あぐど

 

秋田では「踵(かかと)」のことを「あぐど」と言います。
秋田だけかと思ったら
そうではなく、
割と北日本にひろく分布しているようです。
「あぐど」だったり「あくど」だったり、
九州・沖縄では「あど」「あどぅ」
と言うと記しているサイトもあります。
ところでこの「あぐど」
なぜ「あぐど」か?
このことについてしっかりした説明を未だ読んだことがありません。
したがいまして、
ここからは単なる想像ですが。
秋田のわたしの田舎では
「あるく」ことを「あぐ」と言う
場面があったような気がします。
たとえば
「そこを歩くな」の意味で「そごあぐな」
「あぐ」が「歩く」だとすれば、
「ど」は部分・場所を示す「処(ところ)」で「歩く処」=「あぐど」
そんなところかと想像します。

 

・旧街道こゑも幽けき黄落期  野衾

 

読書の味覚

 

吉川幸次郎の大学時代の恩師が狩野直喜で、
内藤湖南・桑原隲蔵とともに京都支那学の泰斗。
狩野について吉川は、
狩野先生の教え子たちは、
先生の学問についてその理屈は把握できても、
味覚は未だしであると記している。
本を読む、
それも古典を読むのに
味覚があるというのがおもしろい。
こういう、
本読みの達人たちの文に触れると、
その静かな迫力と深さに圧倒され
個性というのがなにほどのものかと思わされてしまう。

 

・風を容れ洗濯物の秋高し  野衾

 

十一月

 

ぐっと寒くなりました。
ただいま暖房を入れています。
秋田では
居間のガスストーブをつかい始めたらしく。
こうなってくると
木々の葉は色づき始め、
いよいよ紅葉のシーズン。
学生のころ、
友だちと車であちこち行ったっけ。
男鹿半島、十和田湖、八甲田山、裏磐梯…。
大学のある杜の都仙台の紅葉もなかなかで。
八木山の谿にかかる橋からの景色もまたすばらしい。
見たい行きたいところがいっぱい。

 

・しののめの厨の柿の赤きかな  野衾

 

霎時施

 

俳句をやると季節を意識するようになる
というのはどうやら本当です。
自宅でつかっているカレンダーは七十二候めくり。
来年のものもすでに購入済み。
パソコンの壁紙には
季節を感じる好きな画像をダウンロードしてつかっています。
いまは紅葉の季節。
「紅葉」で検索すれば、
全国各地の目も覚めるような写真が見られます。
その場に身を置けば
なおいっそうかもしれませんが、
写真を見ながら想像するのも
わるくありません。
七十二候では
きょうは第五十三候「霎時施」
こさめときどきふる
と読むそう。
これまたむつかしい。

 

・光(こう)燦々孵化するごとく花すすき  野衾

 

読めないよー

 

古書で求めた『新編 飯田蛇笏全句集』を少しずつ読んでいます。
入手したとき
すでにかなり傷んでいましたので、
製本テープやらボンドで修復。
さて飯田蛇笏は1885年(明治18年)生まれ。
むかしのひとはこんな漢字をふつうに読めていたのかしら、
と思うような、
むつかしい字がばんばんでてきます。
振り仮名はありません。
そのつど漢和辞典で調べ、
へ~、知らなかったなーで済むこともあれば、
八方手を尽くしても読めないものもありまして。

 

鴨足草雨に濁らぬ泉かな
ふもと井や湯女につまるる鴨足草

 

『山蘆集』明治四十三年夏の句としてでています。
さてこの鴨足草。
鴨の足の草。
ははー、
これは漢和辞典では調べようがないな、
とまでは思いました。
おそらく形が鴨の足に似ているから
その漢字をあてたもので、
読み方はふつうの訓読み、音読みではきっとない…。
それからあてずっぽうで
ああかなこうかなと想像するのですが、
自慢じゃないけれど、
わたくし草花の名前(だけではありませんが)にとんと弱く、
あえなく降参。
お手上げ。
こういうときインターネットは助かります。
だれかがどこかでちゃんと読み方を紹介していますから。
知ってみると、
なるほど、
形が似ていないこともない。
ちなみに鴨足草は虎耳草とも書きます。
はい。それではここで問題。
鴨足草、虎耳草、いったいなんと読むでしょうか?

 

・息合せ山路の秋のまへうしろ  野衾

 

秋蝶は

 

きのう、正午を少し回っていたでしょうか。
散歩がてら
保土ヶ谷駅まで行こうと家を出て間もなく、
鉢植えの花ちかく
蝶が飛んでいました。
十月も押し迫ってきたのに珍しい。
さっそくスマホを取り出し写真を撮ろうとするのですが、
気配を感じてか、
こちらの気に入るようには
撮らせてくれません。
近づくと逃げ
離れるとまたやって来ます。
ちょうちょうとは飛ばず、
あくまでも
てふてふてふと。
てふてふ、てふてふ、てふてふ…。
てふてふ、てふてふ、てふてふ…。
近づくと逃げ
離れると来る。
「こんにちは」
振り向けば近所の奥さん。
「どうも。こんにちは」
結局写真は一枚も撮らずに終わりました。

 

・秋蝶の来(きた)りてふてふ光るかな  野衾

 

亨吉と奥邃 2

 

ふたたび青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』から。
亨吉の日記の昭和十六年八月六日の項に、
「中村千代松告別式」
とある。
「参列」のことばは見えないが、
参列しなかった
とも書かれていないから、
日記の記述であることからすれば、
おそらく出かけたのではなかったかと想像される。
亨吉と千代松とは、
それぐらいの関係ではあったのだろう。
奥邃とのかかわりを記録した千代松の手記「随感録」に
たしか亨吉の名前はなかったはず。
ただ、
帰国後の奥邃に親近したひとに亨吉と同姓の
狩野謙吾がいたことはわかっていて、
「随感録」にもその名がでてくる。
たまたま同姓なのか、
なにか縁戚関係でもあったのか、
いまのところわたしには分からない。
亨吉が亡くなったのは昭和十七年十二月二十二日。

 

・歩み来て秋のみのりの寿司を食ぶ  野衾