21世紀のハイデガー

 

確かに、何が善で何が悪であるかの基準の問題はさておいて、
道徳性や行為の善悪が問題とされうるのは、
現存在が、自らの行為の可能性を選択しうるような存在であること、
つまりはその選択の責任を負いうる、
選択は自らに拠るという意味での自由な主体としての「責め在る」存在である
ということが露呈されて初めて、問題とされうるのではあった。
このことは、
あらゆる現存在が、非本来的なあり方において、
ただ世界の方から己を了解し、
世界の方から、
誰のものでもあって誰のものでもない世人自己として何らかの行為の可能性を
そのつど選び取っているだけである限りは、
どの個人も、責任ある主体としてのあり方をしているとは言えない、
ということを意味する。
例えば、
当事者のすべてが世人としてのあり方をしていたならば、
そのうちの誰一人として、
電力会社が国策において行った原子力発電が引き起こした事故の責任者ではない、
といったようなことが生じうる。
世人は、そもそも「責め在る」存在たりえないからである。
その結果、
非本来的な世人の集まりとしての共存在からは、誰も責任を取らない、
いや取ることができないままに巨大収奪機構の中に捲き込まれてゆくだけの組織しか、
生まれようがないということになる。
(上田圭委子『ハイデガーにおける存在と神の問題』アスパラ、2021年、pp.418-9)

 

高校の教師をしていたころ、二度、水俣を訪ねたことがありました。
いまはどうか分かりませんけれど、
当時、
「現代社会」の教科でも「政治経済」の教科でも、
公害問題が取り上げられていましたので、
水俣病について、
本に書かれていること以上に知りたい気持ちに駆られてのことでした。
訪ねた折ちょうど、
水俣病に認定されていない地元の人々の、
会社側との自主交渉の場に参加させてもらえる機会がありました。
五人でしたか、会社側の「お偉いさん」が並び、
体調の不具合を訴える切実な質問に対して規定どおりの答えを繰り返していたとき、
わたしの後方から叫びに近い声が上がりました。
「お前ら、それでも人間か」
ふり返ってみると、
髪の茶色い、おそらく高校生でしょう、
若い女性でした。
わたしは、わたしの勉強にとって、
そのことだけでも、
水俣に実際に足を運んだ甲斐があったと思いました。
むつかしい哲学の本を読んでいると、
字句の辞書的な意味を追うだけで汲々としてしまいがちですが、
上田さんの『ハイデガーにおける存在と神の問題』
には、
アクチュアルな問題意識がピーンと張り詰められており、
改めて、
本を読むこと、そのことをとおして思索すること
の意味と意義について深く考えさせられます。

 

・乳母車母と子と吾に冬の月  野衾

 

世人(das Man)

 

世人とは、自らを世界の意義連関の方から理解し、好奇心によって動かされて、
次から次へと新しいことを知りたがり、
知ってしまえばそれを深く考えることなく興味を失って、また次の新しいことを知りたがり、
内容のないおしゃべり(空談)に現を抜かし、
自分が語ってることの意味も、
また自分が置かれている状況の意味もきちんと把握せず、
過去を踏まえず忘却し、
未来に向けてどうあるべきかを曖昧にして、深く考えることなく生きている(曖昧性)、
そうした在り方をした現存在のことである。
しかしこうした非本来的な在り方においても、
現存在は、
世界の意義連関の中に埋没しつつ、何かを絶えず了解したがり、
語りたがるという傾向をもっているのは、
本来的在り方をしているときだけでなく、
非本来的な在り方をしているときにも現存在が開示性という性格を持っているがゆえであると、
ハイデガーは見ている。
(上田圭委子『ハイデガーにおける存在と神の問題』アスパラ、2021年、p.403)

 

雅楽や能の世界で、序破急ということばがありますが、
ハイデガーに関する上田さんのこの本、
後半に入り、記述の熱量がすごく高まった感があり、
それに伴い、
上田さんが語るハイデガーの話を、
もっと、もっと、と身を乗り出して聴きたくなる、
また聴いている具合です。
現存在はDaseinの訳語ですが、
ハイデガーは、のちにハイフンを入れ、Da-seinを用いるようになりました。
これについても、
存在の明け開けに関する小野寺功先生の一回限りの
かたくりの花のエピソード、
それと、
大伴家持が越中で詠んだ堅香子《かたかご》の花(=かたくりの花)
の歌を補助線にすることにより、
なるほどと合点がいきます。
序破急の急にあたる上田さんの本の第三部は、
「中期以降のハイデガーにおける存在と神の問題」です。

 

・ひとを恋ひひと嫌ひして冬籠  野衾

 

