翔べないエンジェルの飛翔

 

高校二年生になる義理の姪が、住まいする土地のジュニアオーケストラで、
コンミスを務めることになり、
家人はその公演を観に出かけました。
「コンミスを務めることになったんだってー!!」
と、
妹からのメールに歓声を上げた家人が、
「ゆうちゃん、コンミスを務めることになったんだって!」
「…………コンミスって何?」
「オーケストラのコンミスよ」
「いや。オーケストラは知っているけど、コンミスは知らない」
「コンサートマスターがコンマス、コンサートミストレスがコンミス」
「ああ、そういうことね。ゆうちゃんがねえ。それは凄い!」
と、
なんとも間の抜けた発言をしてしまいました。
それはともかく。
ゆうちゃんがまだ二歳の頃だったと思いますが、
白いドレスを身にまとい、
ちょこんと、しょぼんと、状況が分からないような、
不興気な面持ちで写っている写真を見、
わたしは思わず大笑い、
「翔べないエンジェル」と命名しました。
ドレスの背中に、目に見えない白い羽が生えていると見えたからです。
あれから幾星霜、
この世で生きる意味を見つけ、
こつこつ倦まず弛まずに努力をつづけたおかげで、
今回の栄誉を勝ち得た、
ということになるでしょうか。
いまこうして、
ことばをつむぎながら、
ゆうちゃんの過ごしてきた時間を思い、おなじ時間をわたしはわたしで送ってきて、
それぞれ喜怒哀楽の波の上を揺蕩い、
こうしていま年末を迎えると、
そのはやさを思わずにいられません。
健康で、ひとに喜んでもらえることが一番かな。
ゆうちゃん、がんばれ!
よかったね。

弊社は、きょうが仕事納め。明日より1月9日まで冬期休業となります。
1月10日(火)より通常営業。
よろしくお願い申し上げます。
どちらさまも、
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

・冬の暁闇宇宙の音すカチリ  野衾

 

吉井和哉の「みらいのうた」

 

先だって、帰省のことで秋田に居る弟と電話で話していたとき、
話の最後に、
「ところで、兄貴、よしいかずやのみらいのうた、知ってる?」
と訊かれました。
「いや、知らない」
「俺も知らながったけども、クルマ運転しているどぎに、ラジオがら流れできて、
なんとなぐ聴いでいだら、とてもいい歌だった」
「そうが。わがった。聴いてみるよ」
弟が、こういうことをつたえてくるときが、
たまにあります。
よしいかずや、は、調べると吉井和哉、
でした。
ザ・イエロー・モンキーのリードボーカルだった人で、バンド解散後は、
ソロで活動しているようです。
ザ・イエロー・モンキーというバンド、
名前を聞いたことはありますが、
その楽曲を意識して聴いたことはありません。
さて吉井和哉の「みらいのうた」、
YouTubeを検索し、さっそく聴いてみました。
ゆっくり静かなメロディにのせ、
「何もかも嫌になった こんな時何をしよう」と歌がはじまります。
さいごまで静かに聴きました。
二度目、歌詞を味わいながら、聴きました。
三度目、すこし熱くなりながら、聴きました。
2021年ですから、
さいきん発表された歌でした。
わたしの癖で、
このひとがどういう人物か、知りたくなりました。
こういうとき、インターネットは便利です。
本も出ていました。
『失われた愛を求めて―吉井和哉自伝』
2007年に発売されています。
レビューの多さから、
この人の人気の程が分かります。
おおむね高評ですが、なかに、低い評価ながら、ちゃんと本を読んで真面目に書いている、
だけでなく、
この人も吉井和哉のファンであると感じられる、
そういうレビューがありました。
評価の高低に拘らず、
共通して多く登場している単語に
「赤裸々」
があります。
なるほどと思いました。
赤裸々、というのは、ひとつの価値ではありますが、
すべてではありません。
自伝ということになると、
自分と関わった自分以外のひとのことも出てくるでしょうから、
尚更です。
評価の低いレビューの論調は
「赤裸々」の是非に関係しているようです。
まだ読んでいないので(はい。ネットで注文しました)
なんとも言えませんが、
本の発売が2007年、
「みらいのうた」が2021年、
ということは、
この間十年以上の時間が経過しており、
「みらいのうた」の歌詞にある「いろいろいろんなこと」が
吉井さんにあったであろうことは、
容易に想像できます。
いつものように朝、四時に起きてこのブログを書き、出社して仕事をこなし、
家に帰ってきて夕飯を食べ、テレビを見、
それから床に就きます。
朝四時に起きてブログを書き、
またYouTubeを検索し「みらいのうた」を聴きました。

 

・し残しのことを机上に冬ざるる  野衾

 

感恩報謝

 

