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京浜東北線下り電車桜木町駅行き
反対側は大宮行き
ドアが開いてわたしはソファの端に
あとから隣に座ったのは
ウィーンの香
または
滝のとどろくパターソン
おもむろに横罫の入ったB5判用紙を取り出す
用紙には半分ほど書き込まれた文字
それから宙を見やり
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南行先行
電車がすべりだす
横文字の男は
つづくことばを思いついたのか
なにやら書き留めている

 

狂気は記憶の病
とディルタイの本にあった
ことばは詞
詩は記憶が司る
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桜木町 桜木町 終点です
大船方面へお越しの方は ホームの反対側でお待ちください
きょうの未来
絶対までの

 

・音立てて殻破り出づ催芽かな  野衾

 

7がけ

 

過ぎてしまえばあっという間、
光陰矢の如しの「時間」
ですが、
六十二歳のわたしの時間感覚についていえば、
正直なところ、
たとえば、
三十代の頃を思いだして比較した場合、
あの頃とくらべ、
一週間は五日ぐらい、
一か月は三週間ぐらい、
一年は八か月ぐらいの感じでしょうか。
ほぼ7がけ。
これがこのまま進行すると、
ひょっとして、
七十代で6がけ、八十代で5がけ、九十代で4がけ、百で3がけ、
てなぐあいになるんだろうか?
3がけだと一週間は二日。
これ老いの現象学。
そんなタイトルの本がそのうち出るか。
出ないな。

 

・万倍を夢見閑(しづか)の種浸し  野衾

 

ことば、言葉、詞

 

万葉集だったり、芭蕉だったり、ディルタイだったり、文語訳聖書だったり、
とりとめのない我が読書ではありますが、
じぶんのことなのに、
他人事めいて恐縮なれど、
赴くところ、
けっきょくは、
ことばって何かな、
ということになりそうです。
万葉歌人たちに、
鬱とした気分を晴らすために歌を詠むことが共通認識としてあった
といわれれば、
なるほどと合点がいき、
ディルタイやシュライアーマッハーが、
宗教とは、
有限のなかに無限をみることだと意味づけていた
と知れば共感し、
独自な漢字研究で名を成した白川静が、
万葉集を読むことがもともとの願いだったと教えられれば、
ますます尊敬の気持ちが強くなります。
『新漢語林』の説明によれば、
詞は、言+司。
音符の司は、
神意を言葉によってうかがい知る祭事をつかさどるの意味。
言は、言葉の意味。
神意をうかがい知るための言葉の意味を表す。
なるほど。
なっとく!

 

・上り来て息つく遥か富士の凍て  野衾

 

ハイネとヘーゲル

 

ある晩遅くなってから彼は、ベルリンで勉強していた頃はよくそうしたように、
ヘーゲルを訪問した。
ハイネは、ヘーゲルがまだ仕事をしているのに気づいたので、
開いている窓に歩み寄り、
暖かく星の明るい夜の方を長いこと見つめていた。
……………
突然、
自分がどこにいるかまったく忘れていたハイネの肩の上に手が置かれ、
同時に次の言葉が聞こえてきた。
「星々ではなく、人間がそこに解釈するもの、それこそがまさに問題なのです!」
踵を返すと、ヘーゲルが彼の前に立っていた。
その瞬間から彼は、
ヘーゲルその人のうちに、
その学説が彼にとってひどく難解なものであるにせよ、
この世紀が鼓動しているのを知ったのである。
(編集/校閲 和泉雅人・前田富士雄・伊藤直樹
『ディルタイ全集 第5巻 詩学・美学論集 第1分冊』
法政大学出版局、2015年、p.90)

 

ヘーゲルの『精神現象学』を読むと、
いつの間にか、
眉間に皺が寄ってくるような気になりもしますが、
こういうエピソードを目にすると、
ことばの論理によって
世界に触れていこうとするヘーゲルの気概がほの見えるように思えます。

 

・泣き笑ひ一日一生亀の鳴く  野衾

 

秋田の方言と万葉集

 

万葉集を読んでいてハッとさせられるのは、
標準語では失われているのに、
子どもの頃から使ってきた方言と重なる言葉がいくつかでてくること。
万葉学者の故伊藤博さんは、
出身が信州地方とのことで、
『萬葉集釋注』のなかで
ときどき
小さいころの思い出を披歴しています。
いつくしむような記述に出会うと、
ほーと息が深くなる。
信州地方の言葉だけでなく、
秋田にも千年の時を超え残っている言葉があると確信できたので、
そのことについて秋田の新聞に書きました。
コチラです。

 

・つれづれを爪切り終へて春隣  野衾

 

『鰰』の書評

 

図書新聞に拙著『鰰 hadahada』の書評が掲載されました。
書いてくださったのは、
学習院大学フランス語圏文化学科教授の中条省平さん。
本の書き手としていつも感じるのは、
書評や読後感を伺うことで、
こちらが意識しなかった、
あるいは
意識できなかったこと、ところに、
ひかりをあててもらえること。
本を読むのも書くのも、
自我を破り
自我を脱け出たいとねがう心ですから、
ほんとうに有難い。
コチラです。

 

・凍て空を遠ざかりゆく烏かな  野衾

 

ヒルティと奥邃

 

宗教などはなにも知らないと言う人の方が、
こんにちでは、喋々と信仰を告白する多くの人よりも、
内的にはよりいっそう宗教に近づいているのは何故か……
(カール・ヒルティ著/齋藤榮治訳『ヒルティ著作集 第二巻 幸福論 Ⅱ』
白水社、1958年、p.229)

 

新井奥邃のことばと響き合うことばであると感じます。

 

・操車場くねる線路の寒さかな  野衾