予表と顕現

 

また、キリストが預言によって自らの受難の屈辱について語っている、
あの詩篇においても同様である。
「彼らはわたしの手と足を刺し貫き、わたしの骨をすべて数える。
彼らは目をとめて、わたしを見つめる」。
(これらの言葉によって、彼は、手と足を刺し貫かれ、釘でうちつけられて、
十字架上にひろげられた身体のこと、
および目をとめ見つめる者たちの見世物になったことを表現しているのである。)
彼はさらに付け加えている。
「彼らはわたしの衣服を分けあい、わたしの着物のことでくじを引く」。
これらの預言がどのように成就したかは、
福音書が物語っている。
(アウグスティヌス[著]金子晴勇ほか[訳]『神の国 下』教文館、2014年、p.233)

 

引用した文中の「彼」とは、
旧約聖書にでてくる預言者ダビデのこと。
アウグスティヌスが引用しているこの驚くべき箇所は、
詩篇第二二篇にあり、
新約聖書において記述される十字架上のイエス・キリストそのままだ。
ダビデは、紀元前1000年のころの人。
こういう事例を引きながら、
アウグスティヌスは、
旧約聖書では覆われている真理が、新約聖書で顕現しているとみているのでしょう。
旧約聖書では、
真理は覆われているけれど、
人間がそれを知るために、
預言者にあずけられた神の言葉として、
予表(あらかじめ表す)されている。
ここに、
アウグスティヌスの歴史の見方、
大いなる歴史哲学があると考えられます。

 

・餅食ふて網に残りの黒きかな  野衾

 

入稿今昔

 

弊社の仕事始めは先週六日の木曜日。
ようやく体と頭が仕事モードになってきたかと思いきや、
担当している本の入稿がきのう。
昔は、
版下と称ばれる紙を印刷所の担当者へ手渡したり、送ったりしたものですが、
今は、
InDesignで組んだデータをPDF化し、
それを送る。
送るといっても、物でないから、
郵送したり、宅配便に載せるわけではない。
昭和生まれの人間としては、当初、すこぶる戸惑いがありました。
が、
時のなせる業か、
いつの間にやら、あたりまえな気になっています。
とは言い条、
入稿前の緊張は、昔も今も、変らずにMAX。
強がりかもわかりませんが、
これがあるから、
出来上がった本を見るときの喜びはまた一入。
ことしも、これを何度か体感、経験することになるでしょう。

 

・ふるさとは天地びりりの淑気かな  野衾

 

人間の心は

 

すべてのことを記すのは長すぎるが、さまざまのことが起きる中に、
アブラハムはほかならぬ最愛の子イサクをささげる
という試みに会わされることになる。
それは彼の信仰に満ちた従順が良しと認められ、
それが神にではなく、
世の人々に知られるためであった。
それゆえ試みはすべて非難されるべきではなく、
それによって良しと認められるような試みは喜ぶべきものですらある。
たいていの場合、
人間の心は、
自分自身には知られない。
ただ、
その力を何らかの仕方で自分自身に問いただす試みに会って、
言葉ではなく
実際の行ないによって答える時にわかるのである。
そのとき、
人の心が神の恵みを認めるなら、
心は敬虔になり、
恩恵の確かさに堅く立って、空しい誇りにふくれ上がることはない。
確かにアブラハムは、
神が人間の犠牲を喜ばれるとは決して信じなかった。
しかし鳴りひびく神の命令に対しては、
人間は服従すべきであって、
言い争うべきではない。
(アウグスティヌス[著]金子晴勇ほか[訳]『神の国 下』教文館、2014年、p.173)

 

大学に入学して、いくつかの授業をとったなかに、
英語講読というものがあり、
担当は、車田先生。
最初の授業だったと記憶しているが、
日曜日に自宅で聖書を読む集いを行っているから、
興味のある方はどうぞ、
という案内があった。
高校生になってから怒濤のように始まった読書生活
にあって、
おもしろく読んだ本の核には聖書があると見定めていたので、
日曜日にいそいそと、
車田先生のご自宅を訪問した。
聖書を読み、
参加した学生たちが自由に発言する。
あれは、初めての訪問だったか、何度目かのときだったか。
聖書のどの箇所を読み、
どういう発言がなされ、わたしが何を話したか、
すっかり忘れてしまったけれど、
わたしの発言の後に、
先生が、
三浦さんは、経験を通して聖書を学んでいかれる人なんでしょうね、
という趣旨の話をされた。
正確なことばを忘れてしまったが、
わたしの記憶では、そういうことになっている。
先生のそのことばを、
当時の私は、
どちらかといえば、
わたしに対する批判が含まれていると捉えてしまい、
先生の集いに来て聖書を勉強しても、
あまり意味がないと、やんわり諭された気がし、
短気なわたしは、
そうか。
だったらいいや。
それを最後に、わたしは、その集いに参加しなくなった。
しかし、
そのことが、
その後、幾度も思い出され、いままた記憶の底から浮上してくる。
先生の言葉の主旨、意図は、何だったのか。
確かめたい。
先生は今どうされているだろう。
インターネットで検索しても、
これがあの先生だ、と思われる方はヒットしない。
けれど、
車田という姓で調べると、
1887年に生まれた牧師で車田秋次という方がおられる。1987年に亡くなっている。
車田という姓は、それほど多くなく、
キリスト教つながりということで、
わたしが教わった車田先生と、牧師の車田秋次とは、
なにか関係がありはしないか。
車田先生に言われた言葉を読み解くヒントがあるかもしれない。
『車田秋次全集』全7冊が古書で出ているのを知ったので、
さっそく注文した。
『神の国』再読は、
意外なところへわたしを引いていくようだ。

