「好き」の風

 

くり返し読む本がいくつかありますが、『聖書』はその筆頭でありまして、
休日出勤し、ひとり静かに考える折など、
『聖書』を読んでいなければ、出版社を起こすことも、
『新井奥邃著作集』を出版することもなかったかもしれない、
いや、なかっただろう、
『聖書』は、
そんなことを瞑想させる不思議な書物であります。
またくり返し読んでいると、
日常の、
見るもの、聴くもの、触れるもの、ふとした出来事に遭遇した際、
『聖書』のなかのあることばが、
『聖書』のなかの文脈から離れて思い出される
ことが間々あります。
そういう読み方は、まちがっているかも知れませんが、
断章取義ということもあるぐらいですし、
連想は、
たのしくもありますから、
目の前のことを考えるきっかけ、よすがにしています。
せんだっての、
『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』
に登場した「踏切大好き博士ちゃん」
が番組内で発した
「なんだか楽しい」を聞いたときがそうでした。
「ヨハネによる福音書」に、
「風は思いのままに吹く。
あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。」
ということばが出てきます。
これは、
ニコデモという人にイエスが語ったとされることばの途中。
このことばの前があり、
後につづくことばもあり、
イエスの語った文脈からは離れてしまいますが、
文中の「風」が博士ちゃんの「なんだか楽しい」に重なり、響きあう
ような気がしました。
なにかを、だれかを好きになり、
「なんだか楽し」くなり「なんだか好き」になる
のは、
ひょっとしたら、
楽しいと感じ、好きだと思う「わたし」の内からのものでないかもしれない。
「好き」の風が外から吹いてきて、
その音を聞く。
「好き」のこころが植えられる。
だけど、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。
博士ちゃんは
「ちゃん」が付いているぐらいですから、
少年少女ですけど、
年齢に関係なく、
「好き」の風は吹くとも思えます。

 

・幾百年田植ゑ日和の農夫かな  野衾