ほめること

 

こういう歌(巻向の 檜原もいまだ 雲居ねば 小松が末ゆ 淡雪流る)や、
同じ人麻呂集歌
あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ちわたる
のような歌に接すると、
この世において、
物をほめることのむつかしさを痛感せざるをえない。
すぐれた存在を讃美することは身命を縮めるような厳粛な行為であることを
思わないわけにはゆかない。
比べて、
対象を貶めて言うことなど、
何と軽々しく安易な営みであることか。
批評とはほめることであり、
ほめることが人間の創造につながるのである。
ほめるに値しないものについては、
黙して言わぬが、最良の道というべきか。
(伊藤博『萬葉集釋注 五』集英社文庫、2005年、pp.625-6)

 

伊藤博さんのこころざし、心意気が感じられる文章だと思います。
伊藤さんの恩師である澤瀉久孝先生は、
歌の成立、意味は記しても、
解釈はつつしんだということが、
『萬葉集釋注』の前の巻にありましたから、
澤瀉先生のこころでもあったのでしょう。

 

・いにしへの伊良湖日和や月に海  野衾

 

読むとき買うとき

 

旧約聖書の「伝道の書」(いまはコヘレトの言葉)は好きな文章で、
そこに
「~するに時があり」
とあります。
天(あめ)が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
生(うま)るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
と、
いろいろいろいろの
時があることを告げ知らされます。
しかして、
神のなされることは皆その時にかなって美しい…。
モンテーニュが「伝道の書」を愛読していたことを、
日本にモンテーニュを紹介し、
亡くなるまで自己の翻訳に手を入れていたという関根秀雄さんの本によって知りました。
ところで、
本を読むのと、本を買うのも、時がありそうで。
新刊はもとより、
古書でもいまはワンクリックで本を買える時代、
ポチっとやれば
お買い上げありがとうございました、
で、
翌月明細がとどいてアリャリャリャリャ。
たしか以前この日記に、
一生かかって読める分だけの本は買ってしまったから、
あとは蛙に、
もとい、
買わずに読むだけ、
みたいなことを書いた気がしますが、
ああそれなのにそれなのに、
あれからまたずいぶん買い込んでしまった。
なんと言ったらいいんでしょう、
まあ、
ひとつの業とでもいうんでしょうか。
さてあたらしい月になりました。
今月はもうぜったいに買わないぞ!
なんて。
なんだか、
やっぱりダメそうな気がします。

 

・いにしへの伊良湖おもほゆ秋の風  野衾

 

第二詩集『鰰 hadahada』完成!

 

冬、秋田近海(だけではありませんが)で獲れるさかなに鰰があります。
鰰は、ハタハタと読みますが、
秋田ではハダハダと濁る。
また、
標準語ではフラットに発音しますが、
バナナが秋田ではバナ、
真ん中の「ナ」にアクセントがあるのと同じように、
ハダハダも二文字目の「ダ」
にアクセントがありハハダ。
装丁は間村俊一さん。
カバー装画は、
片山健さんの『cut 1985-1998』(ビリケン出版)より。
好きな片山健さんからご快諾をいただき、
間村さんがかっこよく仕上げてくれました。

 

・金色(こんじき)の波寄す秋の薄暮かな  野衾

 

哲学者のかお

 

哲学の本はいたって難しく、
小説を読むように
スラスラとはいかないわけですが、
目の前のコップはほんとうに存在しているのだろうか、
なんて考えるから
あんなかおになるのか、
あんなかおだから
難しいことを考えるようになるのか、
そこのところが気になります。
はい。
わたしはハイデッガーのことを念頭に置いています。
四角くて、頑丈そうで、こわそう。
ハイデッガーの写真を見るたびに思い出す俳句があります。
それは、

 

こほろぎのこの一徹の貌を見よ

 

作者は山口青邨。
こおろぎも、ハイデッガーも、
思い込んだらひとすじの感じがします。
フッサールも一徹の感じ。

 

・半島を船一列や秋茜  野衾

 

