昭和がはたかれる

 

このごろテレビにお笑いの人がでていると、
なんとなく、
いちばん楽しくなるのが錦鯉の長谷川雅紀さんを見ているとき。
錦鯉の笑いを、
「M-1グランプリ」で優勝したときのネタ以外には
それほど面白いと思ったことはない
のに、
錦鯉がテレビにでていると、
つい見てしまい、
長谷川さんが笑えないギャグを言い、
相方の渡辺さんから頭をはたかれると、
ふと、
テレビを見ながら微笑んでいるじぶんに気づくことがあります。
けしてガハハとは笑えない。
なのに楽しい。
きのうは、
「帰れマンデー見っけ隊!!」という番組で、
タカアンドトシたちと、
北海道は登別温泉の辺りを歩いていました。
クマ牧場でクマに向いオハコの「こんにちは~!」
野生のシカに向い「こんにちは~!」
歩き旅がすすんでいたら、
どこか遠くから「こんにちは~!」
ちっちゃな女の子が長谷川さんに向い、声を発したのでした。
それを見つけた長谷川さん、
「こんにちは~!」
ふと思いました。
長谷川さんて、なんだか昭和っぽい。
照れずに昭和をしている感じ。
思いっきり昭和をし、そして、すべる。
すると、
間髪入れずに相方から頭をはたかれる。
たとえば、タカアンドトシのトシがタカの頭をはたくのとはわけがちがう。
きのうの番組では、
長谷川さんのダジャレですべった空気を、
相方が頭をはたくのではなく(はたいたときもあったけど)
トシやタカがほぐしていました。

 

・保土ヶ谷を出でて戸塚へ梅の雨  野衾

 

さ夜ふけての「さ」

 

『古今和歌集』648は、

 

さ夜ふけて天《あま》の門《と》渡る月影にあかずも君をあひ見つるかな

 

『古今和歌集全評釈』の片桐洋一さんによる通釈は、

 

夜がふけて、天の門、すなわち雲間を渡る月の光によって、
飽きることもなく十分にあなたを逢い見たことであるよ。

 

歌の冒頭「さ夜ふけて」の「さ夜」について、
片桐さんは、
「さ夜」は「夜」に美称の接頭語「さ」がついた形、
と説明しています。
手元にある講談社の『古語辞典』
および電子辞書(『全訳古語辞典 第三版』旺文社)を見ると、
「さ」は接頭辞、
あるいは接頭語としているだけで、
「美称」の語はありません。
バンテリンのテレビCMではありませんが、
あるとなしでは大違い。
(ちなみに、バンテリンのテレビCMは「するとしないじゃ大違い」)
「さ夜」に限らず、
たとえば、
むか~し、学校で習った『冬景色』の歌の冒頭、
「さ霧消ゆる 湊江(みなとえ)の舟に白し 朝の霜」にある
「さ霧」の「さ」も、
ただの接頭語でなく、
美称の接頭語ということになれば、
目の前に広がる冬景色のありようが違ってくるように思います。

 

・ごみの日の網を住処の守宮かな  野衾

 

信仰の根本、知恵の知恵

 

口にする、しないはともかく、人間における思想の根幹、アキレス腱は、
死後、じぶんのいのち、魂がどうなるか、
に関わっていると考えます。
イブン=ハルドゥーンの『歴史序説』に、
こんな詩が紹介されていました。

 

人の頭が灰色になって
床屋が染毛をすすめると
その人の笑顔は消え
もはや喜びは見られなくなった
立てよ仲間よ 失われた青春を嘆こう
過ぎ去ったものは 復活の日まで
誰にも戻って来ないものだ
その日は最後の審判をまえにして
人々がこの世に生き返るであろう日
私はこれが真の信仰だと信ずる
私は復活を疑わない 事実
神はくずれてちりとなったあとで
ふたたび生き返った人々について語り給うた
(イブン=ハルドゥーン[著]森本公誠[訳]『歴史序説(二)』岩波文庫、2001年、p.24)

