リスのサーカス

 

わたしが住んでいる山の上は、いろいろな生き物が多くいて、
飽きることがありません。
そのことについてたびたび書いてきましたけれど、
目にすると、いたく興奮してしまい、やっぱり書かずにいられない。
きのう、このブログを書いているときでした。
ゲクゲクゲク
と、聞き覚えのある声!
すぐに椅子を離れ窓のカーテンを開けると、いました。
台湾栗鼠が二匹すぐそばに。
電線と電柱をせわしなく動き回っています。
わたしの声に驚いたのか、家人が起き出してきました。
リスは、電柱を上下したり、電線を走るだけでなく、まるで軽業師の如く、
電線につかまり、くるりと一回転。
それから走って隣の電線にジャンプ一発!
いやはや。
その素早いこと素早いこと。
すっかり目が覚めた。

 

・夏帰郷まもなく発車いたします  野衾

 

ばあばでんわ

 

秋田への出張は、行きも帰りも新幹線。
お盆にはまだ間があり、六割から七割は空席でしたので、仕事とはいえ、
ゆっくり旅を楽しめた。
帰りの車中、
仙台からでしたか、
若い夫婦と小さい男の子が乗ってきました。三歳、いや二歳。
元気な男の子で、ちょっと五月蠅い。
文庫本を読むスピードが明らかに遅くなりました。
わたしの席はドアのすぐ近く。
うるさいなぁ。
なにを喚いているんだろう。
体をひねりそちらを見遣ると、
全身を海老ぞりにして母親の腕から逃れようと必死の態。
子どもの口から発せられる言葉は、
「ばあばでんわ」
さきほどから何度も何度も。
若い母親は、
「ここでは電話ができないのよ」
それでも子どもは、ばあばでんわ、ばあばでんわ、ばあばでんわ、ばあばでんわ、
際限がない。
途中から、ふと、何度繰り返すのだろう、
と、
ちょっと興味がわいて、
指を折った。
いち、にー、さん、し。
ん。
止んだ。
さいしょから数えるんだった。
かるく十回は超えたはず。
目を文庫本に戻ししばらくすると、今度は、
パパさんぽ。
パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ、パパさんぽ。
五回唱えたところで、
パパが子どもを連れデッキの方へ散歩に出かける。
すると、さらに、
デッキの方で、
パパおそと、パパおそと、パパおそと。
三度唱えたところで、パパは子どもを抱きあげ、子どもの体を外へ向けた。
だんだんおもしろくなってきた。
子に同化していくようで。
本を読んでる場合でない。
言葉を発すると、
親は、大人は、動く。
たのしいー!!

 

・夏の空百年のちの帰郷かな  野衾

 

帰省

 

この土曜日、日曜日、仕事の打ち合わせのため、一泊二日で秋田に行きました。
秋田弁なら、
「秋田さ行ぎました」
となります。
社の編集長は、みちのくの大学訪問のため、金曜日から。
秋田ということですので、
当初、
打ち合わせの後、わたしは実家へ、
とも考えましたが、
来月九十一歳になる父と、きのうで八十七歳になった母は、
夕刻五時を過ぎると固定電話のある居間から、
奥の寝室に移動するため、
わたしが実家に帰るとなれば、
気をつかわせることは目に見えていますから、
帰りたい気持ちを抑え、
わたしも結局、
編集長にたのみ、
秋田市内のホテルに泊まることにしました。
打ち合わせは順調に進み、
その後、
うち解けたなかでの会食となり、
わたしはアルコールを口にしませんけれど、
母校の先輩たちとの話を伺い、
大いに盛り上がり、
なんとも愉快なひとときでありました。
会場の外へ出たのは六時過ぎ。
まだ明るく、
なつかしい風景の角々をさわやかな風が撫でていましたけれど、
父も母も、
とっくに寝室へ移動している時刻ですので、
判断は間違っていなかったと思います。

 

・大曲まがり帰郷のこころかな  野衾

 

古今和歌集と紫式部

 

古今和歌集の694番は、

 

宮城野の本荒の小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て

 

片桐洋一さんの通釈は、

 

宮城野の名物である本荒もとあらの小萩が、葉に置いている露が重いので堪えきれずに、
その露を落としてくれる風が吹くのを待っているように、
私はあなたをお待ちしていることです。

 

この歌に関し、
片桐さん、こんなことを書いています。

 

『源氏物語』桐壺の巻において、桐壺の帝が亡くなった更衣の母を弔問するとともに、
幼い光源氏を思いやって贈った、

宮城野の露吹き結ぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ

という歌は、あまりにも有名である。
「宮城野」「露」「風」「小萩」というように、
当該古今集歌のキーワードをすべて備えているとともに、
「宮城野」に宮中を、
「露」に帝の涙を、
「小萩」に光源氏の君を、
「風」に厳しいその人生の意を含ませているという、
まことにみごとな歌になり得ているのである。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(中)』講談社学術文庫、2019年、pp.712-714)

 

こういうところを読むと、
紫式部が古今和歌集をいかに読み込み、味わい、自家薬籠中のものにしていたか
が分かります。
古今和歌集に限らず、
中国古典もふくめ多くのものが流れ込み、
それが深く地下水となり、
豊かに『源氏物語』を育て浮かび上がらせたということでしょう。
それをひとつの作品に仕上げたところに、
紫式部の類まれな才能がありました。

 

・はたたがみ道来て道に迷ふかな  野衾

 

においについて

 

