応答なしという応答

 

仕事でもプライベートでも、こちらの働きかけに対して返事がもらえないのは、
不安になるものです。
あとから、
返事をくださるのを、相手がただ単に忘れていただけ
と知る場合もありますけれど、
当の本人もよく分からない理由から返事しなかった、
というようなこともあるのでは。
むしろ、その方が多いかもしれません。
たとえば、
挨拶一つとっても同じことが言えそうです。
こちらが挨拶しているのに、相手から挨拶を返してもらえなければ、
あれ、どうしたのかな?
と感じることがあります。
そのひとの癖ということもあるでしょうが、
挨拶を返したくない、ということだってあるかもしれない。
また、ただなんとなく、
ということも。
この「ただなんとなく」が恐ろしい。
行為の理由を本人が分からないのに、他人が分かるはずがない。
いや。
本人が分からないことを、
他人だから気がつく、分かる、
ということがあるかもしれない。
返事がないという返事、
応答なしという形の応答、
それがもしかしたら一つの結論。
こころ静かに、よく考えたいと思います。

 

・綿虫や夢の光を連れ来る  野衾

 

幽遠の秘境に分け入る

 

数年前からこの書の新訳を発願し、そのために主なアラビア語原典や、
この説話集についての諸研究、および、すでに公刊された先人たちの翻訳書など、
なにくれとなく集めてみた。
しかしこの仕事は遅々として進まず、
日暮れて途遠しの感しきりであるが、
このものに対する興味が少しも減退しないのは、
まことに無限の興味をたたえた深山か大湖のごとき文献であるからでもあろう。
はじめての連山にわけ入り、
つづら折りの小径をのぼり、
野草の花の咲き乱れた山頂に佇んだり、険しい坂路を下りて、
渓流のほとりに坐り、
やぶ鶯の歌に耳を傾けたりするのは
楽しいものである。
この小著は、
アラビアン・ナイトの世界の
ほんの一隅をたどった夏のある日の記録にも譬うべきものであるかもしれぬが、
私としては、
さらに幽遠の秘境にわけ入る足がかりとしたい念願
をこめたものでもある。
(前嶋信次『アラビアン・ナイトの世界』平凡社ライブラリー、1995年、pp.10-11)

 

この本はもともと、1970年10月、講談社現代新書として刊行されたもの。
わたしの手元にあるのは、
それの復刊。
『アラビアン・ナイト』の日本語訳は、
英語、フランス語からの翻訳がいろいろあるなかで、
日本で初めてアラビア語原典から翻訳したのが前嶋信次さん。
東洋文庫に入っている『アラビアン・ナイト』は、
別巻を含めすべて所持していますが、
1~6までを読み、
いま振り返れば、そこで息切れしたか、
はたまた、
これは一気に読むような本ではない、と思ったか、
とにかく、
6巻まで読んで、
のこりは読まずにそのままになっています。
それがどういう関心の巡りか、
そろそろのこりを読んでみようかな、
という地点にたどり着いた?
の感があり。
たとえば、
前嶋信次、諸橋轍次、白川静、関根秀雄、石川理紀之助などの経歴にふれ、
その方々の書き残した書物をなぞっていくと、
時間の使い方に共通したところがあると感じます。
敬仰する先人たちの清々しい霊峰を仰ぎ見、
いただいた命の限りを、
ひたすらに、楽しんで生き切りたい。
読むのも、作るのも、
このごろやっと、
落ち着いて本に関わることができるようになった、
気がします。

 

・セブン前売れずや冬のシクラメン  野衾

 

体験は本文、本は索引

 

例えば、中条先生の本には、十四歳くらいの話が必ず出てきます。
私は今四十歳で、
本をちゃんと自分で買って読み始めたのは二十五歳くらいなんです。
ですので、
十四歳の中条先生と、今の私は実は一緒くらいの感覚なんです(笑)。
私の場合、
「とじぇね」ではない寂しさを
インターネットに感じさせられてきたんだと思います。
そこで「物としての本」に出会って、
今はある意味、第二成長期なんです。
生身の本による快楽を、私は今すごく感じています。
(『春風新聞』第28号の特集「『文の風景』刊行によせて」の鼎談より)

 

上の文章は、
本年八月に行った鼎談のなかで、教育学者の末松裕基さんが発言したものからの引用。
対談、鼎談が面白いのは、
そのときその場はもちろんですが、
テープ起こしをし、編集作業を経て、ことばを定着させると、
何度でも読むことができ、
その都度、
いろいろと気づかされるところ。
末松さんは、
二十五歳くらいから、じぶんで買って本を読み始めた。
中条(省平)さんは十四歳くらい。
本を買い、
意識的に読み始めた時期は、
ひとにより、まちまちでしょうけれど、
本を読まなかった時期の体験は、
こんこんと湧き出る泉のようなものか、
とも感じます。
ある意味で意味をはねつけ、
解釈が固定しない。
おそらく死ぬまで。
死んでも、
かも知れず。
本を読むことで、間欠泉のように体験は呼び覚まされ、記憶として一旦は定着します。
しかし、
べつの本を読むと、
また同じ本でも、時を措いて読むことで、
それがきっかけとなり、
同じ一つの体験が、
今までとは違った光芒を放ち始める。
その意味で、体験は本文、
読まれることを待っている。
而して本は、体験を呼び覚まし、深く味わうための索引。
そんなことを思います。
してみると、
結局のところ、
本を読むのは、だれにとっても、
計り知れないじぶんを読み、
じぶんを深く知ることか、
と。
それがきっと、
世界を知ることに繋がると信じ。

