個人業主が合わさって

 

社内のレイアウトを変えて一週間がたちました。
ひとりひとりが独立しつつ、個性をもって、それでいてゆるく連携している
をコンセプトにしての配置換え
でしたが、
おおよそそんな感じで収まったかなと思います。
へんなたとえですが、
社の入口をヘソにたとえると、
それぞれの机がヘソに対して肋骨のように斜めに置かれていますから、
お客さんがいらっしゃったときに、
顔をあげれば、
どの位置からもお客さんに対して向くことになります。
それと、
こんなふうに配置してみて分かったのですが、
それぞれの机の周りに空間ができたので、
「独立しつつ、個性をもって」
が具体的な形になったように見え、
また、そう感じます。
それぞれ独立して○○社、△舎、□本店、☆本舗、▽営業所、みたいな。
ちょっと商店街を歩くみたいな感じもあるし。
げに席替えはたのしい!

 

・バリカンを祖父が床屋の師走かな  野衾

 

時が満ち来る

 

もうすぐクリスマス。世はまさにクリスマス一色でありまして、
♪シャンシャンシャーンシャンシャンシャーン
とジングルベルの歌が、
あちこちから聴こえてきます。
この時期になると思い出す本があります。
恩師竹内敏晴さんの『時満ちくれば―「愛」へと至らんとする15の歩み』。
からだから始めて声を、声から始めてことばを、
ことばから始めて精神を、
レッスンを通して歩み思索し歩んだ本として読みました。
時が満ちくる。
わたしが行く、ではなく、時が満ちて、来る。
それが特別でないことをナウエンさんは切々と語っています。

 

「私は時が満ちるという体験はしたことがありません。私はごく普通の人間で、
神秘家ではありません」と言う人がいます。
確かに神の存在を独特の仕方で体験し、
それによって神の存在を世に宣べ伝える独自の使命を持った人はいます。
けれども、
私たちの誰もが――学識があろうと無学であろうと、
金持ちだろうと貧乏だろうと、
人々の目に止まろうと隠れていようと――
時が満ちて神を見る恵みをいただけるのです。
この神秘的な体験は、
少数の例外的な人々のためにとって置かれているわけではありません。
神はその贈り物を、
神の子どもたちすべてに、
何とかして与えようとしておられます。
けれども、
私たちはその贈り物を望まなければなりません。
注意深く、
心の目を醒ましていなければなりません。
ある人々には、
時が満ちる体験は劇的にやって来ます。
聖パウロにとっては、ダマスコへの途上で地面に倒れた時がそうでした
(使徒言行録9・3-4)。
けれども、
私たちの内のある人々には、
ささやきの声や背中にそっと触れる優しいそよ風のようにやって来ます
(列王記上19・12)。
神は私たちすべてを愛しておられます。
そして、
それぞれに最も相応しい仕方で、
私たちみんながそれを身をもって知るようにと望んでおられます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.417)

 

・いとへどもありがたき世に雪がふる  野衾

 

プルタルコスさんとロフティングさん

 

秋田のわたしの家にはかつて馬がいて、子どもの頃は、馬も家族の一員でした。
わたしの弟は、
馬に餌をやるとき、指をピンと伸ばしていなかったせいで、
指先を噛まれ、もがれてしまったことがありました。
馬が悪かったわけではない。
弟もそれはじゅうぶん知っていて、
もがれた指の痛さより、
家族に知られたくなくて必死にこらえたのではなかったか。
いまでは、むかしむかしの思い出だけど、
ことほど左様に、
馬は、弟にとっても、わたしにとっても、かけがえのない存在でした。
なので、
春風社を起こしてから、
近所の女の子から薦められ、
ロフティングさんの『ドリトル先生』を読んだとき、
そこに出てくる年取った馬の話は、
とても印象に残って忘れることができません
けれど、
プルタルコスさんの『英雄伝』を読んでいたら、
馬の話が出てきて、
主役のマルクス・カトーさんよりも、
プルタルコスさんの馬に対する思いの強さ深さとして、
きっと忘れられず、
これから何度も思い出すことになるだろう
と思います。

 