神を愛することは、人間の無力を以てして、何ものかを神に附加へる事を意味する限り、
不可能ならざるを得ない。
却てこの無力を自覺せしめられ、その罪惡を赦す神の愛を、
全く自らの値せざる恩寵として、謙虚に自己を無にして感受し、
それに對する感恩報謝の行に於て、
神の愛卽無の媒介として自ら奉仕することより外に、神を愛する途はない。
(「附録 キリスト敎とマルクシズムと日本佛敎」、
『田邊元全集 第十巻 キリスト敎の辯證』筑摩書房、1963年、p.292)

 

名前が同じ元(はじめ)さんでも、中村さんの方の『広説佛教語大辞典』をひらくと、
「感恩」も「報謝」も項目として上げられています。
ベトナムでは「ありがとう」というときに、「感恩」という、
と『大辞典』に記されています。
感恩、報謝ということばは、
たしかに佛教のにおいがしますけれど、
上に引用した文言全体は、
新井奥邃の「有神無我」と近く感じられ、
かならずしも牽強付会ではない
ように思います。
あたまを雲の上に出す日本一の富士山に登る登山口がいくつかあるように、
真理、また真実へ至る途はいくつかある、
ということでしょうか。

 

・枯蟷螂三角頭うへは富士  野衾

 

自力と啓示

 

人間は自然と社會との主人となつただけで、自分自身の主人となることは決してできぬ。
前者は人間自力の能くする所であるとしても、
後者は人間自力の可能とする所ではあり得ない。
これは人間的自己の絕對否定を要求するものだからである。
それは決して、
宗敎の啓示以外の何ものに於て成立するのでもない。
カントが啓示に於ける神の受肉を以て、根源惡からの解放の原動力と認めた所以である。
マルクスの自由論はカントの倫理の立場に止まり、
未だ後者の宗敎論の立場に逹するものではない。
それは理性の絕對批判、絕對分裂に於て無を徹底的に實現するものでなく、
なほ目的論的同一性に纏綿せられて有の繫縛を脫しないのである。
これ唯物論の限界に外ならない。
眞の自由解放は我性からの解放なくしてあり得るものではない。
然るに唯物論は之を放置して、
ただ理性の卽時的抽象的解放を說くに止まる。
所詮それは理論的能力としての理性の立場を脫せず、
眞に無の實踐的立場に逹するものではないのである。
實踐的唯物論とか辯證法的唯物論とかいふ概念そのものが正に自己矛盾を含む
といふ外ないではないか。
(「附録 キリスト敎とマルクシズムと日本佛敎」、
『田邊元全集 第十巻 キリスト敎の辯證』筑摩書房、1963年、pp.288-9)

 

古い本を開くと旧漢字がつかわれており、
画数の多さは、
字の本来の意味と成り立ちを表していて面白い、
だけでなく、
見た目が、なんとなくカッコいいと思われるものが少なくないので、
ここに引用する場合、
なるべく、
一字一字ネットで検索しコピペしているのですが、
すべての漢字が旧字に変換できるわけではありません。
わたしが出来ないだけかもしれません
けれど。
たとえば上の文章に「的」の字が何度かでてきます。
「的」のつくりの「勺」ですが、
上で引用した本のなかでは、
斜めに下がった点が、点でなく、横棒の「一」であり、
わたしは横棒の「一」の「的」がカッコいいと思うのですが、
出し方が分かりません。
なので、
引用した文章の漢字は、
旧漢字に変換できているものと、そうでないものがあります。
それはともかく。
田邊元のこの本、
小野寺功先生の本によく出てきますので、
また、
哲学者の田邊が本気でキリスト教と格闘した記録としても読めそうなので、
さっそく読んでみました。
と、
序文から「われ信ず、わが不信を助けたまへ」
の聖句が幾度か引用されており、
ああ、
この本は田邊の必死の信仰告白の書であるなと感じます。
さらに、
付録として収載されている「キリスト敎とマルクシズムと日本佛敎」は、
わたしが大学時代に感じていた疑問にピタリと一致し、
我が意を得たりの感が深く、
田邊元が一気に近く感じられる気がします。

 

・アイデンティティを突破する嚏かな  野衾

 

矛盾的自己

 

先月初めに所用で秋田に帰省した折のこと、歩行が困難になった母がポツリ、
「コロッと死ねないもんがなぁ。コロッと死ねだらどんなにええが」
と。
こころが細く、また弱くなっているのでしょう。
「そんたらごど言うなよ」
とわたし。
足許は覚束なくなっているとはいうものの、
内臓を含め上半身はいたって元気なことは、わたしの目で見てもよく分かり、
一安心しました。
このごろは用事のあるなしに拘らず、
週に三度は秋田に電話しますが、
先だって父が、こんなことを話していました。
予定の日に病院に行き、血液検査やらレントゲン検査やらいろいろ調べていたら、
診察までにけっこう時間がかかり、
それでなくても怖がりで、
病院が嫌いな母は、
何か異常があってそのために遅れているのではないかと、
それはそれは心配していたのだとか。
が、
いよいよ診察になり、
どっこも異常がないと医者から宣言されるや、
母はそれはもう、
天にも昇るような晴れがましい表情になり、
「えがったでぁあ、えがったでぁあ、ほんとにえがったでぇあ」
と大喜びし、
家に帰ってきても、
またまた、
「えがったでぁあ、えがったでぁあ、ほんとにえがったでぇあ」
と喜びを反芻していたと。
父の話に、
わたしも思わず笑ってしまいました。
「コロッと死ねないもんがなぁ」を口にした母が、
また一方で医者から太鼓判を押され
「えがったでぁあ」
なるほどなぁ。そうだよなぁ。
矛盾といえば、これほどはっきりした矛盾はないかもしれない。
しかし、
二つの発言には、
汲めども尽きぬいろんな意味と味が潜んでいて、
母のことばとこころを反芻します。