 

これは、
西暦795年に没したシーア派の詩人、サイイド=アルヒムヤリーがつくった詩。
こういうところにも、
『聖書』との親近性が感じられます。
ここに知恵があると思います。

 

・夕立や保土ヶ谷宿に下駄の音  野衾

 

新井奥邃没後100年に思う

 

創業間もなくから始め、六年半を費やして刊行した著作集の著者であり、
春風社の礎ともいうべき新井奥邃《あらい おうすい》が亡くなって
今年がちょうど100年目。
奥邃が亡くなったのは1922年(大正11)6月16日。
きょうは2022年6月9日。
この期にあたり、
秋田魁新報に原稿を送ったところ、
昨日掲載されました。
紙面の都合により、
文章を短くせざるを得ませんでしたので、
フルバージョンのものをここで紹介したいと思います。
コチラです。
例年、命日のちかくの日曜日に、
「新井奥邃先生記念会」が行われてきましたが、
今年は今月19日に、
春風社が入っているビルの一室で開催される予定です。

 

・歩むほど海の記憶をかたつむり  野衾

 

ホメロスの聴衆

 

ところで、ホメロスとヘシオドスの作品自体はその内容から見ても、
この偉大な叙事詩人たちには多くの先行者がいたのではないかという推測を抱かせる。
ヘシオドスの『神統紀』については特にそれが言えるのであって、
この叙事詩は本質において、
これ以外にすでに存在していたにちがいない膨大な量にのぼるこの種の作品
を解明する共通の鍵なのである。
しかしホメロスもやはり、
登場するすべての英雄たちや、
彼らに関係のあるたくさんの事実が周知の事柄であることを前提とし、
また数多くの人物についてもほんのざっとしか触れない。
それは聴衆が、
どこで知ったか分からないが、
とっくに彼らのことを知っているからなのである。
ホメロスがまず聴衆を
直接事柄のまん中へ《イン・メデイアス・レス》導くのではない。
彼の聴き手たちは、
彼らのまわりを英雄たちの神話が滔々《とうとう》と流れ巡っているのであるから、
すでに
事柄のまん中に《イン・メデイイス・レブス》いるのである。
ホメロスが聴き手に与えるのは、
巨大な一箇の全体から切り取った一つの切片のようなものである。
彼の叙事詩においてとりわけ輝きを放っているのは、
ヘシオドスの手から漏れた神統紀の残余、
ヘラクレス伝説やアルゴ号遠征譚の残余である。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第三巻』
筑摩書房、1992年、p.100)

 

ホメロスの『イーリアス』『オデュッセイア』を読んだときに、
『オデュッセイア』は、
まぁ、ふつうにおもしろく読みましたが、
『イーリアス』となると、
なかなか手ごわく、
「おもしろい」と言えるところまではいかなかった、
というのが正直なところです。
その理由の一端が、
上に引用した箇所を読み、
分かった気がします。
ホメロスといい、ヘシオドスといい、
当時のギリシア人は、
叙事詩を読んだのではなく、聴いたのだということも含めて。
ブルクハルトの『ギリシア文化史』は、
2800年ほどまえ、
さらにそれ以上まえのギリシアに、
読者を案内してくれます。
ブルクハルトは、
声を掛けられれば、
いまいうところの市民講座のような場所でも積極的に講義をしたそうですが、
然もありなんと納得します。

 

・清方の着物も居たり梅雨入りかな  野衾

 

母音の豊かさ

 

