空を飛ぶ夢

 

このブログを始めて25年ちかくなりますので、
同じタイトルであったり、
同じような内容になっていることが間々あると思います。
「空を飛ぶ夢」というタイトルで、以前書いたことまではなんとなく憶えています。
内容は忘れました。
おととい、
テレビを見ていたら「鳥人間コンテスト」をやっていました。
「人力プロペラ機部門」ではパイロットが、
手づくりの飛行機の操縦席でひたすらペダルをこぐ。
ひたすらひたすら、
こぐ。
ぶつぶつ呟きながら、じぶんを鼓舞している。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。
だんだん機体が水面に近くなると、「危ない! ヤバい! もっと上げてもっと上げて!」
などとスタッフから黄色い声の指示がでる。
汗が噴きでる。
やめるわけにいかない。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。
それを見ていて、
空を飛ぶ夢を、
そうか、このごろとんと見ていないなぁ、と思った。
夢は相変わらず見ているのに。
子供のころから空を飛ぶ夢をときどき見、
夢の中で、あ、飛ぶ夢だ、
なんて思い当たるぐらいになっていた。
崖の上やビルの屋上、険しい山の頂から飛び立つ。コツは肩甲骨をゆるめること。
降下し始めても、あわてずに、自信をもって羽ばたいていると、
地面に叩きつけられることなく、
ふわりと浮上する。
そのときの気持ちのよさったら無い。
そういう夢。
「鳥人間コンテスト」のパイロットたちも、
これからときどき、
夢に見るかもしれないと思った。
空を飛ぶ夢の終りは、
いつも同じ。
どう足掻いても、肩甲骨をゆるめても、気持ちのあり様とかんけいなく、
もはや宙に浮くことができなくなる。

 

・石礫もて川縁の丹波栗  野衾

 

一日一ページの本たち

 

ことし五月に『挨拶の哲学』という本を出しました。
著者の鳥越覚生(とりごえ かけせい)さんは、
「人は森羅万象と挨拶をするために生まれてきたのではないか」と仰っています。
編集をしながら、とても共感しました。
きょうの朝まだき、
ゴミネットを組み立てに行きましたら、
守宮がいました。
「おはようヤモくん」
春にはたびたび見ていた守宮が、酷暑の折は姿を見せなかった。
やっと涼しくなって、ちがう個体のようですが、
またでてきたのかな?
一日一ページ読む本について、ここに書いたことがありますけど、
一日一ページ読む本も、
その著者に日々、
あいさつしているような気になります。
おーなり由子さん、リジューのテレーズさん、ジョン・ウェスレーさん、等々。
じっさいの友だちには、
そうそうしばしば会うわけにはいきませんが、
一日一ページ読む本の著者たちには、
文をつうじて、
毎日会うことができます。
テレーズさんや、ジョン・ウェスレーさんのように、
他界されている人であっても。
たとえば、
おーなり由子さんは現役で活躍されている方ですが、
おーなりさんの『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記
のきょう九月五日のページには、
「いちじく」のタイトルで、
こんなことが書かれています。

 

残暑の中で、とろんと、あまくあまくなっていく、いちじく。
よく熟れたいちじくをむくと、包丁でひっぱるだけでするするっとむけていく。
あの、うすきみどりの、やわらかな綿のような不思議なくだもの。
中をひらくと、意地悪そうな赤い実をびっしりとかくしている。
いちじくは、漢字で書くと無花果。
誰にも見せないように、内側にむかって花を咲かせて。
そうして、ひとり、甘い実をむすびます。

 

文に添えられた、やさしげな手描きのイラストがかわいく。
おーなりさんにお目にかかったことはありませんけど、
文を通じて、このごろ毎朝、会っています。

 

・かしら上げ哲学しばし蜥蜴かな  野衾

 

水府さんと聖子さん

 

田辺さんの本のおかげで、たっぷりどっぷりと、川柳の世界に浸ることができた
気がします。
さいごは「あとがき」から引用して終りにしたいと思います。
「私が川柳愛好者《フアン》であるのは、
私の書きたい小説風土が川柳の持ち味に通底しているからであろう。」
なるほど。
こういうセンスがどこから来たのか、
興味は尽きず、
ひきつづき田辺さんの『田辺聖子 十八歳の日の記録』を読むつもり。

 

かえりみれば実に多くのかたがたのご厚意に支えられて、書き上げることができた
との思いを深くする。
そして岸本水府の川柳に対する大いなる情熱が、
天界から無形に私を支援してくれた
のでもあろう。
それにしても――川上三太郎の水府への弔句は悲しくも美しい。
「千羽鶴 一羽は消えぬ 水の果て」
私もまた、拙吟を献じたい。
水府よ、君が生涯の奮闘に対して――
「太陽は孤独の王よ 水府また」
水府には水府麾下きかの「番傘」系作家をはじめ、
川上三太郎のように志を同じくして轡くつわを並べてくれる僚友も多かった。
その限りでは孤立してはいなかった。
しかし川柳に対する社会的偏見と闘うとき、
……その果てしなき奮闘にふと、孤独感を強いられることはなかったであろうか。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(下)』
中央公論社、1998年、pp.693-694)