ちかごろ、においにつき、発見というと大げさですが、
個人的に気づいたことがありまして。
ひとつ目。
いつもの部屋で本を読んでいたときに、
家人が蓋の付いた陶器の容れ物をテーブルの上に置いていきました。
わたしはそのまま本を読みつづけていたのですが、
なにやらちょっと変な臭いがする気がした。
ん!?
もしや、
と気になったので、本を置いて台所へ行くと、
家人が「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
ほんのり香った匂いが、ガスの臭いに似ていたので、心配になって来てみたのですが、
ふつうに煮炊きしており、
ガスが漏れ出ているようなことはなかった。
???
はて。
もしや。
部屋にもどり、
テーブルの上の陶器の蓋を取ってみると、
塩らっきょう。
あ!
二度三度、
鼻を近づけてみたり遠ざけてみたり。
筋の見える塩らっきょうがあくまでも白く、きらきら輝いています。
なるほどなるほど。
食欲を刺激する季節の香の物ですが、
その匂いが空中にまかれ
薄くなると、
どうやらガスの臭いに近くなる、
わたしの嗅覚は、そのように感じたようです。
ふたつ目。
道で女性とすれ違うと、
ほのかに香水の匂いがするときがありますが、
このごろ幾度か、
ある匂いが鼻に止まり、
何かの臭いに似ている気がした。
なんだろうなんだろう、数日つらつら考えた。
きのう、ふたたびその匂いに遭遇し、
あ、
そうだ、カブトムシ!
って思いました。
子どものころ虫かごに容れ飼っていたカブトムシがありありと思い浮かんだ。
塩らっきょうもそうですが、
ある匂いが空中に散布され薄まると、
別の匂い、また臭いを、
きわめて個人的ではありますが、
まざまざと想起させることがあるようです。

 

・洗濯物しずか夏雲うごかず  野衾

 

生き物たちの棲むところ

 

コロナ前は割と頻繁に会っていた友人、知人と会えなくなって
けっこう時間がたちました。
この時期、
そのさびしさを、
まるで慰めてくれるように多くの生き物たちが現れます。
ここが山の上ということもあるでしょう。
筆頭は、
なんといってもタヌキ。
秋田にいた頃だって、
野生のタヌキを見ることは、そうそうなかった
のに、
この都会の真ん中でしょっちゅうタヌキに会えるなんて思いませんでした。
大きな尻尾の縞々の模様、
すぼまった口元、
ベランダを通っていくだけでなく、
この頃は外でも会うことがあります。
会えば、
「あっ! たぬき!」
とつい声が出てしまい、
すると、
ふり向いてこちらに挨拶をし藪の中へと姿を消す。
きのうはゆっさゆっさ、
アオサギが、
東の空から西へと飛んでいきました。
対抗するかのように、
西からカラスが東の空へ。
かと思えば、
メスのカブトムシが窓越しに飛んできた。
いつもの台湾栗鼠は姿は見えず声だけ。
さらにクモ、ハチ、トカゲ。
またカマキリ。
以前、
ムカデもけっこう現れて、
夜中に首の辺りがワサワサしてバッと手で払いのけたら、
それがムカデ、
ということが何度かあったっけ。
この生き物たちが、
ニンゲンの言葉はしゃべらないけれど、
存在そのものでよく慰めてくれます。

 

・鮨よりも青き風よぶ夏料理  野衾

 

藤原定家、14回!

 

四〇六 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも    安倍仲麿
四〇七 わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと人にはつげよあまの釣舟  小野 篁
(数字は「国歌大観」歌番号)

「天の原」「わたの原」という類似の語句を持つと同時に、
仲麿と篁がともに遣唐使に関係のある人物であり、
本土を離れた土地から海上をへだてて都に思いを残して詠んだという共通性によって、
「古今集」にはこの二首が並べられているのである。
定家は、
生涯に少なくとも十四度は「古今集」を書写していることがわかっているから、
この二首の関連性はよく知っており、
その上で「百人一首」に採ったものと考えらえる。
こうして見ると、
「百人一首」には菅原道真、崇徳院をはじめとして、
流人とその関係者、
そして流人に準ずる境遇の人物の歌が多く採られていることにあらためて驚かされる。
極端ないい方をすれば、
「百人一首」は恋歌の多いみやびな詞華集であるが、
同時に流人の歌集という一面を持っている。
「百人一首」の中の、多勢の流人とその関係者の像は何を意味しているのだろうか。
それらの像をあつめ、
定家というレンズを通して焦点を一点にしぼると、
そこに一人の人物が浮かびあがってくる。
いうまでもなく、それは後鳥羽院である。
(織田正吉『絢爛たる暗号 百人一首の謎をとく』集英社、1978年、p.132)

 

個人的に、子どもの頃「百人一首」で遊んだことはなく、
わたしが実際に遊んだのは、
仲良くしている近所の姉妹が小さい時(いまは二人とも大学生)に、
「百人一首」を拙宅に持ってきてくれたときぐらいです。
いま思えば、
姉妹の無心に遊ぶ姿をふくめ、
日本の古典に気持ちが大きく傾いていく一つのきっかけでした。
「百人一首」が名歌をただ並べたものでないことは、
田辺聖子さんの『田辺聖子の小倉百人一首』
を読んだとき以来、
たびたび感じてきましたが、
織田正吉さんのこの本を読んでそれが決定的になりました。
歌一首一首の作者は別々であっても、
「百人一首」は、
藤原定家が編むことによって新たな意味をもちえた一つのまとまった作品集である
と気づかされます。
「古今集」を十四度も書写していればこその、
超絶的離れ業と言えるでしょう。

 

・夢うつつ閑の音きく午睡かな  野衾