NHKの番組「首都圏ネットワーク」のメインキャスターを務めている
上原光紀(うえはら みつき)さんという方がいます。
ニュース番組ですから、
いろいろなことを伝えてくれますが、
語り口調がやわらかく、
ていねいで、
さすが、
加賀美幸子さんを輩出したNHKだなと思います。
加賀美さんがそうでしたが、
上原さんも、
意識して聴かなくても、
自然と耳に入り、
言われていることが腑に落ちるように感じます。
どうしてかなと思い、
注意して聴いてみました。
すると、
あることに気がついた。
「首都圏ネットワーク」では、
「STOP詐欺被害! 私たちはだまされない」というコーナーがあります。
以前は、
「私たち」ではなく、
「私」でした。
協力しながら皆でだまされないようにしよう、
という心かもしれません。
たとえばこのコーナーを告げるとき、
上原さんの口調に耳を澄ますと、
一音一音がくっきり、はっきりと聴き取れます。
だけでなく。
日本語は本来、
子音が母音に裏打ちされ、
たとえるならば、滔滔と流れる水が杭に当たるように発声されるはずですが、
このごろは、
母音が痩せてポキポキと
杭ばかりが目立ち、
単語単位で発声されているように感じる時さえあります。
なんとなく急かされている具合で。
かつて演劇研究所に籍を置いていたころ、
古い歌舞伎の録音を聴いたことがありますが、
音吐朗々とはこういうことかと驚いたことがありました。
たっぷり、ゆったり、
聴いていて、
気分が自ずと沸き立ってくるような。
上原さんの発声は、
日本語が本来持っている特徴、
とくに母音の豊かさとでもいったものを鮮やかに感じさせてくれます。

 

・風薫る名残の一歩一歩かな  野衾

 

記憶の女神と詩歌の女神

 

だが、歌唱の伝達は口承によるものであった。
文字が使用されたのは比較的遅くなってからのことである。
これは散文が後代になって始まっていることからもすでに証明されるし、
さらにアッティカ悲劇の時代においても、
エウリピデスがこの技術のことで大騒ぎをしていることからも証明される。
文字が叙事詩にとってもともと考慮されていなかった
ということは、
特に数多くの畳句《リフレイン》、反復、
そして特定の語に決まってつけられる装飾的形容詞《エピテタ》から明らかであり、
これらのものは記憶力のために、
考えをまとめる余裕を造り出すという働きを持っていたのである。
だが、
叙事詩が口承によって伝達されたものであること
を最も強力に証明してくれるものは、
その
時を忘れさせる面白さ《この10文字に傍点が振られている》にある。
これらの歌唱は
速度の早い話しぶりの最高の名人芸を示すものであり、
それは、
文字を書く諸民族では同じ速度で話すのがなかなか困難
であるような躍動的な前提に満ちている。
もろもろの事柄は
まさにギリシア人のもとでは
読まれたもの《アナグノステンタ》
としてではなく、
歌われたもの《アイドメナ》として生き続けたのであり、
平板単調なものはすべておのずから滅びている。
無論記憶力は歌人にとって途轍もなく大切なものであった。
それだから、
記憶の女神《ムネモシユネ》が詩歌女神《ムウサ》たちの母であったのは
謂《いわ》れのないことではないのである。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第三巻』
筑摩書房、1992年、p.98)

 

そうなんだろうなあ、
と納得。
アイヌ民族のユーカラはもちろん、
ちょっとこのごろ怪しくなってはいるものの、
古事記編纂にかかわった稗田阿礼
なんかも、
口承による文芸伝達にゆかりの深い人だったのではないかと思われます。
また、
記憶の女神と詩歌の女神については、
わたしは読んでいませんけれど、
ヘシオドスの『神統紀』によれば、
記憶の女神はゼウスと添い寝し
「災厄を忘れさせ、悲しみを鎮めるものとして」
詩歌の女神《ムウサ》たちを生んだのだそう。
これは、
シャハリヤール王の怒りと悲しみを鎮めるために語りだすシェヘラザード
に直結するように思います。
さらに、
敬愛する詩人・佐々木幹郎さんの詩集『明日』のなかに、
「鎮魂歌」という詩が収録されていますが、
あの詩は、
ムウサのこころで、
ムネモシユネに捧げるものとして詠われている
と改めて感じます。
忘れないための歌があり、
好きな歌は忘れることがありません。

 

・捕虫網狙ひ定めて逃がしけり  野衾