 

「太陽は孤独の王よ 水府また」と聖子さんは詠んでいますが、
これはまた
「太陽は孤独の王よ 聖子また」
であるのかもしれません。
『田辺聖子 十八歳の日の記録』を、これから読みますが、
ぱらぱらめくると、
聖子さんの少女時代の写真が何枚か掲載されていて、
それを見、いっそうその感を深くします。

 

・ゆふやけに烏二羽ゆく三羽ゆく  野衾

 

岸本水府さん

 

田辺聖子さんの本をとり上げてきましたが、
この本の主人公ともいうべき岸本水府について、水府さんという人は、
こういう方だったんだなぁと、
しみじみ感じさせられる文章がありました。
水府さんはもちろん、
水府さんのエピソードを記す田辺さんの文章もまた、
こころに染みます。

 

水府はある点では適当に政治人間であるが
(そうでなければ広告マンとして何十年もの業績を挙げてこられない)、
こと川柳に関して、また選に関しては、
廉直れんちょくの節目を通す男であったように思われる。
しかし
「番傘」の内部では投句者を顧みること篤かった。
「番傘」同人の片岡つとむさんは、
若いころの思い出を語られたときに、
片岡さんは奈良市役所の職員であったが、あるとき職場での体験を句にしたことがあると。
それは当時の市役所に出入りしていた悪徳業界紙の無法ぶりに対し、
若い心に憤激を発して創作したものだった。
近詠十句として出すと、
水府から長い手紙が来たそうである。
〈あなたの句を見せてもらったが、十句中、四句は頂くものがあった。
句としては頂けるのだが、しかしどうだろう。
これが「番傘」へ載って活字になれば全国へ散って誰が読むか知れない。
中には業界紙を経営している人もあるかもしれず、
その人は必ずしも悪徳業界紙ではないにしても傷つく場合もあるかもしれない。
そのことで「番傘」があらぬ誤解を受けて批判されたり、
あなたに迷惑がかかってもいけない。
どうでしょう、
これは一応見合せ、全く違う句を至急、送ってくれませんか、待っています〉
片岡つとむ氏は感動されて声が出なかった。
〈そこまでこまかく気のつく選者がいられるだろうかと思いました。
水府先生のこまやかな心づかいと面倒見のよさに、胸がつまりましたねえ〉
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(下)』
中央公論社、1998年、pp.571-572)

 

岸本水府さんは、現在の福助、サントリー、江崎グリコの広告を担当した
ことでも知られています。
コピーライターの草分け的存在でもあったようです。

 

・ペダル踏む蟹股おやじ夏の雲  野衾

 

馬場緑天さん

 

田辺聖子さんの本で知った川柳作家で、もう一人、忘れたくないひとがいます。
馬場緑天さん。ろくてんさん。
毎日新聞社の校正係をされていたそうです。
ほんとうに。そういう気持ち、気分になること、あるある、あるなぁ、
その感じ、味わいは、俳句とまたちがっていて楽しい。

 

古い「番傘」幹部の馬場緑天ろくてん
このころではもうすっかり川柳界に顔を出さないが、私はこの緑天の句も好きだ。
「然らばとばかり玉子をトンと割り」 以下、緑天
どういう状況か、さまざまに想像できて面白い。
「ぼんやりと夢と雨とが残る朝」
緑天の代表作は「これほどの腹立ちを女堪忍え」
である。
「堪忍え」は京ことばのセリフで、
男は身震いするほど腹が立っているのに、女はしれしれと、一言、言いすててつんとする。
この句は以前にも紹介したが、現代でも古くない。
「盥たらいの子お釈迦のやうに洗はれる」
「赤ん坊本来空を握りしめ」
もいいが、
極端な無口で、誤植の字について発言するときだけなめらかにしゃべったという
(緑天は毎日新聞の校正係だった)緑天の、
浮世ばなれした、放心の視線の句、
「縁側へ吹き戻されるシャボン玉」
もいい。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(下)』
中央公論社、1998年、p.367)

 

「ぼんやりと夢と雨とが残る朝」
夢を見、こういう朝を迎えたときが、たしかにあった気がします。
「これほどの腹立ちを女堪忍え」
笑ってしまう。
拍子抜け、というか、なんというか。
こういう状況に立たされたことのない男がいるだろうか?
「縁側へ吹き戻されるシャボン玉」
は~。ただただ、いいなぁ、であります。

 

・人がただにくき気のする溽暑かな  野衾

 

木下愛日さん

 

田辺聖子さんの『道頓堀の雨に別れて以来なり』は、サブタイトルが、
「川柳作家・岸本水府とその時代」ということで、
この本には、
水府さん以外に、多くの川柳作家の句が取り上げられています。
初めて知る方々の川柳を読みながら、
じぶんの無知を恥じるとともに、
句に表現されたことばから、それぞれの人生を想像し、
ことばの味を嚙みしめています。

