神を観ること

 

けれども、私たちはその贈り物を望まなければなりません。注意深く、
心の目を醒ましていなければなりません。
ある人々には、時が満ちる体験は劇的にやって来ます。
聖パウロにとっては、
ダマスコへの途上で地面に倒れた時がそうでした(使徒言行録9・3―4)。
けれども、
私たちの内のある人々には、
ささやきの声や背中にそっと触れる優しいそよ風のようにやって来ます(列王記上19・12)
神は私たちすべてを愛しておられます。
そして、
それぞれに最も相応しい仕方で、
私たちみんながそれを身をもって知るようにと望んでおられます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.417)

 

パウロのコンバージョン(回心)として有名なエピソードを取り上げながら、
ナウエンは、
それがだれにでも起こり得るのだ、劇的な形でなくても、
と語っており、
わたしはすぐに、
小野寺功先生の「かたくりの花」のエピソード、
子供のころ、雪を割って咲いていたかたくりの花を見たときの言い知れぬ感動、
を思い出しました。
伝記を読むと、
マザー・テレサや田中正造のコンバージョンは、
パウロに近いところがあるようにも思いますけれども、
圧倒的多数の者にとって、
自然の神秘に触れる瞬間というのは、
ほんのちょっとした、
ややもすれば、
瞬きしているうちに見逃してしまうようなこと、時、かもしれません。
『論語』に、
『詩経』を論じた孔子の「思無邪」(思い、よこしま無し)
のことばが出てきますが、
これも、
生きることの神秘、
それに触れる感動を告げているようです。
ドイツの思想家ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)の「神を観ることについて」
のことばも響いてきます。

 

・木の葉一枚水平にふり来る  野衾

 

東海林太郎と三橋美智也

 

東海林太郎(しょうじ たろう)といえば、秋田の先達であり、
わたしの母校の大先輩でもありますが、
若いときは、東海林太郎の魅力がよく解りませんでした。
それに対して、三橋美智也は、
父や叔父がよく歌っていましたから、
自然と耳に入り、いつしかわたしも歌うようになり、
三橋のCDは、いまもたまに聴くことがあります。
さて、
秋田魁新報に刑部芳則(おさかべ よしのり)さんが、
東海林太郎没後50年を期し、
「知られざる東海林太郎」のタイトルでコラムを書いており、楽しく読んでいますが、
その六回目にあたる文章(12月17日掲載)は、
東海林太郎と三橋美智也のつながりに関するものでした。
それによると、
三橋は、
現在テレビ東京になっている局の番組の中で、
「僕はもともと東海林太郎先生を崇拝してましてね。
東海林太郎先生の唱法に民謡を入れたんです」
と語っていたそう。
また朝日放送テレビでは、
「歌い方にしても、自分の民謡調に対して、基本的には東海林太郎先生の歌い方、
発声というものを勉強しましたね。
だから『おんな船頭唄』は似ているんじゃないかと思いますね。
直立不動で、きちっと歌うのが好きですね」
と。
コラムの著者である刑部さんをテレビで何度か見たことがありますが、
蝶ネクタイ姿をしており、
珍しいと思って見ていましたら、
刑部さんは、東海林太郎が大好きで、
憧れ、
東海林太郎の姿をまねて蝶ネクタイをしているのだと話していました。
なるほど。
ところで子供のころピンと来ませんでしたが、
だんだん齢を重ねてくるにつれ、
テレビで東海林太郎の姿を見、歌を聴くと、
歌う姿もそうですが、
ああいいなあと思います。
感動します。
「麦と兵隊」の二番の歌詞にある
「友を背にして道なき道を行けば戦野は夜の雨
「すまぬ すまぬ」を背中に聞けば「馬鹿を云うな」とまた進む」
を聴いていると、
ツーと涙が零れてくることも。
三橋美智也が東海林太郎をよぶときに「先生」を付けるのを、
母校の後輩として誇らしく思います。

 

・鍼灸院「おだいじに」の字なほ寒し  野衾

 

居直りの一言

 

