久しぶりに多聞君のお店に行ってきた。多聞君はいまバンガロール。お店はお母様が切り盛りしている。一つ一つ可愛いグッズや変わったデザインのTシャツなど衣類も豊富で、見ていて飽きないし、居るだけで落ちつく。
自宅で会社を始めた頃は毎日のようにお邪魔して、お茶をご馳走になっていた。多聞君ともその頃出会い、打ち解けて話しているうちに、本を作ってみない? 作ろう! ということで、『インド・まるごと多聞典』ができた。詩人の谷川俊太郎さんとの縁も、この本から。春風社は今月で六周年、来月から七期目。刊行点数がいつのまにか百六十点余りになっている。そのうち三十点ほどが多聞君のデザインによるもの。六年前、ショーウィンドウに飾られた木彫りのガネーシャに魅せられお店に入ったのがそもそもの縁。縁が少しずつ展開し、それを見定め、ゆっくりじっくり後から付いて行くのがなんとも楽しい。ジェットコースターみたいな激しい興奮でなく、霧が晴れ、森が静かに緑に色づいていくような勇気と元気が湧いてくる。
四時ごろお邪魔して、さてそろそろ帰ろうかなと腰を上げたら、時計はすでに九時を回っていた。茶と黄色のTシャツを買った。1メートルだけ切ってもらった麻の布も。
そうそう、『多聞典』を読んだことがキッカケでお店に来るようになったというお客さんがいて、話していたら、なんと県立図書館の方だった。県図と春風社は目と鼻の先。今度遊びに来てくださいとお誘いした。ほんと、おもしろいなぁ〜
また観たいと思ってDVDを買ってあったのだが、長いも長いし、そうそう気軽に観られる内容でもないから、つい先送りにしてきた。昨日ようやく観なおした。『七人の侍』3時間27分。ひょえ〜!
本でもそうだが、二度目というのは最初と違うところに眼が行くものだ。三船敏郎演じる菊千代が百姓(実際はともかく、黒澤監督がそうと認識している、あるいは描こうと意図した)出身であることがきちんと描かれていると思った。
村の代表が七人の侍を連れて村へ帰って来たとき、侍に恐れをなして家々に閉じ篭っているのをウソの「野武士襲来!」の合図で一気に村人のこころを援軍の侍たちに向かわせたのは菊千代だった。ほかにもポイントポイントで、百姓の気持ちを深いところで分かっていなければできないと思われる行動がいくつもある。なかでも眼を奪われたのは、村の洟垂れガキどもが、「あっち行ってろ!」といくら菊千代にどやしつけられても、追っ払われたニワトリが三歩あるけばまた元に戻るようにぞろぞろ菊千代に付いて歩くシーン。それが、ふっと何度か描かれる。ガキどもは、言葉でないところで、菊千代に父や母と同じものを感じて付いていくのだろう。菊千代の一挙手一投足から眼が離せないガキどものこころがよく分かる。そのことを言葉で説明するのでなく、ごく自然に描いているところが素晴らしい。
それにしても合戦シーンの泥には圧倒される。びちゃびちゃと画面から飛び出してきそう。あんなに長くしつこくやられると、泥に身を投げ出すのも悪くないなと思えるから不思議だ。水田稲作、泥の映画だ。
短くて一ヶ月、長くて一ヶ月半の間を置いて床屋に行くようにしている。てゆうか、枯野のような頭の毛が長くなってくると、痒い。毎日頭を(髪でなく)洗っているのに、それでも痒くなる。枯野のような頭のススキのような毛でも、伸びれば周辺に汗をかくということか。
このごろ顔を剃ってもらうようにしている。電動バリカンで頭の毛を刈ってもらって1000円では、仕事に張り合いがなかろうと慮り、そろそろ床屋にでも行こうかと思い始めるや、わざと髭を伸ばして床屋に剃りがいを提供している。
