昔の本を読んでいたら

 

いちにちの生活や時間帯によって、読む本を決めていて、
数えてみると、いま八冊あります。
一日一ページと決めている本もありますので、どうしても数は多くなります。
どの本の著者もすでに亡くなっており、
いちばん古いところではセネカさん、ということになります。
セネカさんのほうから見れば、
わたしは約二千年後のところにいるわけですけど、
わたしのほうから見れば、
セネカさんは二千年前の人でありまして。
セネカさんの本を毎日ちょんびりちょんびり読んでいたら、
ふと、
本を開いたときの
本のノドのところにわたしが佇んでいた。
そして、
右ページの端っこが二千年前、と、左ページの端っこが二千年後、
つまり、
左ページの端っこは、いまから二千年後の4024年、
そんな想像が湧いてきた。
いったんその想像が噴出すると、
連鎖反応のように。
二千年前の本を読んでいて二千年後を想像、
その伝でいけば、
百年前の本を読むとすると、百年後、
三百年前の本だとしたら、三百年後、
○○年前の本を読めば○○年後を想像することになるのかな。
身辺でも世界でも、
いろいろなことが生起し、
明日をも知れない現状が一方にあるけれど、
表紙の手ざわり、一冊の重さ、紙質、
著者のこころを味わう
ことをとおして、
2024年の現在と、いま読んでいる本が書かれた時代との時間の長さを、
たとえばA5判横148ミリだとすれば、
現在から反対側の未来に148ミリ延長して考えてみる、
それも読書のたのしみの一つです。

 

・曇天にひつそり閑の桜かな  野衾