そもそも生命あるものを、履物や道具のように使うべきではない。
さんざん使って擦り切れたからといって、
捨ててしまうのはよろしくない。
ほかに理由がないにしても、博愛の精神を養うために、
こういう事柄に関して温和、かつ情け深い心を抱く習慣をつけるべきである。
少なくともこの私は、
働き手だった牛を、もう年だからといって手放したりはしない。
ましてや、
年をとった人間を、
その人が育った所や、慣れ親しんだ生活という、
言わばその人の祖国とも言える所から、
わずかばかりの金のために引き離すとか、
売り手にとって役に立たないものなら買い手にとっても役に立つはずがないものを売る
とか、
そういうことはしたくない。
しかるにカトーは、
この件に関しては若者のようにいきり立って、
執政官としていくたびかの戦いに使った馬をイベリアに遺した。
そして、これは、
この馬の運賃を国家に払わせないようにするためだった
と言った。
これを彼の誇りと見るか、
それとも吝嗇りんしょくの現われと見るか、
各自納得の行く論議に従えばよい
と私は考える。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 3』京都大学学術出版会、2011年、
pp.60-61)

 

訳された柳沼さんは解説で、プルタルコスさんを
「常識に富んだ教育者」とされており合点がいきます。
上で引用した箇所も、プルタルコスさんにとって「常識」のひとつかもしれません。
そして、
こういう文章を読むことにより、
翻訳してくださった柳沼さんの仕事により、
生成AIのよくわからない時代に生きているわたしは、
二千年ちかく前の時代に生きたプルタルコスさんを身近に感じることができ、
そのこころ根に感動を覚えます。
これも大きな読書の喜びです。

 

・冬凪や良き地へ招く汽笛かな  野衾

 

プルタルコスさんを読むのは

 

京都大学学術出版会から出ているプルタルコスさんの『英雄伝』はぜんぶで六冊。
1から3までは柳沼重剛(やぎぬま しげたけ)さんが訳されていますが、
2008年7月29日に柳沼さんが他界されたので、
4から最終6までは
城江良和(しろえ よしかず)さんが訳されています。
第1巻の巻末に解説が付されており、
柳沼さんのそのことばが、
いまのわたしにはとても貴重に感じられます。

 

プルタルコスのは学問とは違う何か、
おそらく「教育」と名づけるほかない営みだと思える。
そしてそこで大いに発揮されているのは、学問的追求よりは教育的熱意であり、
根幹をなすのは、常に変わらぬ常識である。
プルタルコスは学者・研究者であるよりは常識に富んだ教育者であった。
常識という言葉は、
多くの場合軽蔑のために使われる。
「そんなのは常識だ」とか、
「単なる常識で深みに欠けている」とか。
深みに欠けるぐらいなら、即座に認めてもよいが、
「それは常識にすぎない」
と大威張りで言えるほど、人は常識をもっているとは私には思えない。
人が信じているよりはまれにしか常識人はいなくて、
だから、
そういう人と話をする、
あるいはそういう人の話を聞くときは、
完全にこっちの身をその人なりその話なりにあずけてしまって、
安心し切って話をしたり聞いたりする
ことができる。
するとこっちはいい気分になったり楽しくなったりする。
プルタルコスを読むのは、
そういう経験をすることだと私は思っている。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 1』京都大学学術出版会、2007年、
pp.439-440)

 

『エセー』を書いたモンテーニュさんが愛読し、
「万の心を持つ」作家といわれるシェイクスピアさんが英語訳で読んでいた
というのも宜なるかな、
であります。
時代はいっそう加速度を増しているようにも感じられますが、
だとすれば猶のこと「常に変わらぬ常識」が
いぶし銀のごとく、
しぶく光を放ってくるようです。

 

・消防団出でて集ひぬ藥喰  野衾

 

雨ニモマケズ

 

小学生のころ「道徳」の時間があって、
いまから思えば、
あれが、
ひろく哲学の本を読むきっかけになっていたかもしれないと思います。
宮沢賢治さんの本を好んで読んだのも、
どういう人生をこれから送りたいか
を、
本を読みながら自分で考えていたような。
陽明学では知行合一(ちこうごういつ)ということがいわれますが、
西洋哲学の祖ソクラテスさんは、
まさに知行合一の人であったと思います。
賢治さん、陽明学、ソクラテスさんに限らず、
道徳の根本は、
ものを知っているだけではだめで、
行いを伴ってこそ力が発揮されるものであると考えます。
いま読んでいるプルタルコスさんにも、それは当てはまる気がします。

 

