漢字と平仮名

 

「平日毎日更新」をうたい文句にしていたこのブログ、
このごろは「たまに更新」というふうにしています。
「さん付け」の有無とはちがって、漢字と平仮名の表記の区別は、
以前とあまり変っていないようにおもいます。
いま「おもいます」を平仮名で表記しましたが、
もちろん「思います」でもいいわけで。
ではなぜあえてひらがなで表記するのか?
身も蓋もないいい方をするなら、平仮名が好きだから。
は?
はい。平仮名って、曲線でしょ。やわらかいじゃないですか。
漢字は漢字で、平仮名とは別の感覚で好きですよ。
一個一個の漢字がふか~い歴史を秘めていて、
それぞれのひびき合いで漢詩が成立するようにもおもうし。
でも、それはそれ。
このブログに書く文章は、
意味を取りちがえやすい単語以外は、なるべく平仮名をつかうようにしています。
一人称の「私」も、なんとなく「わたし」でいきたい。

 

・古今集なる名を今に梅の花  野衾

 

「さん付け」の有無

 

しばらくまえまで、このブログに登場する人物名に、ほとんど例外なく「さん付け」
していました。たとえば「プラトンさん」のように。
たまたま、まえに書いたものを見る機会があって、
あらためて読んでみると、じぶんの書いた文章なのに、違和感のほうがつよい。
じぶんで書いたものなので、書いたときの気持ちは分かる。
プラトンといえども、
となりのおじさんが語ったことに耳を傾けるように、
「肩の力を抜いて」とおもうこころが、わたしにそうさせていました。
それでいい、と。
が、そこにはやはり、無理がありました。
「肩の力を抜いて」は悪くないとはおもうけれど、
時間的にも空間的にも、
プラトンとわたしでは、どうしたっておおきな隔たりがある。
となりのおじさんではない。
それと、
プラトンをプラトンさんと書くことで、
わたしの気持ちとは別に、拙文を読んでくださる読み手の方に違和感のほうをつよく
与えかねない。
与えかねないどころか、きっと与えてしまう。
それでは、ただの自己満足になってしまうなぁ。
ということで、
肩の力を抜きつつ、プラトンは「プラトンさん」ではなく、
これからは「プラトン」で、
「ヴァージニア・ウルフさん」でなく「ヴァージニア・ウルフ」で
いきたいとおもいます。

 

・梅の花愛でて立ち去る人の影  野衾