「さん付け」の有無

 

しばらくまえまで、このブログに登場する人物名に、ほとんど例外なく「さん付け」
していました。たとえば「プラトンさん」のように。
たまたま、まえに書いたものを見る機会があって、
あらためて読んでみると、じぶんの書いた文章なのに、違和感のほうがつよい。
じぶんで書いたものなので、書いたときの気持ちは分かる。
プラトンといえども、
となりのおじさんが語ったことに耳を傾けるように、
「肩の力を抜いて」とおもうこころが、わたしにそうさせていました。
それでいい、と。
が、そこにはやはり、無理がありました。
「肩の力を抜いて」は悪くないとはおもうけれど、
時間的にも空間的にも、
プラトンとわたしでは、どうしたっておおきな隔たりがある。
となりのおじさんではない。
それと、
プラトンをプラトンさんと書くことで、
わたしの気持ちとは別に、拙文を読んでくださる読み手の方に違和感のほうをつよく
与えかねない。
与えかねないどころか、きっと与えてしまう。
それでは、ただの自己満足になってしまうなぁ。
ということで、
肩の力を抜きつつ、プラトンは「プラトンさん」ではなく、
これからは「プラトン」で、
「ヴァージニア・ウルフさん」でなく「ヴァージニア・ウルフ」で
いきたいとおもいます。

 

・梅の花愛でて立ち去る人の影  野衾