生まれながらにして彼の性格は、あらゆる徳に合致するように調和していたが、
さらに、
教育を受け、苦難をなめ、知恵を愛する心をもって己を耕したおかげで、
とがめられてしかるべき感情の起伏ばかりでなく、
暴力だの貪欲だのという、
異邦人の間ではややもすれば高く買われることもあるものを排除し、
理性を自分の体内に閉じ込めてしまうことこそ、
真の勇気だと考えた。
その考えによって彼は、
自分の家じゅうからあらゆる気ままな贅沢を排除し、
全市民、すべての外国人に対して、
非の打ち所のない裁き手または相談相手として自分を使ってくれるようにと差し出し、
自分はと言えば、
暇があってもそれを贅沢や浪費には振り向けず、
神々に奉仕し、
さらに、
理性によって神々の本性や能力を観照することに費やして名声を博していた。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 1』京都大学学術出版会、2007年、pp.178-9)

 

引用した箇所の冒頭の「彼」とは、
王政ローマにおける第2代の王ヌマ・ポンピリウスさんですけれど、
訳者である柳沼重剛(やぎぬま しげたけ)さんは、
ここに注を付しており、
この辺りの文章は
「資料に照らしてヌマの性格について真実を語ろうとしたというよりは、
プルタルコスの自己形成論、教育論の一端を披瀝していると思える。」
とのこと。
プルタルコスさんの「雨ニモマケズ」の精神が発露
されている箇所だと思います。

 

・キヤンパスをさざめき交はす落葉かな  野衾

 

歴史から客を迎える

 

ことしのゆるい読書計画に入っていたプルタルコスさんの『英雄伝』ですが、
あっという間に時は過ぎ、
気がつけば師走。
プルタルコスさんを読もうと思ったきっかけは、
モンテーニュさんの『エセー』でした。
さいしょ岩波文庫の原二郎さんの訳で読み、
数年前、関根秀雄さん訳で再読した『エセー』(関根さん訳は『モンテーニュ随想録』)
ですが、
あの深い味わいのある『エセー』を書いたモンテーニュさんが
『旧約聖書』の「伝道の書」(コヘレトの言葉)と
プルタルコスさんを愛読していた
ことを知り、
へ~、そうなの、そうですか、
ならば読むしかないだろうと思ったのでした。
『英雄伝』は、「対比列伝」とも訳されるように、
古代ギリシアと古代ローマの互いに似ている
(そうでもないという噂もありますが)政治家あるいは軍人を並べた伝記で、
書き手のプルタルコスさんが自身のことを語ることは極めて少ない
ようですけれど、
しかし、無いわけではなく、
以下の箇所などは、
伝記好きにはたまらない味わいと感じられます。

 

私は、人様に読んでもらうために伝記を書き始めたのだが、今や自分のためにも、
他へ目を転ずることなく、伝記を書きつづけるのが楽しみになってきた。
歴史を言わば鏡のように使って、
書いた人々の徳を手本にして、
自分の生き方をそれと同じように美しくしようと思うからである。
とはつまり、
私はこういう人々といっしょに日々を暮らして生きているようなもので、
言わば、
その一人一人を順に、
歴史から客として迎えて同席している。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 2』京都大学学術出版会、2007年、p.236)

 

想像するに、
引用した文のこころは、
訳者である柳沼重剛(やぎぬま しげたけ)さんのこころでもあるのだろう
と思います。
なぜそう思うかといえば、
とくに会話文における言い回しが、
古代ギリシアや古代ローマの人なのに、
日本の戦国武将が口角泡を飛ばし語っているようにも感じますから。
たとえば「じゃによって~」には、
つい笑ってしまいました。
だって「じゃによって~」だもの。

 

・冬うらら武蔵小金井駅の寂  野衾

 

時の恵み

 

松山千春さんの歌に「時のいたずら」があり、いまもたまに聴くことがあります。
リフレインされる「時のいたずらだね 苦笑いだね」
は、
松山さんの澄んだ声とともに、ふかくこころに沁みてきます。
歌は歌でも『新古今和歌集』に、
時の恵み、恩寵を感じさせる歌があり、
松山さんの歌はキーが高くてとても真似できませんが、
こちらの歌は、
たまに口ずさんでは味わいを楽しみます。

 

長らへばまたこのごろやしのばれん憂しと見し世ぞ今は恋しき

 

峯村文人(みねむら ふみと)さんの訳は、
「生き長らえるならば、また、同じように、このごろが思い慕われるのであろうか。
つらいと思った昔の世が、今は恋しいことだ。」
清輔朝臣(きよすけのあそん)さん
の歌で、
とても九百年ちかく前に作られた歌と思えません。
時代や国を超えて共有される感覚なのかとも思います。

 

・目を上ぐや冬のことばの降りに降る  野衾