 

・売られ行く雪見る馬の眼は涙  野衾

 

ありがたい手紙

 

畏友・高橋大さんから手紙が届きました。
10月に刊行した『対談集 春風問学』に関する感想が認められてありました。
そのなかで高橋さんは、
こんなことを書き留めておられます。
「このごろ、
『おうすいポケット』とシモーヌ・ヴェイユの本とを交互に広げて読み返すのですが、
たとえば「謙虚」ということについて、
それぞれの文脈やニュアンスの違いは無視できないながら、
共にその言葉から読む者の心を深く動かす力が伝わってきます。
その一方、
こういう人たちの言葉は、一生学んでも到達できない高さ、深さにあるな、
という気もいたします。」
「『おうすいポケット』とシモーヌ・ヴェイユの本とを交互に広げて読み返す」
という日々の営みに、
読み巧者・高橋さんの面目躍如たるものがあると感じます。
シモーヌ・ヴェイユの
「労働者たちはパンよりも詩を必要としている」と、
奥邃の
「日用常行」とは、
深い処で閑に響き合っている気が、
わたしもします。
謙虚とはおそらく、畏れ、怖れるこころ。
いろいろなテーマで行ってきた対談を一書にまとめることの意味と意義についても、
高橋さんの感想から、
深く教えられるところがありました。
さらに、
今回も(拙著『文の風景』の読後感をふまえ描いてくださった絵は、
高橋さんの了解を得て、春風新聞28号の表紙に使わせていただきました)
一枚の絵が同封されてあり、
感動しました。
わたしが独り占めするのは、
いかにももったいない気がし、
高橋さんに連絡をとり、了解が得られましたので、
わたしの古いスマホで撮った写真で、
絵のニュアンスまでは伝わらないかもしれませんが、
掲載いたします。

 

・売られ行く馬の無言や冬の朝  野衾

 

前川清さんのこと

 

最近、アタシが特に思うのは、“シビれる歌い手”
……特にニッポンの男性歌手に関しては、コレというのがなかなかいないよなぁ……と、
感じるのであります。
これぞっ!! と心酔する歌声に出逢えるなんて、めったにない事。
ましてや、
己のDNAが震撼するほどの歌い手に巡り逢える事は、
言わば“人生の宝物”を見つけるようなもの!!
生まれて初めてアタクシに、
「歌声にシビれる」どころか、
「その人の魂が乗り移る」ような経験をさせてくれたのは誰であったか……。
はい。
それは、前川清さんであります!!
(桑田佳祐『ポップス歌手の耐えられない軽さ』文藝春秋、2021年、p.216)

 

桑田さんのこの本、先日ここに引用した
「『勝手にシンドバッド』のイントロ「ラララ」が、
当時流行っていたスティービー・ワンダーの『Another Star』の「ラララ」を
ノリで拝借した」
には度肝を抜かれましたが、
年齢が近い(桑田さん、わたしより一つ上)こともあってか、
読んでいて、共感することが少なくない。
引用した前川清さんについての件など、ほんとに、まったく同感。
『長崎は今日も雨だった』が流行った頃、
わたしはまだ小学生。
桑田さん同様、シビれました。
桑田さんとちょっと違う印象もあります。
書いていないだけかもしれませんが。
それは、当時テレビを見ていて、
なんでこの人、物言わないんだろう?
って思ったこと。
そんで、
あるとき、ハッと気づいた!
そうか。
物言わないからカッコいいんだな。
そうだ。そうだ。
そうにちげーねー!!
浅はかなわたしは、すぐに真似しようと図り、学校へ行って、物言わないようにした。
そうしたら、豈図らんや、
「マモル(わたしの名前)、なした(どうした)? どごが(どこか)悪いのが?」
って。
そりゃそうだよな。
キャッキャキャッキャ、割と、はしゃぐほうだったのに、
いきなり物言わなくなったら、
そりゃ、どう考えたっておかしい。
まぁ、
子どもだったということで。
にしても、
それぐらい、デビューしたての前川さんは歌が上手く、声よく、すらっと背が高く、
物を言わずに(わたしにとっては、これが、この姿が最も)
カッコよかった。
しばらくして、
ええっ!!
こんなによくしゃべる人なの、
ってなりましたけど。
でも、相変らず、歌は上手く、
物を言うようになっても、カッコいいのでした。
藤圭子が惚れるのも分かる気がします。
きのう、テレビに出てた。

 

・ひかり放射噴き上がるごと枯葉かな  野衾

 

矢内原忠雄と宮本武蔵

 

