子どものこころ

 

『長くつ下のピッピ』を読んでいたら、
ストーリーとは別に、
じぶんの子ども時代のことがいろいろ思い出されてきました。
翻訳を通してですが、
本のなかの子どものこころが
わたしのなかに眠っている
子どものこころとひびきあったのかもしれません。
うす暗い木の洞(うろ)に入り、
すき間から外を覗くシーンがでてきますが、
これなど、
国のちがいを超え、
子どもはみんな好きだろうなぁと想像されます。
おとなの知らない子どもだけの世界。
子どもはいつも隠れ家が大好き。
天才的な児童文学者は、
子どものこころを子どもの視点で描けるのでしょう。

 

・鈴鳴らし杣木(そまぎ)里まで馬橇かな  野衾

 

読書禁止デー

 

じぶんの本棚なのに、
なにがどこにあるのか確かめたくなって、
脚立にまたがり
時をすごすことがあります。
アストリッド・リンドグレーン作/大塚勇三訳『長くつ下のピッピ』
がふと目にとまりました。
岩波少年文庫の一冊。
つん読状態のまま、
まだ読んでいませんでした。
漢字のおおい本に少々疲れ気味ですので、
この機会にと思いゆっくり読みはじめました。
教師時代の教え子からは、
読書禁止デーをもうけたらと
うれしいメールをいただきそうしようかなと思っていた矢先、
漢字が少ないとはいいながら、
やはり文字を追ってしまいました。

 

・掌をかへし老いを養ふ火鉢かな  野衾

 

顔真卿

 

東京国立博物館に顔真卿の書を見に行った。
そこここで中国語が飛び交っており、
人気のほどを思い知らされた。
どこもかしこも観覧者がだんごのようになっており、
わたしは撫でるようにしか見なかったけれど、
そのためもあってか、
書の文字が、
風に象徴される万物の移ろいを
なんとか形にして表現したいという
やむにやまれぬ欲望の表れ
と感じられた。
杜甫とほぼ同時代の人物。
仏教・道教の影響もあったというから、
わたしの感覚は、
当たらずとも遠からずだったかもしれない。

 

・降る雪や汽車を待つ間の古馴染み  野衾

 

少女になる母

 

正月帰省した折、
ふと見ると、
居間の隅に置いてある小さなテーブルに若いころの
母の写真が置いてありました。
写真館で撮った写真とすぐに分かります。
三枚あったので
母に断り一枚もらってきました。
結婚する前に見合い写真として撮ったものではないかと思われます。
二十代の母。
かあさんになる前の母は、
若いころのぼくに似ている気がします。
秋田に電話すると、
父がでることが多いのですが、
たまに母がでると、
もらった写真の印象がつよいせいか、
声の主がだんだんと
少女にかえっていくような不思議な感覚にとらえられます。

 

・ぬばたまの眼に映ゆ冬の炎かな  野衾

 

浩蕩

 

杜甫にかんする吉川幸次郎の本を読んでいて知ったことばに
浩蕩(こうとう)
があります。
たとえば広辞苑をひくと、
「広大なこと。転じて、志の奔放なさまにいう。」
とあります。
吉川の説明は、
もうすこしふくらみがあるというのか、
語のベクトルがちがうとでもいったらいいのか。
いわく、
「浩蕩」とは、
あてどもなく空漠に無目的にひろがる空間、
それにむかいあった際の心理を表現する語。
この「浩蕩」が杜甫の詩には幾度かでてくるそうです。
外の景をいうだけでなく、
こちらの心理をいう、
むしろそこにウエイトがかかっている。
このことばの意味を知ったとき、
すぐに思い浮かんだのは映画『海の上のピアニスト』
でした。
豪華客船のなかで産まれ育った主人公が、
船がニューヨークに着いて下りようとしたとき、
タラップの途中で
ニューヨークの街をはるかに見遣り、
くるりと踵を返し船に戻る。
印象的な好きなシーンですが、
「浩蕩」という語がぴったりする気がします。

 

・雪ふかき浩蕩に入る野老かな  野衾

 

なんとなくのすごさ

 

土曜日だったか、
日曜日だったか、
テレビをつけたら芦田愛菜さんがでていて、
なんだろう
と思いながら見ていると、
こんどは糸井重里さんがでてき、
ほぼ日刊イトイ新聞の事務所でしょうか、
おちついた雰囲気の部屋で対談が始まりました。
途中までしか見ませんでしたが、
芦田さんはかわいく、
糸井さんはおもしろく、
そんで、
そういえば、
このごろほぼ日を見ていなかったなぁ
とふと気づき、
ひさしぶりにほぼ日のページを開いてみました。
あいかわらず、
おもしろそう!
すごいなぁ!
なんとなく、見て、読んでみたくなるんですね。
この「なんとなく」に
どれだけの工夫があるのか、
糸井さんとそのスタッフはそれをずっとつづけてこられ、
それがいまも感じられる
ということは、
なんともすごい!
さいきんのこととして、
笑福亭鶴瓶さんとの対談がのっていました。
第一回のタイトルが、
「生きてんのって、おもしろい。」
とっぱじめのところを引用すると、
鶴瓶「最近、ほんま思うねんけど。」
糸井「うん?」
鶴瓶「おおざっぱにいうと、あれや。
生きてんのって、おもろいな。」
糸井「おもしろいねぇ。」
ここのところを読みながら、
正直、
うらやましいなぁと心底思いました。
すごいなぁと。
このふたりなら、
ほんとうにそう感じておられるだろうと思われ、
真似したくもなるけど、
とてもじゃないけど無理だなぁと。
参考にしつつ、
じぶんで考えじぶんなりをすることしかできないか、
それでよしとするか、
とも。
いずれにしても、
ときどき見ようっと、ほぼ日。

 

・朝まだき米とぐ冬のしじまかな  野衾

 

モーツァルト

 

モーツァルトの明るい曲を聴いていると、
ふるさとの春を思い出します。
雪がとけ始めても
道路はしばらく濡れていますが、
それがだんだん乾いてきて、
土が白っぽくなってくる。
いまはほとんどアスファルトの道になってしまったけれど、
小路はむかしのまま。
そうなると
居ても立ってもいられない。
自転車。
自転車でどこまで行こう。
弟をさそって、
五城目、一日市、八郎潟、……
自転車に乗らなくなってからこっち、
春の景色が
おとなしくなったような。
春風には少しとどかない東風をあびながら
自転車をこぐと、
なみだまででてきたっけ。
あれはさむさの棘だったんだろう。
…………
休日のモーツァルトもいい。

 

・雪ふりやまず利休鼠の海に野に  野衾