩焼きが好きとは、
ちょっと違うような。
つらつら考えてみるに、
読んでくださるどなたか
(読んでくださる方がどなたか、知っている人もいます)
に向け、
きょう書くことを、いま書きたいことを少しでも上手に伝えよう
と願いながら、
ことばを用意し整えて書く(キーを打つ)
うちに、
知らず知らず、
だんだんこころが整うとでもいったらいいのか、
気持ちまで落ち着いてくる気がします。
それは、
とてもありがたいことです。
心理学で箱庭療法というのがあるそうですが、
「ものを書く」ことは、
それに似た効用があるんじゃないか、
とも。
具体的にはこのブログ、
「ものを書く」ことをとおして、
いわばわたしの無意識をじぶんで触診し、
じぶんのこころを安んじさせることになっているのかな、
と思います。

 

・梅の雨こころの井戸にとどきをり  野衾

 

雪と『新先蹤録』

 

ただいま母校創立百五十周年を記念する本の編集に携わっており、
タイトルは
『新先蹤録 秋田高校を飛び立った俊英たち』。
「先蹤(せんしょう)」は、
先人の事跡、先例。
「蹤(しょう)」は足あとの意ですから、
先人たちの遺した足あとの記録、
といった意味になります。
「新」がついているのは、
百三十周年のときに『先蹤録』がつくられていることを踏まえて、
であります。
「先蹤」というのは聞きなれない言葉ですが、
母校の校歌にでてくる用語で、
作詞したのは土井晩翠さんですから、
さもありなん。
この本の装丁を装丁家に依頼するとき、
わたしは、
「飛翔する雉(きじ)と雪」をモチーフに考えてほしい旨を伝えました。
秋田では雉をよく見ます。
取り上げられた38名のライフヒストリーは、
どのかたのものも、
輝かしいものでありますけれど、
それぞれの人の、
16、17、18歳の高校生の「現在」は、
先の見えない一瞬一瞬、だったのではないかと想像します。
それがわたしのなかで「雪」と重なります。
子どもの頃に、
おにぎりを持ち弟といっしょに歩き、
新雪の山の頂に立ったとき、
高低差と遠近感が消失し、
いま自分がどこに立っているのか、
分からなくなってしまうような錯覚に襲われました。
恐る恐るゆっくりスキーで山を滑り下り、
山の下まで達し振り返ったときに、はじめて、どれぐらいの高さから滑って来たのか、
周囲の景色がようやく懐かしいものに感じられた。
ロバート・フロストの詩に
「選ばれなかった道」
がありますが、
「雪」は、
新雪の山の頂に立つ「永遠の現在」を象徴している
と思われます。
38のライフヒストリーから、
一歩を踏み出すまえの、
緊張をともなった切実の「現在」を読んでもらえたらと、
願っています。
こんかいの『新先蹤録』は、
春風社で市販することの了承を得ており、
amazonで予約が始まっています。
コチラです。

 

・見慣れたる景を洗ふや梅の雨  野衾

 

たたかう人の歌

 

いきなりですが、
中島みゆきさんの歌に『ファイト!』があります。
歌詞に、
「闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう」ということばがでてきます。
ある本を読んでいたら、
そのことばが、
ふと、
メロディーといっしょにあたまを過りました。
二宮金次郎さんゆかり(二宮本家)の二宮康裕(にのみや やすひろ)さん
の『二宮金次郎の人生と思想』。
それを読んでいたときのことであります。
この本、
おどろきの連続で、
「薪を背負って歩きながら本を読む」金次郎さんのイメージが、
つくられたものであり、
それがどのように生成されたのか、
時代の要請、歴史的背景とからめつつ
実証的に記述されています。
かつてかよった小学校の校庭にあの像があり、
風の日も雨の日も、雪の日も、台風の日も、カンカン照りの日も、
見てきて、
いまは本棚に小さなレプリカがあり、
まいにち見ているわたしとしては、
「ちょっとちょっと、わたしの金ちゃんが…」
みたいな気にもなりました。
でも、
それでも金次郎さんは偉いわけで、
ますます身近に感じられます。
金次郎さんは、
ことあるごとに歌を詠んでいました。
五七五七七ですから短歌ですが、
二宮康裕さんは道歌(生活実感をふまえ作歌された教訓を含んだ歌)
と呼んでいます。
紹介されている歌のなかに、
こんなのがあります。

 

うわむきは、柳と見せて、世中は、かにのあゆみの、人こころうき。

 

農業指導に明け暮れる金次郎さんの複雑なこころが
如実に表れていると思います。
この歌を見て、読んで、
稀代の教育者・斎藤喜博さんの歌と共通する
ものを感じました。

 

理不尽に執拗に人をおとしめて何をねらうのかこの一群は

 

こちらも、
あたらしい教育の事実を拓こうと日々奮闘する斎藤さんの、
憤懣やるかたのないこころかな、
と思わずにいられません。
たたかう人の歌と呼びたいゆえんです。

 

・あじさゐや寺の空気の深くなる  野衾

 

お笑いの人の本

 

とくにだれかの、どのコンビの熱烈なファン、ということはないのですけれど、
テレビにお笑いの人がでていると、なんとなく見てしまい、
ときどき声を出して笑ったりすることがあり、
そうすると、
そのひと、そのコンビが気になって、
本を出していないか調べたりし、
出していればさっそく買って読むことがあります。
このごろでいえば、
錦鯉の『くすぶり中年の逆襲』本体1300円(税別)。

 

