子どもたちは、そろそろ夏休み、かな。
夏休みといえば、忘れられない思い出があります。
冬休みの前もそうだったと思いますが、
休み前になると、
授業の時間に休み中の計画表なるものを各自書いた。
担任の先生から書くように指導されたのでした。
書いた後どうしたかといえば、
おそらく、
先生に見せたあとで、それぞれ家に持って帰ったんじゃなかったですかね。
そこのところは記憶があいまいですけど、
仮に提出しちゃうのだったとすると、
どういう計画を立てたのか分からないことになってしまうし、
コピーするとか、
そういう厳密なものではなかった気がします。
計画を立てて暮らすこと、ムダに時間を過ごさないようにしましょう、
ということだったようです。
ともかく。
その計画表を書いていたときのこと、
前の席にいたTくんの計画表の一日の終りのところに「とうみん」とあった。
「Tくん、とうみんじゃなくて、すいみんだよ」
と、わたし。
「そうか。まちがえた」
Tくん、消しゴムでガシガシやり、
「とうみん」を「すいみん」に直した。
以上。
たったそれだけのことですが、
忘れられない。
夏休み前というのは、実際の夏休みの日々とくらべ、
なおいっそうのワクワク感があった気がします。
子どものときに感じた、あの感じ、
ことばにしようとすると、なかなか思うようにいきません。
ムリっ! と、諦めてしまいそうになります。
そのときは、
ただ、たのしいだけだったのに、
時間がたてば、たつほどに、
たとえばあのときのTくんの受けこたえ、声、
あわてぶり、表情、消しゴムが紙をこする音までが聴こえ、
ひとつひとつがありありと目に浮かび、
かたまりとなって、光を放ちつづけています。
七月二十一日 夏やすみ
夏休みのはじまりは、いつもうれしかった。
時間がたっぷりあって、こわいぐらいで。
ほんとうの夏がはじまったようで、うれしかった。
そうして、七月はゆっくり時間が過ぎるのに、八月はあっという間。
あれは、どうしてだったんだろう。
夏休みのはじまりの日――。学校は、もうとっくに卒業してしまったけれど、
夏の時間がたっぷりあることを思い出させてくれるから、
今でもこの日は、わたしにとって特別な日。
(おーなり由子[絵と文]『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記』
新潮社、2006年、p.235)
・梅雨湿りこころ干したる灸かな 野衾