矛盾的自己

 

先月初めに所用で秋田に帰省した折のこと、歩行が困難になった母がポツリ、
「コロッと死ねないもんがなぁ。コロッと死ねだらどんなにええが」
と。
こころが細く、また弱くなっているのでしょう。
「そんたらごど言うなよ」
とわたし。
足許は覚束なくなっているとはいうものの、
内臓を含め上半身はいたって元気なことは、わたしの目で見てもよく分かり、
一安心しました。
このごろは用事のあるなしに拘らず、
週に三度は秋田に電話しますが、
先だって父が、こんなことを話していました。
予定の日に病院に行き、血液検査やらレントゲン検査やらいろいろ調べていたら、
診察までにけっこう時間がかかり、
それでなくても怖がりで、
病院が嫌いな母は、
何か異常があってそのために遅れているのではないかと、
それはそれは心配していたのだとか。
が、
いよいよ診察になり、
どっこも異常がないと医者から宣言されるや、
母はそれはもう、
天にも昇るような晴れがましい表情になり、
「えがったでぁあ、えがったでぁあ、ほんとにえがったでぇあ」
と大喜びし、
家に帰ってきても、
またまた、
「えがったでぁあ、えがったでぁあ、ほんとにえがったでぇあ」
と喜びを反芻していたと。
父の話に、
わたしも思わず笑ってしまいました。
「コロッと死ねないもんがなぁ」を口にした母が、
また一方で医者から太鼓判を押され
「えがったでぁあ」
なるほどなぁ。そうだよなぁ。
矛盾といえば、これほどはっきりした矛盾はないかもしれない。
しかし、
二つの発言には、
汲めども尽きぬいろんな意味と味が潜んでいて、
母のことばとこころを反芻します。

 

・時を忘れて蒼天に木の葉ふる  野衾

 

神を観ること

 

けれども、私たちはその贈り物を望まなければなりません。注意深く、
心の目を醒ましていなければなりません。
ある人々には、時が満ちる体験は劇的にやって来ます。
聖パウロにとっては、
ダマスコへの途上で地面に倒れた時がそうでした(使徒言行録9・3―4)。
けれども、
私たちの内のある人々には、
ささやきの声や背中にそっと触れる優しいそよ風のようにやって来ます(列王記上19・12)
神は私たちすべてを愛しておられます。
そして、
それぞれに最も相応しい仕方で、
私たちみんながそれを身をもって知るようにと望んでおられます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.417)

 

パウロのコンバージョン(回心)として有名なエピソードを取り上げながら、
ナウエンは、
それがだれにでも起こり得るのだ、劇的な形でなくても、
と語っており、
わたしはすぐに、
小野寺功先生の「かたくりの花」のエピソード、
子供のころ、雪を割って咲いていたかたくりの花を見たときの言い知れぬ感動、
を思い出しました。
伝記を読むと、
マザー・テレサや田中正造のコンバージョンは、
パウロに近いところがあるようにも思いますけれども、
圧倒的多数の者にとって、
自然の神秘に触れる瞬間というのは、
ほんのちょっとした、
ややもすれば、
瞬きしているうちに見逃してしまうようなこと、時、かもしれません。
『論語』に、
『詩経』を論じた孔子の「思無邪」(思い、よこしま無し)
のことばが出てきますが、
これも、
生きることの神秘、
それに触れる感動を告げているようです。
ドイツの思想家ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)の「神を観ることについて」
のことばも響いてきます。

 

・木の葉一枚水平にふり来る  野衾

 

東海林太郎と三橋美智也

 

