経験の窓から

 

日曜日の朝6時35分からは、「NHK俳句」の時間。
俳句好きのわたしは、
TBSの「プレバト」とともに、毎週、欠かさずに見ています。
きのうの選者は井上弘美さん。
いつものように入選九句が順に発表されていき、
六番目に、

 

野遊びや松葉相撲の勝ちは母

 

という句が紹介されました。
作者は、東京都の方。
この句を司会の武井壮さんが読み上げたあと、
すぐにつぎの入選句にいくかと思いきや、
武井さんが、短く、子どものころの思い出を語りました。
曰く、
子どもの頃、松葉相撲をよくやった。
松葉でそんな遊びができることを知ってからは、
どんな松葉だったら勝てるか、
いろいろ試してみるようになった。
遊びを知るまでは意識していなかったのに、
知ってからは、
松葉に目が行くようになり、
そうすると、
松葉だけでなく、
ほかの物も見え方が変ってくるというか、
そういう経験をしたことを思い出しました……。
おおむね、
そんな主旨だったと思います。
武井さんの話を聴きながら、
ハイデッガーの「存在」と「存在者」、
「存在の顕現的秘匿」という熟語があたまに浮かびました。
なぜなら、
ちょうど渡邊二郎さんの『ハイデッガーの存在思想』
を読み終えたばかりでしたので。
また、
渡邊さんの本には、
経験を窓として世界を見る、だったか、触れる、だったか、の言い方が
たしかあって、
そうすると、
本を読むのもひとつの経験ですから、
まさに、
経験を窓として、
武井さんの話を聴いたことになります。
本を読んでいると、
しばしばそういうことが起きます。
大げさにいえば、
日々の何気ない事や物が、
読んでいる本が地となることで、
いつもと違った光芒を放っているようにも感じられ、見入ってしまう。
おもしろいなあ、
と。
これまた、
読書の大きな喜びです。

 

・金兵衛の婆さんけふも野に遊ぶ  野衾

 

従わぬことと逆らうこと

 

ヨハネが答えて言った。
「先生、あなたのお名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、
私たちと一緒に従って来ないので、やめさせました。」
イエスは言われた。
「やめさせてはならない。
あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
(聖書協会共同訳『聖書』「ルカによる福音書」第9章49-50節、2018年)

 

ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンのことは、
本を読み、映画を観、
竹内敏晴さんが演出した舞台も観ましたが、
とくに、
竹内さん演出の『奇跡の人』のなかで、
サリヴァン先生が教え込んだもろもろのすべてを
ヘレンがめちゃくちゃに放擲し、
暴れ、
元の木阿弥になったか、
とも思えた出来事のあった翌朝、
食事の席に着いていたヘレンは、サリヴァン先生が教えた通りではなかったけれど、
ナプキンをつけていた。
それを見て、サリヴァンは、
それでよし、
と思った。
一瞬の出来事だったと思います。
その後、ヘレンは、家族といっしょに、
静かに食事をする……、
というシーンがたしかあったと思います。
そのシーンについて、
竹内さんご自身、
どこかに書いていたと記憶していますが、
忘れられない場面です。
教師でも、親でも、指導者でも、
子どもや弟子が、
教えた通りにしていないときに、
「そうじゃないでしょ! どうして教えた通りにできないの!」
と怒鳴ったり、言ったり、
口にださなくても、
そんなふうに思ってしまうことは多い気がします。
教えた通りでないけれど、
そこにこめられている意味を感じて、
じぶんの行いを改めるとすれば、
それはそれで、
学んだことの証かもしれない。
サリヴァン先生が何も言わなかったことで、
ヘレンは、
じぶんの行為を受け入れてもらえたと感じたのではないか、
受け入れてもらえた、
とおそらく悟った。
人が人を受け入れることが「奇跡」なのだ
と、
竹内さんの舞台は、
語っていたように思います。
引用した聖書の箇所は、
知ってはいても、
これまであまり気に留めてこなかった文章ですが、
このところ目が行きます。

 

・金兵衛の婆さん丘に若菜摘  野衾

 

ハイデッガーの「沈思的思索」と「故郷」

 

