くもりガラス

 

ちょっとまえ、と言っても、だいぶ経ちますが、
大川栄策さんが歌う「さざんかの宿」がヒットしました。
大川栄策さんは、好きな歌手の一人ですが、
「さざんかの宿」をカラオケで歌ったことはありません。
わたしの義理の叔父が、よく酒の席で朗々と歌い上げていました。
応援歌を歌うような、その朗々たる歌い方が、
歌詞から受けるイメージとちがっていて、笑った。
「さざんかの宿」の歌いだしは、
「くもりガラスを手で拭いて」であります。
手で拭いて、ですから、内と外の気温差によって曇ったガラスのことを言っている
のでしょう。
歌いだしのその歌詞を、ふと思い出しました。
というのは、
人と接していて、
相手のことばを耳にするとき、
ことばは、内にあるものを垣間見せてくれる窓のようなものかな、
と思ったからです。
人と人とのつながりは、
内と外の気温差によって曇らされたガラスのようなもの?
そんな気もします。

 

一般に、人間と人間との関係のなかには、
わたしたちが通常みとめているよりも、はるかに多くの神秘がひそんでいる
のではないだろうか?
何年もまえから毎日いっしょにくらしている相手であっても、
ほんとうにその人を自分が知っているとは、
わたしたちのだれも主張するわけにはいかない。
わたしたちはどんなに親密な人たちにも、
自分の内的体験をつくりあげているものの断片しか伝えることができない
のである。
全体を示すというようなことはできないことだし、
できたとしても、
相手がそれをとらえることはできないだろう。
わたしたちは、
互いに相手の顔形をはっきり見わけることのできない薄暗がりのなかを、
いっしょに歩いているのだ。
ただ、ときおり、
わたしたちが道づれとなにかを経験したり、
互いにことばをかわしたりすることによって、
一瞬のあいだ、
稲妻に照らし出されたように、わたしたちのそばにその道づれのいることがわかる。
そうしてそのときわたしたちは、
相手の様子を見てとる。
が、
それからまた、
おそらく長いあいだ、暗がりのなかを、ならびあって歩いて行く。
そして相手の顔形を思いうかべようとしても、
それができない。(生い立ちの記)
(アルベルト・シュヴァイツァー[著]浅井真男[編]『シュヴァイツァーのことば』
白水社、1965年、pp.307-308)

 

・映画館出でてこの世の新樹光  野衾

 

たとえについて

 

たとえのことを比喩といったり、譬喩といったりします。
読みはどちらも、ひゆ。
『新約聖書』を読むと、
イエスが、たとえをもって話をする場面がたびたび出てきます。
弟子たちが、
このたとえはどういう意味でしょうか、
とイエスに質問すると、
イエスは、
「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、
ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、たとえで話すのである」
なんてことをおっしゃる。
こういう箇所を読むと、
ちょっと意地悪な印象を持つわけだけど、
なるほどと納得したり、おもしろくも感じます。
奥義を悟られないためにイエスがたとえをもって語っても、
奥に隠された意味を
イエスは説き明かしてくれますから、
なるほどそうか、そういう意味か、
と腑に落ちる。
しかし、
そこで、ふと思う。
世にいろいろなたとえがあるじゃないか。
そうすると、
たとえには、『聖書』を離れ『聖書』とは関係なく、
隠された意味があるかもしれない、
あるのではないか、
だとしたら、
どんな意味が隠されているのだろう。
それを考えるのは、
たのしいことなのではないか。
漢字の譬喩(ひゆ)の「譬」も「喩」も一字で「たとえ」と読むけれど、
「喩」には、
「さとす」「さとる」の意味があり、
さらに
「こころよい」「たのしむ」「やわらぐ」「やわらぎよろこぶ」
という意味もある。
だとすると、
たとえ、もっと広くいうと、ものがたり
というのは、
味わい楽しみ
(それで十分なわけだけど)
欲ばって、
たとえに隠された意味をさぐり、さとる、
そういうこころや楽しみ方も譬喩にはありそうだ。

 

・夏の空神話と譬喩を産む日かな  野衾

 

「好き」の風

 