ベアトリーチェが一二九〇年に死んだということはダンテが書いているのです。
それでちょうど同じ年に死んでいるこの人は
フォルコ・デ・ポルチナリの娘で後シモネ・デ・バルディの妻になって
一二九〇年に二十四歳で死んだ女がダンテのベアトリーチェである。
ダンテが九歳の時に見た少女はこれであろう。
この説は何に基づいているかというと、
ダンテと同時代の人でボッカチオという文学者がおります。
ボッカチオはダンテの『神曲』を講義いたしました。
ボッカチオの言っている言葉なのです。
しかしボッカチオ自身は何もそれに対して証拠を出しておりません。
「或る信ずべき人の言によれば」
ということでボッカチオが書いている。
ところがボッカチオは有名な『デカメロン』という物語の作者であり
なかなか面白いことを書く人で、
当時のいろんな社会の様子や人物などのことを言っておりますが、
ただ彼は面白く書き過ぎるという欠点をもっている。
これは今の日本の文人にもそういうことがあります。
事実を材料として歴史小説という名をうって面白く書いているのがある。
例えば宮本武蔵などそうです。
作者が現実の事実としてそんな本に書く。
文人というのはそういうことをするらしい。
ボッカチオはそういうことをした。
これは巧みなる嘘つきであり、ベアトリーチェについてもうっかり信用できない。
ベアトリーチェについては
「或る信ずべき人の言によれば」
というのだからどれほど信じていいか解らない。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第七巻 ダンテ神曲Ⅲ 天国篇』みすず書房、
1970年、p.758)

 

矢内原忠雄の『土曜学校講義』五・六・七の「神曲」をようやく読み終りました。
『神曲』についての理解が増し、
また、
矢内原さんが『神曲』をどのように読んでいたかが分かったことは、
大きな収穫でありましたが、
さらに、
矢内原さんのひととなり、性格が垣間見えたことは、
おまけのようなもの。
「ベアトリーチェが何者であるかは、一向に解らない」理由として、
流布されているベアトリーチェ像に関する認識が、
ボッカチオの言に基づいていることによる。
それは、
ボッカチオの発言というのは、なかなか信用できない、
なぜならば、ボッカチオには、
面白く書きすぎる欠点があるからだ云々。
ここのところを、
わたくし、ふんふんと頷きながら、矢内原さんの口ぶりを想像しつつ読んでおりました。
そうしたら、
「例えば」ということで、
いきなり「宮本武蔵」が出てきた。
わたくし、
ここでプッと噴き出した。
これは吉川英治の「宮本武蔵」でしょう。
なんで噴いたかといえば、地獄篇、煉獄篇のどこだったか覚えていませんが、
これまで二度ほど「宮本武蔵」が出て来たからです。
その都度、
いきなり宮本武蔵かよ、と思ったものです。
ダンテ神曲の講義において、
日本の作家には一切触れていないのに、
「宮本武蔵」だけ三回も登場している。
しかも、引用した上の文脈からいっても、面白さについて、
また事実の扱いに関して批判的ではあるものの、
面白さそのものを否定しているわけではありません。
ていうか、
矢内原さん、
物語としての「宮本武蔵」の面白さを認めているんではなかろうか、
と勘ぐりたくなります。
面白いことは面白い、だがしかし、事実を曲げてまで面白くするのは善くない!
そりゃそうだ。
そうだけども…
わたしはといえば、
保土ヶ谷橋交差点の拡張工事で移転してしまいましたが、
よく通った床屋の書棚に全巻置いてあった井上雄彦の漫画『バガボンド』を
途中まで読んだぐらいで、
吉川英治の原作は、今のところ読んでいません。
そういえば。
辻邦夫と水村美苗の往復書簡集だったか、対談だったかで、
吉川英治の「宮本武蔵」を面白く読んだ二人のエピソードが取り上げられていて、
へ~、そうなんだ、
って思って、
思っただけでやり過ごし、読んでない。
さてと、どうするか。

 

・凩や少年の日を連れ来たる  野衾

 

父の怒り

 

どういうきっかけで思い出すのか
匂いや味によらなくても 突然 過去のエピソードが蘇ることがあります
あれは祖父の葬式のときだったと記憶しています
田舎の農家のこととて
父が取り仕切り
自宅での葬儀の場でありました
要らぬ世話を焼きたがるひとは いつでも どこでもいるものですが
そのときも
本人は親切心からだったかもしれないけれど
そばでわたしが聴いていても
喪主でもないのに ずいぶん判った風なことをいうものだと感じた
すると
父が
怒鳴ることはさすがにしませんでしたが
きつい口調で一言
わがってる
抑えた一言なれど
そのひとことに 万感の思いが籠められていた
齢を重ねるごとに
我慢する場面が多くなった気がします
体が弱るとともに
どうやら心も弱るよう
こころに刻んだ皺の数
ひとに言えない罪の味
てか
ふ~わり浮かぶ雲にでもなりたい
雲になってやり過ごしたい
なんて
ぐっと腹に力を入れ堪え
ること間々あり
なんだった?
忘れてしまいました
ひとでなく
場に感謝
どうもどうも

 

・坂道を葱の白さや富士の峰  野衾