手が読む

 新しい原稿が入ってくると、まずザッと読んで内容を把握し、装丁を含めどういう作りの本にするか凡その見当をつける。この時点では眼と頭で読んでいる。
 さて校正だ。右手にボールペンか鉛筆を持ち文字通り一字一句、札をひっくり返すようなスピードで吟味していく。枝葉を取り去るだけですっきりと読み易くなる場合は割と仕事が捗る。問題はそれでうまくいかない場合。
 著者の言わんとするところを汲みつつ、その文意にさらに適合する単語や熟語を見つけ、また、センテンスを分けたり伸ばしたり、組み立てをまるっきり換えてしまうこともある。この作業が必要な場面にくると一気に仕事のスピードが落ちる。
 うまい言葉が見つからず、椅子から離れベランダに出て新鮮な空気を吸ったり、盆栽の新芽を覗いたり、ふたたび社屋に入りウロウロし、部屋の真ん中にあるテーブルに煎餅やチョコレートがのっていればそれを摘まみ、なければ椅子に戻って二、三度わが身をくるくる回転させたり、机上に積んである本の背文字をぼんやり睨んだり、挙げ句の果ては神経的に自分とこのホームページにどなたか書き込みをしてくれていないかチェックしたり、メールボックスをさっき見たばかりなのに無意識でまた開いてみたりと、めまぐるしい。なにかに縛られているような感じ。動物園の白熊があっちにウロウロこっちにウロウロしている気持ち(!?)がよくわかる。
 パッと閃く時もあればそうでない時もある。閃いて決まった! と思えるのは一日のうち何度あるだろう。体調によるところも大きい気がする。

お・にぎり寿司

 おもしろいひとを見た。於JR保土ヶ谷駅三崎丸。夕刻、カウンターに座り寿司をツマミに焼酎を飲んでいたら、右隣、椅子を一つ空けて黒いコートの男が座った。店の女性に飲み物を尋ねられ、酒は頼まずコーラを所望。ひと月ほど前あたまを怪我し包帯を巻いていたのがようやく取れた板前が、カウンターの中から「いつもの四本ですね」と言った。男は黙って頷き、「それと納豆巻きも」。「納豆巻きも四本ですか」。「そ」。
 やがて、一枚のゲタに六個のっている干瓢巻きが四枚、しめて二十四個、納豆巻き四枚、しめて二十四個、あわせて四十八個の干瓢巻きと納豆巻きが男の目の前に並んだ。男は、味わうよりも早く両手でパクついた。
 中トロばかりを食べるイタリア人や蟹がある寿司屋では蟹ばかりを食べる人間(おら)もいるくらいだから、干瓢巻きと納豆巻きだけを食べる人がいても一向に問題はない。が、はじめてだったので、つい見とれてしまった。わたしばかりでなく、みんな見ていた。男は遠足みたいな妙なオーラに包まれていた。両手だから、四十八個があっという間に無くなった。

ジェラジェラ

 毎日チェックしているタッキー&翼の応援サイト「選滝」に、はじめての単語というか熟語というか、が出ていて、思わず笑ってしまい、かつ、深く納得した。それは、ジェラジェラ。アハハハハ…。
 まず音が可笑しい。ジェラジェラ。「ドナドナ」のメロディーで♪あ〜る〜晴れた〜ひ〜る〜下がり〜い〜ち〜ば〜へつづ〜くみち〜……ジェラジェラジェラ〜ジェ〜ラ〜、とやると、目玉が炎で燃え立つ嫉妬に狂った牛が鼻息荒く道を歩いてゆく姿が彷彿となる。
 ラブラブなら、自分では使わない(あたりまえか)けど知っていた。が、ジェラジェラは、はじめて。ジェラジェラかあ。わにさん、ありがとう。ラブラブと同じで、自分では使わない(使えない)と思うけどおもしろい。