東海林太郎(しょうじ たろう)といえば、秋田の先達であり、
わたしの母校の大先輩でもありますが、
若いときは、東海林太郎の魅力がよく解りませんでした。
それに対して、三橋美智也は、
父や叔父がよく歌っていましたから、
自然と耳に入り、いつしかわたしも歌うようになり、
三橋のCDは、いまもたまに聴くことがあります。
さて、
秋田魁新報に刑部芳則(おさかべ よしのり)さんが、
東海林太郎没後50年を期し、
「知られざる東海林太郎」のタイトルでコラムを書いており、楽しく読んでいますが、
その六回目にあたる文章(12月17日掲載)は、
東海林太郎と三橋美智也のつながりに関するものでした。
それによると、
三橋は、
現在テレビ東京になっている局の番組の中で、
「僕はもともと東海林太郎先生を崇拝してましてね。
東海林太郎先生の唱法に民謡を入れたんです」
と語っていたそう。
また朝日放送テレビでは、
「歌い方にしても、自分の民謡調に対して、基本的には東海林太郎先生の歌い方、
発声というものを勉強しましたね。
だから『おんな船頭唄』は似ているんじゃないかと思いますね。
直立不動で、きちっと歌うのが好きですね」
と。
コラムの著者である刑部さんをテレビで何度か見たことがありますが、
蝶ネクタイ姿をしており、
珍しいと思って見ていましたら、
刑部さんは、東海林太郎が大好きで、
憧れ、
東海林太郎の姿をまねて蝶ネクタイをしているのだと話していました。
なるほど。
ところで子供のころピンと来ませんでしたが、
だんだん齢を重ねてくるにつれ、
テレビで東海林太郎の姿を見、歌を聴くと、
歌う姿もそうですが、
ああいいなあと思います。
感動します。
「麦と兵隊」の二番の歌詞にある
「友を背にして道なき道を行けば戦野は夜の雨
「すまぬ すまぬ」を背中に聞けば「馬鹿を云うな」とまた進む」
を聴いていると、
ツーと涙が零れてくることも。
三橋美智也が東海林太郎をよぶときに「先生」を付けるのを、
母校の後輩として誇らしく思います。

 

・鍼灸院「おだいじに」の字なほ寒し  野衾

 

居直りの一言

 

宣長は「死ほど悲しいことはない」と言う。一言だが、
千万言を費やした哲学書とか人生論、宗教書とかを越えたたった一言が、
死と言うものを言い当てているだろう。
死を取り上げた哲学者はずいぶんいる。ハイデガーも死を考えた哲学者である。
人間の共通する条件は何かというと誰でも、死を免れないことだ。
そこで、
人間の観察はどこに立脚点があるかというと死にあるといって
ハイデガーは死の哲学を展開する。
そういう千万言のことばは死の理解を求めてはくるが、
一方宣長の一言によって全部が空しく思えてくる。
すべてを超えるものが「死ほど悲しいことはない」という一言である。
死を語ったことばは無数にあるが、
一番実感があるのは、
この、いわば居直りの一言ではないか。
そうした居直りのひとつが「もののあわれ」であろう。
「もののあわれ」はそれほど重大な、
『源氏物語』が核とする和歌的なるものの指摘なのである。
(中西進『日本の文化構造』岩波書店、2010年、pp.150-1)

 

たしかになあ。「死ほど悲しいことはない」には、
『存在と時間』を吹き飛ばすほどの破壊力がある、と言えないことはない、
まことに。
でも、
わたしは一方で、
寅さん風に「それを言っちゃあおしめいよ」と思い、
口に出して言いたくなる。
「死ほど悲しいことはない」と公言し、それを味わい、そこに居座る、
あるいは居直ることで満足したくない。
いや、満足できない。
泣き止まぬ赤子の足掻きに似ているかもしれない。
足掻きとは思うけれど、
宣長はもとより、
家持、式部、芭蕉、孔子、老子、荘子、杜甫、李白、
プラトン、アリストテレス、アウグスティヌス、ヘルダーリン、ベルクソン、ハイデガー等々、
東西の先人たちの思索と詩作、知恵に耳を傾け、
足掻いたり、逆立ちしたり、
外へ飛び出して雨に打たれたりしてでも、
這いつくばって、
生きる意味を、きょうここに開きたい。

 

・富士の峰ホーム無言の師走かな  野衾

 

ハイデガーにとっての芸術

 