宣長は「死ほど悲しいことはない」と言う。一言だが、
千万言を費やした哲学書とか人生論、宗教書とかを越えたたった一言が、
死と言うものを言い当てているだろう。
死を取り上げた哲学者はずいぶんいる。ハイデガーも死を考えた哲学者である。
人間の共通する条件は何かというと誰でも、死を免れないことだ。
そこで、
人間の観察はどこに立脚点があるかというと死にあるといって
ハイデガーは死の哲学を展開する。
そういう千万言のことばは死の理解を求めてはくるが、
一方宣長の一言によって全部が空しく思えてくる。
すべてを超えるものが「死ほど悲しいことはない」という一言である。
死を語ったことばは無数にあるが、
一番実感があるのは、
この、いわば居直りの一言ではないか。
そうした居直りのひとつが「もののあわれ」であろう。
「もののあわれ」はそれほど重大な、
『源氏物語』が核とする和歌的なるものの指摘なのである。
(中西進『日本の文化構造』岩波書店、2010年、pp.150-1)

 

たしかになあ。「死ほど悲しいことはない」には、
『存在と時間』を吹き飛ばすほどの破壊力がある、と言えないことはない、
まことに。
でも、
わたしは一方で、
寅さん風に「それを言っちゃあおしめいよ」と思い、
口に出して言いたくなる。
「死ほど悲しいことはない」と公言し、それを味わい、そこに居座る、
あるいは居直ることで満足したくない。
いや、満足できない。
泣き止まぬ赤子の足掻きに似ているかもしれない。
足掻きとは思うけれど、
宣長はもとより、
家持、式部、芭蕉、孔子、老子、荘子、杜甫、李白、
プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、ヘルダーリン、ベルクソン、ハイデガー等々、
東西の先人たちの思索と詩作、知恵に耳を傾け、
足掻いたり、逆立ちしたり、
外へ飛び出して雨に打たれたりしてでも、
這いつくばって、
生きる意味を、きょうここに開きたい。

 

・富士の峰ホーム無言の師走かな  野衾

 

ハイデガーにとっての芸術

 

こうした思考がどれほど芸術との近隣関係にあるのかを、
ハイデガーは、
一九三五年に初めて行った講義「芸術作品の起源」において説明している。
彼はそこで履き潰された自分の靴を描いたヴァン・ゴッホの絵
(ハイデガーはそれを農夫の靴と間違って考えている)
を例にとって、
芸術が事物の「どうでもよい平凡なものという性格」を失わせて姿を現わさせる
さまを記述している。
芸術は描写するのではなく、目に見えるようにする。
芸術が作品の中に取り上げるものは、
世界の全体にとって透き通って見える一つの独特の世界を作り上げ、
しかも世界を作り上げるこの行為はとくにそうしたものとして経験可能なものになる。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、pp.436-7)

 

見慣れていて、ふだんの生活の中でとくに意識に上らないものが、
あるとき、ふと、抜き差しならない切実なものに感じられ、
これまで見慣れ、つかい慣れ、知ってきたものとまったく別物に感じられる瞬間というのがあり、
そうなると、
ことばではとても言うことができなくて、
ただだまってその場に立ち尽くすしかない、
そんな時がたまにあります。
ハイデガーの〈存在の明け開け〉は、
そのような事態を指していると思われ、
芸術はそれをあらわに見せてくれると言えそうです。

 

・在りと在る存在の明け聖夜ふる  野衾

 

ハイデガーの〈退屈〉

 

ハイデガーは聴講生たちを大きな空無の中に突き落として、聴講生たちに実存の奥深くの
ざわめきを聴かそうとする。
もはやすべてのものが問題ではなくなる瞬間、それにしがみつき、
あるいは
それをもとに自分を感じることができる世界の内容が考慮に値しないものになる瞬間
を彼は開こうとする。
それは時間が空疎に過ぎて行く瞬間である。
時間には何の内容もなく、
ただそこに時間が純粋に居合わせる。
退屈とは、
時間が決して過ぎて行こうとしないがゆえに過ぎて行くのに気づく瞬間である。
そこでは人は時間を追いやることはできず、
何とか時間を潰すこともできず、
何らかの意味を加えることもできない。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.287)

 

こういう時間に突き落とされる恐怖はつねに付きまとっていて、
そこからそこを開いていくところに生きることの根本があるとも感じられ、
そうなると、
瞬間瞬間は、いわば悲しき闘争の場の様相を帯びてきます。
だれかにすがりたくなる
(たとえば親、友だち、先生、医者、牧師、僧侶、自分等々)
けれど、
だれにすがることもできないことを思い知らされ、
愕然とし、
時計ばかりを凝視することになります。
時間って何?
子供を救え!