 

・年賀状思ひ出せずの名を睨む  野衾

 

心象スケッチ

 

これにつけ加えたいと思うのは、この心配の神秘的な側面についてなのだ。
人が自分ひとりとり残されているのではなくて、
宇宙の中の何ものかととり残されているということ。
私の深い憂愁、デプレッション、退屈、
または何であろうと、
それのただ中で私を恐れさせ、また興奮させるのはこれなのだ。
〈或る魚の〉ヒレが遠くを通っているのがみえる。
私の言おうとするところをどんな心像《イメージ》で伝えることができるだろうか。
じっさいには何のイメージもないのだろう。
おもしろいことに、
今まで私のあらゆる感情や考えの中で、
このことにぶつかったことはないのだ。
人生は冷静に、正確に言って、この上もなく奇妙なものだ。
その中に現実の本質がある。
私はこのことを子供のときいつも感じたものだ
――水たまりの上を歩いてわたることができなかったことがある。
なんてふしぎだろう――
私は何なのか、
などと考えてわたれなかったことを思い出す。
(神谷美恵子[訳]『ヴァージニア・ウルフ著作集 8 ある作家の日記』みすず書房、
1976年、pp.143-4)

 

正月、しんしんと降る雪を窓外に眺めながら『ダロウェイ夫人』を読んだ
のをきっかけに、
その小説がとくべつな印象を与えてくれましたので、
流れで、
買ってそのままになっていた神谷美恵子訳の
『ある作家の日記』を、
まだ途中ですが、読んだ。
引用した、こんな箇所を読むと、
神谷さんの日本語が読み易いせいもあって、
よけいに、
ヴァージニア・ウルフのひととなりに触れられる気がし、
また、
この人となら、
友達になりたいと思わせられる。
引用した文中の〈  〉は、訳者による注。《  》はルビ。

 

・去年今年乗せて車窓の雲流る  野衾

 

朝の音

 

夜中に目が覚め、トイレで用を足して電気毛布がセットされた布団にもどり、
時刻を確かめた。三時三十五分。
もう少し寝ていよう。
しばらくすると、
隣で寝ていた妻が「いまの、なに?」
「え!?」
「ピー、ピー、ピー、ピー、て」
「聴こえないよ」
「いや。聴こえたよ」
「空耳じゃないの?」
「いや。ぜったい聴こえた」
妻は、布団から抜けだし、綿入れを着込んで居間の方へ向かう。
わたしは目を開けたまま、
布団の中でしばらくじっとしていた。
ほどなく妻が戻ってきて、
「ストーブのスイッチは切ってあったし、台所も異常なかった」
「そう」
安心した妻は、布団にもぐり、また眠るようであった。
体内時計が起床時刻を知らせたので、
わたしは静かに起き出した。
ダウンジャケットと綿入れを着込み、居間に行き、ストーブのスイッチを入れる。
柱時計は、四時二十五分。
横浜から持参した文庫本を手に取り、
ストーブの火の隣で、つづきの文を追いかける。
火の音とページを繰る音だけが部屋を照らす。
奥の部屋でがさごそ音がする。
もうそんな時刻か。
と。
畳を踏む音が近づいてくる。
「おはよう」
「おはよう」
「新聞、取ってくるがらな」
母の朝が始まる。
腰を曲げながら戻ってきた母が、
「ゆぎ(雪)そんだに降ってなぐて、えがた(よかった)」
母は、新聞をソファの下に置き、朝餉の支度へと台所へ向かう。
間もなく妻が起きてきて台所へ行き、
「おはよう」
「おはよう。まだねでれば(寝ていれば)えがた(よかった)のに」と母。
六時ちょうどになり、
今度は、どすどすと音がして「おはよう」父だ。
六時半。町の有線放送が流れる。それから四人そろっての朝ごはん。
食事を終え片付けが済んだら、
つぎはクスリ。
「父さん、クスリ飲んだが?」母の声は甲高い。
「はいよ。いま、飲むどごだ」
ひとことひとことが、ありがたく、なつかしく、心地よい。
居間のストーブに四人が集まる。
父が、やおら新聞を広げ、顔を近づけて読みだした。
その姿を見ていて、
閃いた。
「新聞、だれ、持ってくるの?」
「わがらにゃでゃ(わからないよ)」
「あんで(歩いて)くばて(配って)来るのが?」
「なもや(そうではない)。クルマで来るたでゃ。軽トラだびょん(軽トラックだろう)」
わたしの実家は、
バス通りから少し引っ込んでおり、
ゆるい下り坂になっている。
新聞を配達しに来た軽トラックと思われるクルマは、
発進のことを考え、
おそらく、
ギアをバックの状態にして玄関先へ入ってくるのだろう。
ピー、ピー、ピー、ピー、
は、
その音だったに違いない。
一日が始まる。一年が始まる。

