気分変った

 

日曜日、所用で東京に出かけることになっていた家人は、
前日からそのための準備をしていた。
当日も、
朝早くから起き出し、入念に用意を整え、さあ、いざ出陣となったはいいが、
ぽつり「行きたくない」
さらに「行きたくない」
よほど行きたくないらしい。
ちょうどこのとき、
すでにわたしは、
朝のルーティーンと化している面倒この上ないサイフォンによるコーヒーを淹れており、
彼女のテーブルの上にも熱いコーヒーを入れたカップが載っていた。
うす暗い部屋にコーヒーの白い湯気が立ち上っている。
やおら一口、ふぅ~、
また一口。
と、
「あ、気分変った」
なお、もう一口。
そののち、
しばしの間があり。
やがて「行ってくるか。よし。行ってきます」

 

・ひかり浴びひかり放つや枯葉散る  野衾

 

思い出すことは

 

例えば、わたしが、とある町に滞在して、その街路を初めて歩いているとしよう。
そのとき、わたしの周りにある事物は、わたしに対して同時に、
持続するべく定められた印象を与えると同時に、
絶えず変化する印象も与えるであろう。
毎日わたしが見る建物は同じだ。
そして、
それが同じ建物だとわたしもわかっているから、
わたしは変わらずそれを同じ名で呼び、それが常に同じように見えていると思っている。
しかしながら、
長く滞在した後に、
最初の数年間の印象を思い返してみるとき、
わたしはそこに特異な、
曰く言いがたい、
そして特に言葉で表現することができないような変化が、
その印象のなかに生じていることに驚かされる。
長い間わたしの見続けた、
そしてわたしの精神に絶えず思い描かれてきたこれらの事物が、
わたしの意識生活から、何かを借りているのではないかと思われるようになる。
わたしが生きたようにそれらも生き、
わたしが年齢を重ねるようにそれらの事物も年老いた、
そんなふうに思われる。
それは必ずしも単なる幻想ではない。
なぜなら、
今日の印象が昨日の印象とまったく変わらないとしても、
知覚することと再認すること、初めて知ることと思い出すこととのあいだには、
何か違いがあるのではないだろうか?
(アンリ・ベルクソン[著]竹内信夫[訳]
『意識に直接与えられているものについての試論』白水社、2010年、p.126)

 

ベルクソンのこの感じ方、考え方は、プルーストのそれと共通のものであると思われます。
引用した文章のなかで、
とくになるほどと思わされたのは、
「わたしの意識生活から、何かを借りているのではないかと思われるようになる」
という一文。
毎日通いなれた町のなかの、とくに変りばえのしない建物で、
そこに入っていったり出てくる人と付き合いはなく、
また、
建物内に入ったこともないのに、
ある日、解体工事の知らせがでていて、立ち止まって読んでしまうことがあります。
ふと気が付けば、
わたしのほかにも告知の文面を読んでいる人がいて。
おとといと同じきのう、
きのうと同じきょう、
だと、なんとなく感じていても、
少しずつそこに時が降り積もり、ある日、目に見える形で変化が訪れる。
しみじみとした感懐に浸ることになります。

 

・坂上やしずか背高泡立草  野衾

 

驚きのさざなみ

 

秋田に帰省した折の帰り、東京駅から乗った電車内で、ちょっと面白いことがありました。
地下ホームから夕刻四時台の電車に乗り、
まだ会社勤めの人たちで混雑する時間帯でなかったせいか、
すぐにシートに腰かけ、
手持ちの文庫本を取り出して読み始めました。
新橋駅を過ぎた頃、
立っている客がいないのに、
目の前をなにかがすうっと通り過ぎたような気がして目を上げた。
すると、
ゆっくりしたリズムで、
ふわりふうわり、
黒いトンボが車内を品川方面に向かって飛んでいきました。
それがいかにもゆっくり、また、ゆったりと、
踊っているようにすら見え、
目の前を通るたび、
シートに腰かけていた客たちは身をのけぞらせ、
珍客の飛行を目で追いかけていました。
神様とんぼ、極楽とんぼの愛称もあるハグロトンボの移動に合わせ、
身をのけぞらせる人の動きがウェーブをなし、
音のない静かな遊戯をしているようにも見えました。
あのトンボ、
ドアが開いたときに外へ出たものと思われますが、
どこで下車したのか、
品川? 西大井?
そこまでは分かりません。

 

・これぞこの吉野の秋の一顆かな  野衾

 

量と質、ベルクソンのこと

 

