事実は小説より

 

終ってしまいました。なにが? 『カザノヴァ回想録』
ドキドキワクワクさせられたり、
ときに声を出して笑わせてもらったり、
さいごのほうは、
人の一生について、いろいろ考えさせられたりもしましたが、
全体を通して見ると、
カサノヴァ本人がじぶんの人生を愛おしみ、
思い出しながら、
書くことを楽しんでいると感じられ、
自伝を読んでくれるであろう未来の読者を楽しませよう、
そういうこころが自然と伝わってくる、
いい本でした。
が、
ほんとうに、そんなこと実際にあったの? 話を盛ってないか?
と、
俄かには信じ難いことが少なからず
書かれてあり、
「風俗史料としても」の謳い文句が分かる気がします。
下に引用する箇所など、
おもしろうてやがて悲しきをのこ
でありましょう。

 

その頃、
アルベルガティ・カパチェリ侯爵と名のるボロニアの一貴族のことが評判となっていた。
かれは自作の芝居を発表し、
みずからその芝居をじつに上手に演じていた。
かれが有名になったのは、
非常に高貴な家柄の出である奥方にどうにも我慢ができなくなったので、
その結婚の無効宣言を申し渡してもらい、
代わりに、
すでにかれの二人の息子を生んでいた或る踊り子と結婚したからだった。
かれは二人も息子をつくっているのに、
不能を理由にして、
最初の妻との結婚を無効宣言させ、
厚かましくも、
自分の不能を会議において証明したのである。
この会議という野蛮で滑稽な風習は、
今でもイタリアの大部分の土地に存続している。
鑑定を行なうのは、
四人の公正で決して買収されたりしない裁判官で、
かれらは素っ裸にした侯爵さまに対して、勃起能力を調べるためのあらゆる試験を行なった。
そして、
勇敢な侯爵は最も厳しく、
入念きわまりない吟味に耐え、つねに、
完全にだらりとした状態を保ちつづけたのだった。
こうして、
結婚は相対的不能という理由で無効を宣告された。
というのも、
かれには私生児がいたからである。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 6』河出書房新社、
1969年、pp.374-5)

 

・雪降るや午後から雨に変るかも  野衾

 

月報のたのしみ

 

読書のたのしみを堪能してきた『カザノヴァ回想録』ですが、
いよいよ最終第六巻一〇〇ページを残すのみ、
ちょっと名残惜しくなり、
読むスピードをさらに落とす具合。
いまは河出文庫にもなっているようですが、
わたしが読んでいるのは、ホッチキス止めでなく紫色の貼り箱入り。
各巻に月報が付いていまして、
それが文庫版でどうなっているか、
ひょっとしたら、
その文章が付されていないのではないか
とも思われ、
そんなことから、
古書で求めたものです。
月報は「カザノヴァ・サロン」と題され、
当時の著名な方々が『カザノヴァ回想録』と“稀代のモテ男”カサノヴァ
について
コメントを寄せています。
名前を挙げると、
澁澤龍彦(月報の表記は、渋沢竜彦)、夏川文章、栗田勇、平川祐弘、なだいなだ、
川村二郎、丹羽文雄、平岡昇、小笠原豊樹、開高健、大岡昇平、米川良夫
の十二名。
短文ながら、
どの文章も読ませます。
『カザノヴァ回想録』は窪田般彌の前にも翻訳が出ており、
また、
原文で読んでいた方もいるでしょうから、
当時において、
すでに読書人たちにとって恰好の読み物になっていたことが分かります。
本そのものの面白さもさることながら、
その本がどう読まれてきたかを読むことは、
本の厚みをさらに増してくれます。

 

・さらさらと細谷川の蕨かな  野衾

 

どの文も新しい

 

本は、一度読んだら終り、という場合が圧倒的に多いのですが、
何度も何度も、
ちいさい子どもが、
好きな絵本をくり返し話者にせがむように、
何度もくり返し読む、読みたくなる本があります。
本というより、
本のなかの文かもしれません。
数は多くないけれど、
そういう本をいくつか持って読んでいるうちに、ハッと気づいた。
それは、「どの文も新しい」ということ。
『論語』でいえば、
「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎《お》かず」または「舎《す》てず」
「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」
あるいは「文質彬彬」
などは、
五年前と今年では明らかにちがい、
極端な話をすれば、
きのう読んだのと、きょう読むのとでは、ちょっとちがう、
まるで、
くり返しの多い年老いた親の話を聴くような具合で、
落ち着いた味わいを超え、
抜き差しならなく緊張し集中し、
わたしにとっての意味と位相がちがってきていると感じられます。
『聖書』「コリントの信徒への手紙 二」第三章六節に、
「文字は殺し、霊は生かします」
がある。
すこし前の口語訳聖書では、
「文字は人を殺し、霊は人を生かす」
印字された文字は、
ただの黒い線、真っ直ぐな線、また曲がった線、しるしでしかない。
辞書を引くと意味が書いてありますから、意味を理解し、
いったんは落ち着く。
ところが、
何度も読んでいるうちに、
辞書的な意味を超え、
きょう、この瞬間のわたしに語りかけていることばと感じられ、緊張し、また謹聴する。
霊が働き、文字が文になる、
そういうふうに感じ始めた感興をことばにすると、
まさに「文字は殺し、霊は生かします」
ふるい本だけでなく、新しい本の文もそうかもしれない。
文字が霊にふれ、
文として立ち上がってくる、
そんなイメージをこのごろ持ちます。

