年を重ねながら、外のもの、内のもの、いろいろ気づくことがあります。
このごろ気づいたことのひとつに、
眠くなったときの気持ちのあり様というのか、
味わいというのか、
そういうことがありまして。
ただ「味わい」ということばだと、
ちょっと余裕があり過ぎるようで、その点が気になりますけれど、
ひとつの味わいであることは確か。
本を読んでいてのことなんですけどね、
同じ行を二度読みしたりしていて、
ハッとなり、
いけねーいけねー、
で、
キッと目をひん剥いてがんばってはみるのですが、
やはり、また同じ行をくり返し、
三度、四度。
こういったときの気分、
気持ちのあり様はといえば、
拠り所のなく、頼りなげで、情けないような、哀しいような、寂しいような、
あわれなような、甘えたいような、
じぶんと外の境界が無くなっていくような、
泣きたくなるような、
希望や目的を失って投げやりな気分になり、
途方に暮れて、
いばば、それらの総合体。
それで考えました。
赤ん坊が泣くときのひとつって、
こういうことじゃないかな。
母から以前聴いたのですが、
母の実家でわたしが生まれてからしばらく、
その土地の風習で、
母とわたしは実家にいました。
夕刻、
決まった時刻になると大声で泣き出し、
それも連日、
いくらあやしても乳をあげようとしても、
泣き止まなかった。
そのころのことを憶えているはずはないのですが、
本を読んでいて眠くなったときの気分、
気持ちを、
いまはこうして
ことばで表すことができるけれど、
眠くていっぱいいっぱいになっているのに、
それを表すことができないとなれば、
泣くしかなかったかなあ、
なんて。
さて本を読んでいて眠くなったとき、
どうするかといえば、
けっきょく、
十分、十五分、ときにニ十分ぐらい、
眠ります。
眠ってしまいます。
するとシャキーン、となり、また読み始めます。
・病院へ一歩一歩の梅雨晴間 野衾