書くことは
このブログですが、会社を起こして半年ぐらいたってから始めました。
なので、
これも二十五年目に入ったことになります。
けっこうな時間になりますので、
書くときの心がまえというか、書きっぷりも、時とともに変化しているようです。
じぶんの思いとは別の変化もあるかもしれません。
意識として、
このごろは、
コレのことを書こうかな、の、コレだけをもって書きはじめます。
たとえば今日の場合だと
「書くこと」について書こうかな、
それだけ。
以前ですと、もっと、こういうふうな流れで、こう書こう、
オチまで考えていた時期もありました。
いまは、ほとんどありません。
ほんとうは、
きょうは、「好きなCM」について書こうかな、
と思っていました。
ところが、気まぐれのように、
いや、
「ように」でなく、気まぐれで、
「書くこと」について、いま、こうして書いています。
「書く」といっても、
正確にいえば、
鉛筆やペンでなく、キーボードを打つのですが。
右手の人差し指と中指だけで。
それはずっと変りません。
右手のほかの指、さらに左手の指もつかって、も、考えないわけではなかったけど、
やっぱりこのままでいいや、の気分でずっと来ています。
東洋医学で脈診というのがあり、
名人になると、
患者の脈に触れただけで、
あらゆる病気を百発百中で当てられると聞いたことがあります。
それぐらい、
指先の感覚というのは鋭くも深くもなるのでしょう。
文章をつづるのに、
右手の人差し指と中指だけでキーに触れていると、
ふと、
脈診みたいなものかな?
と思うときがあります。
じぶんのこころ(ひとのこころも)は見えないわけだけど、
そこに触れていくような、
感じ。
その感覚がこのごろおもしろく感じます。
それを基本にし、読んでくださる方にお渡しする、そういうイメージでポツポツと。
読んでくださる方で、
実際にお顔とお名前を承知している方もいます。
すでに亡くなっている方もいます。
そうすると、
いま、
わたしはこんなこころで暮らしています、
と報告する具合にもなり、
さらに想像する読み手の方の声を聴き、
それを通して、
ふだんとはちがうじぶんとの対話も同時におこなえる気がし、
そのこころできょうの文も打ちました。
・五月雨や開いて閉じる朱塗りの戸 野衾