 

・野良猫の子の潜みをりU字溝  野衾

 

共にいる喜び

 

一見、喜びは他と異なっていることと関連があるように思われます。
褒められたり賞を得たりすると、
他の人々とは違うという喜びを経験します。
人より早く走れる、人より頭がいい、人より綺麗、そのような違いが喜びをもたらしてくれます。
しかし、
こうした喜びは束の間のものでしかありません。
本当の喜びは、
私たちが他の人々と同じように脆く、
いずれは死ぬものであるところに隠されています。
それは人類の一員であるという喜びです。
友人として、仲間として、旅の道連れとして、他の人々と共にいるという喜びです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.63)

 

この日記『港町横濱よもやま日記』は、創業から約半年遅れて始めましたので、
二十三年がたちました。
日記とはいうものの、
このごろは、日々の記録のうち、
読んだ本のなかから、気に入ったり、気になったり、
考えさせられたりした箇所を引用し、
それにコメントを付す、
そういう文章が多くなりました。
本にかかわる仕事をしていますので、
それもありかと思い、
また、
引用していると、
著者の文体が指先を通じてこちらに浸透してきますから、
じぶんとは違うひとの文章を知るのに役立ちます。
それと、
いままで上梓した拙著の多くは、
テーマを定め、この日記に書いた文章から取り出して選びまとめたものですが、
拙著の上梓と、
それについてのありがたい評言は、
今後の方向を見定めるのに役立っています。
さてヘンリ・ナウエンのこの本からこれまで何度か引用していますが、
上で引用した文章も、
分かりやすい内容、シンプルな言葉ながら、
味わいがあり、
いろいろと考えさせられます。

 

・お品書きじつと睨んで春隣  野衾

 

文学が生まれる

 

カザノヴァが自伝を書く意図を持ったのは一七八〇年頃のことであり、
その執筆は少なくとも一七九〇年にはじまっていたと推定されている。
そして、
一七九二年には『回想録』の最初の草稿が書き終えられたが、
一七九三年のオーピッツ宛ての手紙は、
なぜ『回想録』がトリエステ帰還のところで終わっているかという理由を説明するものであろう。

 

……回想録のことについて言えば、わたしはこのままにしておこうと思います。
なにしろ五十歳以後のことは、もはや悲しいことしか話せませんからね。
それはわたしを悲しませるばかりです。
わたしが回想録を書くのは、
ただ読者を楽しませるためでしかありません。

 

すでにカザノヴァは『プロン脱獄記』を発表した一七八七年に、
自伝を書くとすれば一七五六年から七四年までのことを扱いたいと語っているが、
この天性陽気なヴェネチア人の執筆態度には
〈幸イニ話ガ面白ケレバ、聞キ手ノホウデソウ言ッテクレル〉
というマルティアリスの金言があったことを忘れてはならない。
こうした人間に、
五十歳以後の寂しい人生を語ることなどはできない。
かれは、
悲しみと寂しさに〈気違いとならない〉ために、
いま一度明るく楽しい青春の思い出に遊ぶことになる。

 

……わたしは退屈しないために書いているのだ。
わたしは楽しんでいる。そして、書くことに満足し、喜びを感じている。
たとえ理屈に合わないことを書いても、わたしは少しも気にしない。
自分が楽しんでいることを確信できれば、
それだけで十分なのだ。

 

詩人の倦怠や寂寥に不必要な同情を寄せてはいけない。
アナトール・フランスの言い草ではないが、
歌う者は絶望をも美しくする術を心得る。
世間的な意味での文学者になりそこねた文人カザノヴァも例外ではなかった。
かれは痛風のためにきかなくなった指を酷使しながら、
日に十三時間も書きつづけた。
文学はすべて、
生存の空しさから生まれるといったら言いすぎだろうか。
十二巻の『回想録』は、何よりもこのことを証明しているではないか。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 6』河出書房新社、
1969年、pp.464-5)