股引のこと

 

突然ですが、ことしはまだ、いまのところ股引を穿いていません。
十二月に入りましたから、
この時期、
去年、おととしと、ラクダの股引を穿いていました。
これがとっても暖かい。
下半身がぬくい毛布にくるまっているみたい。
それなのに…。
ひとことで言えば、強がり。
強がりができるようになったとも言えます。
数年前、
体調を崩したときは、
風呂に入り湯舟に浸かっていても、ぶるぶるふるえることがありました。
週に一度の鍼灸、それと連日のツボ踏みが功を奏し、
体調が戻ったことを機に、
すこし強がってみようと思っていたところ、
鍼灸の先生が後押ししてくれましたので、
がまんできる範囲で強がっていようと考えています。
甘いものを食べ過ぎると、体が冷え、どうしても外から温めてやらなければならなくなる、
とは、
鍼灸の先生の言。
ジーンズを穿いた子供のジーンズの破れ目から、
下に穿いているものが見える昨今
のことを例に、
体温と食べ物の関係を説明してくれました。
わたしの自覚としては、
寒いと感じても、
ぶるぶるふるえることがなくなり、
それと、
寒い所から暖かい空間に入ったときに、
体温の戻りが以前と比べ、スムーズになった気がします。
若いころの不摂生の罪滅ぼしに、
というわけではありませんけれども、
きょうもこれからツボ踏みです。

 

・冬の月荷風家持新古今  野衾

 

「存在」について

 

ハイデガーは、ある論稿の中で、ヘーゲルの言葉を引用しつつ、
存在について以下のように説明したことがある。
それは、
ある人が店で〈果物〉を買おうとし、店の人は、そのひとにリンゴ、洋ナシ……サクランボ、
ブドウなどの果物を手渡したが、
そのひとは、どうしても〈果物〉を買いたいのだと言い張った、
しかし、
〈果物〉(という普遍的な概念)は店では買えなかった、
というヘーゲルの言葉である。
ハイデガーは、
このように「存在」もまた、それ自体をそのものとして名指すことはできず、
存在の歴史の中で、
「ピュシス、ロゴス、一(ヘン)、イデア、エネルゲイア、実体性、客体性、主体性、
意志、力への意志、意志への意志」といったように
「何らかの特色」を持つものとしてそのつど人間に手渡されてきたのだ、
というのである。
このことはおそらく、
ハイデガー自身の「存在への問い」においてもあてはまるであろう。
彼もまた、「存在」を、さまざまな仕方でロゴスへと齎そうとしているが、
おそらく「奥深い存在」とも呼びうるような「存在」そのものは、
対象化されず、
言葉にも齎されえないというのが、本当のところではないかと思われる。
したがって私たちは、
ハイデガーがどのようにその問いの途上で「存在」について語っているのか
を見ることを通して、
ハイデガーにおける存在とはなにかを、全体として理解するように努めたい。
(上田圭委子『ハイデガーにおける存在と神の問題』アスパラ、2021年、p.276)

 

ことし前半の読書は、
ブルクハルトの『ギリシア文化史』で彩られましたが、
後半は、
小野寺功先生の
日本の神学を求めて』『新版 大地の哲学 三位一体の於てある場所
を編集したこととも関連し、
ハイデガーの言説に目が行くようになっています。
とくに、
先月上梓したわたしの句集のなかにある「かたくりの花」
に注目し、
手紙をくださった小野寺先生の文章に記された先生の子供時代の
いわば「かたくりの花」体験とも呼ぶべき、
一回かぎりの忘れられないエピソード、
それと『萬葉集』にある、
大伴家持が赴任先の越中で詠んだ堅香子《かたかご》の花(=かたくりの花)
が重なり、
あらためて、
ハイデガーの「存在」をわたしのこととして、
わたしのことばで理解したいと思うに至りました。
数年前、
渡邊二郎さんの本をおもしろく、
また緊張して読んだので、
渡邊さんに師事したという上田圭委子さんの本を見つけ、
読み始めたら、
これが圧倒的なおもしろさで迫ってきました。
巻末の著者略歴、「あとがき」を見ると、
上田さんは香川県生まれで、東京大学の農学部林学科卒業となっていますから、
もともと哲学をやろうとしたのではなかったのかもしれません。
訪問介護のパートをしていた時期もあったそうで、
そういう経歴をふくめ、
機会があれば、
お話を伺ってみたいと思います。

 

・玻璃の家丘にひつそり冬紅葉  野衾

 

 

