じぶんと同じ年頃の人の文章を目にすると、ほとんど例外なく、
ニュアンスはそれぞれなれど、
もの忘れが以前と比べひどくなったことが記されてあり、安心します。
安心、というのも変だけど。
安堵、かな。
ともかく。
耳で聴いたことばも、目で読んだことばも、
早々に忘れがち。
は~。
いったんは、ちょっと落胆気味になりますが、待てよ、と。
忘れがちな日常に反し、
アイディア
というほど大げさなものでなくても、
いろんな想念は浮かんできて、
一大発見みたいにも感じ、うれしくなることがあります。
もの忘れと発見的想念!
名づけると大げさになるなぁ。
ともかく。
もの忘れはたしかにひどくなっているけど、
耳から入ることば、目から入ることばの量は変らず、というか、
以前と比べむしろ増えているかもしれない。
それで、
仕事に関わる忘れていけないことは、
ノートを意識的に活用するなど工夫していますが、
それ以外は、
忘れてもいいや、の精神でいることが多い。
でも、
ふと、忘れることは無くなることではない気がしてきた。
なぜなら、
発見的想念がたまにやって来るから。
その連関、
つながりについて考えた。
耳から入ることばについても言えますが、
目から入ることばとして、
特に思ったのは、日々仕事で読んでいる、原稿のことであります。
仕事で読む原稿のことばが圧倒的に多い。
圧倒的な量のことばを読み、編集し、本が仕上がる。
と、
あんなに時間をかけて作ったのに、
おもしろいように忘れていることがある。
でも、
あるとき、どういうタイミングでか定かではありませんが、
あるアイディアが不意に浮かび、
あら? あれ?
これって、
あの原稿を何度も読み、編集し、本を作ったこと、本の内容と、
どこかでつながっていやしないか?
つながっているよ、
そうだそうだと思えてくる。
山に雨が降るように、
原稿を精読し、本の編集をすることを通じて、原稿にあることばが
わたしに降ってくる。
そして、
降った雨が、時をへて、離れた土地の湧水となるように、
わたしの中からあるアイディアが生まれる。
そう考えたら、
忘れることを恐れず、目の前の原稿に向かうことが、
ますますだいじに思えてきた。
原稿に感謝。
わたしは土で、
土のわたしにゆっくり、
ことばの雨が静かに浸み込むことを願いながら。
・読み疲れ五月晦日の本を閉づ 野衾