こころと神話

 

はや三十年は経っていると思いますが、夢野久作さんの小説『ドグラ・マグラ』
をかつて読みました。
この小説にたしか呉一郎(くれ いちろう)という人物がでてきた
と記憶していますが、
この人物の造形に、
どうやら実在した呉秀三(くれ しゅうぞう)という方の存在が影響していたらしい、
ということを、当時、本の解説か何かで読み、
呉秀三さんの名を覚えました。
精神科医、かつ「日本精神医学の父」とも称される人です。
このひとの長男が、
ギリシア神話に関する著作で有名な呉茂一(くれ しげいち)さん。
それを知ったとき、
こころのうちで、なんども「へ~」を発し、
その驚きと興味は、消えずいまにつづいています。

 

神話が語るのは始原の出来事でありながら永遠に繰り返されもする出来事である、
とも言われる。
それ故、
精神分析学は神話と夢を同列に置いて論じえたし、
社会構造を共時的に解明しようとする構造主義も、
太古からの伝承として今に残る神話の分析を大きな武器となしえた。
しかし、
これに似たことはひとり神話のみならず、
伝説や昔話
――われわれはもはやこれらを単に話とか物語と呼ぶ方がよいと思われる――
についても言えるであろう。
よく似た物語がさまざまな時代さまざまな地域に現れて、
われわれが自分の心の奥底を、
心の太古を覗のぞき見る縁よすがとなってくれているからである。
世界の各地に源を発し、千古の闇の彼方から生き続けてきた物語も、
ようやく生れたばかりの話も、
今という堰に堰き止められて物語の大海を形づくっているのである。
その海へ、
ギリシア文学という河口から漕ぎ出でてみたい。
(中務哲郎[著]『物語の海へ――ギリシア奇譚集』岩波書店、1991年、pp.6-7)

 

・ゲラ読みのわつぱがでぎだ風薫る  野衾