おはようございま〜す。おはようございま〜す。で、窓際の自分の席に着くと、武家屋敷がとことこ笑顔で寄って来た。ん、どした? 武家屋敷、おもむろに腰の辺りから何やら取り出し蓋を開けて見せてくれた。まぎれもない、それは万歩計だった。約3000歩を刻んでいる。「三浦さんは家から歩いてここまで来るのに何歩?」「約5000歩」「そっかー」「たのしそうだね」「ええ。10分以上歩くと、しっかり歩行としてカウントされるの」「ふーん」「三浦さんのは?」「おれのは、そういう機能は付いてないよ」「あ、そ」
凡そこんな会話を交わして後、武家屋敷は万歩計を大事そうに元の位置に戻し、自分のパソコンのあるほうに歩いていった。なにやら歩く姿がくっきりはっきりしている。
昼、食事に出た折に訊いてみた。「万歩計、付けてるの?」「もっちろん」「ふーん。うれしそうだね」「三浦さんが付け始めた頃に比べたら、それほどでもないわよ」「そかな? おれの時よりうれしそうだよ」「そんなことないって…」とは言うが、そんなことある武家屋敷であった。
さて石橋。ヨドバシカメラの点数が余っているというので一番高い万歩計を買ったのはいいが、初期設定が複雑とかで未だに付けていないらしい。機械に詳しい愛ちゃんにでも頼んで設定してもらえばいいじゃんと言ったら、体重だとかいろんなことがバレバレになるのが嫌だとか、いまさらそんなこと関係ないかとか、逡巡している。
JR保土ヶ谷駅構内にある三崎丸で働くおばさんは、一日店で働くだけで8000歩あるくそうだ。すげぇー! 家との往復を入れると約1万6000歩だとか。
骨折した鎖骨の状態を診てもらいに仙台へ。月1回の診察だから6回目ということになる。ウチから『明治のスウェーデンボルグ』を出している瀬上先生はいつもにこやか、お顔を拝見するだけで病院嫌いのわたしはホッとする。きのうは、レントゲンを撮らずに、なんという機械か分からないが、いきなり骨を透視する機械の台に乗せられ、折れた箇所のくっ付き具合を診てくれた。「大丈夫ですね、もう」と先生はちょっと仙台訛りのある言葉で言った。半年の胸のつかえが一気に下りた感じ。「2ヶ月後にまた見せに来てください」「はい」「肩をぶつけないように気をつけてください。それと、重いものはなるべく持たないように」「はい。ありがとうございました」
超多忙な先生に別れを告げ、次にリハビリ科へ行き左腕を動かすリハビリをする。ここの先生がまた穏やか〜な感じの先生で、なんでも気になることを話してくださいというから、つい、最近感じている「死の不安」について話してみた。黙ってわたしの話を聞いていた先生は、仕事がら死を看取る場面の多いこと、死の受容の段階について、さらに、断定的でなく、こういうことが大事ではないでしょうかということを静かに話された。「三浦さんは第1段階に入ったということではないでしょうか」そうかもしれないと思った。
大好きだった祖母と祖父が相次いで亡くなった時、悲しくて涙を流しもしたけれど、今思えば、自分のことはカッコに入れ、ただそこに佇んでいたように思うのだ。たかが鎖骨を1本ポキッと折った(涙)ぐらいなのに、それがきっかけとなり、あざやかにカッコが外れ、臆病なわたしは、自分の死について初めて思いをいたし、へなちょこにも鬱々と気を病むようになった。糸の切れた凧状態。枝から離れた葉っぱのよう。川を流れる笹舟みたい…。
そうなってみると、たとえば新井奥邃が自分の死に際して「墓も作るな」と周囲に語ったこと、禅僧の澤木興道が晩年、自分が死んだら近くの医科大学に献体せよとの遺書を持ち歩いていたなどの話を聞くにつけ、これからどんなに勉強し精進しても、そんな境涯に自分はとてもなれそうにもない。けれども、ただ日々笑って面白おかしく暮らす(そうやって最後まで行けたらどんなにいいだろう)より、生まれたからにはいつか必ずやってくる自分の死について少しは思い(思うだけではダメかも知れぬが)をいたしながら、一日一日を感謝して暮らせるようになりたいと、これまたほんの少しだけど思うようになった。
ウォーキングに凝り始めて、朝、会社まで歩くようになってから、帰りに電車を利用しても優に1万歩は超えるようになった。もともと歩くことは嫌いじゃないし、健康にもいいとなれば、やらない手はない。
平日のリズムはそれなりにできたが、休日はどうする。というわけで、最近、休みの日は散歩をするようにしている。家を出て左へ折れ、ちょちょっと階段を上ればそこが御殿山の頂上で、晴れていれば富士山が見える。身を翻せば保土ヶ谷の交差点がはるか下に望める。行き交う横須賀線や東海道線の電車はまるでオモチャ。