くり返し読む本がいくつかありますが、『聖書』はその筆頭でありまして、
休日出勤し、ひとり静かに考える折など、
『聖書』を読んでいなければ、出版社を起こすことも、
『新井奥邃著作集』を出版することもなかったかもしれない、
いや、なかっただろう、
『聖書』は、
そんなことを瞑想させる不思議な書物であります。
またくり返し読んでいると、
日常の、
見るもの、聴くもの、触れるもの、ふとした出来事に遭遇した際、
『聖書』のなかのあることばが、
『聖書』のなかの文脈から離れて思い出される
ことが間々あります。
そういう読み方は、まちがっているかも知れませんが、
断章取義ということもあるぐらいですし、
連想は、
たのしくもありますから、
目の前のことを考えるきっかけ、よすがにしています。
せんだっての、
『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』
に登場した「踏切大好き博士ちゃん」
が番組内で発した
「なんだか楽しい」を聞いたときがそうでした。
「ヨハネによる福音書」に、
「風は思いのままに吹く。
あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。」
ということばが出てきます。
これは、
ニコデモという人にイエスが語ったとされることばの途中。
このことばの前があり、
後につづくことばもあり、
イエスの語った文脈からは離れてしまいますが、
文中の「風」が博士ちゃんの「なんだか楽しい」に重なり、響きあう
ような気がしました。
なにかを、だれかを好きになり、
「なんだか楽し」くなり「なんだか好き」になる
のは、
ひょっとしたら、
楽しいと感じ、好きだと思う「わたし」の内からのものでないかもしれない。
「好き」の風が外から吹いてきて、
その音を聞く。
「好き」のこころが植えられる。
だけど、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。
博士ちゃんは
「ちゃん」が付いているぐらいですから、
少年少女ですけど、
年齢に関係なく、
「好き」の風は吹くとも思えます。

 

・幾百年田植ゑ日和の農夫かな  野衾

 

「好き」の中身

 

『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』というテレビ番組があり、
よく見ます。
小学生や中学生、高校生が登場し、
じぶんの好きな世界を掘り下げたり、かんけいする物を集めたり、
研究したりする番組で、見ていておもしろく、
だけでなく、
いろいろ教えられることの多い番組です。
前回は、幼い頃から踏切が好きな「博士ちゃん」が登場しました。
電車や汽車でなく「踏切」というのがユニーク。
番組では、
山口から東京に出て来、
「博士ちゃん」が興味のある踏切を訪ねるところを放映していました。
踏切がカンカンカンカンと鳴って電車が来ることが分かると、
博士ちゃん、何度か「なんだか楽しい」
と言った。
「なんだか楽しい」か。
味わいの深いことばだなぁ、と思いました。
「なんだか」が気になり、「楽しい」の中身を知りたくなります。
この番組に登場する子どもたちは、
それぞれ自分の好きな世界を持っているわけだけど、
「好き」っていうのは、
わが身をふり返り、
改めて考えてみますと、
説明できない、
そもそも説明できないことなんだろうな、と思って、
ますますおもしろくなる。
踏切が好き、昭和家電が好き、神社仏閣が好き、恐竜が好き、照明器具が好き、
昭和歌謡が好き、美空ひばりさんが好き、
いろいろいろいろの、その「好き」がいいなぁ。
たとえばひとつの例ですが、
なぜか花子さんが好きになった
として、
だれかから花子さんのどこが好きなの?
って訊かれ、
なにか答えなくちゃいけない気がし「やさしいところ」
だとか、
「顔がタイプでどハマり」
だとか、
「趣味がいっしょで話が合う」
だとか、
まぁ、そんなことはよく耳にします。
けど、それはそれとして、「好き」の中身はおそらく他のところにあって、
というか、別次元のところにあって、
ちがうんだろうなぁ、
なんてことを、
この番組を見るたびに思います。

 

・田植ゑまへ老父の声の弾みをり  野衾

 

境遇と人物

 

津田左右吉さんに言わせると、英雄は民衆のこころの反映だ、ということのようで、
きのう、ここに引用したとおりですが、
それにひきつづいて、目をみはることが書かれてあり、
ふかく共感します。

 

平安朝の貴族は光源氏を空想の上に作り出し、
或は業平を伝説化してそれを理想的人物としたのであるが、
其の心理は
「自分もまたあのやうになりたい」
といふのである。
更級日記の著者は現に浮舟になつて見たいといつた。
但し其の羨望するところは、
人物よりはむしろ境遇である(平安朝の人物は、境遇によつて作られる人物であり、
其の境遇は、同じ貴族社会のものには手にとり易く思はれるものである)。
しかし
此の時代の重盛も義経も正成も、
さては曾我兄弟も、
其の尊ばれたのは境遇で無くして人物である。
凡人の及び難い崇高な行為である。
及び難いとするところに渇仰讃嘆の情があつて、
一道の霊光がその間から現はれ、
英雄崇拝がそこから起る。
さうして実在の人物について時代の要求する特殊の性情と行為とを見出だし、
それを高調して其の人物を英雄化するのが、
詩人の空想であり文学者の筆である。
だから此の点に於いて
これらの戦記ものは大切な国民詩であり国民文学である。
(津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究(三)』岩波文庫、
1977年、pp.65-66)

 

・木々の名の一つ一つを五月かな  野衾

 

文藝史・文学史

 

以前、小西甚一さんの『日本文藝史』、ドナルド・キーンさんの『日本文学史』
を読み、文藝史・文学史のおもしろさを教えてもらった気がし、
少し古いものではありますが、
津田左右吉さんの『文学に現はれたる我が国民思想の研究』
をただいま岩波文庫で読んでいます。
もとは、
大正時代に東京洛陽堂から刊行されたもの。
文章の歯切れがよく、
すこし断定が過ぎるのではないかと思われる節も感じつつ、
とは言い条、
名調子に誘われ、のせられる具合で、
たのしく読みすすんでいる最中。
きのう読んだところに、こんなことが書かれてありました。

