ちょっとしたことが

 

わたしが住むこの場所は小高い山の上、
ここから日々眺められる景色がいちばんの宝物だなと思っています。
数年前おそらく小学校に入学したであろう娘さんが、
ピンクのランドセルを背負って元気よく坂道を下りて行ったとき、
左右に揺れるランドセルが生きているように見えた、
それぐらい、
娘さんが小さかったのに、
年を重ね、ランドセルがちょうどの大きさに見えるようになり、
それはそれで印象に残ったことを先だって
このブログに書きました。
坂を下りて行く姿しか知りませんから、
その娘さんと町で会っても分からないでしょう。
きのう、
いつものランドセルでなく、リュックサックを背負い、キャップを被っていました。
わたしはルーティンのツボ板踏みを行いながら、
見るともなく見ていたのですが、
少しリュックのショルダーベルトの長さが気になるらしく、
歩きながら、長さを調整している
ようにも見えました。
ただそれだけのことですが、
遠足へでも行くのでしょうか、
分かりませんけれど、
なんとなく、
楽しいというのか、うれしいというのか、
娘さんの気持ちが糸電話で告げられたかのごとく、
こちらまでポッと明るくなった
気がしました。
飯島耕一さんの詩「ゴヤのファースト・ネームは」を思い出した。
ほんのちょっとしたこと。
大きなことでなく。
ちょっとしたことが、一日一日の糧になる。
娘さんのリュックサックであったり、
すれ違う人との目礼であったり、
白々と明けゆく空だったり、入り日であったり、
道端の名も知らぬ花であったり、階段を忙しそうにうごく蟻であったり、
開店したての居酒屋の扉に貼ってあるメニューであったり、
いろいろいろいろ。
ことばってなんだろう、
ことばでないことばが在るなぁ、と思います。

 

・散髪の窓の外なる夕立かな  野衾