掃除道具

 掃除がそれほど好きでもないのに、そのための道具は好きだ。どうせするなら効率的にしたいというこころがあるのだろう。最近嵌まっているのはフローリング用ドライシート。これは便利! 前にもつかったことがあるが、技術は日進月歩する。今回使ってみて、その吸収力には眼を見張るものがあった。おそらく、以前に比べて繊維が高密度化しているのだろう。パイプがついた専用のワイパーに着けてもよし、ドライシートだけでもよし、とにかくスグレもの。
 いま一番欲しいのがダイソンの掃除機。1993年に買った三菱の「掃き拭きBrush」は、いまもそれなりに頑張ってくれているが、掃除が終ってコードを巻き取る段になると、とってもイライラする。少しでも捩じれがあるとそこでストップするからだ。ひたいからこぼれた汗がスッと下まで流れずに、深い皺のところで滞留するような感じ。つまり、老化。コードだけの問題ではなく、吸引力も年々低下しているようだし。本当に吸ってんのかようと危ぶみながらカーテン等の布に思いっきり近づけると、ここで威力を発揮しなければご主人(わたし)に捨てられるとでも思うのか、ズルズルズルと勢いよく布を吸い込む。そのけなげさ(!?)にほだされて、まだ買い換えられずにいる。
 ダイソンの掃除機は吸引力が低下しないというのは本当だろうか。

つわものたちの旅

 「義経」第9回「義経誕生」を観る。遮那王は京を離れ奥州平泉に出発。家来を願い出る喜三太、弁慶、伊勢三郎の同行をゆるし東へ向かう旅は、西遊記や水滸伝、日本なら桃太郎を彷彿とさせ、ワクワクする。義経と同行のものたちの情の通い合いを想像するとたのしい。これからどんな世界が彼らを待ちうけているのか。
 それぞれが個性を発揮し、その人でなければ果たせない仕事をきちんとする、そのひとが自分の仕事をきちんと成し遂げることで物語が大きく進展する。しかし、ある時点で脚光を浴びる人物も、その後は後景に追い遣られる。物語はそんなことに一向お構いなくどんどん先へ進む。そういう話が好きだ。歴史はそういうものだということを、わたしは林竹二の「開国」の授業(直接でなく本)で教えられた。

酒の影響

 酒が回り、眼がとろ〜んと(たぶん)してくると、気分もいよいよ変化する。折り重なる時間の層が解けて流れて、二年前のことが、ほんのこのあいだのことに思えてきたり。思い出そうとしていないのに甦ってくる。脳の構造なんだろうけれども、おもしろいものだ。
 えー、家に帰り、夜中、プロディジーの『オールウェイズ・アウトナンバード、ネヴァー・アウトガンド』をガンガン掛け、その勢いで布団に倒れこみ爆睡、眼が覚めたら朝。

そこここの春

 きのうは関東では珍しく雪だったが、横浜では午後から晴れて、ぽかぽか暖かい陽気になった。朝、べちゃべちゃの雪をばしゃばしゃ撥ねながら歩いてきた塞ぎの虫がようやく収まり、風呂上がりのような弛緩した気分にしばし浸った。
 ベランダに置いてある黒松やケヤキの新芽が小さく膨らんでいる。ベランダを歩いて左の端まで行けば、雪化粧した富士山が遠くに見える。体を返すと右手後方にはランドマークタワーが偉容を誇っている。
 同じビル内に入っているジャパニアスという会社は、業態を順調に推移させ、間もなくランドマークタワーに引っ越すそうだ。社長さんから葉書をいただいた。わたしがジャパニアスのカワイアスと呼んでいる娘さんと廊下ですれ違った時、もうすぐ引越しですね楽しみですねと言ったら、はい、と、いい声でこたえてくれた。
 うちは引っ越さないけれど、新しい人が入った。アルバイトで一年頑張ったOさんは四月から正社員になる。何もかも留まることなく微妙に変化していく。頭の中身も変化し思考も変化する。自分のことなのに追いかけられないときだってある。ブラウン運動の宙に向かい、あ〜あ〜あ〜とでっかく背伸びしてみる。