 

またもや、木下愛日さんの句から。
「こども寝てしまへば金の要る話」 以下、愛日
愛日さんの句は声調うるわしくととのい、いつも清らかである。
金の話なのに品がいい。
ことにも子供(愛日さんの句ではいつも、こども、だ)
に関する句は高雅で柔和である。
「手をあげて眠るこどもにそつと秋」
「お父さんうちにお金がありますか」
この子の姿は光芒を曳いて聖性をそなえ、愛憐の思いをそそられずにいられない。
「鯉のぼり薬のむ子と思はれず」
虚弱体質の子らしい。
「叱られて寝る子が閉めてゆく襖」
「友だちは買つてもらつた子の寝顔」
子供がねだったのは玩具か、着るものか、はきものか。
愛日さんの家庭はリッチなブルジョアではない。
つつましい給料生活者なれば、
無駄な買物はできないと子供をたしなめたのであろう。
……でも友達はみんな買ってもらってるのに、
と子は子なりの辛さでしおしおと寝にゆく。
――友だちは買ってもらった子の寝顔
……この作家は水府と南北と夢路を足して三で割ったようなところから、
すぐれた新芽を出し、やがて独特の境地に花開いた感がある。
「清貧は鏡にうつる白の足袋」
ほそい面相筆であえかに描きながら、愛日さんのキレはするどい。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(下)』
中央公論社、1998年、pp.366-367)

 

引用したところの愛日さんの子供の句は、ことばがありません。
映像が浮かんでくるばかり。

 

・塀を曲がりやがて轟く吾子のこゑ  野衾

 

愛とユーモア

 

田辺聖子さんの本のことを何度か書いていますが、しみじみ、なるほどなぁ、
と、おもしろくてたまらない。川柳、やってみようかな、
という気持ちになってきた。
ていうか、
スマホのメモ帳に、俳句とは別に、川柳らしきものをすこし残しています。
ということで、きょうもまた書きます。

 

遊びには馴れていたのが花又花酔、彼は縁日商人の取締り、花又一家の跡取りで、
この花又一家は
おでん・綿菓子・電気飴・しんこ細工・飴細工・いか焼・蛸焼
などを縄張に扱っていたという
(『川柳のすすめ――鑑賞と作り方』浜田義一郎・神田仙之助・渡辺蓮夫編、有斐閣刊)。
神田旅籠町はたごちょうの生れ。
尤も花酔はのちに芝居の肉襦袢にくじゅばん絵師に転じている。
『川柳総合事典』によれば
「戦後は日本でただ一人の無形文化財的存在」だったそうである。
花酔は明治二十二年生れだから三太郎より二歳年長だ。
廓吟くるわぎんの第一人者といわれ、
廓や遊女の句に佳吟が多い。
新興川柳推進派からみれば唾棄だきすべき句境かもしれないが、
遊女への哀憐切々たる句に心搏たれぬものがあろうか。
川柳世界は渺茫びょうぼうとして無辺際むへんざい
猫の額のような尺寸の定義をかぶせないでほしい。
私の解釈でいえば、
そも川柳は〈個〉と〈座〉の二面の芸術性をそなえている。
しかも個は座の文芸にも通ずる面をもち、
座の文芸にも個の背骨がある。
いや、
なくては座の文芸にならない。
川柳を性急に狭窄きょうさくせず、
浩々こうこうたる天地の間に解き放ってほしい。
そしておのずからそこに、
作り手の個性、座の気韻きいんがただようものであらまほしい。
もしそれ何かの共通項を探すとすれば、
愛とユーモアであろう。
文芸には客観性が要求されるが、ユーモアほど客観で成立しているものはない。
ともあれ、
花酔を有名にした句は、
「生れては苦界死しては浄閑寺」以下、花酔
である。
浄閑寺は娼妓遊女の投げ込み寺であった。
引き取り手のない遊女の亡骸なきがらは、荒菰あらこもに巻かれて
ここへ投げ込まれる。
いま東京都荒川区南千住二丁目の浄土宗浄閑寺に
この句が刻まれているというが、
私はまだ見ていない。
(田辺聖子[著]『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代(上)』
中央公論社、1998年、pp.541-542)

 

つよいいい方に、川柳愛がみちていると感じます。
ユーモアは、辞書を引くと、いろいろに定義されてでてきますが、
わたしの解釈でいえば、
それはじぶん自身を客観的に見「じぶんを笑う精神」
であると思います。
ひと様をわらうのではなく、じぶんを笑う、
じぶんを笑わない人の文章、発言は、読んでいて、聞いていて、苦しくなる
ところがあります。
だれにいわなくても、
自身、半生をふり返れば、笑わずにいられません。

 

・明日知らぬけふときのふを生きて夏  野衾