さまざまのこと 5

 

ふるさと秋田のわたしの実家がある場所は仲台(なかだい)といいます。
徒歩でかよった小学校までは3キロほどあったでしょうか。六年間、
一日も休まずよくかよったものだと今にして思います。
体調が悪い日もあったはずなのに、親も祖父母も、休ませてくれませんでしたし、
わたしも、どんなことがあっても学校には行くもの、
ということが、いつの間にか、
刷り込まれていたと思います。
仲台から小学校までは3キロほどですが、
町(当時は村)の一番奥に、大台(おおだい)という集落がありまして、
大台から小学校までは、5~6キロはあるでしょうか。
当時は、みんな歩いて学校にかよっていましたから、
大台の子供たちは、
往復だと、10キロを超える距離を連日歩いていたことになります。
そのことの成果というか効果というか、が如実に表れるのは運動会でした。
長距離走の上位を占めるのは、
ほとんどが大台の子供たちでした。そりゃそうだろう、
と思いましたね。
とくにそのための運動をしなくても、まいにち学校へかようことが、
そのまま長距離走の練習になっているわけですから。
仲台の子が、大台の子に敵うわけがありません。
月のはじめに発行される町の広報誌がありまして、
わたしはパソコンで読むのを毎月たのしみにしていますが、
その担当の方が大台在住であることを編集後記に記していました。
なつかしくなって、
大台の子供たちのことを思い出しました。

 

・花曇り耳目の奥にある故郷  野衾

 

さまざまのこと 4

 

へんな外国語で歌っては、じぶんでケラケラ笑うTくんのことも忘れられない。
なんだかとってもおもしろかったなぁ。
小学生(あるいは中学入学後すぐ)のこととて、まだ英語を習う前だし、
たしかめたわけでないから、なんともいえないけど、
スマホやパソコンのない時代のことでもあり、
Tくんがちゃんとした外国語をおぼえ歌っていたとも思えない。
(ちがっていたらゴメンねTくん)
だけど、
わたし自身、もとの歌を聴いたことがないのに、
その歌を歌う外国人がちゃんといて、
きっと、Tくんのような歌い方をするのだろうなぁと勝手に信じていた。
Tくんは、そのころのぼくのヒーローでした。
だれの、なんというタイトルの歌だったのか、そんなことはどうでもよく、
ふんいきをつかむのがとてもうまかったのだと思います。
クラスのエンターテイナー。
ずっと後になって、ある歌を聴いたとき、あっ!と思いました。
鳥肌が立った。
Tくんの歌っていた歌は、
トム・ジョーンズさんのラブ・ミー・トゥナイトでした。
歌詞はともかく、歌のふんいきは、
あのころのTくんそのもの。
すごいなぁ、すごいなぁ、と思いました。

 

・なつかしき桜蕊降る道の奥  野衾

 

さまざまのこと 3

 

小学生のときに、同じクラスにSさんという、運動の得意な女子がいました。
教室ではふつう、とくに目立っていた印象はありませんが、
体育館、運動場においてとなると、逆に、
目立たないことがなかった。
クラスの花形。
それぐらい、Sさんの運動能力は高かったと思います。
忘れられないのは、ドッジボール。
だいたいさいごまで四角の枠のなかに残っていた気がします。
それと、あ!
これはさすがに避けられないだろうと思われる、
速いボールがSさん目がけて投げられると、
Sさん、
からだを「く」の字に折り曲げ、からだ全体でボールを受けとめます。おみごと!
すごいなぁ。脚も速かった。
あれは、高学年になってからだったと記憶していますが、
100メートル走のタイムを計る機会がありました。
女子で16秒を切ったのは、Sさんだけ。15秒7だったと思います。
運動場や体育館のSさんのすがたは、
まさにキラキラ輝いていて、
すぐそばでオリンピックのアスリートを見る(見たことないけど)
ようなものでした。
Sさんが歌もうまいと知ったのは、
それからずっと後のことです。

 

・山彦を海まで招く新樹光  野衾

 

さまざまのこと 2

 

