なにかいいこと

 

帰宅時、JR保土ヶ谷駅から保土ヶ谷橋の交差点に向かって歩いていたとき、
まえをとぼとぼ(と見えました)
歩いている小学生がいました。
数歩歩いて立ち止まり、右へ歩いて立ち止まり、こんどは左へ数歩。
がっこうで何かいやことでもあったのだろうか。
そんなことまで想像しながら少年に近づき、
追い越そうとしたとき、
ひょいと見ると、
少年は小石を右足でポンと蹴りました。
そういうことか。
すぐに追い越しましたが、
歩きながら振り返ると、少年はまだ石蹴りをつづけていた。
蹴るのにちょうどいい石をどこで拾ったのだろう。
とおい記憶が蘇ります。
だれから教わったわけでもないのに、
子どものころ、歩きながら、よく石を蹴りました。
ポンと蹴り、歩いて石に追いつき、またポンと蹴る。一歩、二歩、三歩、四歩、ポン。
また歩く。
あの電信柱に石がぶつかったら、なにかいいことがある。
ポン! 外れ。
道のちょうどまん中で止まったら、なにかいいことがある。
ポン! 外れ。
あの水たまりに入ったら、なにかいいことがある。
ポン! やったー!!
なつかしい石の思い出。
家に着く頃にはすっかり忘れてしまい、
また学校の帰りに道を歩いていて、目の前に小さな石が転がっていると、
踏まずにいられませんでした。
ポン!

 

・どつさりと疲れを下ろす去年今年  野衾

 

光の射程

 

しばしば、私たちは未来を垣間見ることが出来たら、と思います。
「来年はどんな年だろう。今から五年後あるいは十年後私はどこにいるだろう」
と私たちは口にします。
これらの問いには答えがありません。
私たちには、
次の時間あるいは次の日に何をしなければならないか、
といった程度のことを垣間見るだけの灯しかありません。
人生の秘訣は、
私たちが見ることの出来るものを楽しみ、
闇の中に留まっている物事について不平を言わないことです。
次の歩みを照らすのに十分な光があるという信頼をもって、
一歩を踏み出すことが出来る時、
私たちは人生を喜びをもって歩き通し、
こんなに遠くまで行けるものかということに驚くことでしょう。
私たちにあるわずかな光を喜びましょう。
そして
すべての影を取り去ってしまうような強い光を求めないようにしましょう。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.40)

 

いくどか引用しているナウエンのこの本は、
一回がこのぐらいの長さで、365あります。
上に引用した文章は、
1月8日のもので、
「明日を照らす確かな光」という見出しが付いています。
会社から帰宅すると、
手を洗った後にするのがこの本を開くこと
ですが、
1月8日は日曜日でしたから、
家に居ました。
仕事というわけではありませんでしたけれど、
硬めの本を読み少々疲れての夕刻、
秋田から帰ってきてまだ三日目ということもあってか、
親のことを含め、
来し方行く末をつらつら思い、考えているときに、この文章と出合いました。
哲学者の森信三は、
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」
と記しましたが、
逢うのは、
人だけでなく、文にも当てはまるようです。
この本の装丁が、
一昨年七月に亡くなった畏友・桂川潤さんであることも、
わたしをこの本に向かわせます。

 

・年明けて悲と喜を抱く故郷かな  野衾

 

ゲーテ詩集のひと

 

年末年始、秋田に帰省しての帰り、
JR井川さくら駅から秋田行きの各駅停車の電車に乗りました。
北国のこととて、乗客はどちらも、防寒靴を履いています。
窓の外はどんよりと曇り、
小雪がちらほら降っています。
羽後飯塚駅を過ぎ、つぎは大久保駅。
数名乗ってきた客のひとりが、
わたしのすぐ斜め向かいのシートに座り、肩から外したリュックを膝に乗せ、
中から本を取りだしました。
血管の目立つ手ににぎられた本は、ゲーテ詩集。
高橋健二の名も見えましたから、新潮文庫なのでしょう。
小口、天地、本文の紙はだいぶ焼けています。
リュックをかかえながら、
しずかに本を開き、
しおり紐のところからページに目を落としました。
ゲーテといえば、
秋田の先達で、母校の先輩でもある木村謹治がいます。
大学時代、
キムラ・サガラのドイツ語辞書をつかっていたのに、
その「キムラ」が木村謹治先生であることを、
当時は知りませんでした。
目の前でゲーテ詩集を読んでいる老人は、ひょっとして、木村先生と縁のある方ではないか。
いや、木村先生ご本人。
写真で見たことがあるから、それはないか。
それに、
木村先生はとっくに亡くなっている。
でも、特徴のある眉毛の形がどことなく似ているような…。
とりとめのない、そんなことを思っているうちに、電車は秋田駅に到着。
ゲーテ詩集のひとは、
本を戻し、
リュックサックを背負い、わたしよりも先に電車を降りました。
どこに行くのだろう、
と、
ちょっと思いましたけれど、
思っただけ。
新幹線の発車時刻まで、まだ一時間あります。