長谷川 基本的に1日1食。100均で買う8枚切りの食パン。
もちろんトースターなんてないから、そのまま。
渡 辺 何もつけないの?
長谷川 いや、マヨネーズをつけるんだ。これも100均で買ってね。
それをパンの表面に塗るんだけど、まんべんなく塗ると味がしつこくなるから、
パンそのものの風味も味わいたいので、
「く」の字に塗るんだ。
渡 辺 「く」の字?
長谷川 「区」だよ。足立区の「区」。これだと右の一辺が何も塗らないから、
素材そのものを味わえるんだよ。
渡 辺 偉そうな講釈はいいけど、なんで足立区なんだよ!
たとえの意味が分かんないよ!
長谷川 それも、ボクは一筆書きで「区」を書けたからね。
渡 辺 まさにスプーンいらず。榊莫山先生なみの達筆だよ
……って、

今の若い人には莫山先生って言っても、
誰も知らないぞ。
長谷川 莫山先生の「莫」って、ずっと大和田獏さんの「獏」だと思ってたからね。
渡 辺 どうでもいいよ、そんなこと!
ていうか、莫山先生で、ここまで引っ張るなよ!
長谷川 その「区」に塗ったパンを8枚、一気に食べるんだ。
渡 辺 食べすぎでしょ。4枚でも十分だぞ。
(錦鯉(長谷川雅紀 渡辺隆)『くすぶり中年の逆襲』新潮社、2021年、pp.119-121)

 

ふたりの対話形式で編集されており、テレビでのふたりの姿を彷彿させます。
どうでもいいような小さいことへのこだわり、
それと、論点が少しずつズレていく、
その感じ。まさに錦鯉
って感じ。
たとえば引用した箇所だと「足立区の「区」」でつい笑ってしまい、
それもクスっ、でなく、
アハハハ…と声を出してしまいまして、
いつものことながら、
家人に軽く注意を受けました。
と、
いま気づいた。
なにかっていうと、このブログに引用するときに、
どの本についても引用が間違ってないか、
五、六回は本と画面を見比べ照らし合わせ(それでも間違えることがあります)
て読み返すことになるわけですけど、
上の箇所を読み返しながら、
渡辺さんの長谷川さんへの気遣いというのか、
思いやりというのか、
そういうのが、
ズラしのテクニックとあいまって、
さり気なくでている気がし、
そういう感じがテレビで見ていてもしたのかな
って、いま思いました。

 

・丸まると肥えた獣の簾越し  野衾

 

あたりまえを疑ってみる

 

私たちは寮制度など全く知ることのない状況から出発したのである。
生徒たちは都市の市民の家に下宿し、
家長の権威であれ学校の権威であれ、
いかなる権威からも自由であった。
かれらの生活様式を、
独身の大人のそれと区別するものはほとんどなにもなかった。
その後、
教師たちと生徒の親たちは、
この自由が過度なものであると判断するようになる。
学院のなかで、権威的かつヒエラルヒー的な規律が確立されてくる。
この規律はさらに拡大されていき、
自分の裁量で毎日を過している生徒たちにも課されるべき
であると考えられるようになる。
こうして、
初期にはなおかなり緩やかなものであったが、
学院とは別に学生寮が生れる。
それ以後になると、
学校教育には大人の生活に入るための準備以上のことが要求されるようになる。
すなわち
(パブリック・スクールにおける「紳士」のように)
一種の人間個人の教育が要求される。
かつての時代には、
子供はまだひどく若いだけの大人であるとして子供を排除しないでいた社会
に対して、
学校に対するよりも多くのことが要求されたのであったのだが。
ナポレオン的学校体制のもとでのリセにおいても、
フランスの田舎の中等神学校でも、
イギリスのパブリック・スクールでも同じように感知しうるこの人格形成への配慮は、
十六世紀・十七世紀の寮監では知られていなかったものである。
人文主義的で、
かつキリスト教的な教養を教えていた人びとは、
ある類型の社会的理想といったものを生徒たちに押しつけようとはしていなかった。
(フィリップ・アリエス[著]杉山光信・杉山恵美子[訳]
『〈子供〉の誕生 アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』1980年、
みすず書房、pp.268-9)

 

おとなになる前の、いわゆる「子ども時代」という考え方は、
いまはごくふつうの、いわば、あたりまえの考え方であるわけですが、
あたりまえだと思っていることは、
ほんとうにあたりまえなのか、そうなのか、
と疑いをさしはさみ、
調べてみたら、
あ~らら、
なんだ、その考え方って、
あたりまえでも、ふつうでも、なんでもなくて、
時代の変化、時代の要請によって作り出されてきた観念だったのか、
そうか、そうだったのか!
と、
驚きを以て、
じぶんの立っている地面の安定がぐらつき、
疑わしくなってくるというのも、
ていうか、
それこそが、
学問のおもしろさであると思います。
アリエスのこの本など、
その最たるものと言っていいかもしれません。
この本では、
アンシャンレジーム期の子どもを取り上げていますが、
ペスタロッチは、その期につながる人間として、
教育の近代をひらいて行くことになります。
引用した文との関連でいうと、
アンシャンレジーム期以後の人でありますけれど、
子どもたちにキリスト教的な信条科目を教えてはどうかと勧められたとき、
ペスタロッチは、それを断っています。
その意味で、
アリエス流の子ども観、歴史観を超え、
古い時代の本質、
よきところをよきところとして次代に引き継ごうとする精神がある、
とわたしは感じます。
ところで、
引用しようとして気づいたのですが、
この本、
「アンシャン・レジーム」のカタカナ表記が、
「アンシァン・レジーム」になっていて、
ちょっとおもしろい。

 

・水滔々と枝先のかたつむり  野衾