以前、小西甚一さんの『日本文藝史』、ドナルド・キーンさんの『日本文学史』
を読み、文藝史・文学史のおもしろさを教えてもらった気がし、
少し古いものではありますが、
津田左右吉さんの『文学に現はれたる我が国民思想の研究』
をただいま岩波文庫で読んでいます。
もとは、
大正時代に東京洛陽堂から刊行されたもの。
文章の歯切れがよく、
すこし断定が過ぎるのではないかと思われる節も感じつつ、
とは言い条、
名調子に誘われ、のせられる具合で、
たのしく読みすすんでいる最中。
きのう読んだところに、こんなことが書かれてありました。
戦記ものによつて国民的英雄が形づくられ、
暗黙の間に英雄崇拝の思想が生じたのも之と関係がある。
英雄は畢竟民衆的精神の反映である。
重盛の嘆美せられたのも、義経の同情せられたのも、
或は智謀に長け情の深い武士の典型として楠木正成の崇敬せられたのも、
彼等に民衆の心を継ぐ何物かがあつたからである。
平家物語も太平記も此の民衆の思想によつて
実在の重盛・義経・正成から英雄的重盛・義経・正成を作り出した。
曾我物語が二人の兄弟を英雄化したのも、一般の武士が彼等の復讐を道徳的に嘆称した
からである。
彼等は実社会に於いて概ね弱者であり失敗者であるから、
権力万能の思想から見れば殆ど顧みるに足らない
ものである。
さういふ弱者の尊ばれるのは、
重盛や義経の悲哀の運命に対する同情もあり、
曾我兄弟や正成の悲壮なる行為に対する讃美の情もあらうが、
何れにもせよ民衆が彼らに於いて、
或は上品な、或は美しい、若しくは偉大なる人間を看出だしたからである。
特に時間といふ幾重の霞を隔てた過去の世界から
美しい光を後の世に放つ英雄の姿を認める
ので無く、
同じ時代の人物にそれを発見するには、
片鱗を雲際に見て黄竜の天に昇るを想ふやうに、
地上の民衆が遠いところからそれを眺めるを要する。
英雄が民衆の胸に生まれるのは
かういふ理由もある。
(津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究(三)』岩波文庫、
1977年、pp.64-65)
・五月の空は薄き色とりどりに 野衾