 

・時を忘れて蒼天に木の葉ふる  野衾

 

神を観ること

 

けれども、私たちはその贈り物を望まなければなりません。注意深く、
心の目を醒ましていなければなりません。
ある人々には、時が満ちる体験は劇的にやって来ます。
聖パウロにとっては、
ダマスコへの途上で地面に倒れた時がそうでした(使徒言行録9・3―4)。
けれども、
私たちの内のある人々には、
ささやきの声や背中にそっと触れる優しいそよ風のようにやって来ます(列王記上19・12)
神は私たちすべてを愛しておられます。
そして、
それぞれに最も相応しい仕方で、
私たちみんながそれを身をもって知るようにと望んでおられます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.417)

 

パウロのコンバージョン(回心)として有名なエピソードを取り上げながら、
ナウエンは、
それがだれにでも起こり得るのだ、劇的な形でなくても、
と語っており、
わたしはすぐに、
小野寺功先生の「かたくりの花」のエピソード、
子供のころ、雪を割って咲いていたかたくりの花を見たときの言い知れぬ感動、
を思い出しました。
伝記を読むと、
マザー・テレサや田中正造のコンバージョンは、
パウロに近いところがあるようにも思いますけれども、
圧倒的多数の者にとって、
自然の神秘に触れる瞬間というのは、
ほんのちょっとした、
ややもすれば、
瞬きしているうちに見逃してしまうようなこと、時、かもしれません。
『論語』に、
『詩経』を論じた孔子の「思無邪」(思い、よこしま無し)
のことばが出てきますが、
これも、
生きることの神秘、
それに触れる感動を告げているようです。
ドイツの思想家ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)の「神を観ることについて」
のことばも響いてきます。

 

・木の葉一枚水平にふり来る  野衾

 

東海林太郎と三橋美智也

 

東海林太郎(しょうじ たろう)といえば、秋田の先達であり、
わたしの母校の大先輩でもありますが、
若いときは、東海林太郎の魅力がよく解りませんでした。
それに対して、三橋美智也は、
父や叔父がよく歌っていましたから、
自然と耳に入り、いつしかわたしも歌うようになり、
三橋のCDは、いまもたまに聴くことがあります。
さて、
秋田魁新報に刑部芳則(おさかべ よしのり)さんが、
東海林太郎没後50年を期し、
「知られざる東海林太郎」のタイトルでコラムを書いており、楽しく読んでいますが、
その六回目にあたる文章(12月17日掲載)は、
東海林太郎と三橋美智也のつながりに関するものでした。
それによると、
三橋は、
現在テレビ東京になっている局の番組の中で、
「僕はもともと東海林太郎先生を崇拝してましてね。
東海林太郎先生の唱法に民謡を入れたんです」
と語っていたそう。
また朝日放送テレビでは、
「歌い方にしても、自分の民謡調に対して、基本的には東海林太郎先生の歌い方、
発声というものを勉強しましたね。
だから『おんな船頭唄』は似ているんじゃないかと思いますね。
直立不動で、きちっと歌うのが好きですね」
と。
コラムの著者である刑部さんをテレビで何度か見たことがありますが、
蝶ネクタイ姿をしており、
珍しいと思って見ていましたら、
刑部さんは、東海林太郎が大好きで、
憧れ、
東海林太郎の姿をまねて蝶ネクタイをしているのだと話していました。
なるほど。
ところで子供のころピンと来ませんでしたが、
だんだん齢を重ねてくるにつれ、
テレビで東海林太郎の姿を見、歌を聴くと、
歌う姿もそうですが、
ああいいなあと思います。
感動します。
「麦と兵隊」の二番の歌詞にある
「友を背にして道なき道を行けば戦野は夜の雨
「すまぬ すまぬ」を背中に聞けば「馬鹿を云うな」とまた進む」
を聴いていると、
ツーと涙が零れてくることも。
三橋美智也が東海林太郎をよぶときに「先生」を付けるのを、
母校の後輩として誇らしく思います。

 

・鍼灸院「おだいじに」の字なほ寒し  野衾