おもしろい本を読みました。『文にあたる』著者は、牟田都子(むた・さとこ)さん。
1977年生まれだそうですから、
わたしよりちょうど二十歳若い方です。
図書館員を経て出版社の校閲部に勤務。2018年より個人で書籍・雑誌の公正を行う、
とのこと。
わたしの場合は、編集者と校正者を兼ねているわけですが、
仕事上、教わることが多くありました。
わが身をふり返り、
自戒したり、へ~、そうなんだ~、と、あたらしい発見があったり、
悲喜こもごもに共感したりしながら
しずかに読み終えました。
いちばん感動して何度も読み返し、
付箋を立てた文があります。
同じ仕事をされていたというお父さまとのエピソード。
同じ仕事をしていた父に、小さい頃テストをされたのを覚えています。
買ってもらったばかりの国語辞書を渡され、
いくつかの単語を引いてみなさいといわれました。
見当をつけて辞書を開き、ページをめくること一回、二回……
父はにやりと笑って「貸してみろ」
と辞書を手に取りました。
親指の腹で小口《こぐち》をなぞり、
ぐいと食い込ませると辞書は貝のようにぱっくりと口を開いて、
求める単語が真珠のように光っていました。
集中して仕事ができているときには自分でも、
辞書を手に取って当たりをつけ、
親指の腹に力を込めて開くと、目的のページを開けることができます。
あの頃は
父と同じ仕事をすることになるとは思ってもみませんでしたが。
(牟田都子[著]『文にあたる』亜紀書房、2022年、p.159)
これはわたしの偏見かもしれませんが、
どういうたぐいの本でも、
仮に何百頁もある本のなかでたった一行であっても、
親について、親との関係についてどういう書き方がされているか、
に、こころの深いところが現れていると感じます。
引用した文を読むと、
情景がありありと浮かぶだけでなく、
そのときのこころのふるえが伝わってくるようで、
本全体が細やかなこころくばりがされていて
いいわけだけど、
この文はとりわけ深い光を放ち、本の光源になっていると思います。
・夕涼み百年前の百年後 野衾