大リーガー大谷翔平の姿を見ない日はありませんが、以前、なんどか
グラウンドを歩きながら、落ちているゴミを拾い、
ユニフォームの後ろポケットに押し込む場面をテレビで見たことがあります。
その姿を見て、感じるところがありました。
新井奥邃(あらい おうすい)のことです。
奥邃は清潔ということをだいじにしたひとでもありました。清潔は天国への第一歩、
ということばも残しています。
奥邃に直接会ったことはないにもかかわらず、
終生の師としたひとに哲学者であり教育者である森信三がいます。
その森信三を、
元WBCの監督栗山英樹は、自著のなかで不世出の思想家
(いま、手もとに本がないので正確でないかもしれません)
と呼んでいます。
栗山さんが、森信三をつうじて奥邃を知っているかどうかは分かりませんけれど、
知っているいないにかかわらず、
奥邃の清潔の精神は、森信三の精神と響き合い、栗山英樹と響き合い、
ひいては、大谷翔平と響き合っているとおもうのです。
そういうことは、
本人の知らないところでの出来事かもしれない。
見える世界ではなく、裏面史ともちがう。
響き合いはだれにも分からない。場合によっては本人ですら。
金子みすゞの、見えぬけれどもあるんだよ、
ハイデッガーの顕現的秘匿、
哲学者鈴木亨の、響き合うことによる存在を規定する「響存的世界」、
さらに林竹二の「天国への道普請」と関連づけて考えることもできる
かとおもいます。
・尿酸値高めなれども春うらら 野衾

