「好き」の中身

 

『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』というテレビ番組があり、
よく見ます。
小学生や中学生、高校生が登場し、
じぶんの好きな世界を掘り下げたり、かんけいする物を集めたり、
研究したりする番組で、見ていておもしろく、
だけでなく、
いろいろ教えられることの多い番組です。
前回は、幼い頃から踏切が好きな「博士ちゃん」が登場しました。
電車や汽車でなく「踏切」というのがユニーク。
番組では、
山口から東京に出て来、
「博士ちゃん」が興味のある踏切を訪ねるところを放映していました。
踏切がカンカンカンカンと鳴って電車が来ることが分かると、
博士ちゃん、何度か「なんだか楽しい」
と言った。
「なんだか楽しい」か。
味わいの深いことばだなぁ、と思いました。
「なんだか」が気になり、「楽しい」の中身を知りたくなります。
この番組に登場する子どもたちは、
それぞれ自分の好きな世界を持っているわけだけど、
「好き」っていうのは、
わが身をふり返り、
改めて考えてみますと、
説明できない、
そもそも説明できないことなんだろうな、と思って、
ますますおもしろくなる。
踏切が好き、昭和家電が好き、神社仏閣が好き、恐竜が好き、照明器具が好き、
昭和歌謡が好き、美空ひばりさんが好き、
いろいろいろいろの、その「好き」がいいなぁ。
たとえばひとつの例ですが、
なぜか花子さんが好きになった
として、
だれかから花子さんのどこが好きなの?
って訊かれ、
なにか答えなくちゃいけない気がし「やさしいところ」
だとか、
「顔がタイプでどハマり」
だとか、
「趣味がいっしょで話が合う」
だとか、
まぁ、そんなことはよく耳にします。
けど、それはそれとして、「好き」の中身はおそらく他のところにあって、
というか、別次元のところにあって、
ちがうんだろうなぁ、
なんてことを、
この番組を見るたびに思います。

 

・田植ゑまへ老父の声の弾みをり  野衾