リース契約

 長期にわたる賃貸しをリース、短期のものをレンタルという、と、辞書にある。たとえば機械はリース、ビデオはレンタル、貸し出し期間の長短の問題というわけだ。
 さて、小社は先月で5周年を迎えたが、機械のリースはだいたい5年。リース期間が終わったらどうなるか。理屈としては、借りたものだからリース会社に返さなくてはならない。しかし、5年も過ぎた機械が今どき果たして商品価値があるか、という実際的な問題もあり、昔なら、期間が終わってもそのまま置かせてもらう場合が多かったのではないかと思う。
 ところが、聞くところによると、リース期間の終えた物件の回収が最近はとみに厳しくなっているらしい。中古市場と海外市場の拡大がその理由という。日本製の最新式コピー機の値段が日本国内の3倍という国もあるらしく、だとすれば、中古で充分という発想も頷ける。リース会社にしてみれば、日本国内でリースした機械を一定期間経た後に引き上げ、今度は海外へ売りつけるわけだから、二度美味しいことになる。
 てなことで、昔のように、リース期間の終えた機械をそのまま置いておくわけにはいかない。メンテナンス費用も馬鹿にならないし。
 5年過ぎた機械の再リース契約を結ぶとか、購入しちゃうとかの選択肢もないわけではないけれど、もろもろ考え、ルールどおり、返すものは返して新商品を導入しリース契約を新たに結ぶことにした。
 この、「もろもろ考え」るに際し、改めて言うまでもないが、経済学部で勉強したことは何の役にも立たない。マルクス経済学だったし、余計。

至福のとき

 「春風倶楽部」の記念すべき第10号の特集は「最高エッチ!」。
 世の中、エッチ、エッチのオンパレードなわけだが、エッチって、そもそもなんなのだ。コンビニで売っているおかず(それはそれで、ぼくも好きだけど)みたいなそんな軽軽しいものなのか、という疑問があったから、このテーマを設定し原稿をお願いした。
 いち早く、谷川俊太郎さん、飯島耕一さんから原稿が届く。それが、お二方の原稿とも本当に可笑しい。腹から笑い、笑いすぎて涙まで出て、それからしみじみと、自分を大事にし人を大事にすることの体験の重みとでもいったものが感じられ、ああ、凄いなあと思った。
 言葉にならない、言葉に出来ないものが確かにあるということ、しかし、言葉を尽くしそれに肉薄することにより、言葉にならない出来ないものとことは、ますます荘厳さを増していくのかと考えさせられた。
 言葉は言葉にしか過ぎなくても、こういう素敵な原稿を読ませてもらうと、改めて言葉の凄さ、言葉の在り処について考えさせられる。情報に還元されない、紙に印刷された本で持っていたい言葉たちが盛られた本、そういう本づくりは、なんといっても愉しいし、これからも続けていきたい。
 小社6年目の始まりの時にあたり、言葉に関わる仕事の太い道を示されたようで有り難かった。

ゴキジェットプロ

 洗濯物を取り込もうとしてベランダに出たら、蔓梅モドキの鉢の下に隠れるようにして、一匹のゴキブリがいた。
 一旦履いたサンダルを脱いで、台所の戸棚からゴキジェットプロを取ってくる。この殺虫剤が出た当初はほんとうに感動した。スプレー式のキンチョールなどゴキブリには全然効かぬ。仮にキンチョールの沼があったとしても、ゴキブリは鼻で笑ってスイスイ泳いでいくだろう。したがって、かつてゴキブリをやっつけるには、踏むか、叩くか、はたまたゴキブリホイホイ的な強力接着剤でくっ付けるかしかなかった。
 そこに、ゴキジェットプロが登場したのである。積年の恨みを晴らすかのごとく、ゴキブリが出たとなったら、シュッ! また出たとなったらシュシュッ! いやあ、ほんとに気持ちよかった。ウォ〜〜!! もうダメ! そんな声が聞こえてきそうな感じで、最後、あのにっくきゴキブリがパタッと倒れ、御陀仏となる。
 ところが、最近とんとゴキブリにお目に掛からなかったので、必然、ゴキジェットプロの威力を発揮する場面がなくなっていた。まさか蟻にゴキジェットプロでは大げさ過ぎる。
 と思っていた矢先、久しぶりに現れた。ゴキブリ。なんとなく惜しい気がしないでもないが、一匹現れると、背後に数十匹いるといわれるゴキブリのことゆえ、このまま逃がすわけにはゆかぬ。
 久しぶりに使うゴキジェットプロなので、具合を確かめるべく、医者が注射するとき空中に、ピ、と液を発射する要領で試し打ちをしてから、よーし、と、今度はゴキブリ目掛け思いっきり発射した。シューーーー!!!
 お、なんだなんだなんだなんだなんだなんだ、こ、こ、これは、く、く、く、くるぢいいいいい!!! お、の、れ、ニンゲン、めっ!
 と、言ったかどうかはわからないが、くるっと仰向けになって動かなくなった。触覚が枯れススキのように風に揺れた。