 

『カザノヴァ回想録』あと二百ページほどを残すのみとなりました。
わるい癖で、つい、
うしろの訳者「解説」を開いてしまい、
そろりそろりと読んでみました
ら、
なんとなく予想はしていたものの、
なるほど、そういうことだったのか、と疑問が氷解しました。
それは、
これほどの記憶力と記述力を持つカサノヴァが、
どうして五十歳以降の人生について記さなかったのかの疑問です。
以前ここに引用した箇所にもみられたように、
カサノヴァには明らかに、読者を楽しませよう、さらに笑わせようという意図が見えます。
そして、それは成功していると思います。
しかし、
その天才的な筆力を以てしても、
五十歳以降の人生について、
読者を楽しませることはできないという、
カサノヴァの判断があったことになります。
ただ遠く離れた島国の、六十も半ばを過ぎた人間としては、
勝手な欲張りであることを承知しつつも、
こちらを楽しませなくても、
笑わせてくれなくても、
老境にある感懐を吐露して欲しかった、
そんなふうに思います。
「五十歳以後のことは、もはや悲しいことしか話せませんからね」
とカサノヴァは言うけれど、
それをきちんと書けば、
巧まぬ可笑しみ、面白みは自ずと滲んで現れたのではないかと想像します。
そこまで含んでの「人間喜劇」かなと。

 

・追はれゆく鬼の背中や日の巡り  野衾

 

塩鮭の塩を抜くには

 

以前、東京で会社勤めをしていたころ、
教育者として著名な大村はまさんと幾度かお目にかかり、いろいろお話を伺ったことがあります。
赤羽にある居酒屋でのことだったと思いますが、
どういう話の流れから
かは忘れてしまいましたが、
「三浦さん、塩鮭の塩を抜くやり方を知っていますか?」
と訊かれたことがありました。
「いえ。知りません」
すると、
大村さん曰く、
塩鮭の塩を抜くには、真水でも抜けますが、旨味を逃がさぬように塩を抜くには、
迎え塩といって、適度な濃度の食塩水に入れて抜くとよい。
それと同じように、
悲しいこころでいるときに、
華やいだ場所で癒されることは少ないのではないでしょうか。
じぶんの経験からすると、
寒い季節に、
日本海側を鈍行列車に乗って、どんよりした空の下をゆっくり旅しながら、
だんだんと癒された、
ということがありました……。
そういう主旨のお話だったと思いますが、
ときどきそのことを思い出し、
そんな時に効く、
いや、
そんなときに聴くCDがあります。
『the Pearl HAROLD BUDD/BRIAN ENO with DANIEL LANOIS』
きのうの夕刻、
こころが疲れ、すこし澱んできたかな、
そんな気がして、
そうだ! と思い、
やはりこのCDを、ボリュームをあまりあげずに聴いていました。

 

・病院の上より叫ぶ鬼は外  野衾

 

歴史上の人物

 

かの女が暗殺者たちと前もって打ち合わせをしていたというような噂は、
すべて全くの中傷にすぎない。
かの女は強い心の持主ではなかったが、決して腹黒くはなかったからである。
リガで会ったとき、かの女は三十五歳だったが、
すでに二年前から女帝として君臨していた。
かの女は美人ではなかったが、
自分に注目する誰にも好かれる力をそなえていた。
そして、背は高く、風采も立派で、
優しく親切で、
とくに、つねに落着きのある人間だった。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 5』河出書房新社、
1969年、p.375)

 

ジャコモ・カサノヴァの『回想録』は、文字どおり、
ヨーロッパを股にかけての恋の冒険行で、
事実は小説よりも奇なりを地でゆく稀有のものでありますけれど、
事実であるだけに、
個人の人生に迷惑にならぬよう、
そこは慎重に、
個人名をイニシャルで記すなどの配慮が見えます。
が、
だれもが知っている歴史上の人物については、
その伝ではなく、
むしろ、
カサノヴァの目とこころに映った像をくっきりと、
はっきり描いてくれていて、
おもしろく、また役に立つ。
なるほど、そうか、
そういう人だったのか、
と、
中学以来、
世界史の授業で習った人物について、
じぶんのイメージと重ね納得し、
逆に、
えええっ!! そうなの!? そんな奴?
みたいに感じる人物がいたりして
目がひらかれ、
それはそれで『回想録』を稀有の読み物にしているようです。
ちなみに上に引用したところの人物は、
エカテリーナ二世。

 

・頬赤きあの子めがけて雪合戦  野衾