 

・星の下聖夜の意味を知らずをり  野衾

 

哲学をするということ

 

一九二八年、すでに有名になっていたマルティーン・ハイデガーは、
学生時代に何年か滞在したコンスタンツの神学生寄宿学校のかつての舎監に宛てて
こう書いている。
「おそらく哲学は最も強烈かつ持続的に、
人間がいかに青二才であるかを示すものです。
哲学をするとは、結局のところ、
初心者であるということ以外の何ものでもありません」。
ハイデガーが称えている初心ということにはさまざまな意味が含まれている。
彼は初心の巨匠であろうとする。
ギリシャにおける哲学の始まりに、彼は過ぎ去った未来を探り、
現在においては生のただ中で哲学が新たに生まれて来る地点を見つけ出そうとした。
こうしたことが起こるのは、「気分」においてである。
思考でもって始めると称する哲学を彼は批判する。
実際はそうした哲学は
驚き、不安、心配、好奇心、喜びなどといった「気分」でもって始めているのだと、
ハイデガーは言う。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.9)

 

小学生、中学生の頃、理科の授業で人体について説明されると、
へ~、人間の体って、そういうふうに出来ていて、
そんなふうに繋がって動いているんだ、
と、
おもしろがって先生の話を聴いていましたが、
他方で、
当時はうまく言葉にできませんでしたが、違和感を覚えていたように記憶しています。
人間はそういうふうに出来ているかもしれないけれど、
オイ(=わたし。秋田方言)はそうではない。
いまここに居るオイを、そんな理屈で説明しきれるものか。
でも。
でも。
考えてみれば、オイも、人間なんだよなー。
そんなような違和感だったと思います。
きわめて気分の問題であり、
ハイデガー風にいえば、
人生の初心者として、
現存在の不安と戦きに盈たされていたのだと、いま思います。

 

・凩や現存在の足下を  野衾

 

天せいろ

 

午前中来客がありまして、いつもより早めの出社。
打ち合わせの後、窓の外に目をやれば、雨も上がって爽やかな冬の日となっています。
そうだ太宗庵!
ビルを出て、てくてく紅葉坂を下り
「たいそうあん、たいそうあん、なに食べようかな、っと」
揉み手しながら小走りになり、右折し音楽通りへと。
ん!?
いつも数名並んでいるのに、店の前に人が居ない。
これはひょっとして。
店が開くのが11時45分。
オープンと同時に客が店に入り、
それでいま店の前にだれも居なくなっているのではないか。
暖簾を右手でかき上げ中の様子を見ると、
予想的中。
腕時計の針は11時48分を指している。
しばらく外で待つことに。
10分ぐらい待ったでしょうか。
食事を終えた客がひとり出てきたので、入れ替わりに店の中へ。
手指を消毒し、空いている椅子に着席。
「天せいろ。大盛でお願いします」
坂を下りながら、
こころに決めていたのだ。
いまは新そばの時期でもあり、そばの微妙な旨みを味わうには絶好の季節。
わたしはこの店でそばの味を知りました。
そうだ、そうだった。
薄目を開け、そんな記憶を辿っているうちに、
やがて目の前に所望した天せいろ。
さて。
そばからいくか。天ぷらからいくか。
温かいおつゆにしたから、天ぷらからにしよう。
まずは野菜。
レンコンだな。
旨い! 甘い! レンコンの旨みを天ぷらの油が引き出したのか。
と。
そばを少々。
ああ。美味い!
つぎは、かき揚げにしてみるか。
サクッ。サクッ。
ああ、美味い!
ん!?
これは…。むかご、か。むかごだ。ああ、秋が凝縮しているではないかっ!
それから、またそばを。
ズルッ。ズルルッ。
食べ終わって、温かいおつゆをレンゲで空の器に移し、
そばつゆを入れ。
ゴクッ。ふ~。
美味い!
もう一口。さらに一口。しめの一口。
ああ!
ごちそうさまでした。

 

・冬の星いま存在の明け開け  野衾