高速道路の上を渡り山の反対側へ。遠くの景色を眺めながら坂道をゆっくり下りると間もなく「大我」というスーパーマーケットがある。その横の道を入って階段を上ったところが春日神社。境内で軽い体操をして反対の階段を下り一路京浜急行井土ヶ谷駅へ。今の住所の前は井土ヶ谷に住んでいた。馴染みのある駅周辺に入り込み、井土ヶ谷郵便局を折り返し地点と決め、そこで回れ右(本当は回れ左)をして今度は鎌倉街道を保土ヶ谷方面に歩く。よく行っていた寿司屋はまだ開いていない。永田のインターチェンジまで進み、横断歩道を渡って長い長い階段を上れば元の御殿山頂上に達する。ハンカチで汗を拭き拭きおもむろに万歩計の蓋を開けると5000歩弱。これがこの頃の休日の朝の日課。大した距離ではないけれど、坂あり階段あり、絶景というほどではないが緑もあって、休日の朝を楽しむには程よい散歩コースだ。
午後、大倉山の植木マッサージへ。四月末に鎖骨を折って以来、固定ベルトやらリハビリやらで左肩を庇いながら過ごしてきたこともあり、肩や首がばんばんに凝って、若頭ナイトウに頼んで揉んでもらったりもした(若頭、力が強く痛いが上手い! やってもらうと短時間で楽になる)が、毎日頼むのも気がひけ、約半年ぶりに足を運び、全身をたっぷりマッサージしてもらう。終わったら背筋が3ミリ伸びた気がしたぐらい。ほんとほんと。「久しぶりだったので、2、3日だるいかもしれませんよ」の言葉どおり、きょうは今朝からぬーぼーとしている。
小・中学校の同級生N君、Mさん、それと大船で働いているMの娘さんと横浜で会食。
休日のことでもあり横浜7時の待ち合わせにはたっぷり時間があったから、よし、ここはひとつ横浜まで歩いてみようと思い立ち、愛用の万歩計をズボンの左ポケットに差し、てくてくウォーキングとしゃれてみた。JR保土ヶ谷駅の西口から相鉄線の天王町駅方面へ向かい、さらにひたすら歩くと、小社の前の事務所があった浅間町に至る。家を出てからそこまでが45分。そろそろぽつぽつと上から落ちてくるものがあったが、傘を差すほどのことはなく、見なれた町並みを仰ぎながら横浜駅へ。
約束の時刻までにはまだ間があったので本屋を冷やかし新書2冊と文庫本1冊購入、下へ下りたらすでに二人は待っていた。東急ハンズ斜め向かいのアジアン・ファイルへ。幼なじみとあって、話題も言葉も秋田秋田秋田。1時間ほど遅れてMの娘さん合流。話題が尽きず、気がつけば12時をすでに回っていた。Mさんは1週間ほど娘のところにいるそうで、秋田に帰る前にもう一度4人で会おうと言って別れた。気が置けない友人との会話はいつも楽しい。
昨日、社の若い女性たちが本棚を片付けていた。本棚といっても最初から本棚として作られたものではないので、本を置くにはもともと適していない。
読まない本をただ整理して重ねて置くだけならそんなに工夫は要らないが、師匠の安原顯さんからいただいたものを始め、装丁や本文組の参考にもと置いてあるものだから、なるべくどこに何があるか分かるようにしておきたい。
事の発端は、高村薫の『レディ・ジョーカー』を見つけることにあったが、そして、それは間もなく積まれた本の後ろから見つかったのだが、本が機能的に積まれていないと考えた愛ちゃんは、リーダーシップを発揮し、みんなで知恵を出し合いながら工夫を凝らして試行錯誤の上、見やすく美しく重ねていった。
ほんのちょっとしたことだが、見ていて清清しく、いいなぁと思った。自発的であろうとすればなんだって自発的だし、自発の芽はいつか必ず出るものだ。
秋田の有力紙『秋田魁新報』の取材を受け、首都圏で働く人を紹介する「秋田人」というコーナーに取り上げられたことがきっかけで、記事を読んだ大学の先生から本を出したいとの連絡が会社にあったという。ちょうど出掛けていた時で、営業の奥山が電話を取った。どこで縁が結ばれるか分からない。来月原稿を持って来社する予定。ありがたい話だ。
午後、『刺青墨譜』に収録する写真を撮らせてもらったNさんが妹さんと一緒に来社。本の出来具合をとても喜んでいただき、仕事場近くの掲示板に本のポスターを貼ってくださるというので、数枚出力して差し上げた。ありがたい。
ありがたいありがたいで仕事をするのが一番。きのうは一日ありがたいに満たされていた。夕刻、椅子を回転させたら空が夕陽で真っ赤に染まっていたから「すげーすげー、みんな見てみろよ!」と叫びベランダに飛び出した。富士山の右肩にかかった夕陽が刻一刻と滑り始め、とちょうどそのとき、鴉が2羽、西の空を渡って行った。社員一同、ベランダに並んで「ほう」と溜め息。こうやって仕事が終わるのもありがたい。