ブルーズ最高!

 2003年が「ブルーズ生誕100年」とかで、マーティン・スコセッシ制作指揮のもと、7名の映画監督がブルーズを題材にした映画を作った。
 先日、ヴィム・ヴェンダース監督の『ソウル・オブ・マン』を観、初めて知るブルーズマンたちの音楽を堪能。ギター1本で人生の困難や悲哀を歌うブルーズが、ゴスペルとは出生を異にすることを初めて知った。
 エリック・クラプトンとキース・リチャーズが共にリスペクトするロバート・ジョンソンはじめ、サン・ハウス、ハウリン・ウルフ、ベッシー・スミス、ジョン・リー・フッカー、バディー・ガイ、マディ・ウォーターズ、B.B.キングらのブルーズは、ぎりぎりボリュームを一杯にして聴くもよし、ぎゅっと絞って子守唄がわりに聴くのもまた一興で、これぞアメリカの音楽! と思う。歌詞がわからないのに、鳥肌が立つ歌がいくつかある、リズムと、なんといってもあの声、声。
 ブルーズだけは日本人に真似できない。ロックなら、いろんな楽器を駆使し、技術に長けた日本人はそれなりマスター出来ようが、ギター一本で人生の酸いと甘いをスロー・バラードで表現するブルーズは、アメリカならではの音楽と思われ、水田稲作が基本形の日本人にはどうしたって無理だ。高橋竹山の津軽三味線や瞽女唄を外国人にやってみろというようなもの。以前、「たけしの誰でもピカソ」にブルーズを演る親子が出ていたが、観ているほうが恥ずかしくなった。
 タワーレコードでもらったブルーズの解説書(文・吉田淳)によれば、アメリカ南部で生まれたブルーズは、1920年代に入り徐々にスタイルを確立していったのだという。ミシシッピ州デルタ地帯のプランテーション農場がその舞台だった。ということは、どの国においても多くの歌がそうであるように、ブルーズも、酷薄な労働に疲れた心と体を癒すためのものだったのだろう。
 ん、憂歌団を忘れていた。憂歌団はまぎれもなく日本のブルーズ・バンドだ。ブルーズを外形でなく、こころをまなび、日本人として共鳴できる要素をとらえ、そのエッセンスを静かに発酵させて出来た歌たちだ。そうそう、憂歌団を忘れていた。