 

戦記ものによつて国民的英雄が形づくられ、
暗黙の間に英雄崇拝の思想が生じたのも之と関係がある。
英雄は畢竟民衆的精神の反映である。
重盛の嘆美せられたのも、義経の同情せられたのも、
或は智謀に長け情の深い武士の典型として楠木正成の崇敬せられたのも、
彼等に民衆の心を継ぐ何物かがあつたからである。
平家物語も太平記も此の民衆の思想によつて
実在の重盛・義経・正成から英雄的重盛・義経・正成を作り出した。
曾我物語が二人の兄弟を英雄化したのも、一般の武士が彼等の復讐を道徳的に嘆称した
からである。
彼等は実社会に於いて概ね弱者であり失敗者であるから、
権力万能の思想から見れば殆ど顧みるに足らない
ものである。
さういふ弱者の尊ばれるのは、
重盛や義経の悲哀の運命に対する同情もあり、
曾我兄弟や正成の悲壮なる行為に対する讃美の情もあらうが、
何れにもせよ民衆が彼らに於いて、
或は上品な、或は美しい、若しくは偉大なる人間を看出だしたからである。
特に時間といふ幾重の霞を隔てた過去の世界から
美しい光を後の世に放つ英雄の姿を認める
ので無く、
同じ時代の人物にそれを発見するには、
片鱗を雲際に見て黄竜の天に昇るを想ふやうに、
地上の民衆が遠いところからそれを眺めるを要する。
英雄が民衆の胸に生まれるのは
かういふ理由もある。
(津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究(三)』岩波文庫、
1977年、pp.64-65)

 

・五月の空は薄き色とりどりに  野衾

 

カニの恩返し

 

『和漢三才図会』は、江戸時代の百科事典のようなもので、
著者は寺島良安さん。秋田出身と書かれたものもありますけど、
そこのところはよく分かっていないようです。
ともかく。
平凡社の「東洋文庫」に入っており、全部で十八巻。
ちょびちょび読んでいまして、
健康ならば、
再来年ぐらいには読み終えられるかな?
百科事典様のものですから、
小説みたいに目頭を熱くするようなことはありませんけれど、
くすっと笑ってしまうことは間々あります。
それと、
『今昔物語』風な話もあり、へ~、
そんなことが書かれている本があるの、と、おもしろく感じます。
きょうは、そんななかから、
このごろ読んだ「カニの恩返し」
とでもいえるようなものを紹介します。

 

蟹満かにま(かにまん)寺 相良郡綺田かばた村(相良郡山城町綺田浜)
にある。
本尊 釈迦如来〔長たけ八尺八寸〕
言い伝えによれば、
昔、綺田に一人の女がおり、一家挙こぞって仏を信じていた。
ある時女が家を出ると、
多くの里人が池の蟹かにを捕るのを見かけた。
女が何のために捕るのか、と問うと、煮て食うためだ、と答える。
女は、私の家に美味うまい脯魚ひものがある、
出来ればこれと換えてくれないだろうか、
と言った。
里人は喜んで交換した。
そこで女は蟹を大池に放した。
また父の翁が野に出ると、蛇が蟇がまを吞むのを見た。
そこで、放してやれ、そうすれば一女をお前にやろう、と言った。
蛇は蟇を吐いて去った。
その夜若い男が来て門を敲たたき、今日の約束によって来た、と言った。
翁は驚き怖れて、未だ娘に告げていないので三日待ってくれ、
と言った。
蛇は去って行った。
女は事情を聞くと、怖れることはない、と言って一室に籠こもり、
仏前に向かって読経した。
約束の時になり大蛇が来て、尾で戸を撃ち破って入った。
父母は哭泣こくきゅう顚倒てんとうするのみであった。
里人が集まってきて戸を開けて見ると、
女は安らかで居た。
数万の蟹がいて蛇の万身を螯はさみ、そのため蛇は斃たおれた。
人皆奇異のこととして、のちに寺に建て蟹満寺と号した
〔近頃修覆した時、本尊の床下に蟹の殻と蛇の鱗があった〕。(『元亨釈書』による)
△思うに、『元亨釈書』
げんこうしゃくしょに久世くせ郡とし、
また本尊を観音とするのは非である。
恐らく虎関師こかんし(錬)の聞き誤りであろう。
(寺島良安[著]島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳[訳注]
『和漢三才図会 12』平凡社東洋文庫498、1989年、pp.43-44)

 

『元亨釈書』(げんこうしゃくしょ)は、
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての臨済宗の僧・虎関師錬《こかんしれん》さん
編著による日本最初の編年的高僧伝
だそうで、
良安さんは、それに基づいて書いたようです。
『元亨釈書』なるものを、
わたしは読んだことがないし、
これからも読むことはないでしょうから、
そういう本の存在を知るのにも『和漢三才図会』は役に立ちます。

 

・暑く忙し、されど佳き日の終り  野衾