ふしぎな書物

 

まいにち少しずつ読む本だとか、一日一ページずつ読む本について、
思ったり考えたことを書いてきましたが、
そういうふうな読み方が身についたきっかけは『聖書』だと、このごろ思います。
十代の終りからですから半世紀に近く、
くりかえし『聖書』を読んできて、
いまも飽きず読んでいます。
とちゅうサボったときもありましたが、
このごろはまた、たとえば、ふるさとに帰ることにも似て、
しずかに読み返しています。
文語訳をふくめ、
翻訳もいろいろですので、
通読としては、七回目に入りました。
通読でなく、章とか節とか、
意識して読んだ文章は、何十回に及ぶものもあるでしょう。
それぐらいくり返し読んでいるのに、
いや、
くり返し読んでいるからこその不思議に打たれるというのか、
そういうことが、
たびたび起こります。
このごろこころが墜ちているなぁと感じた土曜日の朝、
目にしたことばが、
「マタイによる福音書」の11章28節。

 

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。

 

なぜこのことばなんだろうと思いました。
きのうでなく、きょうという日に。
偶然といえば偶然。
だけど、
こういう感慨にとらわれたことが初めて
ではありません。
恩師宮田光雄先生の書かれた
『御言葉はわたしの道の光 ローズンゲン物語』(新教出版社、1998年)
を読むと、
そういう感慨をもった人がわたしだけでないことを
教えてもらい、力がわいてきます。
『聖書』は実に、ふしぎな書物です。

 

・五月雨やそろうり園のハシビロコウ  野衾