人生の悩み

 専務イシバシと仕事で出かけていて、用件を済ませ、さあ会社に戻ろうとした時、イシバシが、ちょっとお手洗いに行ってきますと言って、タタタと小走りに駆けて行った。
 手持ち無沙汰に、ぼーっとしていたら、やがてイシバシが戻ってきて、「あっちで、前の会社で一緒だったM君に遭ったわよ」と言った。へえ、不思議なこともあるもの、こんなところで偶然遭うなんて、あいつ全然連絡が無いからどうしているかと思っていたところだ。
 ちょっと行ってくるからここで待っていろ、とイシバシに言い残し、Mに遭ったという方角を目指しスーツ姿で走った。息を切らせながら、鞄が太腿に当たってイライラし、こんなことならイシバシに預けてくるのだったと後悔していた。
 Mがいた。「おうっ、M、久しぶり!」「あ、三浦さん、ちょっと待っていてください」そう言ってMはトイレに入っていった。
 しばらくしてMがトイレから出てきた。きっちり七三に分け撫で付けた髪型は昔と変わっていない。口元が鬼太郎の相棒のネズミ男に似ているのも昔のままだ。なのに、どこかわからぬが、決定的に、今目の前にいるMがかつて一緒に働いたことのあるMとは別人のように思えた。
 「どうよ、元気にしてる?」
 「はい」
 「しまった、やっちまった!」
 「なにをですか?」
 「今のおれの言葉、どうよ、元気にしてる? っていうのは中年の証拠だって、こないだ週刊誌に出ていてさ」ぼくは、その場の空気を和らげようとして、そんなことを口走った。
 「そうですか。三浦さん、ちょっとここで待っててもらえますか?」そう言って、Mはガラス戸の反対側に行き、ソファに腰掛けている二人の男に話しかけた。声は抑えていても、何か重大な案件で揉めているのはなんとなく察知できた。ネズミ男のように腰を曲げMが二人に謝っている。最後に、二人のうちの片方が「よろしく頼むよ」とサッと手を上げた。「どうせ出来ないだろうけどよ、まあ、せいぜい頑張ってみるさ」のニュアンスを含む、粘着質の言葉だった。
 「済みません、お待たせしました」Mは済まなそうに頭を下げた。
 「いんだけどさ。大丈夫なの? なんか揉めてたみたいだけど…」
 「ええ…。今度、時間とってもらえませんか。聞いてもらいたい話があって、あの、わたし、この仕事を辞めて、プ、プ、プロ野球の選手になろうと思っているのです!」
 「はあ?」
 Mの目は真剣そのものだった。
 「プロ野球の選手になりたいって、おまえ、もう40過ぎたろう」
 「42です」
 「42でプロ野球の選手はないんじゃないの」
 「ダメでしょうか」
 「ダメに決まっているよ」
 「でも、どうしてもなりたいんです。今度ゆっくり話します。あ、時間だ。済みません、社に戻らないといけませんので、ここで失礼します」Mは、タタタと駆けて行ってしまった。
 ん、こうしてはおれん。俺もイシバシを待たせたままだった。Mの変な話に付き合って、時間が過ぎるのをすっかり忘れていた。
 鞄を握り直し、もと来た方向へ走り出す。ところが、走っても走っても、さっきのあの場所に辿りつけない。焦って走っているうちに、どんどん周りの景色が変化し、とんでもない山奥に入り込んでしまった。
 道行く人びとも、サラリーマン姿からいつしか農作業でもするような格好になり、イシバシ怒ってんだろうなあと心の中で呟いた。でも、どうせ、もうこんなに時間が経ってしまったんだから、急ぐこたねえや。と、遠くに一列に並んで稲刈りをしている集団があり、うちの一人が、曲げていた腰を伸ばしてこちらを見た。相当の距離があって、米粒ほどの大きさにしか見えなかったが、まぎれもなくそれはMだった。
 プロ野球選手になりたいなんて言っていたのに、なんだよあいつ、ブツブツ言いながら、わたしは家路を急ぐ。どうやら雲行きがだんだん怪しくなってくる。