弊社は本日より営業開始。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

・存在の暾と開けゆく大旦  野衾

 

翔べないエンジェルの飛翔

 

高校二年生になる義理の姪が、住まいする土地のジュニアオーケストラで、
コンミスを務めることになり、
家人はその公演を観に出かけました。
「コンミスを務めることになったんだってー!!」
と、
妹からのメールに歓声を上げた家人が、
「ゆうちゃん、コンミスを務めることになったんだって!」
「…………コンミスって何?」
「オーケストラのコンミスよ」
「いや。オーケストラは知っているけど、コンミスは知らない」
「コンサートマスターがコンマス、コンサートミストレスがコンミス」
「ああ、そういうことね。ゆうちゃんがねえ。それは凄い!」
と、
なんとも間の抜けた発言をしてしまいました。
それはともかく。
ゆうちゃんがまだ二歳の頃だったと思いますが、
白いドレスを身にまとい、
ちょこんと、しょぼんと、状況が分からないような、
不興気な面持ちで写っている写真を見、
わたしは思わず大笑い、
「翔べないエンジェル」と命名しました。
ドレスの背中に、目に見えない白い羽が生えていると見えたからです。
あれから幾星霜、
この世で生きる意味を見つけ、
こつこつ倦まず弛まずに努力をつづけたおかげで、
今回の栄誉を勝ち得た、
ということになるでしょうか。
いまこうして、
ことばをつむぎながら、
ゆうちゃんの過ごしてきた時間を思い、おなじ時間をわたしはわたしで送ってきて、
それぞれ喜怒哀楽の波の上を揺蕩い、
こうしていま年末を迎えると、
そのはやさを思わずにいられません。
健康で、ひとに喜んでもらえることが一番かな。
ゆうちゃん、がんばれ!
よかったね。

弊社は、きょうが仕事納め。明日より1月9日まで冬期休業となります。
1月10日(火)より通常営業。
よろしくお願い申し上げます。
どちらさまも、
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

・冬の暁闇宇宙の音すカチリ  野衾

 

吉井和哉の「みらいのうた」

 

先だって、帰省のことで秋田に居る弟と電話で話していたとき、
話の最後に、
「ところで、兄貴、よしいかずやのみらいのうた、知ってる?」
と訊かれました。
「いや、知らない」
「俺も知らながったけども、クルマ運転しているどぎに、ラジオがら流れできて、
なんとなぐ聴いでいだら、とてもいい歌だった」
「そうが。わがった。聴いてみるよ」
弟が、こういうことをつたえてくるときが、
たまにあります。
よしいかずや、は、調べると吉井和哉、
でした。
ザ・イエロー・モンキーのリードボーカルだった人で、バンド解散後は、
ソロで活動しているようです。
ザ・イエロー・モンキーというバンド、
名前を聞いたことはありますが、
その楽曲を意識して聴いたことはありません。
さて吉井和哉の「みらいのうた」、
YouTubeを検索し、さっそく聴いてみました。
ゆっくり静かなメロディにのせ、
「何もかも嫌になった こんな時何をしよう」と歌がはじまります。
さいごまで静かに聴きました。
二度目、歌詞を味わいながら、聴きました。
三度目、すこし熱くなりながら、聴きました。
2021年ですから、
さいきん発表された歌でした。
わたしの癖で、
このひとがどういう人物か、知りたくなりました。
こういうとき、インターネットは便利です。
本も出ていました。
『失われた愛を求めて―吉井和哉自伝』
2007年に発売されています。
レビューの多さから、
この人の人気の程が分かります。
おおむね高評ですが、なかに、低い評価ながら、ちゃんと本を読んで真面目に書いている、
だけでなく、
この人も吉井和哉のファンであると感じられる、
そういうレビューがありました。
評価の高低に拘らず、
共通して多く登場している単語に
「赤裸々」
があります。
なるほどと思いました。
赤裸々、というのは、ひとつの価値ではありますが、
すべてではありません。
自伝ということになると、
自分と関わった自分以外のひとのことも出てくるでしょうから、
尚更です。
評価の低いレビューの論調は
「赤裸々」の是非に関係しているようです。
まだ読んでいないので(はい。ネットで注文しました)
なんとも言えませんが、
本の発売が2007年、
「みらいのうた」が2021年、
ということは、
この間十年以上の時間が経過しており、
「みらいのうた」の歌詞にある「いろいろいろんなこと」が
吉井さんにあったであろうことは、
容易に想像できます。
いつものように朝、四時に起きてこのブログを書き、出社して仕事をこなし、
家に帰ってきて夕飯を食べ、テレビを見、
それから床に就きます。
朝四時に起きてブログを書き、
またYouTubeを検索し「みらいのうた」を聴きました。