弊社は、本日から通常営業となります。
よろしくお願い申し上げます。

 

・人事止み小暗き馬屋の淑気かな  野衾

 

野にある学術出版社

 

二〇二一年も、いよいよ押し迫ってまいりました。
弊社はただ今、
二十三期目の時を刻んでおります。
廿周年を期して冊子『春風と野』を作りましたが、
その頃から、
野ということを強く意識するようになり、
現在に至っています。
野は、
「の」でも悪くありませんが、
「や」と読み、また、「や」と読んでいただきたいと思います。
野生の「や」、野草の「や」、荒野の「や」、野人の「や」、在野の「や」を願い。
野蛮の「や」、粗野の「や」、野卑の「や」
はいけません。
ひと、もの、ことに対して、
ていねいでありたいと思います。
出版社は、
文字をあつかうことを生業としていますが、
文字に置き換えることのできない音が世界に充ちています。
先月末に刊行された『細野観光』という本に、
細野晴臣の蔵書がずらりと並べられており、
そのなかに、
J・E・ベーレントの『ナーダ・ブラフマー、世界は音』が入っていました。
文字に寄りかかり過ぎず、
世界の音に耳を澄ませたい。

弊社は、明日から明年一月五日まで、冬期休業とさせていただきます。
一月六日から通常営業となります。
よろしくお願い申し上げます。

 

・博労の炉がたりの語の多からず  野衾

 

聖霊と経験

 

聖霊という概念は、
われわれに対する神の働を説明しようとするものであると考えてよい。
具体的にいえば、
聖霊はキリストを信仰者にまで持ち運んで来る神である。
その意味において、
聖霊は父なる神と子なる神とから(フィリオクェ)発出した
と主張してきた西方教会の伝統は正しい。
東方教会は聖霊を父なる神からのみ発出したとする伝統に立っているのであるが、
キリストから発出したものとして考える西方の伝統に立つ三位一体論
の思惟の方が、
いわゆる自然神学を拒否する方向を示しているものであるといえよう。
聖霊が父なる神および子なる神とその本質を同じくし、
三者が一体であるとの三位一体論は
出来上った形態ではもちろん新約聖書の中に存在していなかった。
しかし、
救の信仰経験が父なる神・子なる神・聖霊なる神を
その働きにおいては異ったものとして経験しつつも、
同じ一なる神の信仰者との出合いであるとする経験は、
新約聖書の叙述する信仰経験に内在しているといえよう。
これが必然的に論理化されたものが、
聖霊を神として告白することを含んでいる、あの三位一体論である。
しかし、
このような聖霊についての告白が、聖霊を思弁の対象にしてしまい、
自己の信仰的経験から遊離した思索に転落するならば、
それは新約聖書の聖霊経験とは異ったものである。
(「聖霊」の項、野呂芳男[執筆]『キリスト教大事典 改訂新版』教文館、1985年、p.638)

 

『随想 西田哲学から聖霊神学』を弊社から上梓した小野寺功先生は、
この本以外の著作においても、
くり返しご本人の経験を書いておられる。
ふつうならば、
とくに学術書となれば、
くり返しを避け、
既刊の書籍を指示する形をとるのが作法かもしれない。
ところが、
小野寺先生の著作物においては、
先生の経験(信仰的経験)が記述の底に厳然としてあり、というか、
地下水のごとく流れており、
それが最大の魅力であると感じられる。
『キリスト教大事典 改訂新版』の「聖霊」の項を担当執筆された野呂芳男氏は、
キリスト教神学者、牧師であり、
キリスト教の土着化についても深く思索を重ねたというから、
聖霊についてのとらえ方が、
小野寺先生と近く感じられるは当然かもしれない。
父なる神、子なる神は指呼できても、
聖霊は、
これと指呼できないところに難しさがある。

 

・炉語りに耳を澄ませば馬のこと  野衾