奥邃さんの「まこと」
新井奥邃(あらい おうすい)さんが「影響」を「かげひびき」と読んだことは、
このブログにも書きましたが、
この「影(かげ)」、
「影」という漢字にしても、「かげ」という平仮名にしても、
暗いところを表す「影(かげ)」というより、
もともとは光を表す、
ということに重点を置いて考えた方がいいように思います。
月影の「かげ」、面影の「かげ」、
かぎろひの「kag-」、かがやくの「kag-」、
鏡(かがみ)の「kag-」。
また、
影という字には「日」があり「京」がある。
「日」は太陽、
「京」は、
白川静さんによれば、
「アーチ状の凱旋門で、上に望楼をおく」。
すると、
「景」は、望楼から太陽を拝む、
のイメージ。
「彡(さん)」は降りそそぐ感じかな。
『新井奥邃著作集』第六巻の口絵に、
奥邃さんに委嘱され柳敬助さんが描いた「天界図」を収録しました。
これは、
「輝ける天界の一方面を描写」しようとした
ものであったそうで、
これまた「kag-」を含んでいます。
奥邃さん、
きっとかがやく光が好きだったんでしょう。
ちょっと話が飛びますが、
奥邃さんと同行した人に長沢鼎さんがいて、
長沢さんはその後、
「カリフォルニアのワイン王」「葡萄王」と称されるようになります。
ワインづくりのもとであるブドウの栽培と太陽は、
切っても切れない関係にある
ようです。
奥邃さんもカリフォリニアの空を仰いだか。
ここで思い出すのが、
かつてヒットしたアルバート・ハモンドの『カリフォルニアの青い空』。
1972年リリース。
もう五十年も経ったんですね。
さらに。
わたしが大学に合格し、
仙台に暮らすようになってまず驚いたのは、
同じ東北なのに、
冬の空がこんなにも違っているか
ということ。
日本海側の冬の空が多くどんよりしているのに、
太平洋側の冬の空のなんと明るいこと明るいこと。気分がスカッと晴れる。
八木山から仰ぐ青空は、
いまも目に焼くついています。
奥邃さんは仙台藩のご出身。
とこう書いてきたことは、
エビデンスに基づかない
わたしの単なる連想ではありますが、
奥邃さんの文章を初めて読んだとき、
その後幾度となく読んできた読んでいるときの印象と、
ピタリ一致します。
うす暗く深々としたところにある真理でなく、
かがやく明るさに充たされた真理
とでもいったらいいでしょうか。
奥邃さんのことばに
「暗夜はこれ永久ならず。我は真の来るを待つ」
がありますが、
この「真(まこと)」は輝く光であり、
儒教の「まこと」ともひびいていると思います。
・だるまさん転んだハシビロコウの夏 野衾