大阪教育大学ワイン

 悩みを抱える同僚や友人、教え子を励ますために、大阪教育大学教授の古市久子さんが5年前から送り始めた絵手紙48枚をカラーで収めたエッセイ集『あしたのあなたへ』を過日小社から刊行したが、その古市さんから、ワインを贈られた。しかも4種類!
 大学芋は聞いたことがあるし食べたこともある。好きな食べ物だ。あのちょっとどろりとした飴の部分が固まっているところも美味いし、なかのほくほくの芋が現れ、飴と一緒に舌を刺激してくるのもまた愉しい。大学芋。
 が、大学ワインというのは初めて。
 ラベルに「大阪教育大学ワイン」と書いてある。どこかで見たことのある字。古市さんの字だ。和紙のラベルに書かれた文字が楽しげに踊っている。だけでなく、彼女の絵手紙の中から4枚選ばれ、ラベルに使用されている。うち2枚は、本書に収録されたもの。
 ちょうど、『変わる富士山測候所』の編著者で江戸川大学教授の土器屋由紀子さんが、ゲラの最終チェックにみえられたので、区切りがついた後、先生を交え、みんなでワインをいただいた。
 美味しいワインを飲みながら、なんだか、こみ上げてくるものがあった。
 大学は今、一部を除いてだんだんと学生数が減り、大学本来の研究や教育がままならないところが多いと聞く。しかし、先生たちの中には、たとえばワインづくりにこだわり、知恵を出し合い、この世知辛い世の中へ出ていった卒業生たちへの贈り物を考える人もいる。70年つづいた測候所の有人観測が無人化される期にあたり、学生を巻き込み、富士山測候所で働いた人にインタビューし、測候所の有効利用を模索し本にまとめようという人もいる。出版の動きが気象庁の方々へもつたわり、望ましい波及効果が生まれてきそうだとの話も聞いた。本の編集に関わった学生の半数はまだ就職が決まっていないそうだが、就職活動もしながら、カネにはならぬ就職にも直接つながらぬ本づくりに関わったことが、彼女たちに何らかプラスになると信じたい。なってくれと祈る気持ちだ。
 本が出来たなら、そのころ彼女たちの就職が決まっているかどうかはわからないけれど、「大阪教育大学ワイン」で祝杯をあげたい。

狂気の天才

 電車に乗っているときや、部屋でぼーっとしているとき、ああ、また考えていたかと思う。
 なぜそんなに気になるのか、理由がないわけではない。
 シド・バレットのアルバムはCDで2枚出ているが、初めて聴いたとき、なんだこりゃ、だった。子供がふざけて適当に音符を並べて作った歌じゃねえの、みたいな印象で、どこがいいのかさっぱり解らない。
 ところが、そのデタラメな感じの歌が耳について離れないのだ。
 決定的だったのは、最近発売されたDVDだ。そこに、動くシド・バレットが映っている。
 初期ピンク・フロイドのメンバーが、それぞれの思い出の中のシドについて語っているのだが、共通したコメントは、シドが天才だったということ。さらに、デイブ・ギルモアは、言葉だけでなく、彼の表情や歩く姿までがラブソングだったとも言い、あのロジャー・ウォータースはシドに嫉妬したとも告白している。
 DVDにはおまけが付いていて、ロジャー・ウォータースが本編以外に答えたインタビューが収録されており、そこで、シドについての面白いエピソードを伝えている。
 リハーサルのためにスタジオにやってきたシドは、新しい曲が出来たと言ったそうだ。そうかそうか、どんな曲、とロジャー。歌詞の中に、「わかったかい?」というフレーズがあって、ふたりで演奏した。シドがそこのメロディーをあれこれいじってアレンジし、わかったかい? わかったかい? わかったかい? いくつかのパターンを歌った。すると、突然シドが歌うのを止め、「わかった!」と言って、ギターをケースの中に仕舞ったのだという。奇妙な体験だったと、ロジャーは当時を思い出している。
 シド・バレットは1946年生まれ、今も、ケンブリッジで静かに暮らしているそうだ。
 DVDには2000年に行なわれたピンク・フロイドのコンサートの模様も収録されているが、そこで歌われる「シャイン・オン・ユー・クレイジー・ダイヤモンド」は涙なしには観られない。クレイジー・ダイヤモンドとはシドのこと。
 ピンク・フロイドは結局シド・バレットの呪縛から逃れられなかったのかとも思うけれど、それでよかったのだろう。「シャイン・オン・ユー・クレイジー・ダイヤモンド」にはシドへの愛もこめたのだとロジャーは語っている。
 それにしてもシド・バレットの眼、ブラックホールとはよく言ったものだ。