彼の言うところによると、
人間には「計算的思惟」rechnendes Denkenと「沈思的思索」besinnliches Denkenという
二つの思考があり、
しかして人間とは「思索的即ち熟慮的(sinnend)な存在」である。
だから、
「計算的思惟は、沈思的思索ではない、
即ち、
存在するすべてのものの中に支配している意味をば思索する思索ではない」。
「今日の人間は思索から逃避している」。
人間の本質は沈思し瞑想する思索を行うところにこそあるのである。
ヘーベルの言うように、
「我々は植物である、
――そのことを我々が認めようと認めまいとそんなことにかかわりなく――、
私たちは、
エーテルの中に花咲き果実を稔みのらせ得るために、
根をはって大地から生い茂らねばならない植物である」。
人間のなし能《あた》う歓ばしき救いある功業があるとすれば、
それは、
このように、
「故郷の大地の深みから、エーテルの中へと」登りゆくものでなければならない。
エーテルとは、
「高い蒼穹そうきゅうの自由な空気、精神の開けたる領野」
のことである。
そこに人間の住むべき故郷があり、
かつ沈思的思索の赴くべき場がある。
だが、
「大地と蒼穹の間の人間の安らけき住まい」は、今日果してあるか、
人間は今日真に「土着して」bodenständig、
沈思する精神を以て生きているか。
否である。
フィルム、ラジオ、テレビ、新聞、技術的報道機関が、
屋敷のまわりの田畑、大地の上の蒼穹、昼夜の歩み、村のしきたり、
故郷の世界の伝承よりも、重んじられ、
「今日の人間の土着性は、その内奥で脅かされている」。
原子力時代の今日、
人間は土着性を喪失し、
喧噪を極めた機械技術装置の中に己れを見失ってゆきつつある。
「来たるべき変貌が何かを、誰も知ることはできない」。
だから、
とハイデッガーは言う、
我々は今日、沈思的思索を生かし返さねばならない、
と。
(『渡邊二郎著作集 第2巻 ハイデッガーⅡ』筑摩書房、2011年、pp.428-9)

 

まえに読んだ上田圭委子さんの『ハイデガーにおける存在と神の問題』のなかで
幾度も触れられていたのが、
渡邊二郎さんの『ハイデッガーの存在思想』でした。
ほかの本も取り上げられていますが、
わたしの印象では、
この本が、
上田さんにとって、おそらく、
とても大切なものであり、
こころのふるえ、
のようなものを文章から深く感じたものですから、
それが入っている著作集の第二巻を求めました。
わたしは上田さんにも、渡邊さんにも、会ったことがありません。
渡邊二郎さんは、
二〇〇八年にお亡くなりになっています。
しかし、
文章から、
そのお人柄を想像することはできます。
「放送大学叢書」の一冊『自己を見つめる』を読んだのが、そもそもの始まりでした。
緊張しながら、おもしろく、読みました。
文を通じて、お人柄に触れたことからくる緊張だったか、
と思います。
いま読んでいる渡邊さんのこの本によって、
わたしは初めて、ハイデッガー言うところの「存在」「存在者」
を知った気がします。
上で引用した箇所など、
静かな感動をもって共感します。
現代と現代に生きる人間、また自身について、
渡邊さんがいかに深く考え抜いたか、
その証のような文章であると感じます。
しかも驚くのは、
ハイデッガーの深い理解をもってこの本が終り、
ではないことです。
ハイデッガーを深く理解し、
すればするほど、
それをもって現代のさまざまな問題の解決に資するに十分であるのかという、
その問いの真摯さに、
感動を覚えずにはいられません。
一度読んで終りというのではない、
現代の古典であると思います。

 

・片付けのシンクの皿や水温む  野衾

 

自然に触れる

 

石井は子どもの文学と大人の文学を区別して考えたことがないと常々語っていた。
しかし、
ひとつだけ決定的な違いがあると思う。
子どものための文学は、
どんなに悲しみや不安を描いても、
根底には幸福と希望をたっぷり湛え、幸福を約束していなければならない。
子ども時代はたちまち終わってしまうけれど、
その時出会った子どもの文学は、
人間の一生をずっとどこかで肯定し続ける力を持ち得るものだからこそ。
それは
大人の文学が性と死の苦悩を抜きにして成り立たない
のと対照的だ。
大人たちこそ、
だからたまには子どもの本を読んで、
幸福感を取り戻してもいい。
子どもの文学の喜びが、
石井桃子に長い生涯を与えたのではないだろうか。
(尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』新潮社、2014年、p.547)

 

