読書法というほど大げさなものではありませんが、
わたしの本の読み方を強いてあげれば、
ただ読む、
これに尽きるか、と思います。
子どものころ、本を読まなかったこと、
入った高校の生徒たちがやたら勉強ができて、
上には上がいるとの実感により、井の中の蛙の鼻っ柱をへし折られた、
そんな思い出がありまして、
ああ、ああ、
おれはもう、これからの人生を、ただただ愚直に行くしかない、
それしかないよ、
そんな風に思い定めたのでした。
それで、
本を読むのでも、そうしてきました。
いまも、そんな風です。
何冊もあって長くつづく本は、途中飽きることも。
飽きたら、無理せずしばらく放っておく。
眠くなることもある。ならば寝る。
でも止めない。
すると、
途中で投げ出さなくって良かったよ~と思うことがしばしばで。
投げ出さなかったことのご褒美みたいに、
おもしろい箇所がでてくるから不思議。
こんなことがありました。
どちらも大学の先生。
研究領域からして関連があると思ったので、
それぞれの先生に『マハーバーラタ』『サミュエル・ジョンソン伝』
の読後感を申しあげた。
もちろんわたしが読んだのは、日本語訳。
『マハーバーラタ』のほうの先生は、
後日、
わたしが全巻読んだことに疑念を持ったことを詫びるメールを送ってくださった。
拙著を読んでくださり、
ほんとうに全巻読破したことを知った、
とのこと。
『サミュエル・ジョンソン伝』については、
べつのある先生曰く、
「わたしは、必要に応じて読むぐらいで、全部は読んでいません」。
アタマのいい人は、全部読まないのかな。
ほんとうにすぐれた本ならば、
ただ読むだけだけど、
わたしのような人間にも、
よき感化を与えてくれるに違いない、
そんな助兵衛な根性が働いているかもしれません。
卑下するつもりはないが、
個性はどうでも、
脈々と伝えられるもののほうこそ大事、
との思念から、
かぎられた時間のなかで、
すぐれた先人にすこしでも近づければ本望です。
・幾曲がり石段上の桜かな 野衾