ふるさとの思い出といえば、やはり、小学、中学時代のいろいろが輝いている
ようです。
小学生のとき、
テレビアニメで『遊星少年パピイ』というのがありました。
おなじ頃『宇宙少年ソラン』というのもありました。
わたしは、どちらかというと、
『宇宙少年ソラン』のほうを、よく観ていたと思います。
ソラン、ソラン、ソランとリフレインする主題歌も、
なんとなく覚えています。
Aくんは、ちがいました。
『遊星少年パピイ』が圧倒的に好きだったんではないかという気がします。
どうしてそう思うのか。
以下のようなAくんをよく目にしたからです。
と、そのまえに、
触れておかなければなりませんが、
そもそもパピイという少年、地球外の星から来て地球人に姿を変えているのですが、
ここいちばんというときになると、
「ピー、パピイ!」
と叫び、
もとの遊星少年になり悪を退治する。
さて、Aくん。
たとえば、学校の授業と授業とあいまの休憩時間、
子供たちがトイレに行く。
男子トイレに数名の子供がならんで用を足す。
窓から見える景色に目をやりながらのあの時間もなつかしい。
用を足し終えると、手を洗って教室へ。
手を洗わない子も少なからずいた気がします。
というような場面で、
いきなりAくん、
「ピー、パピイ!」と大声を発し、タタタタタ…
一目散にトイレから走っていく。
そういうシーンをたびたび、たびたび目にしました。
「ピー、パピイ!」タタタタタ…
「ピー、パピイ!」タタタタタ…
トイレで用を足すことと、
遊星少年に変身することにどういう関連があったのか、
なかったのか。
用を足してスッキリした気分が「ピー、パピイ!」と叫びたくなる原動力になった
のであろうか。
いまとなっては分かりません。
これも、同期会でAくんに会ったら聞いてみようかな。

 

・伊勢山や表裏見せ新樹光  野衾

 

さまざまのこと 1

 

ふるさとは思い出にみちていて、こんかいの帰省でも、道を歩いていると、
いろいろなことが思いだされてきます。
秋田の桜はこれから満開を迎えるようです。

 

さまざまの事思ひ出す桜かな  松尾芭蕉

 

Yくんとのこともそのひとつ。
中学一年の冬だったと記憶しています。
試験の前日、一夜づけの勉強で寝不足をし、翌朝、自転車で学校に急ぎました。
学校に着くことは着いたのですが、
寝不足に加え、寒いなかを自転車を激しくこいだせいか、
着いて早々、靴置き場のところでフラフラとなり、
床にくずおれてしまいました。
と、
うしろから声をかけられた。
ふり向くと、Yくん。
二言三言ことばを交わしたと思いますが、おぼえていません。
Yくんはわたしを抱え(あるいは背負って)保健室まで連れていってくれた。
保健室の先生に事情を話し、ベッドに横になり、
しばらく休ませてもらいました。
Yくんに、もうだいじょうぶだからと告げ、Yくんは教室へ。
10分ほど横になっていたでしょうか、
息もととのい、
めまいも落ち着いたようですから、
そのことを先生に話し、荷物をもって教室へ向かいました。
試験はすでに始まっていましたが、
それほど遅れずに臨むことができたのは、
Yくんのおかげです。
何年かぶりで八月に同期会があるそうですから、
Yくんが参加したら、きいてみようかな。
忘れているかな。

 

・千年の記憶を今を新樹光  野衾

 

納骨式

 

ことし1月22日に他界した母の納骨式のため、秋田に帰省しました。
あいだが空いたのは、冬が終り、
あたたかくなってからにしようと申し合わせていたためです。
12日の秋田は、最高気温16度で空は晴れわたり、
すがすがしい一日でした。
弟が事前に準備し、お寺さんをよび、くるま三台で墓地へ。
丘の上の墓地は、春の清新な気に満たされ、小さな蛙が畑地をとび跳ねます。
遠くで雉がどくとくの声をひびかせています。
墓石を洗い、石をずらしてお骨を納めます。その間、
おごそかな読経の声。すべてを納めて、
石をもどします。
あらためて花をそなえ線香を立て、ろうそくに灯をともします。
一同合掌。
お寺さんを見おくり、
墓の周りをととのえ帰路につきます。
弟がぽつり、
「かあさんはここにはいないよ」
弟の発したひと言は、わたしの気持ちでもありました。
横浜に帰ってき、
部屋に置いてある母の小さな写真に向かい、
「かあさん、いま帰ったよ」といえば、
母は、いつものごとく両手をあげ、「ああ、帰ってきたが」
と迎えてくれます。

 

・日を浴びて風と菜花のつづくかな  野衾

 

さくら散る

 

わたしの住んでいるところは、山のうえというか、崖のうえにあり、
そこから南のほうへ向かい、
それほど広大ではありませんけれど、
崖が、ちょうど伊良湖岬を思わせるように湾曲しており、
その先に鋭くとんがった三角屋根の家があります。
横に大きな桜の木。
ときどき台湾リスが遊び回ります。
咲きはじめから満開に至るまで、ことしもずいぶん楽しませてもらいました。
三日まえから散りはじめました。
螺鈿につかわれる、
たとえば夜光貝の殻のうすいかけらをさらに薄くしたような切片が、
オモテ、ウラ、オモテ、ウラと、
まるで時を惜しむかのように、キラキラ、キラキラ、
舞い落ちます。
時を忘れ、しばし無音の舞を眺めていました。

 

散る桜残る桜も散る桜

 

良寛さん辞世の句とされていますが、そんなことばも連想されます。
さくらが散る姿を、
これまで幾度となく目にしてきましたが、
母がいなくなった世界で初めて目にするさくらでした。

 

・春光や昔に潟の帆掛舟  野衾