子どものころ、わたしは、
子ども向けに書かれた『ファーブル昆虫記』を学校の図書室から借りて読んだだけで、
いわゆる「子どもの本」を読んだことがありませんでした。
「子どもの本」を読んだのは、
大学生になってから。
世の中に、こんな面白いものがあるのかと、
遅ればせながら思いました。
なので、
遅れてきた子ども、
であります。
その後、
親しくしている近所の子どもから、
メアリー・ポピンズやドリトル先生のシリーズ
など、
名前は知っていたけど、読んでいなかった本について、
その面白さを教えてもらい、
すすめられるままに読んでみたら、
止められなくなりました。
それでこんなふうに考えます。
言い訳になりますが、
「子どもの本」を読まなかったわたしにとりまして、
弟といっしょに遊んだ自然が「子どもの本」だったのではないか、
と。
秋田の田舎でしたから、
川や山や野や道や、鶏小屋、馬小屋、作業場の二階、
樹の上、土器の森、ふらっぱのネコヤナギ、藁、
風、雨、空、土、日、火、
……
言い訳を重ねれば、
「子どもの本」に通じる喜びは、
自然のそちこちに満ちて芽をだし、
手をのばせば、
じかに触れることができた。
だから、
文字を通じて自然に触れる喜びと、また、こころとあわせ、
その思い出を体感できるのが、
「子どもの本」かな、
とも思います。

 

・珈琲の香のうつろひや水温む  野衾

 

志の根

 

瀬田貞二と石井桃子との出会いは一九五一(昭和二十六)年にさかのぼる。
(中略)
とはいえ、
瀬田の方も当時はまだ、
子どもの本に関する知識にさほど自信があったわけではなさそうだ。
平凡社に通い始める前、
敗戦からの二年ほどは、
錦糸町に近い旧制東京府立第三中学校夜間部(桂友中学)の国語教師を続けながら、
「余寧よねい金之助」の名で子どものための創作を始めていた。
東京帝国大学文学部国文科の学生時代、
「ホトトギス句会」で出会った中村草田男に師事し、
俳句誌「萬緑」の創刊以来の同人でもあった瀬田は、
石井同様、
初めから子どもの文学をめざしたのではなかった。
ただ、
子どもの本を心の底から楽しむ素質があり、
それを批評する言葉を豊かに持つ、
幅広い教養の持ち主だった。
石井の場合は英米の文学が補助軸となったように、
瀬田には俳句という軸が通っていたのだろう。
そして、
戦争で深い傷を負ったところから子どもの本へ向かった志の根も、
どこかでつながっていると初対面で感じ合った
のかもしれない。
(尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』新潮社、2014年、pp.392-3)

 

尾崎真理子さんのこの本、
いろいろ
「ええっ!? そうだったの!」
と、
おどろくことしきりでありますが、
上で引用した箇所も、
そのうちの一つ。
瀬田貞二さんが俳句を物し、
中村草田男さんに師事していたなんて、知りませんでした。
瀬田さん訳の『指輪物語』が、
あんなに長いのにすらすら読めたのは、
物語の面白さもさることながら、
日本語のキレの良さ、
かつ、
しなやかさ、柔らかさが利いていたのかと、
いまになって思います。
そして、
「戦争で深い傷を負ったところから子どもの本へ向かった志の根」
のところに目を奪われました。
生涯の仕事を支えた底の底に眼がひらかれた気がします。
子どもの本ではありませんけれど、
わたしが直接接した方でいえば、
思いつくままに、
演出家の竹内敏晴さん、
哲学者の木田元さん、
いまも折にふれ教えをいただいている哲学者の小野寺功さん、
その方たちの話をじかに伺い、
本を読むたび、
仕事の根底に戦争の体験があると感じます。
いろいろな角度から、
凝視し、想像し、
ひきつぐ志を抱いて、
じぶんの仕事を練り上げたいと思います。

 

・鶏小屋の戸の軟らかく水温む  野衾

 

運動の起点、つながる思考

 

