浩蕩

 

杜甫にかんする吉川幸次郎の本を読んでいて知ったことばに
浩蕩(こうとう)
があります。
たとえば広辞苑をひくと、
「広大なこと。転じて、志の奔放なさまにいう。」
とあります。
吉川の説明は、
もうすこしふくらみがあるというのか、
語のベクトルがちがうとでもいったらいいのか。
いわく、
「浩蕩」とは、
あてどもなく空漠に無目的にひろがる空間、
それにむかいあった際の心理を表現する語。
この「浩蕩」が杜甫の詩には幾度かでてくるそうです。
外の景をいうだけでなく、
こちらの心理をいう、
むしろそこにウエイトがかかっている。
このことばの意味を知ったとき、
すぐに思い浮かんだのは映画『海の上のピアニスト』
でした。
豪華客船のなかで産まれ育った主人公が、
船がニューヨークに着いて下りようとしたとき、
タラップの途中で
ニューヨークの街をはるかに見遣り、
くるりと踵を返し船に戻る。
印象的な好きなシーンですが、
「浩蕩」という語がぴったりする気がします。

 

・雪ふかき浩蕩に入る野老かな  野衾

 

なんとなくのすごさ

 

土曜日だったか、
日曜日だったか、
テレビをつけたら芦田愛菜さんがでていて、
なんだろう
と思いながら見ていると、
こんどは糸井重里さんがでてき、
ほぼ日刊イトイ新聞の事務所でしょうか、
おちついた雰囲気の部屋で対談が始まりました。
途中までしか見ませんでしたが、
芦田さんはかわいく、
糸井さんはおもしろく、
そんで、
そういえば、
このごろほぼ日を見ていなかったなぁ
とふと気づき、
ひさしぶりにほぼ日のページを開いてみました。
あいかわらず、
おもしろそう!
すごいなぁ!
なんとなく、見て、読んでみたくなるんですね。
この「なんとなく」に
どれだけの工夫があるのか、
糸井さんとそのスタッフはそれをずっとつづけてこられ、
それがいまも感じられる
ということは、
なんともすごい!
さいきんのこととして、
笑福亭鶴瓶さんとの対談がのっていました。
第一回のタイトルが、
「生きてんのって、おもしろい。」
とっぱじめのところを引用すると、
鶴瓶「最近、ほんま思うねんけど。」
糸井「うん?」
鶴瓶「おおざっぱにいうと、あれや。
生きてんのって、おもろいな。」
糸井「おもしろいねぇ。」
ここのところを読みながら、
正直、
うらやましいなぁと心底思いました。
すごいなぁと。
このふたりなら、
ほんとうにそう感じておられるだろうと思われ、
真似したくもなるけど、
とてもじゃないけど無理だなぁと。
参考にしつつ、
じぶんで考えじぶんなりをすることしかできないか、
それでよしとするか、
とも。
いずれにしても、
ときどき見ようっと、ほぼ日。

 

・朝まだき米とぐ冬のしじまかな  野衾

 

モーツァルト

 

モーツァルトの明るい曲を聴いていると、
ふるさとの春を思い出します。
雪がとけ始めても
道路はしばらく濡れていますが、
それがだんだん乾いてきて、
土が白っぽくなってくる。
いまはほとんどアスファルトの道になってしまったけれど、
小路はむかしのまま。
そうなると
居ても立ってもいられない。
自転車。
自転車でどこまで行こう。
弟をさそって、
五城目、一日市、八郎潟、……
自転車に乗らなくなってからこっち、
春の景色が
おとなしくなったような。
春風には少しとどかない東風をあびながら
自転車をこぐと、
なみだまででてきたっけ。
あれはさむさの棘だったんだろう。
…………
休日のモーツァルトもいい。

 

・雪ふりやまず利休鼠の海に野に  野衾

 

魚上氷

 

七十二候は第三候。
魚上氷と書いて、うおこおりをいずる。
今週までは寒く、
きょうも寒そうですが、
来週はぜんたいてきに気温が上がり、
気象予報士の話によると、
ことしは春のおとずれが早く、
したがって、
さくらの開花も早まりそう
とのこと。
いちねんでいちばんワクワクする季節です。

 

・海に野に利休鼠の雪が降る  野衾

 

詩として読む

 

秋田魁新報のコラム「遠い風 近い風」
に詩人の佐々木桂さんが、
正法眼蔵をこれまで
なかなか読みすすめられなかったけれど、
伯母さんの死をきっかけに、
あるひとのサジェスチョンから
詩として読むことを教わり、
読みのスピードが格段に上がった
というようなことを先月26日掲載分に書いていました。
その文章が目にとまり、
正法眼蔵はもとより、
学術書を読む場合も、
意味を追いかけるだけでなく、
意味で割り切れない文の味、
行間にひそむテーマの出自をたのしむ
ということがあると思われ、
このごろ学術書を編集しながら、
そのことを意識するようになりました。

 

・故山とほく利休鼠の雪が降る  野衾

 

大統領に

 

あなたの目下(もっか)の言動は
アメリカにとってすべて宙ぶらりんの蜃気楼(しんきろう)です、
あなたは「自然」について学んでいない――「自然」が行なう政治について、
そのおおらかな度量、公正、不偏を学んでいない、
そういうものだけが合州国にはふさわしく、
そういうものに届かぬものは遅かれ早かれ
合州国から霧のように消える定(さだ)めであることを、
あなたは理解していない。

これは、
ウォルト・ホイットマンの「大統領に」
という詩で、
酒本雅之訳『草の葉』(岩波文庫中巻233ページ)
に収録されているもの。
ホイットマンは19世紀の人。
なので、
「大統領に」といってもトランプさんのことではない。
しかしトランプさんも大統領。
いまとかさねて読むのは読者の自由。
なお、上の引用、改行は岩波文庫とちがいます。

 

・寄りくるや去りゆく冬の救急車  野衾

 

木目

 

ちいさいころの思い出のひとつ。
空に浮かんだ雲が、
ライオンに見えたり犬に見えたり
熊に見えたり、
馬に見えたり、
にわとりにはあまり見えなくて、
でも、
たまに竜に見えたりで、
下校途中のポーンとしたじかんをつぶしました。
雲はだいたい
どうぶつに見えますね。
いまも
雲のどうぶつが
ゆっくり上空を過ぎていきます。
ところで木目。
こちらはどうぶつでなく、
滝だったり秋の雲だったり石を割ったときの模様だったり。
下の写真は、
フローリングの木目ですが、
秋田のいぶりがっこを切ってならべた
じょうたいに見えまして。
きゅうじつの
わたしのじょうたい。

 

・なに見てもさびしさびしや村の冬  野衾