中野好夫さん訳の『デイヴィッド・コパフィールド』を読み終えましたので、
つぎに、中野さん訳の『自負と偏見』。
これも新潮文庫に入っています。
あともう少しで読み終りますが、
巻末に中野さんが書かれた解説があり、気になるので、
先に読んでみました。
こんなことが書かれています。
次にもう一つの魅力は、彼女の対人間態度であろう。
彼女の作品に登場する人物は、まず一人のこらずが弱点、欠点をもっている。
そしていかにも人間らしい愚考を演じて見せる。
しかもそうした人間の弱点を、
彼女はけっして怒らず、悲しまず、
むしろ人間本来のありようとして寛容の心で包んでいるといってもよい。
もちろん欠点は欠点だから、槍玉《やりだま》にあがる。
だが、
その風刺は、自然ユーモアの笑いになる。
槍玉にあがるまず筆頭は虚栄心と思い上りである。
次ぎには頭のわるいおしゃべり。
この小説でいえば、
キャサリン夫人、コリンズ牧師、母親ミセス・ベネットなどは、
まずいちばん恰好《かっこう》の対象だが、
さらに見逃してならないのは、
作者自身好意と愛情を注いでいる人物に対してさえ、
彼女はけっして人間放れのした完全人としては描かない。
ちゃんと人間らしい欠点をあたえている。
(オースティン[著]中野好夫[訳]『自負と偏見』新潮文庫、1997年、pp.603-604)
「いかにも人間らしい愚考」「ちゃんと人間らしい欠点」
というあたりに、
アラビアのロレンスや徳冨蘆花の伝記を書いた中野さんらしい人間の見方が
あるような気がします。
それはともかく。
オースティンさんのお父さんは僕死、いや、牧師なのに、
逆に、だから、かもしれませんが、
コリンズ牧師のトホホなところは、どうしようもない感じがします。
中野さんの言うとおり。
ところで『旧約聖書』「ミカ書」第七章二節には、
つぎのようなことばがあります。
神を敬う人は地に絶え、人のうちに正しい者はない。
「人のうちに正しい者はない。」一人もない、といったところでしょうか。
オースティンさんの作品、人生の背景には、
ディケンズさんと同様、
キリスト教というより、聖書的なものが活きて働いていると思います。
・土よりの白の苦さを野蒜かな 野衾