好きの種
どなたかと話をしていて、談たまたま子どもの頃に読んだ本におよぶことがあります。
なんでもいいですけど、
たとえば
『メアリー・ポピンズ』『ドリトル先生』『若草物語』『赤毛のアン』。
あげれば、いっぱいいっぱいあるでしょう。
歳をかさね、
おとなになった者同士が語り合い、
そのうちのひとりがたとえば『メアリー・ポピンズ』のことを話し始めるや、
目に光が宿り、
それまでの話題のときとはまったく異なる、
そういう場面にこれまで幾度か遭遇してきました。
けして長く話してくれるわけではない。
どこがどういうふうにおもしろかった、とか、そういうことでなく、
ほんのちょっとしたこと。
開けていない窓から風が吹いてくる気がしたとか、
ページをめくるときの紙のさわり心地とか、
いわばワクワク感の種。
でも、
『メアリー・ポピンズ』と口にするときの
その人のこころのふるえが、
こちらにも伝わり共振するようで、
気持ちよくなります。
わたしも読んでいるときは、共振が共鳴また共感となることがあり、
まだ読んでいないときは、
話をしてくれている目の前のひとの、
その本に対する興味と関心、
愛情の在り処、
好きの種に触れ、それを垣間見せてもらえた気になり、
ぜひ読んでみよう、
と思います。
じっさいに読んでみて、
本のなかの物語を堪能しつつ、
そこに、
物語のおもしろさも然ることながら、
その本について目を輝かし話してくれた友人・知人の子ども時代のこころの秘密、
また、
それが今のこころの芯になって息づいている
その元があると感じる。
本ていいなぁと思えるこれも瞬間です。
・六月の務め果たすや日の残る 野衾