肌がやわらかいのに髭がけっこう濃いので、今までかかった床屋は少々だが大概皮膚を傷つけ、家に帰って鏡をよく見てみると、二、三箇所、必ずと言っていいほど血が出て小さく固まっていたものだ。ところが、いま行っている床屋は、もう何度か顔を剃ってもらっているのに、一度も血を出していない。蒸しタオルで髭をやわらかくするだけでなく、特殊なオイルもつけて剃ってくれるから、やられているほうとしては、剃刀を当てられているとはとても思えない。小さな紙片で顎を撫でられているような心地好さがある。つい眠くなる。なかなかの技だと思う。
大学の陸上部の頃、肉離れを起こして太腿の毛を剃ったことがあった。剃った後の太腿に触り、我が身なれど妙な気がした。見事な技を持つ床屋に剃ってもらった後の顎に触れると、あの時の感触がよみがえる。我が顔なれど妙な感じ。が、家に帰って鏡を見ればやっぱり同じ顔だ。
カメラマン橋本照嵩の『北の大河 〜もうひとつの北上川物語』をビデオからDVDに落として再度観た。ビデオは、これからいろいろ用途があり、ロシアの映画監督ソクーロフさん(来日された折のレセプションで一度お目にかかり挨拶した)にも、ぜひプレゼントしたいと思っている。ダビングを業者に頼んだのが上手く行かず、やり直ししたのがようやく昨日できてきた。
再度観たのには理由がある。橋本さんが言い出しっぺとなり運動としておもしろく広がっている「石巻広域圏ふるさと文化1000円基金」の機関誌『牡・石・桃(おいしいもも)』へ『北の大河』を観た感想を書いてほしいと頼まれたからだ。
間もなく刊行される写真集『北上川』に「橋本照嵩を推す」というタイトルで、十数年の付き合いの中で見えてきた橋本さんについての「橋本照嵩論」を書かせてもらったが、それは一言でいえば「匂いの写真家」ということだった。そんなこともあってか、意識がおのずと「匂い」に向く。90分の映像の中で橋本さんは「匂い」という単語を二度発している。最初は、服のままうつぶせに川に浸かり、顔を上げ、手のひらで顔を拭い、「おお、川の匂いだ」と。二度目は、狭窄部の上り坂をリヤカーを引き引き歩き、山肌にへばりつくように建っている古い民家の二階に上って「ああ、これは昔の匂いする」と。
「橋本照嵩を推す」の中で私はまた、橋本にとって「匂い」は「この世とあの世を結ぶ糸のようでもある」と記した。盆に揺蕩(たゆた)う線香の匂いに引かれ、なつかしいご先祖さまの霊が戻ってくるというイメージは、日本人にとっては違和感のない、むしろ馴染みあるものだが、少年橋本の魂は祖霊たちに導かれるようにリヤカーを引きつづける。
橋本は映像の中で、これも二度、川に向かい「き〜た〜が〜み〜が〜わ〜」と叫ぶ。それは、いま目の前を悠々と流れる川へ向かいつつ、同時に、過去から現在へ流れこむ川と、そこで暮らした無名の人々への鎮魂の叫びとも聞こえる。蜆(シジミ)漁で母と弟を亡くしながら、それでも漁を後世へ伝えようとする男性から話を聞いた後で、上流へ向かうリヤカーを引きながら橋本は、「北上川の豊かさと怖さを教えられたような気がします」と語る。自然と共にある暮らしの重みを改めて考えさせられた。
六月に観たピナ・バウシュ・ヴッパタール舞踊団による「ネフェス(呼気)」の最後でつかわれていたトム・ウェイツの歌が分かった。「All The World Is Green」
感動的な舞台の最後に流れた曲で、聴いたことがあるのにタイトルが分からなかった。英語の歌詞が聞き取れず、ただ「オーシャン」という単語のみ耳についたから、これはきっと歌のタイトルにも入っているだろうと早合点し調べたのだが、そういうタイトルの曲は見つからなかった。
きのう、社内に流れるBGMに耳がピクリと反応し、棚に立てかけてあるCDケースを手に取り、何曲かピックアップし再生し直してようやく発見! 恋人と再会したような気分に浸り、聴き入った。『BLOOD MONEY』に入っている。
