こんな話、好き

 

カイコが桑の葉を食むような速さで読んでいるのが寺島良安さんの『和漢三才図会』。
平凡社の東洋文庫に入っていて、十八巻あります。
ただいまその十巻目。
江戸時代の百科事典のようなものですね。
ヘタなようだけれど、そうともいえない、
味があるといえば味のある絵が文に添えられている箇所もあり、
たのしく、おカイコさん読みには適している。
第十巻からは、しばらく日本の地誌がつづくことになり、
地誌なので、絵は地図ぐらいで、
ほかにはありません。
でも、こんな話には惹きつけられます。

 

枕石しんせき寺 久慈郡川井村(常陸太田市上河合町)にある。
〔東派二十四輩の一つ〕
開基 道円房
道円は江州蒲生郡日野左大将頼秀ひののさだいしょうよりひで卿の裔しそん
で、
名は左衛門尉(頼秋)。
由があって当郡大門おおかど村(常陸太田市内)に在住した。
ある日、
親鸞が来て一夜の宿を乞うたが許さなかったので、
親鸞は門前の石を枕まくらにして臥した。
すると家主の夢に老僧があらわれて、
「阿弥陀如来が今夜門前におられる。どうして饗応もてなししないのか」
といった。
家主は驚いて目をさまし、
門外をみると一僧が石の上に臥しており、
その呼吸はみな称名であった。
家主は恐れ同時に喜んで家に迎え入れ厚くもてなし、
その弟子となり薙髪して名を道円と称し、
宅を寺とした。
枕石寺がこれである。
中古に内田村に移り、のちまたここに移った。
(寺島良安[著]島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳[訳注]『和漢三才図会 10』平凡社、
1988年、pp.60-61)

 

きのうのプルタルコスさんの『英雄伝』中のエピソードもそうですが、
こういう話はなかなか忘れない。
何巻もあって、ながくつづく本のなかから、
こんなことがあったんですか、
へ~、知らなかったー!
というようなことを見つけるのも読書のよろこびです。

 

・怒と哀を忘れたき世や歳の暮  野衾