稀代の哲学者であり教育者である森信三のことばに、
人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、
一瞬遅すぎない時に。
というのがあります。
なるほどなぁと思いますね。それはまた、読むべき本にもいえるかな、
という気もします。
昨年の春、
モンゴメリの『赤毛のアン』シリーズを村岡花子訳
(『アンの想い出の日々』は村岡美枝訳)で読み終えました。新潮文庫で全12冊。
体調をくずす前のこと。
『赤毛のアン』の作者としてモンゴメリの名を知ってはいても、
読む機会がありませんでした。
女の子が読む本でしょ、
ぐらいの軽薄なこころでながめていただけ。
シリーズをとおし、これほどの作品、これほどの作家だとは、
まったくもって知らなかった。
もちろんシリーズ初期の、
若鮎のようなアンと子どもたちが活躍する物語はすばらしい。
しかし、
いまのわたしの年齢も関係しているとはおもいますが、
たとえば、
寝たきりの、ある年老いた女性の若き日に、
まるで火のでるような恋物語があったということを、
モンゴメリは、ふくざつにからみ合った糸の束を解きほぐすように、
ひとのこころの奥をていねいに描いています。
また、
頑固な人物がでてきたとして、
なぜそんなふうにひねくれてしまったのかを、フラッシュバックの手法で、
なるほどと思わせてくれます。
またたとえば、
なんのとりえもないような人が、ある場面で、慈愛に満ちた行為をし、
本人が語らないので、だれもそのことを知らない。
そういう話がちりばめられていて、
アンと夫のギルバート、子どもたちは背景に退きますが、
違和感なく読むことができ、うならされます。
そして、ふと、
2026年の現実に戻ってまわりに目をやるとき、例外なく、ほんとうに例外がなく、
人間でない何ものか(神とよぶひとがいてもおかしくない)
しか知らないような、
そういう物語をだれでもが、
どこかに秘めているのではないかと思えてきます。
『赤毛のアン』シリーズは人生の綾をていねいに描いて、
心地よい風を感じさせてくれます。
くり返しになりますが、
どんな人にも例外なく、
年輪の芯のように、目に見えない珠玉の物語が、
個性の質を決定するように仕舞われていて、
見えるところでは、ただ薄緑の葉が風に揺れあいさつしている、
そんな風景が目に浮かんできます。
「おはよう」「おはよう」
「こんにちは」「こんにちは」
「またね」「またね」
葉擦れのようにくりかえし。
・日用のあれこれ済ませ探梅行 野衾