イシバシ語録

 

弊社創業メンバーのひとりイシバシは、
なかなかの笑いの才の持ち主で、
これまで幾度となく腹をかかえて笑わせてもらった。
たとえば、
『原子と原子が出会うとき』(他社の本で、いまも販売されています)
の書名を
「はらことはらこがであうとき」
と読んだり、
エスノメソ、エスノメソというから、
なんのことかと思ったら、
弊社から出ている『エスノメソドロジーの可能性』
の彼女なりの略称だったり、
「こんどの『春風倶楽部』のテーマは「ぜんしゅう」にする」
とわたしが言えば、
ちがう宗派からクレームが来ないかとこたえたり、
宗教学の先生に会って、
明恵の研究をしていると言われ、
「先生は明恵にお会いになったことがあるのですか」と質問し、
先生に
「明恵は鎌倉時代のひとですから会ったことはありません」
と答えられたり、
わたしとふたりで出かけた際に、
パスタ屋で食事をして店を出てから、
わたしが
「となりのひと、かれいしゅうがしていたね」と言えば、
「え!? あの店にカレーはなかったでしょ」
と真顔でこたえたり、
事程左様にこの種のエピソードに事欠かないで来ていたのに、
ここのところ、
知恵がついてきたのか、
アッと思うようなことを言わなくなった。
と思いきや、
先日、
久しぶりに腹をかかえて大笑いし、
イシバシの才能が失われていなかったことを一人慶賀した次第です。
前置きがながくなりました。
本題に移ります。
夕方五時くらいでしょうか、
書類を書いていたイシバシが不意に顔を上げ、
ウズ、ウズ、ウズとなにやら言いよどんでいます。
なんだよ、
と思って顔を上げると、
「ウズパキスタンて、どの辺だったかしら?」
「ウズパキスタン?」
わたしが訊き返すと、イシバシ、ハッとしたらしく押し黙っています。
「いまなんて言ったの?」
「ウズパキスタン…」
「ごっちゃになってるじゃないの」
「え!?」
「ウ・ズ・ベ・キ・ス・タ・ンだよ」
「ああ、ウズベキスタンね」
「そうだよ。ウズベキスタンだよ。しっかりしてくれよ」
「はい」
「まあ、久しぶりに笑わしてもらったから、いいけど」

 

・おとなしや秋もなぎさも伊良湖崎  野衾

 

和田誠さんのこと

 

秋田魁新報の文化部から依頼があり、
今月七日に亡くなった和田誠さんについて書きました。
二十二日の掲載。
創業間もないころ、
弊社の本を和田さんが装丁してくださったことで、
春風社の名が広く知られるようになり、
ぐんとやる気を増したことを感謝し、
なつかしく思い出しながら。
コチラです。

 

・半島の秋深まりぬ雲の銀  野衾

 

びっくりぜんざい

 

保土ヶ谷橋交差点のちかくに「こけし」という名の菓子舗があり、
せんべい、おかき、あんみつなどを売っています。
帰宅途中、
このごろときどき寄るようになりました。
高齢の女性がいつも店番をしていて、
行くと、
いろいろ話を聞かせてくれます。
いわく、
店の歴史は63年、
もとは菓子舗でなくぜんざいを売っていた、
すぐちかくのいま工事をしている場所で
朝から大鍋で小豆を煮、
父は浜っ子、母は江戸っ子で、母はそれはきっぷが良かった、
その母はまた母に輪をかけて、
わたしなどとても足もとに及びません、
ぜんざいは、
ふつうの大きさでなく
びっくりぜんざいという名の特大のもの、
どんぶりで出していた、
繁盛していました、
当時市電が通っていて保土ヶ谷は終点、
美人コンテストがあったり、
たのしかった、
ほんとうに様変わりしました、
「こけし」は初代がお客様に可愛がってもらえるように
という願いを込めて付けたもの、
元気でがんばらないとと思っています…

 

・秋澄むや銀の雲ゆく伊良湖崎  野衾