 

・し残しのことを机上に冬ざるる  野衾

 

感恩報謝

 

神を愛することは、人間の無力を以てして、何ものかを神に附加へる事を意味する限り、
不可能ならざるを得ない。
却てこの無力を自覺せしめられ、その罪惡を赦す神の愛を、
全く自らの値せざる恩寵として、謙虚に自己を無にして感受し、
それに對する感恩報謝の行に於て、
神の愛卽無の媒介として自ら奉仕することより外に、神を愛する途はない。
(「附録 キリスト敎とマルクシズムと日本佛敎」、
『田邊元全集 第十巻 キリスト敎の辯證』筑摩書房、1963年、p.292)

 

名前が同じ元(はじめ)さんでも、中村さんの方の『広説佛教語大辞典』をひらくと、
「感恩」も「報謝」も項目として上げられています。
ベトナムでは「ありがとう」というときに、「感恩」という、
と『大辞典』に記されています。
感恩、報謝ということばは、
たしかに佛教のにおいがしますけれど、
上に引用した文言全体は、
新井奥邃の「有神無我」と近く感じられ、
かならずしも牽強付会ではない
ように思います。
あたまを雲の上に出す日本一の富士山に登る登山口がいくつかあるように、
真理、また真実へ至る途はいくつかある、
ということでしょうか。

 

・枯蟷螂三角頭うへは富士  野衾

 

自力と啓示

 

人間は自然と社會との主人となつただけで、自分自身の主人となることは決してできぬ。
前者は人間自力の能くする所であるとしても、
後者は人間自力の可能とする所ではあり得ない。
これは人間的自己の絕對否定を要求するものだからである。
それは決して、
宗敎の啓示以外の何ものに於て成立するのでもない。
カントが啓示に於ける神の受肉を以て、根源惡からの解放の原動力と認めた所以である。
マルクスの自由論はカントの倫理の立場に止まり、
未だ後者の宗敎論の立場に逹するものではない。
それは理性の絕對批判、絕對分裂に於て無を徹底的に實現するものでなく、
なほ目的論的同一性に纏綿せられて有の繫縛を脫しないのである。
これ唯物論の限界に外ならない。
眞の自由解放は我性からの解放なくしてあり得るものではない。
然るに唯物論は之を放置して、
ただ理性の卽時的抽象的解放を說くに止まる。
所詮それは理論的能力としての理性の立場を脫せず、
眞に無の實踐的立場に逹するものではないのである。
實踐的唯物論とか辯證法的唯物論とかいふ概念そのものが正に自己矛盾を含む
といふ外ないではないか。
(「附録 キリスト敎とマルクシズムと日本佛敎」、
『田邊元全集 第十巻 キリスト敎の辯證』筑摩書房、1963年、pp.288-9)

 

古い本を開くと旧漢字がつかわれており、
画数の多さは、
字の本来の意味と成り立ちを表していて面白い、
だけでなく、
見た目が、なんとなくカッコいいと思われるものが少なくないので、
ここに引用する場合、
なるべく、
一字一字ネットで検索しコピペしているのですが、
すべての漢字が旧字に変換できるわけではありません。
わたしが出来ないだけかもしれません
けれど。
たとえば上の文章に「的」の字が何度かでてきます。
「的」のつくりの「勺」ですが、
上で引用した本のなかでは、
斜めに下がった点が、点でなく、横棒の「一」であり、
わたしは横棒の「一」の「的」がカッコいいと思うのですが、
出し方が分かりません。
なので、
引用した文章の漢字は、
旧漢字に変換できているものと、そうでないものがあります。
それはともかく。
田邊元のこの本、
小野寺功先生の本によく出てきますので、
また、
哲学者の田邊が本気でキリスト教と格闘した記録としても読めそうなので、
さっそく読んでみました。
と、
序文から「われ信ず、わが不信を助けたまへ」
の聖句が幾度か引用されており、
ああ、
この本は田邊の必死の信仰告白の書であるなと感じます。
さらに、
付録として収載されている「キリスト敎とマルクシズムと日本佛敎」は、
わたしが大学時代に感じていた疑問にピタリと一致し、
我が意を得たりの感が深く、
田邊元が一気に近く感じられる気がします。

 

・アイデンティティを突破する嚏かな  野衾