わたしのいる部屋は保土ヶ谷の山の上にある。箱根駅伝で有名な保土ヶ谷橋の三叉路を空中から見たら、熟したフルーツが交差点を中心にして割れ、三方の山の緑が厚い皮のように映るのではないだろうか。季節は秋、栗のイガのようでもあろうか。三方の皮の一方の上にわたしはちょこんと貼り付き、朝、パソコンに向かっていると、三叉路から鎌倉方面へ向かう道を挟むちょうど反対側の緑の丘がうっすらと紅くなり、やがてお日様が顔を覗かす。朝日はいい。いろいろ心配事があったりこころ塞ぐことがあっても、朝日を拝めば、ほかっと安らぐ。
9月の半ばだというのに、なかなか涼しくならない。秋田の父の話では今週末が稲刈りのピークらしい。きのう、数年前の「よもやま日記」を見ていたら、あまりのくだらなさに我ながら吹き出してしまった。ああ、こんなことを書いていたのかと可笑しかった。太文字ゴシック体を使ってひとしきりはしゃいでいる。きのうはまた、春風社のファンだという女性がみえられた。真剣な眼差しにこちらが緊張してしまう。一日といっても、いろんなことがある。こころもいろいろ。さあ、今日も暑うなるぞう。
折れた鎖骨の治癒の具合を診てもらいに仙台へ。結論。95%の治癒率。パチパチパチパチ…。めでたい。が、新幹線の中で澤木興道『禅談』を読んでいたら、正月「おめでとうございます」と言った弟子に「何がめでたい。何がめでたい」と澤木が詰め寄る場面があり、めでたいもいろいろで、一喜一憂するめでたいとは異なるめでたいを澤木という人は言っているのだなと思った。
診察が終わり、一ヶ月後の予約を済ませて外へ出る。近くの肉料理のお店で昼食を取るのがならいになっているのだが、数度足を運んでいるためお姉さんたち私の顔を覚え、「ベルト、取れたんですね。おめでとうございます」と声をかけてくださる。「ありがとうございます。いま診察が終わり、そのまま来ましたが、外出するときはまだ着けていなければなりません」
いつもなら店を出てそのまま仙台駅へ直行するところ、ふと思い出し、大学時代からの友人Wがいる会社に電話。二人ぐらい取り次いで出るのかと思ったら、いきなりWが出たから驚いた。いま仙台にいることをかいつまんで説明し、お母さんに挨拶にうかがいたいがどうだろうかと言うと、W、とても喜んでくれ、実家の電話番号を教えてくれた。さっそく電話し名前を告げるも、すぐには思い出せなかったようだ。大学を出て以来会ったことがないのだから仕方がない。住んでいたアパートがWの家の近くで、あの頃はよく行ったり来たりしていた。
タクシーで家の近くまで行ったのだが、四半世紀も経っているから記憶の中の景色とすっかり変わってしまっている。角の酒屋に入り道を尋ね、外へ出て歩いていたら帽子を被った女性が片手を額にかざしてこちらを見ている。Wのお母さんだった。
オレンジジュースとコーヒーをご馳走になる。学校を出てから今日までのことを簡単に説明し、Wとはたまに会うことがあると告げた。ニコニコした笑顔は記憶のまま。いろいろ忙しくしていて一人でも寂しくないとか。間もなくWの弟さん家族が遊びにくる予定で、そのあと、若い時からの友人5人で一泊二日の温泉旅行に出かけるらしい。「人生は短いわよ」ぽつりとおっしゃった。
大学時代、正月Wが秋田の家に遊びに来たことがあった。豪雪のため電車が陸中川尻で足止めを食い、結局その日は今のJR(当時まだ国鉄)が紹介してくれた秋田市のホテルに泊まった。翌朝、ホテルでWに会い、連れ立って確か男鹿半島へ向かった。思い出したように車の通る人のいない雪道をひたすら歩いた気がする。あれから三十年近くになる。