例えば、今わたしがこの文章を書いているときに、近くにある時計が鳴ったとしよう。
しかし、
わたしの耳はぼんやりしていて、何回かの鐘の音を聞き逃した後になって、
時計の鳴っていることに気付いたとする。
当然、わたしは鐘の音の回数を数えてはいない。
しかし、それにもかかわらず、
わたしは少し注意を凝らして思い出せば、
鐘の音がすでに四回鳴ったことを知り、その後にわたしが実際に聞いた回数を加えて、
正しい時刻を知ることができる。
自分自身の内面に立ち戻り、
精細に、
今起きたばかりのことを問い直してみれば、
四回の鐘の音がわたしの耳を打っていたこと、
さらにはわたしの意識を揺り動かしていたことに気付く。
しかも、
それぞれの鐘の音が引き起こした感覚は、
一つ一つ横並びに並んでいるのではなく、
互いに混じりあい、
その全体にある一種独特の様相を与えており、
まるで音楽の一節を聞くようであったことにも気付く。
回顧的にすべての回数を知るために、わたしはこの楽節を思考によって再構成しようとする。
わたしの想像力が一つ、二つ、三つ、と鐘を鳴らしてゆく。
しかし、
四つ目の音をわたしの想像力が鳴らし終わらないかぎりは、
わたしの感性は、思考から相談されても、
全体の印象は質的にどこか違う、と答えるだろう。
感性は感性なりに、
鐘の音が四回続いて鳴ったことを確認していたのであるが、
しかしそれは一つ一つ数えあげるというやり方とはまったく違って、
そこに個別の事項を並置したイメージが介在することはない。
要するに、
それら四回の鐘の音は質として知覚されていたのであって、
量として知覚されたのではない、ということだ。
(アンリ・ベルクソン[著]竹内信夫[訳]
『意識に直接与えられているものについての試論』白水社、2010年、pp.123-124)

 

哲学の本はむつかしいけれども、
わたしの場合、もちろん翻訳者のおかげによってではありますが、
こういう文章に出くわすと、
なんとも懐かしく、
ふだん感じてはいるけれども、
なかなか言葉でうまく表せないことを代わりに言ってもらえている気になり、
そうそう、そういうことなんだよな、
と、
身を乗り出すようにして読んでしまいます。
こういう文章がきっかけとなって、
ふだんあまり思い出すことなく過ごしてきたのに、
俄かに思い出される諸々があり、
文章の力、味わいに打たれ、驚かされます。
プルーストが影響されたというのも分かる気がします。

 

・白秋を黒白猫の通りけり  野衾

 

『漢書』について

 

ちくま学芸文庫の『史記』(小竹文夫・小竹武夫 訳)をおもしろく読んだので、
ただいま、おなじ文庫に入っている班固の『漢書』(小竹武夫 訳)
を読んでいるところ。
『史記』に始まったいわゆる紀伝体の形式を踏まえており、
大きく、
帝紀、表、志、列伝の四つに分類されています。
帝紀は帝王歴代の年代記、
表は主な年表、
志は暦・礼楽・刑法・食貨・郊祀・天文・五行・地理・芸文などの重要事項、
列伝は臣下の伝記と外国の記録。
ですが、
志に分類されている暦に関する記述を読むと、
数字がこれでもかというぐらいに登場し、
いささか辟易、
ではありますけれど、
暦の成行き、変移をどうやって把握するか、
そのことのために易がいかに影響しているかが感じられ、
ここに、
アリストテレスに代表される西洋の自然観とはまた別の見方が如実に表れている
と思われます。
ただ、
どうしてそういう数字になるのか、
その根拠については、如何せん、理解が及びません。

 

・日も暮れぬけふはここまで秋刀魚焼く  野衾

 

谷崎の文に酔う

 

『中央公論』の名編集長と謳われた滝田樗陰(たきた ちょいん)との関連から、
谷崎の作品を読み返していましたら、
つい声にだしたくなり、
じっさい静かに、ゆっくり、朗読すると、
えも言われぬ心地よさにとらわれ、
なるほど、
酔うのは酒ばかりではないと改めて思わされます。
滝田樗陰は、
もらった原稿に感動すると、
書いた本人のまえで読み上げる癖があり、
夏目漱石などはそれをあまり良しとしなかったようですが、
読み上げたくなる文章というのは確かにあります。
ちなみにきのうわたしが声にだして読んだのは『蘆刈』。
奥深い森から潺湲とながれ出づる小川にも似、
訪れたことのない土地の空気感までが想像され、
文章を読むことの根源的な感動と悦楽に浸ることができました。
文体をふくめ、
幽玄、夢幻の能の世界にも通じているようです。

さて、来週6日(日)から8日(火)まで秋田に帰省します。
なのでその間「よもやま日記」は休みとなります。
よろしくお願いします。

 

・秋の暮けふの仕舞ひの湯に浸かる  野衾

 

作品は作者を語る

 

雑誌『中央公論』の編集者として名を成した滝田樗陰(たきた ちょいん)は、
わたしの母校の先輩にあたります。
高校時代のわたしは、
じぶんの先輩にそんなエライ人がいたことを知らなかったし、
編集者がどんな職業かも知りませんでした。
滝田の周辺を調べていくと、
谷崎潤一郎との関係がすぐに出てきます。
かなり早い時期に谷崎の才能にほれ込み、作品を『中央公論』に載せています。
谷崎の何に、どこにほれ込んだのかを知りたくて、
初期の作品をいくつか読んでみました。
すると、
『中央公論』に載せたものではないけれど、
二十代前半の作品のなかに、
中国の孔子の時代が描かれているもの、
キリスト教に入信した青年の彷徨が描かれているものがあったりして、
ちょっと意外でした。
作者と作品のあいだには一定の距離がありますから、
短兵急なもの言いは避けなければいけませんが、
少なくとも、
興味をもっていなければ、
それを小説にしようとは考えなかったはず。
谷崎については多くの評論、研究書がありますが、
わたしはわたしの興味で、
小さい作品を含め読み返したいと思います。

 

・秋深しとりあへず行く床屋かな  野衾