実際、そうした網の目はつねに広がり続けていますし、
それに応じてどんな書物も新たなつながりを獲得して、変化していきます。
つまり、
その意味では本もまた動くのです。
ちょうどインターネットという網の目をWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)、
つまり〈世界中に広がる蜘蛛の巣〉
と考えた場合がそれです。
テクストはいったん電子的にリンクされたネットワーク上に置かれると、
単独で存在することを停止するのです
(ジョージ・P・ランドウ)。
蜘蛛の巣のどこかが震えれば、
その振動は巣全体に及ぶというイメージをもつとわかりやすい
と思います。
それではどうやったら当の書物は、
その震源となりうるのでしょうか。
それはやはり網の目や蜘蛛の巣といった比喩で表わされるネットワークの
〈結び目(結節点、ノード)としての個人〉
に振動が起こるからでしょう。
それがもはや形而上学的段階で前提とされる〈実体的な個人〉
ではないというのは予想がつきますよね。
なぜなら、
当の個人が関係のなかの結節点として位置づけられていて、
その存在そのものが関係のなかに深く入り込んでいるのですから。
そんな個人の眼の前にあって
すでに常識的な読解というものも定まっているテクストに対しても、
新たな読み解きがありうることは述べました。
その読み解きをさらに新たなテクストの執筆へとつなげる
ことができるなら、
それは
自分を運動の起点として
新たな「見慣れぬ光」を生み出すこと
なのだとも考えられそうです。
その光からエネルギーをもらって網の目は震え出すのです。
(米山優『つながりの哲学的思考――自分の頭で考えるためのレッスン』
ちくま新書、2022年、pp.126-7)

 

『アラン『定義集』講義』を読んだことがきっかけで、
著者である米山優(よねやま まさる)さんに対談をお願いし、
ご快諾を得、
おこなった対談の模様を
『春風新聞』30号に掲載しましたが、
そのときのまとめのタイトルが
「考えること、過去とつながるということ」
でした。
その後、
米山さんからご著書をいただき、
読んでみました。
『アラン『定義集』講義』もそうでしたが、
米山さんは、
ちくま新書のこの本のサブタイトルにもあるように、
「自分の頭で考える」
ことを徹底して行っているようで、
読みながら、
そのことを強く感じます。
本を書くひとはみんな「自分の頭で考え」ているのかもしれませんが、
読んでいて、
ふんふん、ふんふん、
と、
つい声が出てしまうのは、
「自分の頭で考える」ことがよく練り上げられ、
鍛えられていることの証だと思います。
ところで。
米山さんの本の、
上で引用した箇所を読んでいて、
ふと、
村上春樹さんがビリー・ホリデイについて書いた文章を思い出しました。

 

ビリー・ホリデイの優れたレコードとして僕があげたいのは、
やはりコロンビア盤だ。
あえてその中の一曲といえば、
迷わずに「君微笑めば」を僕は選ぶ。
あいだに入るレスター・ヤングのソロも聴きもので、
息が詰まるくらい見事に天才的だ。
彼女は歌う、
「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」
When you are smiling, the whole world smiles with you.
そして世界は微笑む。
信じてもらえないかもしれないけれど、
ほんとうににっこりと微笑むのだ。
(和田誠/村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』新潮社、1997年、p.32)

 

つながっていることを感じられると、
うれしくなります。

 

・鎌倉の古屋の雛の匂ふかな  野衾

 

町の人、町の文

 

JR桜木町駅にある、そば・うどんの店川村屋さんが、
今月いっぱいで閉店するとの「お知らせ」が店先に掲示されていました。
春風社がいまある紅葉坂に引っ越してから
二十年ほどになりますが、
この間、
いろいろお世話になりました。
とくに好きで食べたのは
「とり肉そば」「とり肉うどん」。
とり肉に味が浸み込んでいて、とても美味しかった。
そばやうどんを食べるのは、
帰宅時、
ちょっと小腹が空いたときが多かったのですが、
一時体調を崩してからは、
あまり寄らなくなりました。
そば・うどん以外にも、
コロナ前は、
連日、この店に寄っていました。
それは、
ナマの青汁を飲むためです。
毎朝のことですから、
いつしか店のオバちゃんと話をするようになり、
あるとき、
「ところで、この青汁、どこから来るの?」
って訊いた。
ら、
オバちゃん、
「工場から」。
は?
思わず、笑ってしまいました。
「いや、そういうことじゃなく…」
と一瞬、
言おうとしましたが、
オバちゃんのこたえが見事ふるっていたので、
二の句がつげなかった。
明治三十三年創業ということですから、
この地で123年もの長きにわたって営業をしてきたことになります。
店長は何代目かなのでしょう。
閉店の「お知らせ」を何度も読み返しました。
いい文章だと思いました。
とくに三行目、
「ふと気が付きましたら従業員全員そして店主も高齢者になっていました。」
なんだかこみあげてくるものがありました。
この一文にこころ、
まごころが籠っていると思います。
やはり、文は人、
こころが表れるものだと、つくづく感じます。

 

・万葉の春いま海の彼方から  野衾