こうした思考がどれほど芸術との近隣関係にあるのかを、
ハイデガーは、
一九三五年に初めて行った講義「芸術作品の起源」において説明している。
彼はそこで履き潰された自分の靴を描いたヴァン・ゴッホの絵
(ハイデガーはそれを農夫の靴と間違って考えている)
を例にとって、
芸術が事物の「どうでもよい平凡なものという性格」を失わせて姿を現わさせる
さまを記述している。
芸術は描写するのではなく、目に見えるようにする。
芸術が作品の中に取り上げるものは、
世界の全体にとって透き通って見える一つの独特の世界を作り上げ、
しかも世界を作り上げるこの行為はとくにそうしたものとして経験可能なものになる。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、pp.436-7)

 

見慣れていて、ふだんの生活の中でとくに意識に上らないものが、
あるとき、ふと、抜き差しならない切実なものに感じられ、
これまで見慣れ、つかい慣れ、知ってきたものとまったく別物に感じられる瞬間というのがあり、
そうなると、
ことばではとても言うことができなくて、
ただだまってその場に立ち尽くすしかない、
そんな時がたまにあります。
ハイデガーの〈存在の明け開け〉は、
そのような事態を指していると思われ、
芸術はそれをあらわに見せてくれると言えそうです。

 

・在りと在る存在の明け聖夜ふる  野衾

 

ハイデガーの〈退屈〉

 

ハイデガーは聴講生たちを大きな空無の中に突き落として、聴講生たちに実存の奥深くの
ざわめきを聴かそうとする。
もはやすべてのものが問題ではなくなる瞬間、それにしがみつき、
あるいは
それをもとに自分を感じることができる世界の内容が考慮に値しないものになる瞬間
を彼は開こうとする。
それは時間が空疎に過ぎて行く瞬間である。
時間には何の内容もなく、
ただそこに時間が純粋に居合わせる。
退屈とは、
時間が決して過ぎて行こうとしないがゆえに過ぎて行くのに気づく瞬間である。
そこでは人は時間を追いやることはできず、
何とか時間を潰すこともできず、
何らかの意味を加えることもできない。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.287)

 

こういう時間に突き落とされる恐怖はつねに付きまとっていて、
そこからそこを開いていくところに生きることの根本があるとも感じられ、
そうなると、
瞬間瞬間は、いわば悲しき闘争の場の様相を帯びてきます。
だれかにすがりたくなる
(たとえば親、友だち、先生、医者、牧師、僧侶、自分等々)
けれど、
だれにすがることもできないことを思い知らされ、
愕然とし、
時計ばかりを凝視することになります。
時間って何?
子供を救え!

 

・星の下聖夜の意味を知らずをり  野衾

 

哲学をするということ

 

一九二八年、すでに有名になっていたマルティーン・ハイデガーは、
学生時代に何年か滞在したコンスタンツの神学生寄宿学校のかつての舎監に宛てて
こう書いている。
「おそらく哲学は最も強烈かつ持続的に、
人間がいかに青二才であるかを示すものです。
哲学をするとは、結局のところ、
初心者であるということ以外の何ものでもありません」。
ハイデガーが称えている初心ということにはさまざまな意味が含まれている。
彼は初心の巨匠であろうとする。
ギリシャにおける哲学の始まりに、彼は過ぎ去った未来を探り、
現在においては生のただ中で哲学が新たに生まれて来る地点を見つけ出そうとした。
こうしたことが起こるのは、「気分」においてである。
思考でもって始めると称する哲学を彼は批判する。
実際はそうした哲学は
驚き、不安、心配、好奇心、喜びなどといった「気分」でもって始めているのだと、
ハイデガーは言う。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.9)

 

小学生、中学生の頃、理科の授業で人体について説明されると、
へ~、人間の体って、そういうふうに出来ていて、
そんなふうに繋がって動いているんだ、
と、
おもしろがって先生の話を聴いていましたが、
他方で、
当時はうまく言葉にできませんでしたが、違和感を覚えていたように記憶しています。
人間はそういうふうに出来ているかもしれないけれど、
オイ(=わたし。秋田方言)はそうではない。
いまここに居るオイを、そんな理屈で説明しきれるものか。
でも。
でも。
考えてみれば、オイも、人間なんだよなー。
そんなような違和感だったと思います。
きわめて気分の問題であり、
ハイデガー風にいえば、
人生の初心者として、
現存在の不安と戦きに盈たされていたのだと、いま思います。

 

・凩や現存在の足下を  野衾