二日間、浩瀚な学術書をおもしろく読み、夕刻、壁に掛けてある時計を見たら、
五時を過ぎていた。
散歩がてら外へ出てみることに。
十二月に入ったので、この時刻でもすっかり暗くなっている。
すでに月が高くまで昇っている。
月齢はどれくらいか、
満月までにはあと三、四日かかりそうだ。
暗いなか、山の細い階段を下り、
まずはドラッグストアへ。
歯ブラシと魚肉ソーセージとチチヤスのヨーグルトを買う。
もう一軒、コンビニにも寄るつもりだから、
大きめのレジ袋に容れてもらう。
外はとっぷり暮れている。
いつも長く待たされる信号で待っているあいだ、見上げると、月はさらに天心へ。
信号が青に変って横断歩道を渡る。
左に曲がれば程なくコンビニだ。
と、
「ほら、ケンちゃん、月が出ているよ」
「……」
「見える? きれいだよ」
「うん」
ふり返れば、
すぐ後ろを乳母車を押している若い女性が、なかの子供に話し掛けている。
母に話し掛けられた子は、だまって月を見上げている。
つられてわたしも見上げた。
我に返り、
コンビニで買うつもりのものを算えあげ、
明るい店内へ入った。

 

・吾もまた過客となりて枯野行く  野衾

 

家の友

 

「家の友」(der Hausfreund)
……通常の意味では、
別に何といふ用事もないのに度々訪ねて來ては話しこんで行く家庭の友人のことである。
さういふ友人は、家族ではないが、家庭にとつて、
特にその家庭の雰圍氣にとつて、
場合に依つては家族の一員よりも、無くてはならぬ人物である。
ハイデッガーはこの書物の内では「家」を「人間の住家」としての「世界」と解し、
ヘーベルの言ふ「家の友」を、
さういふ「世界としての家」にとつての「友人」と解し、
さういふ意味での「家の友」に「詩人の本質」が存すると、思惟してゐる。
(マルティン・ハイデッガー[著]高坂正顯・辻村公一[共譯]
『野の道・ヘーベル―家の友』理想社、1960年、p.66)

 

ハイデッガーが「ヨハン・ペーター・ヘーベルは家の友である」と記した、
「家の友」に注番号が付されており、
その譯註として書かれているのが上の文章です。
これを読んだとき、
文の主旨とはズレますけれども、
わたしがまだ子供だったころのことがなつかしく思い出されました。
あの頃、
祖母の兄が、
我が家から歩いて二分とかからぬところに住んでおり、
わたしの祖父と仲が良かったので、
よく訪ねてきていました。
小柄なひとでした。
気が置けない仲のいい男同士だからこそであったでしょうが、
意識を超えたこころの奥で、
妹を思いやる気持ちが無意識に働いていた
のかもしれぬ
と、
いままでそんなふうに考えたことがなかったのに、
ふと思いました。

 

・冬紅葉うら悲しくもまどふかな  野衾

 

ハイデッガーの言葉観

 

私たちは次のやうに考へるかも知れません、すなはち、ヘーベルの詩は、
方言詩であるが故に、
ただ或る限られた狹い世界のことを言つてゐるに過ぎないと。
さらにその上ひとは次のやうに考へます、
すなはち、
方言は標準語や文語に加へられた虐使であり、毀損であると。
しかし、
このやうに考へることは見當違ひであります。
國言葉こそ、
如何なる言葉の場合においても、すべての生え拔きの言葉の靈妙なる源泉であります。
言葉の靈がそれ自身の内に祕匿してゐるすべてのもの、
それはこの泉から私たちの方へと流れ寄せて來るのであります。
(マルティン・ハイデッガー[著]高坂正顯・辻村公一[共譯]
『野の道・ヘーベル―家の友』理想社、1960年、p.28)

 

翻訳された日本語が、ゆっくり静かに、読んでいるこちらに沁みてくるようです。
この本は、
小野寺功先生の『新版 大地の哲学 三位一体の於てある場所
にでており、
先生の思想の遍歴を辿るには欠かせない
と思われたので、
古書で求めて読みました。
「野の道」は、
田舎で生まれ育ったわたしには、我がことのようです。
『存在と時間』のハイデッガーは、
こんな感性の人であったかと、
大げさかもしれませんが、
わたしのなかのハイデッガー像が変りました。
上で引用した文章は、
「野の道」のあとにつづく、
ヨハン・ペーター・ヘーベルに関するものですが、
これを読むまで、
この詩人のことを知りませんでした。
そして、
この詩人について、
ハイデッガーは惜しみない賛辞を送っています。
とくに方言に関する観方は、
我が意を得たりの感が強く、
この詩人のものも読みたくなりました。

 

・野も山も涙ながらに冬紅葉  野衾